2021年11月21日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (886) 「イオナイ川・文知也山」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

イオナイ川

i-o-nay??
アレ・多くいる・川
(?? = 典拠未確認、類型あり)
名寄市北部、名寄美深道路の「智恵文 IC」の西側を流れる川の名前です。「東西蝦夷山川地理取調図」にそれらしき川名が見当たらないばかりか、明治時代の地形図にも「イオナイ」という名前の川は見当たりません。

改めて明治時代の地形図を眺めてみたところ、現在の「イオナイ川」の位置に「タイキ?ナイ」(4 文字目は欠落していると見られる)という名前の川が描かれていることに気が付きました。……あっ(何かを察した)

「蛋」と「蚤」

丁巳日誌「天之穂日誌」には次のように記されていました。

又少し上りて、
     ダイキヲナイ
右の方小川、其川口に小石原少し有。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.71 より引用)
「東西蝦夷──」にも「タイキヲナイ」という名前の川が描かれていましたので、どうやら明治時代の地形図に描かれていた「タイキ?ナイ」は「タイキヲナイ」だったと考えて良さそうですね。

永田地名解には次のように記されていました。

Taiki-o nai  タイキオ ナイ  蛋ノ澤
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.417 より引用)
「蛋」は「蛋白質」の「蛋」なので「タン」(あるいは「ダン」)と読み、「たまご」を意味します。一方で tayki という語は「ノミ」を意味しますので、永田地名解の「蛋」は「蚤」の誤字である可能性が高そうに思えます。

「タイキオナイ」は tayki-o-nay で「ノミ・多くいる・川」だと考えられるのですが、tayki(ノミ)という語を口にするのが憚られたため、i-o-nay で「アレ・多くいる・川」と呼ばれるようになった……ということではないでしょうか。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

文知也山(ぶんちや──?)

penke-sa-kus(-nay?)??
川上側の・浜側を・通行する(・川)
(?? = 典拠あるが疑問点あり、類型未確認)
士別市(旧・朝日町)の岩尾内ダムによって形成された「岩尾内湖」の底には、かつての「似峡」集落が沈んでいますが、かつての「似峡」集落の南西に「文知也山」という三等三角点が存在しています(標高 716.4 m)。この「文知也山」は山の名前と思われますが、まず読み方からして確認できていません。

丁巳日誌「天之穂日誌」では、このあたりは実際に踏査せずに聞き書きのみとなっていますが、その中にも「文知也山」に相当すると思われる山、あるいは近傍の川に関する記述は見当たらないように思えます。

「辰手控」と「巳手控」にも「文知也山」に関連しそうな記載は確認できませんでした。

ヘンケシヤ??

唯一「あれっ」と思わせたのが「東西蝦夷山川地理取調図」で、「サツクル」(現在の「サックル川」と思われる)と「ニシユマニ」(「似峡川」と思われる)の間の対岸に「ヘンケシヤ??」という川が描かれています。松浦武四郎の「日誌」や「手控」に言及が無いのが不思議ですが……。

この「ヘンケシヤ??」ですが、「??」の部分は「クシ」と描かれていたようにも見えます(確証は無いですが)。「ヘンケシヤクシ」だとすれば、penke-sa-kus で「川上側の・浜側を・通行する」と読めそうでしょうか。

一体なんのことやら……という川名に思えますが、岩尾内湖の上流(朝日町茂志利のあたり)の天塩川は西側の山のすぐ下を流れていて、道を通す余地が殆ど無いように見えます。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
つまり、川沿いの崖を通るのは色々と危険が大きいので、已む無く天塩川の西側の山の中を歩くルートを開拓したのではないか、と思えてきました。

アイヌの交通路(=歩行路)は現代の基準で考えると理解に苦しむコースを通っていることが少なくないですが、ポイントとしては「勾配は気にしない」「とにかく短距離」「大河は渡らない」あたりでしょうか。

この基準は長大トンネルが掘削可能になった現代において再評価できるもので、たとえば名寄と幌加内町母子里の間の「名母トンネル」は、かつてのアイヌの交通路のルートに極めて近いものです。

問題の三角点「文知也山」の東北東と北に、似たような規模の川が存在します(どちらの名前も未詳)。これらの川を penke-sa-kus(-nay?)panke-sa-kus(-nay?) と呼んだとしても不思議はなさそうに思えます。

「ヘンケシヤクシ」と「文知也」

最大の問題が「ヘンケシヤクシ」が何故「文知也(山)」になったかというところですが、sa-(シャ)が「チャ」に訛ったのだろう……と想像するのが精一杯でしょうか。「ヘンケ」(あるいは「ハンケ」)が「フン」に化けたと考えるしか無いのですが、これまで似たような例を見聞きした覚えがないのがちょっと厳しいところです。

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