2021年10月2日土曜日

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北海道のアイヌ語地名 (871) 「チララウスナイ川・トベンナイ川・シュルコマナイ川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

チララウスナイ川

chiray-us-nay
イトウ・多くいる・川
(典拠あり、類型あり)
南稚内駅の北西側を流れる川の名前です。地理院地図にも川として描かれていますが、残念ながら川名の記載はありません。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「チライウシナイ」という名前の川が描かれていました。「再航蝦夷日誌」には「ツラウラウシ」とあり、「竹四郎廻浦日記」には「ツラツラウシ」とあります。これは……混乱の予感が……(汗)。

永田地名解には次のように記されていました。

Chiraurau ushi  チラウラウ ウシ  天南星アル處
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.423 より引用)
これまた良くわからないことを……と思ったのですが、「天南星」って植物の名前だったんですね(!)。となると知里さんの「植物編」の出番ということで。

§ 363. エゾテンナンショォ Arisaema peninsulae Nakai
( 1 ) rawraw (ráw-raw)「らウラウ」 球莖 《北海道全地》
  注.── rawraw わ rámram(鱗)から來たか。とすれば,僞莖面の斑紋にもとずいた名稱である。方言でも蛇の松明と云っているのが思いあわされる。
( 2 ) rawraw-pi「らウラウ・ピ」 種子 《同上》
(知里真志保「知里真志保著作集 別巻 I『分類アイヌ語辞典 植物編』」平凡社 p.214 より引用)
どうやら rawraw で「天南星てんなんしょう」を意味するようなので、rawraw-us-i であれば「天南星・多くある・ところ(川)」となりそうですが、では chi- はどこへ行ったのか……という謎が残ります。

「植物編」を良く見ると、次のページに「カラフトヒロハテンナンショォ」がありました。

§ 363. カラフトヒロハテンナンショォ 
     Arisaema robustum Nakai var. sachalinense
Miyabe et Kudo
ereraw (e-ré-raw)「ェれラゥ」 球莖 《白浦,眞岡》
(知里真志保「知里真志保著作集 別巻 I『分類アイヌ語辞典 植物編』」平凡社 p.215 より引用)
頭に e- がつきましたが、それでも「チラウラウ」「ツラウラ」「ツラツラ」には届かない(?)感がありますね。chi-rawraw-us-ichi-ereraw-us-i は、このままでは解釈できないように思われます。

さてどうしたものか……というところですが、「午手控」には次のように記されていました。

ツラウラウスナイ
 本名チラヱウシナイなるよし
松浦武四郎・著 秋葉実・翻刻・編「松浦武四郎選集 六」北海道出版企画センター p.413 より引用)
あー。「チラウラ──」系の呼び方は転訛したものである、と明言してますね。となると「東西蝦夷──」の「チライウシナイ」が俄然チャートのトップに躍り出るわけでして……。chiray-us-nay であれば「イトウ・多くいる・川」と考えて良さそうです。

トベンナイ川

topen-nay?
甘い・川
{tope-ni}-un-nay?
{イタヤカエデ}・ある・川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
「開基百年記念塔」などがある「稚内公園」の北麓を流れる川の名前です。「東西蝦夷山川地理取調図」には「トウヘンナイ」という名前の川が描かれていました。「再航蝦夷日誌」には「トベナイ」とあり、「竹四郎廻浦日記」には「トヘナヱ」と記録されています。

永田地名解には次のように記されていました。

To ben nai  トベン ナイ  甘川
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.423 より引用)
「甘い川」とはこれいかに……という話ですが、旭川に「ペーパン川」が実在するだけに、「トベンナイ川」が「甘い川」だったとしてもそれほど驚くことは無いのかもしれません。

もう少し「ありそう」な形を考えてみると、{tope-ni} で「イタヤカエデ」を意味するので {tope-ni}-un-nay で「{イタヤカエデ}・ある・川」あたりでしょうか。

知里さんによると、tope を分解すると to-pe となり「乳房・水」と解釈できるとのこと。tope-ni は「乳汁・木」となりますが、これは「イタヤカエデ」が樹液をもたらすことからそう呼んだようです。

そして「イタヤカエデ」の樹液が甘かったことから、topen が「甘い」という意味になったとのこと。「イタヤカエデ(のある)川」と「甘い川」は、元を辿れば同じもの……ということになりそうです。

山田秀三さんは「北海道の地名」で次のように記していました。

 水がおいしいという意味でトペン・ナイ(topen-nai)だったのであろうが,あるいはトペ(ニ)・ウン・ナイ「tope(ni)-un-nai いたやもみじの木・がある・川」だったのかもしれない。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.160 より引用)
ふむふむ。さすが山田さん、慎重ですね。topen-nay で「甘い・川」と言うのは「水が美味しい川」と捉えることもできる、ということですね。

シュルコマナイ川

surku-oma-nay
トリカブトの根・そこにある・川
(典拠あり、類型多数)
ノシャップ岬の山側には「航空自衛隊稚内分屯基地」がありますが、「シュルコマナイ川」は自衛隊基地の東側を流れています。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「シユルコマナイ」という川が描かれていますが、なぜか「ノシャップ岬」の西側に描かれています。

「再航蝦夷日誌」にも記載がありましたが、少々ややこしいことになっているので、掻い摘んで引用します。

     ノツシヤフ
本名トツエトと云。訳而岩鼻と云義也。ノツは岩、エト、鼻と云也。此処ソウヤの岬と対峙す。
(松浦武四郎・著 吉田武三・校註「三航蝦夷日誌 下巻」吉川弘文館 p.111 より引用)
ちょいと間を略して、続けます。

     廻りて
ノツシヤフサキより内に入て岩壁伝ひ
     シリコマナイ
本名ヘウシサントマリと云なり。此処また春鮡漁場なり。岩壁ニ添てしばし行て
     シユルクヲマナイ
同じき様なる処なり。此辺りコイトイと対峙するなり。
(松浦武四郎・著 吉田武三・校註「三航蝦夷日誌 下巻」吉川弘文館 p.111 より引用)
これを見る限り、「ノシャップ岬」の東側に「シリコマナイ」と「シユルクヲマナイ」があった……と読めます。早速「東西蝦夷──」との異同が見えてきましたね。

「竹四郎廻浦日記」にも次のように記されていました。

     ヘウレサントマリ ルサントマリと訛る也。
仮小屋を作り、出稼土人共春漁をするよし也。
     シユルクヲマナイ
     ホロニタツ
此処夷家十軒、人別四十六人(内男二十二人、女二十四人)有。是をトヘシナイと云也。
(松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 上」北海道出版企画センター p.529 より引用)
「再航蝦夷日誌」には「『シリコマナイ』は『ヘウサントマリ』のことだよ」とあり、「竹四郎廻浦日記」では「『ヘウシサントマリ』は『ルサントマリ』とも言うよ」とあります。

ちなみに「竹四郎廻浦日記」では現在の「恵山泊漁港」のあたりを「ルヱサントマリ」としています。泊地の位置(の記録)が岬の東西で揺れているようにも見えます。

随分と本題から逸れてしまった感がありますが、「シリコマナイ」と「シユルクヲマナイ」が別物である……という再航蝦夷日誌の記録は少々怪しいかな、と思い始めています。

永田地名解には次のように記されていました。

Shuruk-oma nai  シュルコマ ナイ  附子川
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.422 より引用)
山田秀三さんの「北海道の地名」でも、永田地名解と同様の解が示されていました。

シュルコマナイ
 稚内半島の東側は,同じような小川が山から流れ下って市街地を横切っているが,その中の北側の川がシュルコマナイである。シュㇽク・オマ・ナイ(shurku-oma-nai とりかぶとの根・がある・川)の意。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.160 より引用)
あー、やはり surku-oma-nay で「トリカブトの根・そこにある・川」と考えて良さそうですね。アイヌは「トリカブトの根」の毒を鏃に塗ることで殺傷能力を高めていたため、毒性の強い、上質なトリカブトの産地は重要な情報でした。シュルコマナイ川のあたりに自生するトリカブトはきっと良質なもので、末端価格も高かったのでは……(何か違う)。

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