2020年11月29日日曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (785) 「床丹・千代志別」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

床丹(とこたん)

tu-kotan
廃・村
tuk-kotan?
小山・村

(典拠あり、類型あり)(? = 典拠あるが疑わしい、類型あり)

浜益区幌の北に位置する地名で、同名の川(床丹川)も流れています。「東西蝦夷山川地理取調図」にも「トコタン」という名前の川が描かれていますが、明治時代の地形図には「ト゚ッコタン沢」という名前の川が描かれています。「沢」の字は明治時代にも使われていたんですね……。

「西蝦夷日誌」には次のように記されていました。

急流、崖下(九町四十間)ヘセエバケ、(十二町四十間)トコタン〔床丹〕(小川)、本名トツココタン、譯て蝮蛇の處と云儀。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.219 より引用)

なんだか良くわからない解が記されていますが、丁巳日誌「天之穂日誌」にも似たような解が記されていました。

     トコタン
本名トツココタンの由。トツコは蝮蛇の事、コタンは所也。蝮蛇の所と云事にて、此地蝮蛇多きよし。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.438 より引用)

「マムシが多いので」ということですが、確かに「アイヌ語方言辞典」には「マムシ」を意味する語彙として tókkoni が記録されています(美幌・旭川・名寄)。tokkoni-kotan で「マムシ・村」だったのが、いつしか ni が落ちだ、ということでしょうか。

一方、永田地名解には次のように記されていました。

Tuk kotan  ト゚ク コタン  出來タル處 「トク」ハ癒上ルノ意ニテ土地ノ出來タルヲ云フ
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.85 より引用)

tuk は「出る」「生じる」と言った意味のほか、「小山」という意味もあります。tuk-kotan は「小山・村」と捉えることも可能で、ちょうどいい感じに集落の北に標高 225 m ほどの小山があります。

山田秀三さんの「北海道の地名」には、次のように記されていました。

床丹 とこたん
 幌の北。海岸の崖の間の地名,川名。トコタンという名は道内に多いが,場所によってその意味が違っていた。一番多いのがトゥ・コタン(廃村)で,時にト・コタン(沼・村)もあったらしい。トゥ・コタン(二つ・村)と伝承される処もあった。ここはまた別の解だ。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.121 より引用)

そうですね。厳密にカウントしたわけではありませんが、tu-kotan で「廃・村」というパターンが一番多そうな印象があります。

 西蝦夷日誌は「トコタン。小川。本名トツココタン。訳て蝮蛇の処と云儀」と書き,永田地名解は「トゥㇰコタン tuk-kotan。出来たる処。トゥㇰは癒上るの意にて土地の出来たるを云ふ」と書いた。どっちも説明くさい解だ。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.121 より引用)

マムシについては確かめようが無いですが、tuk については「小山」と考えることも(一応)可能であることは前述のとおりです。

あるいはここも住人がなくなった時代があって,それで tu-kotan(なくなった・村。廃村)の名がついたのだったかもしれない。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.121 より引用)

うーむ。確かに「西蝦夷日誌」にも「近年迄夷人住せしが今はなし」と書いてあるんですよね。ですので tu-kotan を「廃・村」と考えるのも理に適っているですよね。

個人的に「小山」説も捨てがたいので、今回は両論併記とさせて下さい。

千代志別(ちよしべつ)

chise-soso-us-pe
家・剥がす・いつもする・もの(川)

(典拠あり、類型あり)

浜益区床丹から「床丹覆道」「二ッ岩トンネル」で北に向かった先に「浜益区千代志別」の集落があります。かつての国道 231 号は千代志別から北側が未開通区間でしたが、現在は「浜益トンネル」で雄冬岬のあたりを一気に通り抜けて「浜益区雄冬」に抜けることが可能です。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「チセシヨシベ」という名前の川が描かれていました。また明治時代の地形図には「チシペッ」という地名(川名?)が描かれています。

山田秀三さんの「北海道の地名」には次のように記されていました。

前はちょっと行けない処だったが,雄冬の道路開さく中に,トンネルの中を歩いて行って見た。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.121 より引用)

なんと! さすが山田さん……。

 松浦氏再航蝦夷日誌は「チセソスへ」と書き,松浦図は「チセシヨシベ」,同西蝦夷日誌では「チセソシベ。小沢。出稼(屋)近頃出来たりと。名義は家の跡ある儀」と書いた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.121-122 より引用)

あれっ、「西蝦夷日誌」にそんな記述があったかな……と思ってしばらく悩んでいたのですが、ありました!

同じく岩壁、(廿七町六間)チセツシベ(小澤)、出稼近頃出來たりと。名義は家の跡有る儀。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.224-225 より引用)

「チセツシベ」とありますが、山田さんも記しているように「再航蝦夷日誌」では「チセソスヘ」で、また「東西蝦夷山川地理取調図」も「チセシヨシベ」とあるので、「ツ」は「ソ」の誤記と捉えていいのかな……と考えています。

ただ「チセソスヘ」あるいは「チセシヨシベ」を「家の跡がある」と解釈するのもちょっと厳しい感じがします。

 どう読んでいいか分からない。チセ・ソソ・ウシ・ぺ「chise-soso-ush-pe 家を・崩・した・者(川)」ぐらいの形が考えられるが自信はない。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.122 より引用)

そうですね。chise-soso-us-pe で「家・剥がす・いつもする・もの(川)」かなぁ、と考えたくなります。「家」はもしかしたら chise-ne-sir で「家・のような・山」なのかもしれないなぁ、と考え始めています。

千代志別川の北側の山は、形が良さそうに見えるんですよね。千代志別川の流れがこの山を「剥いでいる」と捉えたのかな、と……。

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