2021年10月23日土曜日

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北海道のアイヌ語地名 (877) 「パンケオポッペ川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

パンケオポッペ川

panke-hup-chimi-p??
川下側の・トド松・左右に分ける・もの(川)
panke-o-pop-pe??
川下側の・そこで・(魚が)跳ね上がる・もの(川)
(?? = 典拠あるが疑問点あり、類型未確認)
幌延町上幌延のあたりで天塩川に注ぐ東支流(北支流)の名前です。

かつて JR 宗谷線に「上幌延駅」がありましたが、2021/3/13 で廃止されてしまいました。

「パンケオポッペ川」と「ペンケオポッペ川」は JR 線のすぐ近くで合流した後に天塩川に注いでいますが、合流後の川名が地理院地図では「ペンケオポッペ川」で、国土数値情報では「パンケオポッペ川」となっています。

この手の異同は毎度おなじみになってきましたね……(汗)。

右か左か

更科さんの「アイヌ語地名解」には次のように記されていました。

 ペンケオッポッペ
 これも今はない幌延町の字名で、上幌延駅付近の法華という部落を流れている小川の名から出たもの。やはりパンケオッポッペと二つ並んでいる小川の名が地名のはじまりである。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.178 より引用)
ここまでの内容には異論はありません。明治時代の地形図には「パンケオッポッペ」と「ペンケオッポッペ」が並んで描かれていて、また大正時代に測図された「陸軍図」には「法華」という地名が描かれていました。

松浦日誌ではヲチョホッテとペンケヲチョホッテとあるだけで意味にはふれていない。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.178 より引用)
ここもその通りで、丁巳日誌「天之穂日誌」には次のように記されていました。

此辺また平地に成り、同じ針位しばし上り、
     マサチウシモイ
     ハンケヲチヨホツテ
共に左りの方小川。此川巾三問計。よつて其口え網を張置て、弐人に上より追したるに、鱒一本桃花魚十本計を取り、三尺余のチライ一頭網に入たるを逃したり。少し上りて
     ベンゲヲチヨホツテ
右の方小川。此辺より両岸共に山有。皆椴木立に成る也。針位寅卯に向ふ。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.483 より引用)
まず一つ大きな間違いと思われるのが、「ベンゲヲチヨホツテ」だけ「右の方小川」と記されている点です。他の記述と照らし合わせると、これは西側(天塩町側)の川であると解釈できますが、実際には東側(幌延町側)を流れています。

なお現在は「パンケオポッペ川」と「ペンケオポッペ川」が合流した後に天塩川に注いでいますが、大正時代の「陸軍図」を見ると両河川は合流すること無くそれぞれ別々に天塩川に注いでいます(上幌延駅跡の近くに河川がありますが、これが本来の「ペンケオポッペ川」の流路だったようです)。

永田地名解の「チポペツ」説

そして更科さんが「松浦日誌では──意味にはふれていない」と言及したのは間違いない、ということも確認できました。ということで更科さんの記述に話を戻しますと……

永田方正氏はこれをパンケチポペツ(舟を囲う下川)ペンケチポペツ(舟を囲う上川)と書いている。これは永田氏の聞き違いではないかと思われる。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.178 より引用)
「舟を囲う」というのも若干意味不明ですが、{chip-o} で「{舟に乗る}」あるいは「{舟を漕ぐ}」と解釈できるようですね。ただ、更科さんはこれを「聞き違いではないか」と疑義を呈しています。

更科さんは明治時代の地形図に「パンケオッポッペ」と「ペンケオッポッペ」と描かれていることに触れた後、次のように記していました。

これによると上流と下流にある川口の小さな川という意味と思わるる。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.178 より引用)※ 原文ママ
panke-o-po-pet で「川上側の・河口・小さな・川」ではないか、という説ですね。

「ハンケウフチミフ」説

「東西蝦夷山川地理取調図」には「ハンケウフチミフ」と「ヘンケウフチミフ」という川が描かれているのですが、前後の川の位置関係からすると、「ハンケウフチミフ」が「ハンケヲチヨホツテ」あるいは「パンケオポッペ川」のことだと考えられます。

「パンケウブシ川」でも「ウフシテ」という記録があり、この「テ」の出どころを理解できずにいたのですが、「ハンケヲチヨホツテ」も同じく最後の文字が「テ」となっています。この「ツテ」が「ミフ」の成れの果てだったとしたらどうでしょう? 「パンケオッポッペ」の「ッペ」が「ミフ」の成れの果てだったら、そして「ポ」が「チ」の成れの果てだったら……?

「東西蝦夷山川地理取調図」の「ハンケウフチミフ」に全面の信頼を置くという、ちょっと危険な試案なのですが、panke-hup-chimi-p で「川下側の・トド松・左右に分ける・もの(川)」と考えると、実際の地形に非常に合致するのです。

chimi で「左右に分ける」という語の地名での使用例としては、黒松内町の「白炭しろずみ」が真っ先に思い浮かびます。これは sir-o-chimi で「大地・そこで・左右にかき分ける」ではないかと思われるのですが、上流部に同規模の支流がいくつも並んでいることを形容したものと考えています。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
そして「パンケオポッペ川」の上流部も、とても似たような地形に見えるのです。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

2021/10/24 追記

「東西蝦夷山川地理取調図」には「ホロノタフ」(幌延)の西に「ホツフトウ」という沼?が描かれていました。「ホツフトウ」は pop-to で「湧き上がる・沼」と読めそうです。そして「ペンケオポッペ川」が流れる上幌延駅(跡)のあたりは、かつて「法華」という地名でした。

chep-pop-us-i で「魚・跳ね上がる・いつもする・ところ」と解釈できる地名が釧路にあります(仙鳳趾)。この例から類推すると「ペンケオポッペ川」は penke-o-pop-pe で「川上側の・そこで・跳ね上がる・もの(川)」とも読めます。

また「天之穂日誌」の「ベンゲヲチヨホツテ」についても penke-o-chep-ot-pe で「川上側の・そこで・魚・多くいる・もの(川)」と読むことができるかも知れません。

「ハンケウフチミフ」「ヘンケウフチミフ」は実際の地形に即した川名と思えるのですが、それとは別に「パンケチェポッペ」「ペンケチェポッペ」あるいは「パンケオポッペ」「ペンケオポッペ」と呼ぶ流儀(別名)があったのかな……と思い始めています。

右か左か、再び

最後に、何故「天之穂日誌」は「ベンゲヲチヨホツテ」を「右の方小川」としたのか……という問題が残ったのですが、これについては……また明日!

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