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ただ IC の周辺は田んぼが広がっていて、カントリーエレベーターも見えます。「左ハンドル車 右方向へ」の看板がありますが、この看板もいずれは貴重なものになるのでしょうか……?
2025年6月30日月曜日
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2025年6月29日日曜日
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地名は,アイヌ語のシチカプナイ(熊鷹のいる沢の意)にも由来し,これを和人がシミヅカップと訛ったものと思われる。明治 15 年平鵜村の一部となる。
2025年6月28日土曜日
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Puyo shuma プヨ シュマ 石門 和俗穴岩ト云フ冬島村ノ原名puy-o-suma で「穴・多くある・岩」と読めそうな感じですね。ただ『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「フユ
ブユカシユマ〔冬島〕(岩岬)、此處に大なる石門有、往來の者是を潛 り行也。
ブユとは穴の事、シユマは岩也、譯 て穴岩といふ儀。
一 ブイカシユ マ
ブイヲマレシユ マなり。ブイは穴なり。ヲマレは入也。シユ マは岩石の称。此処自然の石門あり。如圖。
2025年6月27日金曜日
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2025年6月26日木曜日
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2025年6月25日水曜日
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2025年6月24日火曜日
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2025年6月23日月曜日
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2025年6月22日日曜日
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上りて直に下り
ルランヘツ
地名ルランヘツは上に沼有と云事也。如何やらん。
ルランヘツ
道より下る
Rueran be ルエラン ベ 阪 寛政年間諸子ノ日誌ニ念佛坂ト唱ヘ絶險ノ地ナリトアルハ是レナリ「寛政年間」は 1789 年から 1801 年までなので、この「諸子」というのは誰のことなのでしょう。秦檍麿の『東蝦夷地名考』(1808) よりも少し遡ったあたりになるのですが……。
ルランベツ アポイ岳の裾に発して海に注ぐ小川で,路の降っている川の意。
2025年6月21日土曜日
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アホイ(左川)、是アハウイ岳より來る故に號く。
アポイ岳
様似町冬島の近くにあり高山植物で有名な山。アイヌ語のアペ・オイで火のあるところという意味。
もとは山の名ではなく、この山の一部から噴煙があがっていたところを呼んだものであるという。
この山は昔、マチネシリ(女山)といって、鹿が天上からおろされる山であるといい、昔はこの山が産んでくれるほど鹿がいたという。
そこで頂上に祭檀を設けて、刀を飾り供物をあげ燃え草を集めて積み重ね、これに火をつけて一団の火の玉を作った。この火に照らされた祭場に、アイヌたちが、ズラリといならび、ひとえに鹿のお授けを祈った。その甲斐あってこの地方にだんだん鹿が繁殖して、今日の様似の名物となった。
そこでこの山をアペオイヌプリ(火が多くある山)とよんだ。意訳すると「大火を焚いた山」である。アポイはアペオイの転語でアポイヌプリというのである。
語義は忘れられた。いろいろな言葉を当てられるが自信はない。アペ・オ・イ(ape-o-i 火・ある・処)の略かといわれる。
C:多くの推論が存在するものや古く原型が忘れられたものなど、現時点では「不明」と言わざるをえないと思われるもの。
2025年6月20日金曜日
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2025年6月19日木曜日
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2025年6月18日水曜日
2025年6月17日火曜日
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2025年6月16日月曜日
2025年6月15日日曜日
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O-pira ri omap オピラ リ オマㇷ゚ 高崖ノ處o-pira-ri-oma-p で「河口・崖・高い・そこに入る・もの(川)」では無いかとのこと。疑問点があるとすれば ri-pira ではなく pira-ri となっているところでしょうか。
オピラルカオマップ川 幌満川上流の左支流。川口が崖路の上にある川の意。
2025年6月14日土曜日
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| 午手控(p. 86) | 東西蝦夷山川地理 取調図 (1859) | 北海道実測切図 | 国土数値情報 |
|---|---|---|---|
| ヲニナルシ (左小川) | チニナルシ | オンナルシペッ | オナルシベ川 |
| - | - | チヤラセナイ | - |
| フウレヒラ (左) | フウレヒラ | - | - |
| - | - | フッチミ | フチミ川 |
| フブケシャリ (左小川) | - | - | - |
| ケーレヒ子 (右小川) | ケーレヒ子 | - | - |
| - | フヽ | - | - |
| - | - | フッチミマウカクㇱュナイ | - |
| - | - | ペサウンナイ | - |
| トウクチチャ (左小川) | トウクツチヤヽ | パンケトチキサㇷ゚ | パンケ川 |
| ヲヒラリヲマフ (右小川) | ヲヒラリヲマフ | オピラルカオマㇷ゚ | オピラルカオマップ川 |
アブイ 左小川
ヲニナルシベ左小川
フッチニ右小川
高山うしろ右ヒホロ左ラッコ等え行よし也
ホロマヘツ小川のよし
フフシミ右中川
シヨナイ右大川
コルシ右大川
ワツカシヤクナイ右中川
ノバ右中川
ハンケニチ左大川
ヘルケニチ左大川
フウレヒラ右平
ヲヒラリコマフ右中川
| 午手控 (1858) | ケーレヒ子 | 松浦武四郎選集 六 p. 86 |
|---|---|---|
| 午手控 (1858) | フッチニ | 松浦武四郎選集 六 p. 125 |
| 午手控 (1858) | フフシミ | 松浦武四郎選集 六 p. 130 |
| 東西蝦夷山川地理取調図 (1859) | ケーレヒ子 | - |
| 東蝦夷日誌 (1863-1867) | ケーレヒネ | 新版 蝦夷日誌(上)p. 224 |
| 北海道実測切図 (1895 頃) | フッチミ | - |
| 陸軍図 (1925 頃) | フチミ澤 | - |
| 国土数値情報 | フチミ川 | - |
2025/06/15 追記:「ケーレヒ子」は幌満川上流部の東支流「キリプネイ川」のことだった可能性が高そうです。
フチミ沢 幌満ダム東岸に入る支流沢。旧称フプチミマオカクシュナイはアイヌ語「フㇷ゚(椴),チミ(押しわける),マオカ(横丁),クシュ(流れる),ナイ(沢)」で椴林を押し分けて流れる横丁の川の意という説があるが疑問。
Futsyni. Dav. 狭く.Mos. futsini(フチニ)あるいはfuttsune(フツツ子),狭い,窮屈な.
①狭い ②狭い(フッネ)
- フつツ子
hutne ふッネ 《完》 狭くアル(ナル)。(対→sep)
2025年6月13日金曜日
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2025年6月12日木曜日
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2025年6月11日水曜日
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2025年6月10日火曜日
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2025年6月9日月曜日
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2025年6月8日日曜日
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(向て)ヲニナルシ(左川)此處に鹿とる小屋あり。
当地は昭和 16 年までは,オナルシベ(雄鳴蘂)と呼ばれ,アイヌ語で高原にある川の意。
2025年6月7日土曜日
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一 ホロマンベツ
ホロヲマレベツなり。ホロは大、ヲマレは入なり。大入河と訳す。
ポロマンベツ 休所番家有「川舟渡し」
夷語ポルマベツなり。則、窟の在る川と譯す。扨、ポルとは窟の事。マとはヲマの略語にて、ある又は入ると申意。ベツとは川の事にて、此川の奥に窟の在故、地名になすといふ。
ホロマンヘツ
極水勢よきによって号
ポロマンベツ〔幌滿川〕本名ポロヲマベツにして、岩洞有川の儀、水源は洞中より流れ出るが故に號 し。
又此川口兩 の高山の間に有故とも云り。またエミカトの説に、水勢急なるが故とも云。何 が是ならん。
Poro shuma pet ポロ シュマ ペッ 大石川 後世「ポロマンベツ」ト云フハ非ナリ今幌滿別村ト稱ス嫌な予感がしていたのですが、やはりそうでしたか。これまでの記録を全否定して poro-suma-pet で「大きな・岩・川」という解をひねり出してきました。
ポロシュマ・ペッが正しければ大石川でよいが、ポロシュマがポロマンに変化するということはあり得ない。
昔からポロマンと呼んでいたとすればポル・オマン・ペッで、洞窟に行く川と解することができる。日本流では洞窟から流れ出る川の意。
松浦氏の Poru-oma-pet(洞・ある、に入る・川)が自然な感じである。なお、呼ばれてきた語形からいうならば、Poru-oman-pet(洞に・行く・川)だったかも知れない。
| 秦檍麿『東蝦夷地名考』(1808) | poro-oman-pet | 大きい・行く・川 | ○ |
|---|---|---|---|
| 上原熊次郎『蝦夷地名考幷里程記』(1824) | poru-oma-pet | 洞窟・ある・川 | ○ |
| 永田方正『北海道蝦夷語地名解』(1891) | poro-suma-pet | 大きい・石・川 | - |
oman [複 paye] オまン《完》①行く。(対→ ek)②山の方へ行く。(対→ san)
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2025年6月6日金曜日
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2025年6月5日木曜日
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2025年6月4日水曜日
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2025年6月3日火曜日
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 8 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。
2025年6月2日月曜日
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 8 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。
2025年6月1日日曜日
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Rusa ki ルサ キ 魚笱 土人云「ルサキ」ハ魚笱ノ義ナリト一説ニ「ルサ」ハ草盆ナリ草盆ヲ作ル茅アルヲ以テ名ク「
ルサキ川 この町の東端近くで海に注ぐ小川。「ルサ」は煮魚や肉などをあげる萱で編んだ盆。「キ」は萱のこと。