2021年11月28日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (888) 「汁取・美羽烏」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

汁取(しるとる?)

sir-utur-oma-p
山・間・そこに入る・もの(川)
(典拠あり、類型あり)
剣淵川の東支流に「東七線川」という川があるのですが、この川を遡った先の山の鞍部に「汁取」という名前の三等三角点があります(標高 294.6 m)。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「東七線川」に相当しそうな川が見当たらないように思えます(「ワツシヤム」という川が南隣の「彌栄イヤサカ?川」である可能性がありますが)。

幸いなことに、明治時代の地形図に「ポンシルトル」と「オン子シルトル」という川名が描かれていました。どうやら「彌栄川」がかつて「ポンシルトル」と呼ばれていたようです。

陸軍図には、現在の「彌栄川」の北に「シルトルマップ」という地名が描かれていました。これは sir-utur-oma-p で「山・間・そこに入る・もの(川)」と読めますが、実際の地形もまさにそんな感じですね。特に「オン子シルトル」とされる「刈分川」のあたりは沖積平野が形成されていて、「山の間(の平地)」と呼ぶのに相応しい地形です。

似たような地名は道内のあちこちにあって、滝上町の「白鳥」や岩見沢市(旧・栗沢町)の「美流渡」などが思い出されます(「美流渡」は「シ」を「ミ」に誤読したと考えられます)。「白鳥」や「美流渡」はちょいと風流な感じもありますが、「汁取」はなかなかストレートというか、濃縮果汁 100% といった風情がありますね(何を言っているのだ)。

美羽烏(びばからす)

pipa-kar-us-i
沼貝・とる・いつもする・ところ
(典拠あり、類型多数)
剣淵町の中心部から東に向かい、道央自動車道の下をくぐった先に「ビバアルパカ牧場」という牧場があります(名前の通り、アルパカを飼育する牧場のようです)。

ここはかつて「ビバカラススキー場」という名前のスキー場でした。近くに「美羽烏神社」という神社もあるほか、「ビバアルパカ牧場」から「剣淵温泉レークサイド桜岡」に向かう道道 205 号は「上士別ビバカルウシ線」という名前です。

凄まじい勢いでネタバレ続発中ですが、陸軍図では現在の道道 205 号の南側に「美羽烏」という地名が描かれていました。ちゃんとルビも振られているのですが、良く見ると「カラウシ」とあります。「烏」を「カラウシ」と読ませるのは傑作というか、もの凄く無理があると言うか……。

このあたりの地名は「剣淵町東町」になってしまったようですが、「美羽烏」は四等三角点の名前として健在でした(標高 224.5 m)。位置は「ビバアルパカ牧場」や「美羽烏神社」から見て東南東、「レークサイド桜岡」からは西南西のあたりです。

「美羽烏」の意味するところは pipa-kar-us-i で「沼貝・とる・いつもする・ところ」と見て良さそうです。「カラウシ」が「烏」の字に引きずられて「カラス」に化けたと考えられますが、pipa-kar-us でも元の意味が殆ど損なわれないというのが良くできていますね。

「美羽烏」で沼貝は取れたのか

ということで、「美羽烏」の解釈は明瞭なものでしたが、その位置についてはちょっと検討が必要に思えます。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「ヒハカルシ」という名前の川が描かれています。また丁巳日誌「天之穂日誌」には次のように記されていました。前後関係の認識が必要なので、ちょっと引用が長くなります。

     ヘタヌ
此処二股、右の方ケ子フチと云。左り本川シヘツ通り。少しケ子フチの方小さし。最早此辺にて日も暮懸れ共、何卒ニシハコロの家の方までと船を遣るに、右の方ナイフトより八里
     ケ子ブチ
ケ子は赤楊(はんの木)、ブチはフトの訛り也。此川赤楊多きが故に号るなり。渕様成処しばし行て
     ヒハカルウシ
蚌多きより号るなり。右の方に小川有る也。小石川少し上り
     リイチヤニ
此処ニシハコロの村也二股より九丁計
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.106 より引用)
「ヘタヌ」は「犬牛別川」と「剣淵川」の合流点のことですね。「ナイフトより八里」とありますが、名寄市内淵から「ヘタヌ」までの距離がおよそ 33 km ほどのようなので、計算は合っているように見えます。

「ヒハカルウシ」のところに「蚌多き」とありますが、「蚌」は「どぶがい」を意味するとのこと。

士別剣淵 IC から約 1 km 南

ポイントは最後の「二股より九丁ばかり」というところで、犬牛別川と剣淵川の合流点は士別剣淵 IC のあたりだったと見られるので、「リイチヤニ」は士別剣淵 IC から 9 町、つまり 1 km ほど南の地点だったと言うことになります。

士別剣淵 IC の入口(国道 40 号交点)からビバアルパカ牧場までは 5 km 以上あるのですが、「天之穂日誌」の「ヒハカルウシ」は「リイチヤニ」よりも北に位置していたことになるので、計算が合わなくなります。つまり、天之穂日誌の「ヒハカルウシ」は「美羽烏」ではない、ということになりますね。

また「東西蝦夷山川地理取調図」の「ヒハカルシ」は、「ルウクシケ子フチ」よりも山奥に位置するように描かれています。これも「美羽烏」とは位置が異なると見て良いかと思われます。

剣淵町の川名は、「パンケペオッペ川」もそうでしたが、古い記録と異なる位置に存在している感があります。この「美羽烏」も、もしかしたら北に位置していた「ヒハカルウシ」の成れの果てだったのかもしれませんね。

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2 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

シルトルマップについてですが、剣淵町史における町道認定路線調書の欄には、「智取満布」の表記が見つかりました。
また、「クォーベツ(クォの発音やばい)」や「岩野満布」という表記が見つかりました。おそらくこれはイパノマップと読むのでしょう。

Bojan さんのコメント...

コメントありがとうございます。twitter でも補足いただき大変参考になりました。
「イパノマップ」を「岩野満布」としたセンス、良いですよね。アイヌ語での意味をきちんと把握するのも楽しいですが、昔の人が無理くり漢字を当てたのを紐解くのも同じくらい楽しめる感があります。

今後ともよろしくお願い致します。

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