2020年6月30日火曜日

Bojan のホテル探訪~「ホテルソニア小樽」編(お部屋編)

小樽に上陸後、ちょちょいと車を走らせること十数分で「ホテルソニア小樽」に到着しました(最短で 7 分ほどの距離だったみたいです)。これは 1F ロビーの写真だったと思いますが、ご覧のようにアンティークな雰囲気の感じられるホテルです。
ささっとチェックインを済ませて、部屋に向かいます。車種が 406 だけに、部屋番が惜しい感じですが……(かなりどうでもいいよね)。

シャンデリアがある!

ということで、新館の 407 号室にやってきました。おっ、なかなか趣のある部屋ですね。
部屋の中央にはなんとシャンデリアまで!

アンティークな調度品の数々

窓側にはテーブルセットが置かれているのですが、これもまた随分とアンティークな感じのものですね。カーテンも部屋の雰囲気と調和が取れたデザインのものになっています。
部屋に備え付けの家具なんですが、まるで美術品のように思えてしまいますね。
壁にはこんなものも飾られていました。額縁に飾られたものですが、僅かに奥行きがあるので、ちょっとしたショーケースのようにも見えます。

古い、という訳ではなくて……

ベッドはツインです。サイズは割と一般的なものでしょうか。
ベッドとベッドの間には電話や目覚まし時計、電気スタンドなどが置かれています。随分とくたびれた感じのものに見えますが……
ベッドの反対側にはテレビ台を兼ねたタンスとドレッサーが見えます。
ドレッサーも、かなり使い古されたもののように見えますね。
ただ、室内設備が全体的に古い……という訳ではなくて、たとえばバス・トイレはご覧の通り、かなり新しそうなものです。つまり、部屋の調度品は *意図的に* くたびれたものを選んで置いている、ということになりそうですね。

現代的な調度品の数々(ぉ

バス・トイレの向かいにはクローゼットがあって……
テレビとクローゼットの間には、冷蔵庫とポットやティーセットなどが置かれていました。
冷蔵庫の中は空っぽですが……まぁ、これは最近では当たり前ですよね。客自身で持ち込んだ飲料を置けることのほうが重要なのだ、ということなのでしょう。

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2020年6月29日月曜日

春の新日本海フェリー「あかしあ」スイートルーム "うすもの" 乗船記(下船編)

美味しい夕食を頂いたので、そろそろ部屋に戻ることにしましょう。小樽港到着は 20:45 の予定なので、船内に居られるのもあと 1 時間と少しです。
新日本海フェリーの「あかしあ」と「はまなす」では、個室の鍵はシリンダータイプです。カードキーではないので、下船の 1 時間ほど前に係の人が各室を回って鍵を回収に来られます。船内をウロウロしたい気持ちもあるのですが、部屋にいないと係の人が頭を抱えてしまうので、ちゃんと部屋で待つことにします。
この日は 20 時過ぎに鍵の回収に来られました。

小樽に入港

これは 20:28 時点での写真ですが、小樽の港湾施設と市街地の明かりが良く見えています。とうとう小樽に到着してしまいましたね……。
定時の 15 分前ですが、そろそろ車輌甲板に向かう行列ができる頃でしょうか。早めに部屋を出ても行列で待たされるだけなので、アナウンスが入るまで部屋で待機です(新日本海フェリーの場合、同乗下船が OK な場合が多いので、乗船時よりも下船時のほうが甲板が混雑する傾向にあります)。
車輌甲板が開放されたとの船内アナウンスが入ったので、荷物をまとめて車輌甲板に向かいます。新日本海フェリーの場合は、下船時にも二次元バーコードのチェックが入るので、「e 乗船券お客さま控」が必要となります。手元に準備するのをお忘れなく。
もちろん、部屋に忘れ物をしないようにご注意ください。定番ですが、冷蔵庫は要チェックです。
鍵回収から退室まで 30 分ほどあったので、少しベッドを整えるなどしておきました。

スロープは閉鎖中

3 層ある車輌甲板の最下層(1 甲板)にたどり着いたのは、定刻の 5 分前でした。ちょいとギリギリの感もありますが、1 甲板からの下船は最後になるので、まぁ問題ないでしょう。
ミラー越しなので分かりづらいですが、出口(2 甲板に向かうスロープ)は閉じられたままです。スロープの上の屋根?が開かない限り、車が外に出ることはできません。
おっ、スロープの上の屋根が上がり始めました!
2 甲板へのルートが開きました。これってなんか RPG みたいですよね。

1 甲板からの脱出

決して広いとは言えない 1 甲板ですが、なるべく前進だけで出入庫ができるように、車を駐車する向きが考えられていました。グルっと左に 180 度以上カーブして、スロープに向かいます。
自車の最小回転半径に近づけるべく、しっかりとステアリングを切りましょう。
スロープを駆け上がり、2 甲板に向かいます。

小樽に上陸!

「あかしあ」は小樽港内で 180 度向きを変えて、右舷から接岸します。ということで、2 甲板右舷後方から下船します(乗船時は左舷からでした)。
少し待たされたので 20:59 になっていましたが、ついに! 小樽に上陸です!(もう少しマシな写真は無かったのか
それでは、引き続き「春の道北・船と車と鉄道で 2016」をお楽しみください……!

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2020年6月28日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (741) 「留産・目名川・知来別」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

留産(るさん)

ru-o-san-i
道・そこで・下る・ところ

(典拠あり、類型あり)
喜茂別町西部の地名です。国鉄胆振線に同名の駅がありましたので、まずは「──駅名の起源」を見ておきましょうか。

  留 産(るさん)
所在地 (胆振国) 虻田郡喜茂別町
開 駅 昭和 3 年 10 月 21 日(胆振鉄道)
合 併 昭和 16 年 10 月 15 日(胆振縦貫鉄道)(客)
起 源 アイヌ語の「ルオサニ」、すなわち「ル・オ・サン・イ」(道がそこを下る所) 、坂の下り口の意である。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.80 より引用)
ru-o-san-i で「道・そこで・下る・ところ」なのですね。知床の「ルサ」や「ルシャ」と似ていますが、あちらは ru-e-san-i だったと記憶しています(「道・そこで・下る・ところ」と解釈するのは同じなのですが)。

丁巳日誌「報志利辺津日誌」にもほぼ同様の内容が記されていました。

又七八丁も下るや、
     ルウサン
此処も同じ(様)成処にて、西岸少しの平地、其上皆箬山。東岸は平地。ルウサンと云は道より下ると云儀なり。むかしはアフタ蝦夷等此処え下り来りし由也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.342 より引用)
留寿都から京極に向かう場合、喜茂別を経由するよりも尻別岳の西側を抜けたほうが移動距離を短くできますが、このルートを通った場合、ちょうど留産のあたりが下り坂になります。そのことを指してのネーミングだったのですね。

目名川(めな──)

mena?
細い枝川

(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
喜茂別町西部、比羅岡から留産のあたりを流れる川の名前です(尻別川の西支流)。昔の地形図を見ると、このあたりの西支流は軒並み「メナ川」だったようで、喜茂別の「目名川」は「上メナ川」と呼ばれていた時代もあったようです。

そのため、永田地名解でも次のようにおかしなことになっていました。

Kashp ni    カシュプニ     杜仲(マユミ)
Mena      メナ        細川
Oro kunnep   オロ クンネㇷ゚   水中黑キ處 細川ナレトモ水深クシテ暗黑ナリ
Mena      メナ        細川
Wakka tasatp  ワㇰカ タサッㇷ゚  水ヲ汲ミニ下ル處 土人云水瀨强ク下ル處ナリト
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.180 より引用)
mena は道南に多い地名(川名)ですが、その意味するところは明確ではありません。永田方正は虻田アイヌからの情報として「『メナ』は『アネ』と同じ」即ち「細い」という意味だと記していますが、服部四郎の「アイヌ語方言辞典」には、mena を「細い」とする記載は見当たりません。

また知里さんは「menamem(泉池)と同じではないか」と考えていたようですが、各所のメナを見る限り、必ずしも mem に相当する泉池が見当たるわけではないとのこと。

「寒い」という意味の me という語彙があり、また「冷たい」を意味する nam という語彙もあったよなぁ……などと想像を膨らませたりもするのですが、今日のところは mena は「細い枝川」としておこうかと思います。

知来別(ちらいべつ)

chiray-ot-pet
イトウ・多くいる・川

(典拠あり、類型あり)
国道 230 号の中山峠を越えると、ほどなく国道は喜茂別川沿いに西に向かうことになります。喜茂別川の南支流に「知来別川」という川があり、知来別川沿いの一帯が「知来別」です。そのまんまですいません。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「キモウヘツ」の支流として「チライヘツ」という名前の川が描かれていました。そのまんまですいません……。

戊午日誌「作発呂留宇知之誌」には次のように記されていました。

しばし過て
     チライヲヽベツ
右の方小川。此川すじいとうといへる魚入るによって号るよし。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.52 より引用)
やはり chiray(イトウ)の入る川だったんですね……。ほぼそのまんまですいm(ry

永田地名解には次のように記されていました。

Chirai ot pet  チライ オッ ペッ  イト魚川
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.179 より引用)
あー、やはり chiray-ot-pet は「イトウ・多くいる・川」で、場合によっては -ot が略されることもあったのですね。そのまn(ry

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2020年6月27日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (740) 「ペーペナイ川・脇方・カシプニ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

ペーペナイ川

pe-pe-nay
水・水・川

(典拠あり、類型あり)
尻別川の東支流で、京極町北部を流れています。上流には「双葉ダム」と「京極ダム」があり、京極ダムでは揚水発電が行われています。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「ヘヒナイ」とあるほか、丁巳日誌「報志利辺津日誌」には「ヘビナイ」という名前で記録されていました。

また、永田地名解には次のように記されていました。

Pepe nai  ペーペ ナイ  合流多キ川 「ワㇰカタサップ」ト合流シテ本川ニ注ク
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.180 より引用)
現在の地形図では、ペーペナイ川はワッカタサップ川と合流するのではなく、直接尻別川に合流しているように見えますが、ほぼ同じ地点で合流しているので、永田地名解の書き方でも「ほぼ正しい」と言えそうですね。

山田秀三さんの旧著「北海道の川の名」には、次のように記されていました。

ペーペナイは、他地の例からすると、ペ・ペ・ナイ(Pe-pe-nai 水・水・川)で、水(流) が、ごちゃごちゃ流れるところだったろうか。
(山田秀三「北海道の川の名」モレウ・ライブラリー p.188 より引用)
今ひとつピンと来ないので、「北海道の地名」も見ておきましょうか。

言葉の形は pe-pe-nai(水・水・川)である。道南豊浦町の旧名弁辺は,一説にペーペナイだといい,小流がむやみにあった川であると考えられていた。同じような川だったのではなかろうか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.467 より引用)
「小流がむやみにあった川」と言われると、確かに京極ダムの上流部には「中岳川」や「高台川」、「無意根川」「湖水川」「美比内川」「渓谷川」など、名前の確認できる支流だけでもこれだけあります。

「支流が多い」ということは「流域面積が広い」と言い換えることができて、最終的には「水の量が多い」という点に帰着します。pe-pe-nay は「水・水・川」だと考えられますが、素直に「水の多い川」と捉えて良いのではないでしょうか。水の多い川で水力発電というのも、なかなか素敵な感じがします。

余談ですが、このロジックは「ベンベ川」には当てはまらないように思えます。ベンベ川の場合は pe-un-pepewre-pet と考えたほうが良さそうでしょうか。

脇方(わきかた)

wakka-ta-sap(-pet)
水・汲む・群をなして流れ下る(・川)

(典拠あり、類型あり)
京極町の市街地から見て東に位置する地名です。1970 年までは国鉄胆振線の脇方支線が通っていました。ということで「北海道駅名の起源」を見てみましょう。

  脇 方(わきかた)
所在地 (胆振国) 虻田郡京極町
開 駅 大正 9 年 7 月 15 日
廃 止 昭和 45 年 11 月 1 日
起 源 付近を流れるアイヌ語の「ワッカ・タ・エ・サプ・ペッ」(水をくみに下る川)の上部をとって、駅名としたものである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.223-224 より引用)※ 原文ママ

え……。wakka-ta-e-sap-pet で「水・汲む・そこに・下りる・川」だと言うのですね。この解ですが、他の記録と比べてみると、ちょっと面白いことに気がつきます。

「東西蝦夷山川地理取調図」を見てみると、「ワツカタサ」という川が描かれています。また丁巳日誌「報志利辺津日誌」にも「ワツカタサ」と記録されています。

永田地名解には次のように記されていました。

Wakka tasatp  ワㇰカ タサッㇷ゚  水ヲ汲ミニ下ル處 土人云水瀨强ク下ル處ナリト
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.180 より引用)
はい。ここまで見た限り、「──駅名の起源」以外で「エ」が出てくる記録が見当たらないのですね。wakka-ta-e-sap-pet で「水・汲む・そこに・下りる・川」と解釈する場合、e- が無いと文法的な収まりがおかしくなるような気もするので e- を追加したんじゃないかな……と邪推してしまいます。

もっとも ta-e-sapta-sap と変化するのはあり得る話なので、他の記録に「エ」が見つからないことが e- の非実在を証明するものでは無いのですけどね。

ただ、永田地名解の内容を素直に解釈すれば、wakka-ta-sap(-pet) で事足りるようにも思えます。「水を汲みに下りる」のではなく、sap を「群をなして山から浜に出る」意味と考えれば良さそうに思えます。

ということで、wakka-ta-sap(-pet) で「水・汲む・群をなして流れ下る(・川)」と考えて良いのではないでしょうか。ワッカタサップ川も流域がそこそこ広いので、雨が降った翌日には結構な勢いで水が増えたんじゃないかな……と考えてみました。

あ、「脇方」は「ワッカタサップ」を後略したものと見て良さそうです(あわてて書き足したな)。

カシプニ川

{kasup-ni}?
杜仲(マユミ)

(典拠あり、類型未確認)
尻別川の東支流で、京極町の南部を流れています。「東西蝦夷山川地理取調図」には何故か尻別川の西支流として「カシユフ」という名前で描かれていました。

丁巳日誌「報志利辺津日誌」には次のように記されていました。

またしばし過て
     ベンケメナ
左りの方少しの平地。赤楊・柳原にて箬多く、其傍小川有巾五間計浅瀬しばし下りて
     カシユツフ
崖の下渕に成居るなり。此渕の下岩石峨々として、其辺フイラ有。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.343 より引用)
「箬」は「くまざさ」を意味するそうです。「左りの方」というのはアイヌの流儀で考えると正しいのですが、「ワツカタサ」(=ワッカタサップ川)や「ヘビナイ」(=ペーペナイ川)のことを「右の方」と記しているので、やはり左右(東西)の取り違えがあったのかもしれません。

永田地名解には次のように記されていました。

Kashp ni  カシュプニ  杜仲(マユミ)
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.180 より引用)
マユミ」という樹木があるのですが、アイヌは kasup-ni と呼んだのだそうです。Wikipedia には「古くから弓の材料として知られ」とありますが、知里さんによると kasup-ni は「杓子・木」とのこと。素直に「マユミの木(の多いところ)」と考えて良いのかな、と思わせます。

なお、カシプニ川の上流部に錦という名前の集落(現在は無人とのこと)がありますが、この「錦」はマユミの別名である「錦木」(山錦木)に由来するとのことです。

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2020年6月26日金曜日

春の新日本海フェリー「あかしあ」スイートルーム "うすもの" 乗船記(夕食編)

夕食の予定は 18:30 からでした。あと 5 分ほど……なのですが、とてもそのようには見えない写真ですね。実際に 18:24 頃に撮影した写真なのですが……。
5F グリルにやってきました。朝食のときと同じく、中ほどにある 4 人席に案内されました。
テーブルには「お品書き」が用意されています。改めて思うのですが、これが無いと何を食べているのか多分理解できないような気が……。

お造り

最初に「お造り」が出てきました。「牡丹海老・帆立・蛸 あしらい 菜の花 ウニ乗せ」とあります。
なるほどなるほど、確かにウニがちょこんと乗っていますね。ウニは比較的好き嫌いの分かれる品かもしれませんが、個人的には大好きだったりします。

焼き物

続いては「焼き物」です。天ぷらが目立ってしまっていますが、メインは「道産桜鱒の新緑焼」です。
他に「茹でアスパラ山ワサビ醤油乗せ」と「春菊天婦羅 レモン添え」そして「カブ梅酢漬」とあります。

温物

ここまで見ていると、比較的ボリューム面ではおとなしい感じに思えますが、メインはもう一品ありました。「温物」として「ホエー豚のロースト蕗味噌ソース」が出てきました。
「蕗味噌ソース」というのがなかなか斬新な感じでしょうか。グリルでの食事は、なかなか他では食べられないようなソースや調理法(割と珍しそうなもの)がちょくちょく出てくるので、そういった意味でも楽しめます。

食事・止め椀

最初の「お造り」が出てきてからちょうど 30 分ほどで、締めの「食事」と「止め椀」が出てきました。一品一品をじっくりと味わいながら食事できるのも、コース料理の大きな利点の一つでしょうか。
ご飯物は「カニご飯」で、
汁物は「蜆の味噌汁」です。「しじみの味噌汁」とありますが……
これ、もしかしたら「あさりの味噌汁」だったのでは(汗)。
どちらも大好きなので全く問題は無いんですけどね。

甘味

最後は「甘味」ことデザートです。「黒豆きな粉プリン」「黒豆蜜煮」「イチゴ」とありますが……
おっ、なかなか美味しそうじゃないですか。この「黒豆きな粉プリン」、何か見たことあるなーと思ったら「黒ごまプリン」と見た目が似ていたんですね。お味の方も中々のものでした!
最後はお口直しにお茶をいただいて終了です。あっ、そう言えばコーヒーが一度も出なかったというのは割と珍しいような……。
グリルのウェイターさんは、だいたい三食とも同じ方が担当されるので、夕食の時点ではすっかり顔見知りのように感じられるようになります。せっかく面識ができた(?)ところですが、ここでお別れ……ということになりますね。

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2020年6月25日木曜日

春の新日本海フェリー「あかしあ」スイートルーム "うすもの" 乗船記(幻の島編)

船内での過ごし方ですが、午前中は「朝食」→「クイズラリー」→「僚船すれ違い」の後、1 時間ほどで昼食の時間になるので、実は昼寝をするほどの余裕は無かったりします(ビンゴ大会もあったかも)。
一方で、午後は時間固定のイベントはそれほど多くありません(とは言っても、映画上映のほか、日によってはジャグリングなどのイベントが催される場合がありますが)。もちろん映画を見に行くのも良し、ジャグリングなどのショーを見に行くのも良しなのですが、スイートの場合は DVD ソフトを持ち込んで視聴するという楽しみ方も可能です。
DVD プレイヤーは液晶テレビの下に用意されています。再生可能なのは DVD のみで(もしかしたら CD も聞けるかも)、Blu-ray などは未対応です。

「あかしあ」「はまなす」の DVD プレイヤーは DVD-VR にも対応していなかったような記憶がありますので、自宅で録画した DVD-VR メディアは再生できない可能性が高いです。
DVD プレイヤーですが、何故か HDMI ではなく RCA で接続されています。別の言い方をすれば、HDMI 端子が余っているので、PC やゲーム機を持ち込んで接続することも(理屈の上では)可能です。HDMI でデジカメを接続して写真鑑賞……というのはアリかもしれませんね。

エアコンとか給湯とか

エアコンのスイッチは、部屋のエントランスと寝室の間の通路脇の壁(寝室側)にあります。業務用エアコンでおなじみのスイッチなので、慣れている方も多いかもしれません。
ちなみに、敦賀・苫小牧航路を担当する「すずらん」「すいせん」では、壁掛けのエアコンスイッチは存在しないため、リモコンを天井の受光部に向けて操作することになります。

室内には、お茶やインスタントコーヒー用の湯を沸かすための、電気ポットも用意されています。
スイートの場合、冷蔵庫の中に入っているミネラルウォーターを沸かしても良いのですが、洗面台の水道水をそのまま沸かしても問題無いとのこと。部屋に水道設備が無い場合は、共用の給湯室を利用する手もあります。
ポットの横には「グリル」で提供される朝食・昼食・夕食のメニュー案内が置かれていました。

幻の島?

舞鶴・小樽航路の場合、石川県は舳倉島の沖から、北海道は奥尻島の沖まで携帯電話が電波を掴むことはありません。また、奥尻島を過ぎてからも積丹半島沖まで電波の掴み方が不安定になります(確かそんな感じだったかと)。
14:39 時点の現在位置ですが、少しずつ奥尻島に近づきつつありますね……。
そろそろ陸地が見えるかな……と思い、外を眺めてみたところ……
あれっ。何か、島影のようなものが見えます。でも、奥尻島の方角ではなくて、どちらかと言えば松前方向のように思えます。
北海道の沿海には 5 つの有人島がありますが、他に多くの無人島があります。中でも最大(日本最大)のものが「渡島大島」ですが、どうやらこの「渡島大島」が見えていた……ようです。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地理院地図では、渡島大島や奥尻島の東にフェリー航路が描かれていますが、厳密にはこれは間違いで、舞鶴・小樽航路の場合は奥尻島の西側を航行しています。地理院地図に描かれたフェリー航路は、あくまで参考レベルと捉える必要がありそうです。

右か、左か

舞鶴・小樽航路を北に向かう場合、右側の部屋だと僚船とのすれ違いや渡島大島・奥尻島・積丹半島などを見ることができそうです。
一方で左側の部屋であれば沈みゆく夕陽を見ることができそうなので、どちらが良いか、好みが分かれるところかもしれません。

5F のプロムナードが右舷にあるので、右舷の景色はプロムナードから眺めるというのも一つの手ですし、風を厭わないのであれば、5F 後方のオープンデッキで右も左も見放題という説もあります(汗)。また、レストランで夕食を食べるのであれば、レストランから夕陽を眺めることもできそうですね(左舷にあるので)。

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