2020年11月8日日曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (779) 「留久・壮志・幌加・察来山」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

留久(るうく)

ru-kus-pet
道・通行する・川

(典拠あり、類型あり)

新十津川町吉野から徳富川を少し遡ったところに、北支流(西支流)のルークシュベツ川が合流しています(これまたネタバレ感が凄いですが)。ルークシュベツ川の河口近くには「新十津川ダム」があり、ダム湖の名前が「留久貯水池」となっています。また、留久貯水池の西南西には「留久山」もあります。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「ルウクシベツ」という名前の川が描かれています。また丁巳日誌「再篙石狩日誌」にも次のように記されていました。

 扨、またしばし上りて左りの方、チカフナイ、ノタフコマナイ、カマヤマナイ、また右の方にワツカウインベ、ルウクシヘツ。此処よりむかしヲシラルカ山を越て、西海岸マシケえ越せしよし申伝ふ。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.212 より引用)

現在の「ルークシュベツ川」は、以前から「ルウクシヘツ」と認識されていたと考えられそうですね。興味深いのが「西海岸マシケえ越せしよし」というところで、ご存知の通り、現在は国道 451 号が浜益まで通じています。

「増毛」ではなく「浜益」なのですが、元々マシケ場所は現在の浜益のあたりにありました(その後現在地に移転)。「マシケ」が移転したのはあくまで和人の都合だった筈なので、「マシケ」が「ハママシケ」に変化した後も「マシケ」と認識されていた……ということを示しているのかもしれません。

永田地名解には次のように記されていました。

Rū kush pet  ルー クㇱュ ペッ  通路川 增毛ヘ行ク通路ナリ
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.57 より引用)

やはり ru-kus-pet で「道・通行する・川」と考えて良さそうですね。地形図を見てみると、新十津川町吉野から石狩市浜益区御料地に抜けるには、ルークシュベツ川沿いのルートが最短距離に見えます。

実際に、大正時代の陸軍図を見てみると、ルークシュベツ川沿いを西に向かい、現在の「徳富ダム」を経由して浜益に抜ける道が描かれていました。このルートは「距離は短いが急勾配」という、いかにもアイヌ向けのルートだったようで、現在はやや遠回りながら勾配が緩い国道 451 号のルートに取って代わられています。

壮志(そうし)

so-us
滝・ついている

(典拠あり、類型あり)

新十津川町吉野から徳富川を遡ると、川の南側に「壮志」という地名が見えます。更に南には「壮志岳」という山もあります。更科さんの「アイヌ語地名解」では次のように紹介されていました。

留久はルークシペッの下を略したもので、通路の川の意味で、昔から浜益へ通ずる道路であり、一方の壮志は滝のあるところの意味である。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.115 より引用)

やはりそう考えるしか無さそうな感じでしょうか。so-us(-pet?) で「滝・ついている(・川?)」と考えられそうです。

注意しておきたいのが、壮志岳の南側を流れる「総富地川」との関係です。壮志岳の南側に so-us-pet があって、その下流が「総富地川」と呼ばれた……と考えると随分と話がスッキリすることになります。「壮志岳」は南側を流れる川に由来する山名だとすると、徳富川沿いの「壮志」は山向こうの川名から流れ着いた地名だ……ということになりますね。

幌加(ほろか)

horka-tuk
U ターンしている・{徳富川}

(典拠あり、類型あり)

新十津川町西部、国道 451 号沿いの地名です。徳富川の南支流に「幌加徳富川」と「奥幌加沢川」があり、国道はこれらの支流に沿って当別町に向かっています。「幌加徳富川」と「奥幌加沢川」を遡ると、どちらも南に向かうことになります(南から北に向かって流れています)。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「ホリカトツク」という名前の川が描かれていました。また丁巳日誌「再篙石狩日誌」にも次のように記されていました。

又少し卜りてホロカトツク、シトツクと二股に成るよし。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.212 より引用)

永田地名解には次のように記されていました。

Horoka tuk  ホロカ ト゚ㇰ  却流川
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.58 より引用)

毎度おなじみ「誤解を招く表現」ですが、もちろん(銭塘江みたいに)川が逆流する訳は無くて、horka-tuk で「U ターンしている・{徳富川}」という意味です。

厳密には徳富川は西から東に向かって流れる川なので、南から北に流れる「幌加徳富川」は horka かと言われると微妙な線ですが、徳富川が合流する石狩川は(新十津川のあたりでは)北から南に向かって流れているので、それと対比して horka である、ということなのだと思われます。

察来山(さっくる──)

sak-ru-pes-pe
夏・道・それに沿って下る・もの(川)

(典拠あり、類型あり)

徳富ダムの南側、当別町と新十津川町の境界に聳える山の名前です。sak-ru と言えば「夏・道」で、夏季に使用する峠道のことを意味しますが……。

NHK 北海道本部編の「北海道地名誌」には次のように記されていました。

 察来山 (さっくるやま) 589.9 メートル 「サックル」または「サㇰ・ル」はアイヌ語で夏路の意。元は山名でなく川の名であったのが,川の近くにある山なので,いつか山の名にも移行したもの。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.271 より引用)

ふむふむ。そう言われてみれば永田地名解にも次のように記されていました。

Sak ru pesh pe  サㇰ ル ペㇱュ ペ  夏徑 夏日增毛ヘ下ル山道
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.58 より引用)

やはり、sak-ru-pes-pe で「夏・道・それに沿って下る・もの(川)」と考えられるようですね。どの川が sak-ru-pes-pe と認識されていたのかは不明ですが、明治時代の地形図には、現在の徳富ダムからに西に抜ける峠道(現存せず)沿いの川が「ルペシュペナイ」と描かれていました。

sak-ru-pes-pe は「夏の峠道川」ですが、夏があるからには冬もある筈で、永田地名解には mata-ru-pes-pe で「冬の峠道川」という記録もありました。ここからは完全な想像ですが、察来山の北を流れる「ケンノ沢川」が「夏の峠道川」で、ケンノ沢川の上流部をショートカットするように流れている川が「冬の峠道川」だったのかも……?

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