2021年10月31日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (880) 「安牛・パンケオーカンラオマップ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

安牛(やすうし)

yas-us-i
網を引く・いつもする・ところ
(典拠あり、類型あり)
天塩川東部の地名で、JR 宗谷線の南幌延と雄信内の間に同名の駅がありました(残念ながら 2021/3/13 付で廃止されてしまいましたが)。

廃止されてしまった「安牛駅」は、「上幌延駅」と同じく 1925 年に天塩南線(JR 宗谷線の前身)が幌延まで延伸した際に設置された、歴史ある駅でした。「安牛駅」と「上幌延駅」の間には「南幌延駅」が健在ですが、この駅は 1959 年に開業した、比較的歴史の新しいものです。

閑話休題、「北海道駅名の起源」を見ておきましょうか。

  安 牛(やすうし)
所在地 (天塩国)天塩郡幌延町
開 駅 大正 14 年 7 月 20 日
起 源 アイヌ語の「ヤシ・ウシ」(綱を引く所)の転かしたもので、天塩川の綱引き場であったためである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.180-181 より引用)※ 原文ママ
一瞬「えっ」と固まってしまいましたが、「アイヌ語地名資料集成」に収録された昭和 29 年版の「──駅名の起源」には、次のように記されていました。

 安牛駅(やすうし)
所在地 天塩国天塩郡幌延村
開 駅 大正十四年七月二十日
起 源 アイヌ語「ヤシ・ウシ」(網を引く所)の転訛で、天塩川の網引場であったためである。
(「北海道駅名の起源(昭和 29 年版)」草風館『アイヌ語地名資料集成』p.322 より引用)
昭和 48 年版では「つな引き」となっていたのでどうしようかと思ったのですが、昭和 29 年版ではちゃんと「あみ引」となっていました。誤植って怖いですね(汗)。

「安牛」の意味するところは yas-us-i で「網を引く・いつもする・ところ」と見て良いかと思われます。「東西蝦夷山川地理取調図」にも「ヤスシ」という川が描かれているほか、陸軍図には「天鹽線」の安牛駅も描かれていますが、「ヤスウシ」という地名は安牛駅と雄信内駅の中間あたりに描かれていました。本来は駅よりも南東側の地名だったようです。

パンケオーカンラオマップ川

panke-o-nup-kanrar-oma-p??
川下側・河口・原野・端・そこにある・もの(川)
(?? = 典拠あるが疑問点あり、類型未確認)
JR 宗谷線の「雄信内おのっぷない駅」から北西に進むと、川際スレスレを通る区間がありますが、川際スレスレ区間が終わるあたりで「ペンケオーカンラオマップ川」が天塩川に合流しています。また「パンケオーカンラオマップ川」は 0.2 km ほど西で天塩川に注いでいます。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
明治時代の地形図では少々妙なことになっていまして、「パンケオーカンラオマップ川」の位置に「パンケクオナイ」という川が存在していたことになっています。一方で「東西蝦夷山川地理取調図」では「クヲナイ」という川の手前(河口側)に「ヘンケヌカンランマ」と「ハンケヌカンランマ」という川が描かれています。位置関係を考えると「ハンケヌカンランマ」が現在の「パンケオーカンラオマップ川」だと考えられます。

「天之穂日誌」では

丁巳日誌「天之穂日誌」には次のように記されていました。

並び
     ヤ ス シ
左り小川。少し平磯有。網をむかし張し処と云。同じく卯辰に向、
     バンケヲノカンランマ
     ヘンケヲノカンランマ
等二ツ共左りの方小川。桃花魚多し。此辺よりして又川瀬少し早く相成候哉に覚ゆ。
     クヲナイ
右の方相応の川なり。川口卯・辰・巳の方に向かう。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.485 より引用)
前後関係を把握するためにも少し長めに引用しました。「ヤスシ」は安牛のことで、「クヲナイ」は現在「酒井の沢川」と呼ばれる川のことと思われますが、「右の方相応の川なり」というのは「雄信内川」のことを指していると考えられます。

「ヲヌフナイ」の項に「左り小川有」とあるため、両者を取り違えたものと考えられそうです。「天之穂日誌」では「ヲヌフナイ」(雄信内川)の支流の情報を「トイカンヘツ」(問寒別川)の支流の情報と取り違えるという大ミスがありますが、この「クヲナイ=右の方相応の川」もその影に隠れた「小ミス」と言えそうです。

表記割れの実態

この「パンケオーカンラオマップ川」と「ペンケオーカンラオマップ川」ですが、「東西蝦夷──」と「天之穂日誌」のほかに、そのネタ元とも言える「辰手控」と「巳手控」にも記録が残されていました。ただ、あまりに統一感が無いので(汗)、久しぶりに表にしてみました。

現在の川名パンケオーカンラオマップ川ペンケオーカンラオマップ川
東西蝦夷山川地理取調図ハンケヌカンランマヘンケヌカンランマ
天之穂日誌バンケヲノカンランマヘンケヲノカンランマ
辰手控ヌカンライヌヲノカンラマ
巳手控ヘンケヲノカンラフハンケヲノカンラフ

「巳手控」では「パンケ──」と「ペンケ──」が逆になっていますが、これも「うっかりミス」の類だと思われます。

「パンケオーカンラオマップ川」だけでも見事に表記が割れていますが、「ヌカンランマ」あるいは「ヲノカンランマ」が本来の名前だったと考えられそうでしょうか。

「辰手控」では「パンケ」と「ペンケ」が無くそれぞれが別の名前のように記録されていますが、他の記録は全て「パンケ」と「ペンケ」のコンビネーションであるとしているので、「辰手控」の「別名説」は一旦捨てておこうと思います。

弟??

ということで「ヌカンランマ」あるいは「ヲノカンランマ」とは何かという話ですが、nokan が「細かい」だと仮定しても「ランマ」の意味が良くわかりません。

さてどうしたものか……と思って手持ちの資料を漁ってみたところ、知里さんの「分類アイヌ語辞典 人間編」に面白い記述が見つかりました。

( 9 ) nokan-ram-u)〔no-kán-ram ノかンラㇺ〕《ソオヤ》弟。[nokan(小さい)+ram(子?)]。
(知里真志保「知里真志保著作集 別巻 II『分類アイヌ語辞典 人間編』」平凡社 p.504 より引用)
「地名に『弟』は無かろう」と思われるかもしれませんが、山に男女があるくらいですから川に兄弟があっても不思議ではありません。ram は「低い」という意味以外にも「心」を意味する名詞でもあるようで、知里さんが「弟」としたのは「小さな心」というニュアンスを具現化した、と言ったところでしょうか。

ということで、「川に兄弟があっても不思議では無い」と言ってみたものの、「じゃあ『パンケ』と『ペンケ』が並んでいるのは何故?」と言われると「さぁ」と言うしか無く……。

原野の端!?

nokan-ram に「弟」という意味があると知って小躍りしたものの、やはり地名(川名)と考えるには無理があるなぁ……と思っていたところで、中川先生の「アイヌ語千歳辞典」に次のような記述を見かけました。

カンラㇻ,-ル kanrar, -u 【位名】(ゴザなど)の端《韻》。
(中川裕「アイヌ語千歳方言辞典」草風館 p.153 より引用)
あっ、これは……。これだと「ヌカンランマ」は nup-kanrar-oma で「原野・端・そこにある」と解釈できますね。また知里さんの「小辞典」によると rar で「ふち」を意味するとのことなので、nupka(-n)-rar-oma でも「原野・ふち・そこにある」と読めるかもしれません。

いずれにせよ rarran に化けてくれないと「ヌカンランマ」とは読みづらいのですが、r の後ろに n が来れば rarran に化けそうなので、あるいは nup-kanran-nay と呼ばれていた……とかでしょうか。

現在の「パンケオーカンラオマップ川」という川名は「ヲノカンランマ」の「ヲノ」を「ヲー」と誤読した可能性が考えられるかと思われます。panke-o-nup-kanrar-oma-p とすれば「川下側・河口・原野・端・そこにある・もの(川)」となります。

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2021年10月30日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (879) 「パンケオートマップ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

パンケオートマップ川

o-ochiw-nup???
そこで・性交する・原野
(??? = 典拠なし、類型未確認)
JR 宗谷線の南幌延駅の南側を流れる川の名前です。JR 宗谷線と交叉するあたりで「パンケオートマップ川」と「ペンケオートマップ川」が合流していて、合流後の河川名は地理院地図では「パンケオートマップ川」、国土数値情報では「ペンケオートマップ川」となっています。

毎度のことながらこの異同は何故なんでしょうね。「パンケオポッペ川」と「ペンケオポッペ川」でも似たようなことになっていましたが、地理院地図では「ペンケオポッペ川」が存続河川?で、国土数値情報では「パンケオポッペ川」となっていました。

「パンケオートマップ川」を探す

「東西蝦夷山川地理取調図」には、「ヘンケウフチミフ」(ペンケオポッペ川のことだと思われる)の上流側に「タツカリトウフト」「ヲタシウシ」「オチヨノフ」「ヤスシ」「モシウシ」「ハンケヌカンランマ」と言った川が描かれていました(「ヲチヨノフ」と「モシウシ」は天塩町側の川?として)。また「タツカリトウフト」の南側に「タカヤシリ」という山も描かれていました。

「タツカリトウフト」?

一方、丁巳日誌「天之穂日誌」では「ベンゲヲチヨホツテ」(ペンケオポッペ川のことだと思われる)に続いて次のような川が記録されています。

針位寅卯に向ふ。
     タツカリトウブト
右の方小川。此川源少し沼有て其沼の周り樺多しと。よって浜の土人等皆此処へ来りて樺剥をするよし也。依て号ると。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.483 より引用)
あれ、「右の方小川」とありますね。そして大正時代に測図された「陸軍図」を見ると、確かに天塩町側に沼地から流れる川が描かれています(合流先は天塩川ではなく、天塩川の河跡湖になっていました)。

「タツカリトウフト」は、「東西蝦夷──」では天塩川の東岸(幌延町側)の川として描かれていました。松浦武四郎の記録は右と左を取り違えていることが少なからずありますが、「タツカリトウブト」については「天之穂日誌」の内容のほうが信用できそうに思えます。

「タカヤシリ」?

とりあえず「タツカリトウフト」は「パンケオートマップ川」と関係無さそうですので、もう少し「天之穂日誌」を見てみましょう。

     タカヤシリ
左りの方尖りし山也。椴の木多し。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.483 より引用)
この「タカヤシリ」という山は「東西蝦夷山川地理取調図」にも描かれていて、よほど特徴的な山なのだろうなぁ……と思っていたのですが、どうやら上幌延駅(跡)の南側に位置する、この山のことだったようです。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
これは想定外でしたね……(汗)。なお、明治時代の地形図には「タカヤシリ」の位置に「タㇷ゚コシリ」と描かれていました。tap-kop に類する山と認識されていたっぽい感じでしょうか。

「ヲヽチヨウヌ」!

「タカヤシリ」は「パンケオートマップ川」よりも北の小さな山だということが確認できたので、更に続きを見てみましょうか。

寅・卯・辰と三位に廻り、
     ヲヽチヨウヌ
左り小川有。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.483-484 より引用)
あれっ、そんな川があったかな……と思ったのですが、どうやらこれが「東西蝦夷──」の「ヲチヨノフ」のことだったようです。「ヲチヨノフ」は天塩川の西側、天塩町側の川として描かれていますが、「天之穂日誌」の「ヲヽチヨウヌ」は「左り小川」、つまり天塩川の東側、幌延町側の川として記録されています。また左右逆ですか……。

どうやら「パンケオートマップ川」あるいは「ペンケオートマップ川」は「ヲヽチヨウヌ」あるいは「ヲチヨノフ」だったらしい、という風に思えてきました。

「ヲヽチヨウヌ」の意味の検討

肝心の「ヲヽチヨウヌ」の意味ですが……なんでしょうね、これ(汗)。「アイヌ語方言辞典」には ’ociw で「性交する」という語が出ていて、これは日高の沙流方言と樺太の方言として記録されています。

また、’ociwe で「投げる」や「捨てる」を意味する語が、樺太方言として記録されていました。

そして「ヲチヨノフ」の「ノフ」は nup で「原野」だった可能性があるかと思われます。ここでようやく気づいたのですが、nup なのであれば、それは川の名前ではなく原野の名前だったということになります。

現在の「パンケオートマップ川」と「ペンケオートマップ川」は、南幌延駅の少し南で合流した後に天塩川に注いでいます(合流後の名前について不明点があるのは前述の通りです)。ただ、大正時代に測図された「陸軍図」では、現在のパンケオートマップ川に相当する川は南幌延駅の北側を流れていました(現在も川として残っています)。

改めて「陸軍図」を見てみると、パンケオートマップ川とペンケオートマップ川は合流寸前でそれぞれ天塩川に注いでいるように見えます。

川がそこで合流する原野

「川の合流点」を意味する地名として「ペテウコピ」というものがあります。これは pet-e-u-ko-hopi-i で「川が・そこで・互いに・捨て去る・ところ」を意味するのですが、それだったら o-ochiwe-nup は「そこで・捨てる・原野」と読めるのではないか……と。

ochiwe は樺太方言じゃないか」というツッコミもあろうかと思われますが、帯広や釧路など、道東でも使われていたようなので、少なくとも樺太オンリーでは無さそうな感じです。「アイヌ語方言辞典」では、「捨てる」の宗谷方言は ’osúra と記録されていたりしますが……。

ただ、ochiwe は「オチウェ」なので、o-ochiwe-nup だと「オーチウェヌㇷ゚」となり「ヲヽチヨウヌ」または「ヲチヨノフ」と少し語感が異なるのが気になります。となると、やはり o-ochiw-nup で「そこで・性交する・原野」と考えるしか無いのかもしれません。

「北海道地名誌」には「パンケオートヌオマップ川」と記されていました。もしかしたら「パンケオーチュヌポマップ川」、つまり panke-o-ochiwe-nup-oma-p で「川下側の・そこで・性交する・原野・そこに入る・もの(川)」だった可能性もあるかもしれません。

ochiw も樺太方言なので、天塩川流域で意味が通じたかどうかという根本的な疑問が残りますが……(汗)。ただ意味が意味なので、各種の調査では口にするのを憚られたという可能性も、ゼロでは無いかな……と。

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2021年10月29日金曜日

Bojan のホテル探訪~「ANA クラウンプラザホテル稚内」編(バス・トイレ編)

「ANA クラウンプラザホテル稚内」(現・サフィールホテル稚内)のツインルームの話題を続けます。

この記事は 2016 年 5 月に宿泊した際のものです。現在の「サフィールホテル稚内」で提供中のサービスとは異なる可能性がありますので、ご注意ください。

ゆとりのあるバス・トイレ

バス・トイレは部屋に入ってすぐの左手にあります。構造は「稚内全日空ホテル」時代から変わってない筈ですが……
バス・トイレはビジネスホテルでよくある一体型のものですが、他のホテルと比べるとちょっとサイズに余裕があるでしょうか(ツインなので、シングルよりもちょっと広かったかもしれません)。

トイレ

トイレは INAX の温水洗浄便座で、それほど高級感のあるものでは無いですが……
水を流すレバーは高級な感じのするものでした。水が静かに渦を巻いて流れるタイプで、ちょっと良いホテルでよく見かけるものです。

バスタブとシャワー

バスタブもご覧の通り、かなりゆったりしたサイズのものです。
シャワーは高さが 2 段階に変えられるものです。
ポイントはなんと言ってもこのハンドルです。以前の記事にも記しましたが、これはアメリカの MOEN というメーカーの製品とのこと。このハンドル、右に回しても水が出てこないんですよね(種明かしは後ほど)。

シャンプーとコンディショナー、ボディーソープはボトルタイプのものが置かれています。メンテナンスの手間がかかるかもしれませんが、やっぱりこれがベストですよね……。

洗面台

洗面台はトイレットペーパーホルダーと一体化したものです。ホテルによってはドギツい色合いのものも見かけますが、ここは大人しい、落ち着いた色合いのものです。
トイレットペーパーは、一部使用済みのものから使用するよう促す紙が貼られていました。ホテルでは「一部使用済み」のトイレットペーパーがバックヤードに大量に積まれているらしいので、なるべくちゃんと使い切るようにしたいですね。

お湯の出し方・シャワーの使い方

洗面台の横には各種アメニティグッズ類とドライヤーが置かれていました。
ドライヤーの後ろには「バスルームのお湯の出し方・シャワーの使い方」と題された紙?が置かれていました。
実は、ハンドルを右に回すと水温が上がる構造だったのですね。ですので、湯・水を出すには湯温を調節した後にハンドルを「手前に引く」必要があったのです。初めて「稚内全日空ホテル」に泊まった時はこれがなかなか理解できず、かなり苦労したような記憶が……。
使い方はちょっと直感的では無いですが、これはサーモスタット型混合水栓なので、湯温調節と水量調節を独立して行うことができる優れものなんですよね。慣れてしまえば間違いなく便利な代物です。

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2021年10月28日木曜日

Bojan のホテル探訪~「ANA クラウンプラザホテル稚内」編(お部屋編)

「ANA クラウンプラザホテル稚内」(現・サフィールホテル稚内)のツインルームの話題を続けます。以前にも泊まったことがある筈ですが、まぁ 5 年以上前のことだったっぽいので……。

この記事は 2016 年 5 月に宿泊した際のものです。現在の「サフィールホテル稚内」で提供中のサービスとは異なる可能性がありますので、ご注意ください。

冷蔵庫

デスクと冷蔵庫はそれぞれ独立したものですが、高さが揃えてあるので、一体感があります。
冷蔵庫の上にはポットがあり、お茶やインスタントコーヒーなども準備されています。ミックスナッツやチップスター、SOY JOY などは有料オプションのようです。
冷蔵庫は台の下の扉を開けたところに収まっています。扉の向きが左右逆だったりすることはありません。
中にはなんと……ビールやコーラなどが冷えていました。1F に売店があるので、そこでドリンク類を調達することもできた筈ですが……。
冷蔵庫に有料の飲み物が冷えている(ドリンクバー)は、個人的にはウェルカムですが、今のご時世だと利用者は少ないと思うんですよね(セイコマで買って持ち込んだほうが確実に安いので)。

デスクとインターネット環境

冷蔵庫の隣はデスクの引き出しですが、引き出しの一番下の段がセキュリティボックスになっていました。携帯が不要で紛失してはならないものを入れる場所ですが、海外からやってきた人はパスポートを携帯していたほうが良いこともありそうな気がするので、では何を入れたらいいのか……。航空券とか多額の現金とかですかね。
デスクの上面、左側には電源コンセントが 2 つ用意されています(うち 1 つはデスクスタンドが占用中)。AC/DC アダプタのような形状で無い限りは、問題なく使用できそうな感じでしょうか。
インターネット アクセスも無料で提供されていますが、有線・無線問わず認証が必要です。回線に接続後、Web ブラウザを起動するとトラフィックが 192.168.0.1 などにハイジャックされ、認証コードを入力することでインターネットに出られるようになるというもので、一時はいろんなホテルで当たり前のように使用されていましたが、Web ブラウザ必須という点が利用者に忌避されたか、最近はあまり目にしないような気もします。
接続マニュアルもちゃんと用意されていました。Internet Explorer のアイコンがあるのは時代を感じますね……。
そしてこのメモは何でしたっけ……。あ。GW 中はビジネス客の利用が少ないということか、ランドリーサービスが休業のようです(現在の営業状況は要確認です)。

ソファーとベッド

デスクの横にはソファーとテーブルのセットがあります。シンプルなものですが、これで十分ですよね。

電源あり〼

ベッドはツインですが、横幅も十分あります。また海外のホテルでありがちな、ベッドの上面がやたら高かったりすることもありません。
電話機とアラームクロック、室内灯の集中コンソールなどは、ベッドとベッドの間にあります。
秀逸に思ったのが、こんなところに電源コンセントが用意されているんですよね(しかも 2 つも)。寝床でスマホを充電できるように、USB Type-A の口が用意されているホテルが最近増えていますが、セキュリティを考えると電源コンセントが最強なんですよね。

空調スイッチとクローゼット

部屋に入ってすぐ左側にバス・トイレがあります(写真は部屋から入口を見たものなので、この写真だと右側です)。
エアコンのスイッチはバス・トイレの入口の横にあります。ホテルのエアコンあるあるで、冷房・暖房の切替はできないタイプのようです。
バス・トイレの反対側(入口のすぐ右側)にはクローゼットがあります(この間改めて気づいたんですが、クローゼットの無いホテルというのも一定数あるんですよね)。さすが酷寒の地と言うべきか、用意されているハンガーが比較的多い印象も……(コートを着てくる人も多いでしょうから)。

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2021年10月27日水曜日

Bojan のホテル探訪~「ANA クラウンプラザホテル稚内」編(はじめに)

稚内のランドマークの一つだと個人的に思っている、「ANA クラウンプラザホテル稚内」にやってきました。かつての「稚内全日空ホテル」ですが、「全日空ホテル」が「クラウンプラザホテル」になったのっていつ頃でしたっけ……? 2010 年の時点では、まだ「稚内全日空ホテル」だったのは間違い無さそうなんですが……。

「ANA クラウンプラザホテル稚内」への名称変更は 2014/4/23 に行われたようです。なおその後の 2019/1/1 に「サフィールホテル稚内」にリブランドしていますが、これは IHG・ANA・ホテルズグループジャパンのマネジメント契約終了に伴うもので、単なる「名称変更」では済まないレベルの変更だったことになります。

それにしても、前日の「アートホテルズ旭川」(現「アートホテル旭川」)に続き、2 日連続で「再リブランドで名前が消えたホテル」に泊まっていたとは……。

まずはチェックイン

ということで、今は昔の話になってしまった「ANA クラウンプラザホテル稚内」時代のホテル 1F ですが、……これは今もあまり変わらないかもしれませんね。ゆったりした吹き抜けと緩やかにカーブした階段があり、フロアの北側にフロントが見えます。

そそくさとエレベーターに向かい……

ちゃちゃっとチェックインを済ませて、エレベーターに向かいます。
エレベーターホールに椅子が置いてあるのは、到着を待つ客への配慮なんでしょうか……?
カードキーは今風の IC 内蔵のものです。やはりスキミング等の危険性を考えると、今だと IC 内蔵が一番安全ですかね……。
IC カードキーあるあるで、カードの裏側にも部屋番号の記載はありません。最近はこれがデフォルトになりつつありますよね。
最近は、エレベーターの降車階を指定する際にも事前に IC カードキーのタッチが必要になるケースがありますが、このホテルについてはそのようなオペレーションは不要です。
そう言えばエレベーターの中にも椅子が置いてあるのですが、これは普通に座っちゃっていいものなんですかね……?

ささっとお部屋へ

廊下はカーブしているため見通しも良くありませんが、これは意図的にそうした設計になっているので、まぁ当然ですよね。
「ANA クラウンプラザホテル稚内」としての利用はこの時は初めてでしたが、かつて「稚内全日空ホテル」時代に 2 度ほどお世話になっていました。そのことがプラスに作用したかどうかは謎ですが、「ゆったり19平米」の「禁煙シングル」だった筈が……
あ。これじゃあよく見えないですよね(すいません)。
ツインにアップグレードいただきました!(喜) ベッドに若干ヨレヨレ感があるのは「使用済み」だからです(またしてもすいません)。
こちらは「使用前」の写真ですのでご安心ください(汗)。

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2021年10月26日火曜日

春の道北・船と車と鉄道で 2016 (207) 「初見殺しの跨線橋」

国道 238 号を西に向かい、稚内駅方面を目指します。大沼の北には「北海道立宗谷ふれあい公園」があり、その近くにはメガソーラー発電所もあるのですが、ここも青看板に「稚内名物」キリル文字は見当たりません。
おそらく浜頓別(セイコマの手前)以来と思われる赤信号で停車中に……
「ノシャップ」行きの宗谷バスが通っていきました。

キリル文字復活!

国道 238 号が国道 40 号に接続する交叉点にやってきました。この交叉点が国道 238 号の終点とのこと。起点っぽいイメージがあったのですが、終点だったんですね。
やはり重要な交叉点ということなのか、青看板にはキリル文字が復活しています。ただ「フェリーのり場」「道の駅わっかない」の案内は英語またはローマ字のみです。
割とどうでも良いことですが、この Mobil の看板、かなり低いところにあるのが面白いですね。ドライバーの視線移動を考えるとこの位置のほうが安全な感じもしますが、果たしてその真相は……?

どう見ても「西條」

国道 40 号に入りました。距離案内の青看板ももちろん日本語とロシア語と……英語またはローマ字ですね。「岬」が ──misaki なのは何か理由もしくはガイドラインがあるのでしょうか……?
そして稚内名物と言えばこちらの「西條」も外せないでしょうか(稚内以外にもありますが)。
何度見ても「西條なんだよね」と口にしたくなる、こちらの意匠は健在です。

Баккай

キリル文字を正確に読める人はそれほど多くないと思いますが、ローマ字と合わせて見るとそこそこ似ている文字も少なくないので、なんとなく読めそうな気もしてきます(Н が N に、И が I に相当するというあたりがポイントでしょうか)。「抜海」は Баккай なんですね。

初見殺しの跨線橋

前方にスロープが見えてきました。個人的には国道 40 号の「初見殺し」ではないかと思っているのですが、スロープではなく左右の側道が国道 40 号の本線です。そんなこともあってか、青看板の国道 40 号も自ら光ってその存在をアピールしています。
中央のスロープは国道 40 号と JR 宗谷線を一気に渡るのですが、渡った先が T 字路になっていて、一時停止が必須です。ちょっと前にこの T 字路で減速不十分なまま右折を試みて、曲がり切れずに大型車が建物に突っ込んだ……という事故がありましたが、もしかしたら国道 40 号を走っていると勘違いしていたんじゃないか……と思ったりもします。

巨大な高架橋

スロープの手前で左右に別れていた国道 40 号は、立体交叉を抜けた後で再び対面交通に戻ります。
右側に「稚内副港市場」が見えてきました。JR の駅で言えば「稚内」と「南稚内」の中間あたりの場所なのですが、このあたりは意外と店が少ないんですよね。
稚内の国道 40 号と言えば、先程の「初見殺しの跨線橋」もそうですが、この「巨大な高架橋」もインパクトがありますよね。4 車線の国道を一気に跨ぐためにはこの規模の橋が必要になるということなんでしょうが、圧が凄いですよね。
そしてこの高架はいつできたのだろう……という点が気になるわけですが、1970 年代には既に高架橋が存在していた、というところまでは確認できました。何故かそれよりも古い時期の航空写真が米軍撮影のものしか無く、1949 年には高架橋は存在しなかったことも確認できたのですが、その間の経緯が不明のままです。

Wikipedia で「稚内駅」の記事を見てみたところ……

  • 1975年(昭和50年):南稚内~稚内間の高架工事が完成。
(Wikipedia 日本語版「稚内駅」より引用)
あ。

現在は「サフィールホテル稚内」です

国道 40 号の起点(じゃなくて終点)まで走り切り、「中央公園」の手前の交叉点を右折すると……
この日のゴールである「ANA クラウンプラザホテル稚内」が見えてきました。以前の「稚内全日空ホテル」という名前でご記憶の方もいらっしゃるかもしれません。
17 時を少し過ぎたところで、無事 Day 5 のゴールに到着しました。

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