2021年11月6日土曜日

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北海道のアイヌ語地名 (881) 「班景平・丹田内・糠南」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

班景平(ぱんけびら?)

panke-pira
川下側の・崖
(典拠あり、類型あり)
JR 宗谷線の「雄信内駅」の北東に位置する二等三角点の名前です(標高 313.1 m)。ネタに事欠いてついに三角点にまで手を広げたか……と思われるかもしれませんが、大体合ってます(ぉ

「東西蝦夷山川地理取調図」には、天塩川の北側の地名として「ハンケヒラ」と「ヘンケヒラ」が描かれています。また「ハンケヒラ」よりも下流側の対岸(天塩川の南側)に「ハンケヒラヲマイ」と「ヘンケヒラヲマイ」という川が描かれています。

丁巳日誌「天之穂日誌」には次のように記されていました。

扨是より辰の方に向て、平山の間をを行こと凡一里にて左右高山。其根にビラ有。上は皆椴・落葉松計也。則是を
     ハンケビラ
と云なり。過てしばし寅の方に向て行や、此山の麓に小川有。
     ヒラヲマナイ
と云なり。また七八丁平山の間行て、又右の方高山赤土崩。
     ベンケヒラ
     ヘンケヒラパヲマナイ
小川なり。右二ツとも滝川に成て落る。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.486 より引用)
この部分は、以前にも「ペンケビラ」の回にも引用しているのですが、その時は「ヒラヲマナイ」も「ヘンケヒラパヲマナイ」も天塩川南岸(天塩町側)の川だとした上で論じていました。ただ改めて「天之穂日誌」を読んでみると、必ずしも「ヒラヲマナイ」が南岸の川であるとは明記されていないことに気が付きました。

「天之穂日誌」のネタ元と考えられる「巳手控」には次のように記されていました。

ヲヌフナイ 左大川也。小川有 チライ多し
ハンケヒラ 左山赤(ピラ)
ヒラバヲマ 左小川
右小川
ヘンケヒラ 右小山 赤平
ヒラバヲマ 右小川
(松浦武四郎・著 秋葉実・翻刻・編「松浦武四郎選集 四」北海道出版企画センター p.250 より引用)
「ヲヌフナイ」が「雄信内川」のことであれば「左大川」は「右大川」の間違いということになりますが、他はだいたい合っているようにも見えます。「ハンケヒラ」が左(北側)で「ヘンケヒラ」が右(南側)にあるというのは、川であれば違和感のある配置ですが、pira(崖)であれば……アリ、なんでしょうか。

とりあえず「班景平」という二等三角点の名前は panke-pira で「川下側の・崖」と見て良いかと思われます。そう言えば JR 宗谷線は「班景平」の南側をトンネルで抜けていますが、そのトンネルの名前が「下平トンネル」でした。あっ!

丹田内(たんたない?)

to-antar-sam-o-i???
沼・淵・傍・にある・ところ
(??? = 典拠なし、類型未確認)
そう言えば「段田男」っていましたよね(いきなり何を)。「丹田内」は天塩町ペンケビラの対岸のあたりの地名(川名かも)だったようで、現在は同名の「四等三角点」が存在します(幌延町字雄興)。

一帯は平地が広がっているのですが、天塩川に橋が無く、東西ともに天塩川が崖まで迫っていることもあり、雄信内駅のほうから崖沿いを通る道で行き来するしか無さそうな感じでしょうか。かつて JR 宗谷線に「上雄信内かみおのっぷない駅」がありましたが、2001 年 7 月に廃止されています。

「タンタ」か「タンヌ」じゃ

大正時代に測図された「陸軍図」には、このあたりの地名として「タンタシモナイ」と描かれています。この「タンタシモナイ」を元に「東西蝦夷山川地理取調図」を見てみたところ……あ。「タンサモイ」という川が描かれていますね。「ヌ」と「タ」、見間違えたとしても不思議のない組み合わせです。

丁巳日誌「天之穂日誌」にも次のように記されていました。

また五六丁計卯に向ひ、
     タンダサモイ
     モイワヲマナイ
右小川二ツとも左りの方なり。此辺り平磐に成るなり。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.487 より引用)
また「巳手控」にも「タンダサモイ 左小川」と記されていました。「東西蝦夷──」こそ「タンヌサモイ」となっていましたが、後は軒並み「タンダサモイ」や「タンタシモナイ」となっているので、これは「段田男」のみならず「段田安則」の名前も脳裏に浮かぶのを避けられない情勢でしょうか(何を言っているのだ)。

「タンネ」説の検討

「東西蝦夷──」に「タンヌ」とあったことから、これは tanne で決まりかと思ったのですが、改めて「タンヌサモイ」の意味を考えてみると今ひとつしっくり来るものが見当たりません。

たとえば tanne-sat-moy で「長い・乾いた・入江」と解釈することは可能なのですが、そうすると「タンタシモナイ」をどう考えれば良いのだ、という問題にぶつかります。もちろん tanne-sat-mo-nay と考えても良いのですが、「それらしい単語をとりあえず揃えてみました」風に思えてしまうんですよね……。

やはり「タンタ」か?

改めて「段田」ならぬ「タンタ」で考えてみたのですが、to-antar-sam-o-i であれば「沼・淵・傍・にある・ところ」と読めそうでしょうか。to-antart-antar に変化し、antar-samanta-sam に変化したと考えれば、一応「タンタサモイ」になりますし、-i-nay に変化したとすれば「タンタシモナイ」にも近くなりそうです。

糠南(ぬかなん)

nokan-an??
細かく・ある
(?? = 典拠未確認、類型あり)
JR 宗谷線の「問寒別駅」と「雄信内おのっぷない駅」の間に存在する駅の名前です。近くを問寒別川の西支流である「ヌカナン川」が流れていて、1980 年代の土地利用図にも「ヌカナン」という小字?が描かれています。

駅名が漢字なのに川名や小字名がカタカナというのは妙だな……と思ったのですが、更科さんの「アイヌ語地名解」には次のように記されていました。

 ヌカナン(糠南)
 幌延町の宗谷本線の駅名で字名でもあった。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.178 より引用)
あー、やはり。ただ「北海道地名誌」では「糠南」に(通称)というマークがついていたので、やはり正式な小字名では無かったのかもしれません。

問寒別に合流する少し上流で、二股になっていて、右に入っているのが、ヌカナンで、左がエトオマヌカンである。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.178-179 より引用)
現在の「ヌカナン川」は糠南駅の近くで「下ヌカナン川」と「ヌカナン川」に分かれていますが、この両川の間が岬のようになっているので、そのことを etu-oma-{nukanan} で「岬・そこに入る・{ヌカナン川}」と呼んだと考えられます。

根室本線の野花南、名寄下川のところにあるペンケヌカナンとパンケヌカナンと共に疑問多い地名で、これまでの仕懸弓のさわり糸のあるところという意味はうなづけないが、発音通りならヌカ(形) ナン(顔)となる。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.179 より引用)
{not-ka}-an で「仕掛け弓のさわり糸・ある」と考えた、ということでしょうか。ただ更科さんも「うなづけないが」と記している通り、やはり引っかかるものがあったのか、次のような試案を記していました。

もしもヌカがヌプカで原野、ナムはナムペの略とすれば、冷たい水ということになり、原野の冷たい流れとなる。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.179 より引用)
なるほど。nupka-nam-pe が「ヌカナン」になったという説ですね。穏当な仮説のようにも思えますが、「冷たい」を意味する nam は、道東から道北にかけては yam となるケースが多いので、そこをどう考えるか……という問題があるかもしれません。

「細かく・ある」説

野花南」と「ペンケヌカナンプ川」と「パンケヌカナンプ川」は、どれも以前に検討したことがあるのですが、いずれも nokan で「細かい」と考えられるのではないか、という結論に達しています。

「ヌカナン川」もそうですが、「上ヌカナン川」には非常に多くの、細かい支流があるように見えます。そのことを指して nokan-an で「細かく・ある」と呼んだのではないでしょうか。-an の後ろには -pet-nay がついていたかもしれません。

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