2020年11月30日月曜日

Bojan のホテル探訪~「三浦華園」編(朝食編)

夜が明けて翌日の朝を迎えました。Day 3 の朝が早かったことを考えると、この日は割とゆっくり目の起床でしたね……。
天気は生憎の雨模様です。土砂降りで無いだけマシと言ったところでしょうか。左手の奥の方に「スマイルビル」というロゴが……読めないですが……乗っかったビルがあるのですが、滝川駅はあのあたりにあります。

朝食会場を探して左へ右へ

朝食をいただくために、3F の朝食会場に向かいます。あれ、これは「料理茶屋 華月」の前の待ち合わせスペースでは……
……と思ったのですが、前日の夕食の際は右に向かったのでしたね。今朝は左に向かいます。
左に曲がってからまっすぐ進むと……
朝食会場は右に向かった先にあるとのこと。右に進むと……
今度は左折を促されました(笑)。

滝川だけに

ようやく朝食会場の「雲海」に到着です。あ、靴を脱いで入るんですね?
朝食はおなじみのバイキング方式です。しょぼく見えるのは盛り付けが控えめなことに尽きるんですが、今から思えばクロワッサンくらいはもう一つ取っておいても良かったような……。朝から脂っこいものを多く取るとお腹の調子が……とか考えていたような気もします。
滝川と言えば「松尾ジンギスカン」の本店があるところで、「三浦華園」から歩いて行ける距離のところにあります。だから……と言うわけでも無いのでしょうけど、朝食バイキングにもしっかりとジンギスカンが用意されています。
Day 4 に向けてしっかりとエネルギー補給を済ませたので、部屋に戻ることにしましょう!

Hotel Hotel

エレベーターにはイチオシのおみやげが紹介(宣伝)されていました。「あい鴨セット」と「胡麻ドレッシング」が「滝川発全国区」なのだそうです。
そう言えば、部屋に備え付けのバスローブがあったのですが……
よーく見ると、これ、Hotel Hotel って書いてありますよね……(汗)

まとめ

「三浦華園」さんですが、建物も部屋も綺麗ですし、伝統と格式があるようで、でもふつーにカップ麺が売られていたりするので、なかなかとらえどころが無くて面白いホテルだなぁ……という印象です。またお世話になりたいですね。

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2020年11月29日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (785) 「床丹・千代志別」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

床丹(とこたん)

tu-kotan
廃・村
tuk-kotan?
小山・村
(典拠あり、類型あり)(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
浜益区幌の北に位置する地名で、同名の川(床丹川)も流れています。「東西蝦夷山川地理取調図」にも「トコタン」という名前の川が描かれていますが、明治時代の地形図には「ト゚ッコタン沢」という名前の川が描かれています。「沢」の字は明治時代にも使われていたんですね……。

「西蝦夷日誌」には次のように記されていました。

急流、崖下(九町四十間)ヘセエバケ、(十二町四十間)トコタン〔床丹〕(小川)、本名トツココタン、譯て蝮蛇の處と云儀。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.219 より引用)
なんだか良くわからない解が記されていますが、丁巳日誌「天之穂日誌」にも似たような解が記されていました。

     トコタン
本名トツココタンの由。トツコは蝮蛇の事、コタンは所也。蝮蛇の所と云事にて、此地蝮蛇多きよし。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.438 より引用)
「マムシが多いので」ということですが、確かに「アイヌ語方言辞典」には「マムシ」を意味する語彙として tókkoni が記録されています(美幌・旭川・名寄)。tokkoni-kotan で「マムシ・村」だったのが、いつしか ni が落ちだ、ということでしょうか。

一方、永田地名解には次のように記されていました。

Tuk kotan  ト゚ク コタン  出來タル處 「トク」ハ癒上ルノ意ニテ土地ノ出來タルヲ云フ
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.85 より引用)
tuk は「出る」「生じる」と言った意味のほか、「小山」という意味もあります。tuk-kotan は「小山・村」と捉えることも可能で、ちょうどいい感じに集落の北に標高 225 m ほどの小山があります。

山田秀三さんの「北海道の地名」には、次のように記されていました。

床丹 とこたん
 幌の北。海岸の崖の間の地名,川名。トコタンという名は道内に多いが,場所によってその意味が違っていた。一番多いのがトゥ・コタン(廃村)で,時にト・コタン(沼・村)もあったらしい。トゥ・コタン(二つ・村)と伝承される処もあった。ここはまた別の解だ。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.121 より引用)
そうですね。厳密にカウントしたわけではありませんが、tu-kotan で「廃・村」というパターンが一番多そうな印象があります。

 西蝦夷日誌は「トコタン。小川。本名トツココタン。訳て蝮蛇の処と云儀」と書き,永田地名解は「トゥㇰコタン tuk-kotan。出来たる処。トゥㇰは癒上るの意にて土地の出来たるを云ふ」と書いた。どっちも説明くさい解だ。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.121 より引用)
マムシについては確かめようが無いですが、tuk については「小山」と考えることも(一応)可能であることは前述のとおりです。

あるいはここも住人がなくなった時代があって,それで tu-kotan(なくなった・村。廃村)の名がついたのだったかもしれない。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.121 より引用)
うーむ。確かに「西蝦夷日誌」にも「近年迄夷人住せしが今はなし」と書いてあるんですよね。ですので tu-kotan を「廃・村」と考えるのも理に適っているですよね。

個人的に「小山」説も捨てがたいので、今回は両論併記とさせて下さい。

千代志別(ちよしべつ)

chise-soso-us-pe
家・剥がす・いつもする・もの(川)
(典拠あり、類型あり)
浜益区床丹から「床丹覆道」「二ッ岩トンネル」で北に向かった先に「浜益区千代志別」の集落があります。かつての国道 231 号は千代志別から北側が未開通区間でしたが、現在は「浜益トンネル」で雄冬岬のあたりを一気に通り抜けて「浜益区雄冬」に抜けることが可能です。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「チセシヨシベ」という名前の川が描かれていました。また明治時代の地形図には「チシペッ」という地名(川名?)が描かれています。

山田秀三さんの「北海道の地名」には次のように記されていました。

前はちょっと行けない処だったが,雄冬の道路開さく中に,トンネルの中を歩いて行って見た。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.121 より引用)
なんと! さすが山田さん……。

 松浦氏再航蝦夷日誌は「チセソスへ」と書き,松浦図は「チセシヨシベ」,同西蝦夷日誌では「チセソシベ。小沢。出稼(屋)近頃出来たりと。名義は家の跡ある儀」と書いた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.121-122 より引用)
あれっ、「西蝦夷日誌」にそんな記述があったかな……と思ってしばらく悩んでいたのですが、ありました!

同じく岩壁、(廿七町六間)チセツシベ(小澤)、出稼近頃出來たりと。名義は家の跡有る儀。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.224-225 より引用)
「チセツシベ」とありますが、山田さんも記しているように「再航蝦夷日誌」では「チセソスヘ」で、また「東西蝦夷山川地理取調図」も「チセシヨシベ」とあるので、「ツ」は「ソ」の誤記と捉えていいのかな……と考えています。

ただ「チセソスヘ」あるいは「チセシヨシベ」を「家の跡がある」と解釈するのもちょっと厳しい感じがします。

 どう読んでいいか分からない。チセ・ソソ・ウシ・ぺ「chise-soso-ush-pe 家を・崩・した・者(川)」ぐらいの形が考えられるが自信はない。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.122 より引用)
そうですね。chise-soso-us-pe で「家・剥がす・いつもする・もの(川)」かなぁ、と考えたくなります。「家」はもしかしたら chise-ne-sir で「家・のような・山」なのかもしれないなぁ、と考え始めています。

千代志別川の北側の山は、形が良さそうに見えるんですよね。千代志別川の流れがこの山を「剥いでいる」と捉えたのかな、と……。

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2020年11月28日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (784) 「群別・幌」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

群別(くんべつ)

kunne-pet?
黒い・川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
浜益区浜益の北に位置する地名で、同名の川も流れています。「東西蝦夷山川地理取調図」には「ホンクンヘツ」という名前の川が描かれています。

「小石川」説

「西蝦夷日誌」には次のように記されていました。

廻りて(二十六町四十二間)ポンクンベツ〔群別〕川筋(川幅五六間、橋あり、番や、かやぐらあり)、向に新道出口あり。此澤目芒(すすき)原にて廣く、地味至て宜しく、名儀、譯して小石川の義なり。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.218 より引用)
どうやら「ポンクンベツ」だったものが、なぜか「ポン」が取れて「群別」になってしまったみたいですね。「小石川」という意味だと言うのですが……。

「危ない川」説

「ポン」が取れたのは比較的早かったようで、永田地名解には次のように記されていました。

Kun pet  クン ペッ  危川
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.85 より引用)
これらの解に対して、山田秀三さんは次のように記していました。

西蝦夷日誌は「ポンクンベツ。名儀,訳して小石川の義なり」と書いたが,クンに小石の意があるのだろうか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.121 より引用)
そうなんですよね。続きもありまして……

 永田地名解は「クン・ペッ。危川」とした。クンに危ないという意があったのだろうか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.121 より引用)
うーん……。いや、全くごもっともなんですが……

「クンヌ」は危険だったのか

ここまでは既存の説を全否定していたように見えるのですが、ここから少し話がややこしくなります。

(バチラー辞典は,クンヌ,クンル,クントゥを危険なると訳している)。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.121 より引用)
手元の資料で確かめてみると、金田一京助の「北奥地名考」でも「クンルー」が「危路」であると記されていました。ただ、それ以外の資料にはこれと言った記載を見つけることができていません。

もしかしたら、「クンヌ」は kunne(「黒い」あるいは「暗い」)なのかもしれません(暗い夜道は危ないですからね)。

群別川はごろた石の上を流れる急流である。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.121 より引用)
むむ、これは……。これだと「小石川」であり、更に「危川」でもある、ということになっちゃいますね……。

「帯状に岩が見えている崖」説

NHK 北海道本部・編の「北海道地名誌」には、次のように記されていました。

 群別川(ぐんべつがわ) もとアイヌ語で「ポン・クン・ペッ」といったが,ポンを略してクン・ペッになったが,クン・ペッは「クッ・ウン・ペッ」で帯状の崖のある川の意と思う。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.68 より引用)
「が、が、思う」の更科節が絶賛炸裂中ですね。kut-un-pet で「帯状に岩が見えている崖・ある・川」という可能性も十分考えられるかと思います。

永田地名解では「危川」と訳している。崖があって危険な川であったからかもしれない。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.68 より引用)
ふーむ。どのように考えれば「クン」を「危ない」と捉えられるか、という試案……ですよね。

「黒い」説

「角川──」(略──)を眺めてみたところ、こんな風な記載を見つけました。

地名は,アイヌ語のポンクンベツ(小さな黒い石のある川の意)に由来する(村勢要覧)。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.519 より引用)
「ポンクンベツ」を「小さな黒い石のある川」と解釈するのは想像による補完が必要になると思うのですが……ああ、なるほど。「西蝦夷日誌」の「訳して小石川の義なり」に kunne の意味を被せてきたということですかね。

「黒い石のある川」というのは逐語訳としてはあり得ない解ですが、案外これが正解に近いのかもしれません。素直に kunne-pet で「黒い・川」と考えて良いのではないでしょうか。

幌(ほろ)

poro-{kunne-pet}?
大きな・{群別川}
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
浜益区群別の北に「市営群別牧場」がありますが、更にその北側に「浜益区幌」の集落があります(同名の「幌川」もあります)。現在の「群別」「幌」という地名からは関係性が見いだせませんが、「東西蝦夷山川地理取調図」には「ホロクンヘツ」と描かれていました。「群別」が「ホンクンヘツ」でしたので、これだと両者の関係性は一目瞭然ですね。

「西蝦夷日誌」には次のように記されていました。

過て(十二町廿九間)ポロクンベツ〔幌〕(川幅七八間、橋架たり、番や、かやくらあり)、名義、大なる小石川の儀。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.218-219 より引用)
永田地名解にも記載がありました。

Poro kun pet  ポロ クン ペッ  危キ大川 增毛山道入口明治十五年雄冬群別二村ヲ合セテ群別村トス
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.85 より引用)
永田方正が地名調査を行った時点で既に「ポンクンペッ」が「クンペッ」になっていたようですが、一方で「ポロクンペッ」はそのままだったようですね。大正時代に測図された陸軍図では「幌」「幌川」になっていたので、明治から大正にかけて、もしかしたら「幌」が漢字で表記されるようになった頃に「クンペッ」が省略されるようになった……と言ったところでしょうか。

ということで、「幌」は poro-{kunne-pet?} で「大きな・{群別川}」と見て良いかと思います。

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2020年11月27日金曜日

Bojan のホテル探訪~「三浦華園」編((当時独身)編)

3F にあるレストラン「料理茶屋 華月」で美味しい夕食をいただいたので、ついでに(?)館内を少しウロウロしてみることにしましょう。これは 3F から 2F に降りる階段だったと思いますが、踊り場にも椅子が並べてあったりして、なんかいい雰囲気です。
なかなか大きな油絵が飾ってありますが……
こちらの作品は、麻生蓉子さん(北海道出身)の作品だったようです。
こういった日付とかを見てしまうと、「ローマは一日にしてならず」という格言の意味がなんとなく理解できそうな気がしますね。伝統と信用の積み重ね……だと京都ローカルになっちゃいますが。

designshop takikawa

1F まで下りてきました。ちょっと謎めいたスペースがあるので、覗いてみましょう。
壁には割と小さな文字で「designshop takikawa」とありました。よく見るとフォントの重さがちょっと違います。
中は……こんな感じの場所でした。ショーウィンドウの手前にショーケースが置かれているように見えますが、詳細な説明をちゃんと見ておらずすいません……。

カップ麺も販売中

こちらは自動販売機コーナーなんですが、なんと手前にテーブルとチェアのセットがいくつも置かれています。自販機の横には電子レンジも置かれているほか、カップ麺の販売もあるのだとか。ビジネス客の長期滞在への対応も怠り無い感じですね。
椅子の数は割と……いや、かなり余裕があるようです。
カップ麺を販売する傍ら、週末にはブライダル相談会も実施しているようでした。驚くべき守備範囲の広さですね……!

「天皇皇后両陛下行幸啓御昼食休憩」記念コーナー

自販機コーナーの近くには、なんと「天皇皇后両陛下行幸啓御昼食休憩」を記念した展示も。平成 15 年 7 月の「有珠山災害復興等御視察」の際に両陛下(当時)に昼食をご提供した、ということのようです。
そして、行幸啓の展示の横にも額が置かれていて、写真が飾られているのですが……
こちらは「皇太子妃雅子様」(当時)が実際に宿泊された、ということなんですね。いや、建物を見る限り 7F までしか客室が無いように見えるのに、エレベーターは 8F まであるので不思議だなぁ……と思っていたのです。なるほど、まさか「貴賓室」だったとは……。
この「(当時独身)」が実にいい味を出してますよね……。

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2020年11月26日木曜日

Bojan のホテル探訪~「三浦華園」編(夕食編)

最近は、時間に余裕がある場合は夕食込みの宿泊プランを選ぶことが多いのですが、この時はちょっとユニークかもしれないプランを選択しました。夕食は「中華レストランで 1,080 円まで利用可能なチケットつき」というものです。
よーく見ると「追加分はチェックアウト時にご精算ください」とあります。中々良くできたシステムですね!
ということで、3F の「和食中華レストラン 華月」に向かいます。「自販機コーナー」「コインランドリー」など、いかにも長期滞在のビジネスパーソン向けの案内が並んでいるように見えて……
1F にはイタリアンレストランがある上に、3F には中華・和食レストランがあるという、ちょっと凄いことになっていたりします。

「料理茶屋 華月」

3F の中華・和食レストラン「料理茶屋 華月」にやってきました。
ここは客席ではなく、待合スペース……なんだと思います。茶屋風の、とても落ち着ける佇まいのスペースですね。
客席は更に奥にありました。仮に待合スペースに人が溢れたとしても、客席までその喧騒が伝わることは無いかもしれません。
案内されたのは、なんと個室でした(!)。これは寛げちゃいますね~
六条間の和室ですが、ちゃんと床の間もあります。中華を食べに来た筈なんですけどね……!

「広東麺」……だったかな?(ぉ)

こちらは「五目あんかけやきそば」や「広東麺」などが定番みたいですが、これは……何でしたっけ(ぉぃ)。
「広東麺」のような気がしますが……違っていたらすいません。程よく胡椒を散らすと更に美味しくなるタイプの味です。
ほら、美味しそうでしょ?
ごちそうさまでした。大変おいしゅうございました……!

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2020年11月25日水曜日

Bojan のホテル探訪~「三浦華園」編(お部屋編)

Day 3 のお宿は滝川市の「三浦華園」さんです。Day 2 が「洞爺湖万世閣ホテルレイクサイドテラス」だっただけに、随分と文字数が少なくなりましたね……(そこか)。
照明灯のポールにも "hotel miura kaen" の文字が。「三浦華園」という名前からはどうしても和風な印象を抱いてしまいますが、そういった印象を覆そうという意図もあるのでしょうか……?

お部屋

ちゃちゃっとチェックインを済ませて、部屋にやってきました。7F の禁煙フロアの部屋ですが……おっ、これは!
良くあるビジネスホテルのシングルじゃないか、と言われると確かにその通りなんですが、大型のソファーがあるのが嬉しいですよね。もちろんベッドもありますが、ソファーでぐうたらな座り方をするのも良いものです。
ベッドは一般的なサイズです。十分なサイズですね。
冷蔵庫はデスクの下に置かれています。デスクは L 字形なので、上に TV やポットが置かれていても、まだ若干の余裕があります。
冷蔵庫の中は……まぁ、このご時世ですから普通は空っぽですよね。冷蔵庫のスイッチが用意されているくらいですから。

懐かしの VDSL ?

これは懐かしの VDSL の口でしょうか。昔はフロントで VDSL モデルをレンタルしてくれるホテルもありましたよね。ちなみに三浦華園さんは普通に Wi-Fi も飛んでいるのでご安心ください。
TV の脇には電源タップが用意されていました。本来はポット用なんですが、コンセントに空きがあるのは嬉しいですよね。

バス・トイレ

部屋にはちゃんとバス・トイレも設けられています。
バスタブのサイズは決して広々とは言えませんが、ビジネスホテルでは一般的なサイズでしょうか(ビジネスホテルでも時折、バスタブが凄まじく狭いところがありますが……)。
混合水栓は洗面台と一体になったタイプで、サーモスタットはありません。この構造はルートインあたりで良く見かけるものですね……。水栓が一つで済むので、コストメリットがあるのでしょう。
シャワーとカランの切り替えハンドルでは止水ができないことを注意喚起するステッカーが貼られていました。このタイプだと水量と温度調整を独立して行えないので、つい別の方法で停められないかと思ってしまうんですよね。
シャンプーやボディソープなどはボトルで置かれています。必要なだけささっと手に取れるので、ボトルで置いてあるのは助かります。
トイレは TOTO のウォシュレットです。スイッチが見当たりませんが……
なんと、スイッチはリモコン式のものでした。比較的最近、新しいものに取り替えたのでしょうか……?

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