2019年10月5日土曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (666) 「歌越・サラポオマナイ川・モオタコシベツ川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

歌越(うたこし)

ota-kus-pet?
砂浜・通行する・川
o-tapkop-us-pet?
河口・円丘・ついている・川


遠別町南部の地名です。歌越の南に「オタコシベツ川」が流れていて、苫前郡初山別村と天塩郡遠別町の境界となっています。初山別村豊岬から北上した場合、久しぶりの本格的な沖積平野と言えそうな場所です。

「西蝦夷日誌」には次のように記されていました。

(十六丁十五間)ヲタコシベツ〔歌越別〕(川幅五六間、出水の時船有、土人一軒、川口洲やはらかにして危し)、名義、ヲタクシベツにして、沙越る川といへり。今此處を以て天鹽・笘〔苫〕前の境目とす(従ルヽモツペ〔留萌〕境十二里十七丁十三間)。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.274-275 より引用)

なるほど、ota-kus-pet で「砂浜・通行する・川」だと言うのですね。竹四郎廻浦日記にも次のように記されていました。

     ヲタコシヘツ
此処もまた川有。巾五六間。沙川にして川端踏込て急(危)きが故に、夷人壱人傍に案内の為此度遣し相成り居候。
(松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 下」北海道出版企画センター p.515 より引用)

また、「再航蝦夷日誌」にも次のようにありました。

     ヲタコシベツ
川有。巾六間。徒渡り。小休所有。水多きときは小船ニ而渡す。然し馬は皆歩行に而渡すなり。両岸雑樹多し。夷人小屋壱軒有。
(松浦武四郎・著 吉田武三・校註「三航蝦夷日誌 下巻」吉川弘文館 p.95 より引用)

ということで、内心「決まったな」とほくそ笑んでいたところ、永田地名解に次のような記述を見つけてしまいました。

O tapkop ush pet  オ タㇷ゚コㇷ゚ ウㇱュ ペッ  丸山ノ川 川尻ニ弧山アリ故ニ「」ト云フ
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.408 より引用)

「えぇぇぇ」と思ったのですが、改めて「東西蝦夷山川地理取調図」を眺めてみると、妙なことに気が付きました。現在の「オタコシベツ川」のところに「ホロヲタツコムシベツ」という川が描かれていて、北にある「モオタコシベツ川」のところに「ヲタコシヘツ」とあるのです。

o-tapkop-us-pet で「河口・円丘・ついている・川」という解釈は、文法的にはおかしな点は無いと思うのですが、一番引っかかるのが北隣を流れる「モオタコシベツ川」との整合性です。つまり、「モオタコシベツ」があるということは「オタコシベツ」もある筈なのですが、永田説では「オ タㇷ゚コㇷ゚ ウㇱュ ペッ」と「オタ クㇱュ ペッ」がそれぞれ別の川である、ということになってしまいます。

これが「北海道蝦夷語地名解」だけの話であれば「あー、また永田っちが珍説出してるわ」で済むのですが(失礼極まりないな)、「東西蝦夷山川地理取調図」の記載とも一致するのが厄介なところです。

また o-tapkop-us-petmo-ota-kus-pet だったら「ota-kus-pet はどこ行った」というツッコミが成り立つのですが、現在「モオタコシベツ川」と呼んでいる川が mo-ota-kus-pet ではなく ota-kus-pet だったよ……としているので、矛盾も無いようになっています。

元々 o-tapkop-us-pet だった川がいつしか ota-kus-pet に化けてしまい、それに伴って本来の ota-kus-petmo-ota-kus-pet になった、と考えること *も* できそうなのですが、状況証拠でしか無いのでなんとも言えないところです。

サラポオマナイ川

sar-ka-oma-nay
茅原・かみて・そこに入る・川


オタコシベツ川の北支流の名前です。オタコシベツ川が南東から北西に向かって流れているのに対して、サラポオマナイ川はほぼ西に向かって流れて、最終的にオタコシベツ川と合流しています。

サラポオマナイ川の支流に「茂サラポオマナイ川」もあるのですが、「茂」だけ漢字というのも画期的ですよね。また多くの地図で「サラポオマナイ川」となっていますが、地理院地図だけ「サラパオマナイ川」となっています。

永田地名解には次のように記されていました。

Sara ka oma nai  サラ カ オマ ナイ  茅ノ上ニアル川
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.409 より引用)

「サラポ」でも「サラパ」でも無く、「サラカ」ではないか、ということですね。実際に「東西蝦夷山川地理取調図」を眺めてみても、「ホロヲタツコムシベツ」(=オタコシベツ川)の「南支流」として「サラカヲマ」という川が描かれています。

「サラポオマナイ川」あるいは「サラパオマナイ川」の南隣に「坂川」という川が流れているのですが、この川がかつて「シルトルマㇷ゚」と呼ばれていたようです。「東西蝦夷山川地理取調図」には「シルトルヲマ」という川も「南支流」として描かれているので、要は南北を間違えた可能性が高そうです。よって「サラカヲマ」=「サラポオマナイ川」と考えて良さそうな感じです。

「サラポオマナイ川」であれば {sar-po}-oma-nay で「小さな茅原・そこに入る・川」となりますが、おそらく実際は sar-pa-oma-naysar-ka-oma-nay で「茅原・かみて・そこに入る・川」だったのでしょうね(この場合、-pa でも -ka でもどちらでも意味は変わらないです)。

地理院地図では「サラパオマナイ川」になっていましたが、「サラポオマナイ」が誤りで、本来の形である「サラカオマナイ」に近い形に戻した……と言ったところでしょうか。あるいは「サラカオマナイ」という記録と「サラポオマナイ川」の間に「サラパオマナイ川」という記録もあったのかもしれません。

モオタコシベツ川

mo-ota-kus-pet?
小さな・砂浜・通行する・川
mu-ota-kus-pet?
塞がる・砂浜・通行する・川


遠別町旭のあたりを流れる川の名前で、上流部には「旭温泉」があります。「オタコシベツ川」の支流ではなく独立河川で、直接海に注いでいます。

すでに一通り議論を済ませてしまいましたが、「東西蝦夷山川地理取調図」には「ヲタコシヘツ」という名前で描かれていました。「竹四郎廻浦日記」には「モヲタコシベツ」とあり、また「再航蝦夷日誌」には「ムヲタコンベツ」とあります。「再航蝦夷日誌」では「ヲタコシベツ」も「ヲタコンベツ」となっているところがあり、若干誤記が目立つ印象があります。

「ヲタコシヘツ」であれば ota-kus-pet で「砂浜・通行する・川」となります。注目すべきは「再航蝦夷日誌」の「ムヲタコンベツ」で、mu-ota-kus-pet で「塞がる・砂浜・通行する・川」と読めてしまいます。

留萌のあたりからサロベツ原野のあたりまでは、一部の例外を除いて岬や入り江は皆無です。これは強い沿岸流の存在を示唆していますが、実際に「オタコシベツ川」や「モオタコシベツ川」の河口も北向きに曲がっています(不思議なのは、天塩川の河口とは逆向きに曲がっているところです)。また、「モオタコシベツ川」の河口は今でも砂で埋まり気味のように描かれています。

この川は、もともと ota-kus-pet であり、また mu-ota-kus-pet と呼ぶ場合もあったが、南隣の o-tapkop-us-petota-kus-pet の名前を奪われてしまい、たまたま mu-ota-kus-pet と言う別名があったのを良いことに、mo-ota-kus-pet と呼ばれるようになった……と考えたりもしたのですが、ちょっと牽強付会に過ぎるような気もします。

都築川(読み不明)

遠別町旭のあたりでモオタコシベツ川に合流する北支流の名前です。おそらく「つづき──」と読むんじゃないかと思うのですが、だとすれば、そしてアイヌ語に由来すればという条件つきですが、tu-tuk で「峰・突起」だった可能性がありそうです。

具体的には、町道(農道かも)が南北に通っているところがあるのですが、そのあたりで南北に伸びる峰を tu-tuk と呼んだのではないか、との想像です。

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