2019年10月20日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (671) 「マサロベツ川・サラキタナイ川・トーウツナイ川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

マサロベツ川

masar-pet?
浜の草原・川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
遠別の市街地のすぐ北側を流れる川の名前です。「東西蝦夷山川地理取調図」には遠別川の北支流として「マサラマヽ」という名前の川が描かれています。これが現在の「マサロベツ川」と同一であるかどうかは疑問が残りますが、遠別川の河口自体が現在より北側にあった可能性も考えられる(天塩川の河口と似たような感じ、但し南北は逆)ので、「マサロベツ川」が遠別川の支流だった可能性も、若干ありそうな感じです(大正時代に測図された陸軍図には、河跡湖と思しき潟湖が描かれています)。

「竹四郎廻浦日記」には次のように記されていました。

 扨此川すじ沢目相応に有。樹木多し。しばし上りて右の方 マサラマフ、また少し上りて チホテ、並びて ホンナイ、
松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 上」北海道出版企画センター p.516 より引用)
「しばし上りて右の方」というのは「東西蝦夷山川地理取調図」での描かれ方と全く合わないのですが、どちらかが間違っている……ということなのでしょうね。実際には「右の方」すなわち「南側」に「マサラマフ」が存在したのかもしれませんが、「東西蝦夷山川地理取調図」には「北支流」として描かれていて、それが現在の「マサロベツ川」の基になっている……と考えるのが自然かなぁ、と思えます。

「マサロベツ」は留萌の「マサリベツ川」と同様に、masar-pet で「浜の草原・川」でしょうか。「マサラマフ」であれば masar-oma-p でしょうか。これだと「浜の草原・そこに入る・もの(川)」と考えられそうです。

「マサラママ」については……最後の「マ」が「フ」の誤記だったんじゃないでしょうか。

サラキタナイ川

sar-kitay-nay?
葭原・奥・川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
遠別町北部と天塩町南部を流れる川の名前です。水源は遠別町で、更岸貯水池も遠別町にありますが、下流部は天塩町を流れています。海岸の砂丘に阻まれるような形で南に向きを変えて、200 m ほど遠別町域に戻ってから、また北に向きを変えて天塩町で海に注ぐという、かなり珍妙なルートを辿る川です。

NHK 北海道本部編の「北海道地名誌」には、次のように記されていました。

 サラキタナイ川 遠別町との境で海に入る小川。アイヌ語で葦を刈る川の意。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.390 より引用)
sarki-ta-nay で「葦・刈る・川」ではないか、と言うのですね。確かにそう解釈するしか無いかなぁ……と思ったのですが、「天之穂日誌」に気になる記載を見つけてしまいました。

過て茅原また少し上り
     ホロシヤリキタイ
     モシヤリキタイ
等云、廻り凡弐里計の沼有て、其周蘆荻生茂りたり。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.130 より引用)
おっと。なるほど、poro-sar-kitay であれば「大きな・葭原・奥」となります。そこを流れる川があったとすれば sar-kitay-nay で「葭原・奥・川」と呼んだ……としても不思議はありません。

ただ、明治時代の「北海道地形図」を見てみると、現在の「サラキタナイ川」上流部(サラキシ湖に注ぐ部分)が「オウコツナイ」と描かれていました。o-u-kot-nay であれば「河口・互いに・くっついている・川」となります。川が海や湖に注ぐ直前で他の川と合流していることを指して「尻がくっついている川」と形容した……とされます。

ここで最大の疑問は「サラキタナイ川」は「サラキシ湖」に注いでいたのか……というもので、「北海道地形図」を見る限りでは、「オウコツナイ」が「サラキシ湖」に注いでいたことはほぼ間違いないかな、と思わせます。

一方で、大正時代に測図された「陸軍図」を見ると、現在の「サラキタナイ川」に相当する川はすでに一直線に海に向かう(そして砂丘に阻まれて南に向きを変える)という、現在と同じルートに変更されています。これは「サラキシ湖」の干拓に際して意図的に流路を変えた、と考えれば良さそうでしょうか。

「オウコツナイ」と「トコツナイ川」の名前が妙に似ているのも気になります。偶然似たのか、それともインスパイア系の川名(?)なのかは不明ですが……。

トーウツナイ川

to-ut-nay?
沼・あばら・川
(? = 典拠未確認、類型多数)
天塩町の市街地の南側を「六志内川」が流れていますが、トーウツナイ川は六志内川の河口の少し手前で南から合流する支流です。

天塩町更岸のあたりには、かつて「サラキシ湖」という湖がありました(干拓されたため現存せず)。「東西蝦夷山川地理取調図」にも湖が描かれているのですが、不思議なことに「サルケシ」のほかに「サツテクトウ」と「ホロトウ」が存在したように描かれています。

「サラキシ湖」は潟湖の一種として捉えられるかと思いますが、「サラキシ湖」と海を隔てていた砂丘はどうやら複数存在したようで、砂丘と海の間にも別途小規模な潟湖が存在した可能性があろうかと思います(前述の「サルケシ」と「サツテクトウ」がそれに相当するとの推測です)。

「トーウツナイ」は to-ut-nay で、「沼・あばら・川」と考えられます。「あばら川」は「背骨」に対して「あばら骨」のような位置に存在する川のことですが、現在の等高線などを見た感じだと、西側の「サルケシ」に相当する沼に横から注いでいたようにも見えます。このことを指して「沼・あばら・川」と呼んだのではないかな……と思います。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

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