2021年10月30日土曜日

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北海道のアイヌ語地名 (879) 「パンケオートマップ川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

パンケオートマップ川

o-ochiw-nup???
そこで・性交する・原野
(??? = 典拠なし、類型未確認)
JR 宗谷線の南幌延駅の南側を流れる川の名前です。JR 宗谷線と交叉するあたりで「パンケオートマップ川」と「ペンケオートマップ川」が合流していて、合流後の河川名は地理院地図では「パンケオートマップ川」、国土数値情報では「ペンケオートマップ川」となっています。

毎度のことながらこの異同は何故なんでしょうね。「パンケオポッペ川」と「ペンケオポッペ川」でも似たようなことになっていましたが、地理院地図では「ペンケオポッペ川」が存続河川?で、国土数値情報では「パンケオポッペ川」となっていました。

「パンケオートマップ川」を探す

「東西蝦夷山川地理取調図」には、「ヘンケウフチミフ」(ペンケオポッペ川のことだと思われる)の上流側に「タツカリトウフト」「ヲタシウシ」「オチヨノフ」「ヤスシ」「モシウシ」「ハンケヌカンランマ」と言った川が描かれていました(「ヲチヨノフ」と「モシウシ」は天塩町側の川?として)。また「タツカリトウフト」の南側に「タカヤシリ」という山も描かれていました。

「タツカリトウフト」?

一方、丁巳日誌「天之穂日誌」では「ベンゲヲチヨホツテ」(ペンケオポッペ川のことだと思われる)に続いて次のような川が記録されています。

針位寅卯に向ふ。
     タツカリトウブト
右の方小川。此川源少し沼有て其沼の周り樺多しと。よって浜の土人等皆此処へ来りて樺剥をするよし也。依て号ると。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.483 より引用)
あれ、「右の方小川」とありますね。そして大正時代に測図された「陸軍図」を見ると、確かに天塩町側に沼地から流れる川が描かれています(合流先は天塩川ではなく、天塩川の河跡湖になっていました)。

「タツカリトウフト」は、「東西蝦夷──」では天塩川の東岸(幌延町側)の川として描かれていました。松浦武四郎の記録は右と左を取り違えていることが少なからずありますが、「タツカリトウブト」については「天之穂日誌」の内容のほうが信用できそうに思えます。

「タカヤシリ」?

とりあえず「タツカリトウフト」は「パンケオートマップ川」と関係無さそうですので、もう少し「天之穂日誌」を見てみましょう。

     タカヤシリ
左りの方尖りし山也。椴の木多し。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.483 より引用)
この「タカヤシリ」という山は「東西蝦夷山川地理取調図」にも描かれていて、よほど特徴的な山なのだろうなぁ……と思っていたのですが、どうやら上幌延駅(跡)の南側に位置する、この山のことだったようです。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
これは想定外でしたね……(汗)。なお、明治時代の地形図には「タカヤシリ」の位置に「タㇷ゚コシリ」と描かれていました。tap-kop に類する山と認識されていたっぽい感じでしょうか。

「ヲヽチヨウヌ」!

「タカヤシリ」は「パンケオートマップ川」よりも北の小さな山だということが確認できたので、更に続きを見てみましょうか。

寅・卯・辰と三位に廻り、
     ヲヽチヨウヌ
左り小川有。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.483-484 より引用)
あれっ、そんな川があったかな……と思ったのですが、どうやらこれが「東西蝦夷──」の「ヲチヨノフ」のことだったようです。「ヲチヨノフ」は天塩川の西側、天塩町側の川として描かれていますが、「天之穂日誌」の「ヲヽチヨウヌ」は「左り小川」、つまり天塩川の東側、幌延町側の川として記録されています。また左右逆ですか……。

どうやら「パンケオートマップ川」あるいは「ペンケオートマップ川」は「ヲヽチヨウヌ」あるいは「ヲチヨノフ」だったらしい、という風に思えてきました。

「ヲヽチヨウヌ」の意味の検討

肝心の「ヲヽチヨウヌ」の意味ですが……なんでしょうね、これ(汗)。「アイヌ語方言辞典」には ’ociw で「性交する」という語が出ていて、これは日高の沙流方言と樺太の方言として記録されています。

また、’ociwe で「投げる」や「捨てる」を意味する語が、樺太方言として記録されていました。

そして「ヲチヨノフ」の「ノフ」は nup で「原野」だった可能性があるかと思われます。ここでようやく気づいたのですが、nup なのであれば、それは川の名前ではなく原野の名前だったということになります。

現在の「パンケオートマップ川」と「ペンケオートマップ川」は、南幌延駅の少し南で合流した後に天塩川に注いでいます(合流後の名前について不明点があるのは前述の通りです)。ただ、大正時代に測図された「陸軍図」では、現在のパンケオートマップ川に相当する川は南幌延駅の北側を流れていました(現在も川として残っています)。

改めて「陸軍図」を見てみると、パンケオートマップ川とペンケオートマップ川は合流寸前でそれぞれ天塩川に注いでいるように見えます。

川がそこで合流する原野

「川の合流点」を意味する地名として「ペテウコピ」というものがあります。これは pet-e-u-ko-hopi-i で「川が・そこで・互いに・捨て去る・ところ」を意味するのですが、それだったら o-ochiwe-nup は「そこで・捨てる・原野」と読めるのではないか……と。

ochiwe は樺太方言じゃないか」というツッコミもあろうかと思われますが、帯広や釧路など、道東でも使われていたようなので、少なくとも樺太オンリーでは無さそうな感じです。「アイヌ語方言辞典」では、「捨てる」の宗谷方言は ’osúra と記録されていたりしますが……。

ただ、ochiwe は「オチウェ」なので、o-ochiwe-nup だと「オーチウェヌㇷ゚」となり「ヲヽチヨウヌ」または「ヲチヨノフ」と少し語感が異なるのが気になります。となると、やはり o-ochiw-nup で「そこで・性交する・原野」と考えるしか無いのかもしれません。

「北海道地名誌」には「パンケオートヌオマップ川」と記されていました。もしかしたら「パンケオーチュヌポマップ川」、つまり panke-o-ochiwe-nup-oma-p で「川下側の・そこで・性交する・原野・そこに入る・もの(川)」だった可能性もあるかもしれません。

ochiw も樺太方言なので、天塩川流域で意味が通じたかどうかという根本的な疑問が残りますが……(汗)。ただ意味が意味なので、各種の調査では口にするのを憚られたという可能性も、ゼロでは無いかな……と。

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