2025年6月30日月曜日

月山と鳥海山と西津軽 (2) 「東北中央自動車道」

東北中央自動車道の「山形中央 IC」にやってきました。県道から IC に向かうランプウェイもトランペット型の立体交叉になっています。流石は県庁所在地の「中央」を名乗るだけのことはありますね。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 8 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

ただ IC の周辺は田んぼが広がっていて、カントリーエレベーターも見えます。「左ハンドル車 右方向へ」の看板がありますが、この看板もいずれは貴重なものになるのでしょうか……?

2025年6月29日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (1249) 「シミチカップ川・門別川・平宇」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

シミチカップ川

sum(-un)-chi-kaye-p?
西(・にある)・自ら・折る・もの(川)
(? = 旧地図に記載あり、独自説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
かつて日高本線の終着駅だった「様似駅」から 2.5 km ほど東のあたりを流れて海に注ぐ川です。『北海道実測切図』(1895 頃) には「シミチカヨㇷ゚」と描かれています。

ただ困ったことに『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には描かれておらず、また『初航蝦夷日誌』(1850) や『東蝦夷日誌』(1863-1867) などの松浦武四郎の著作群にも見当たらないようです(詳細は「ポンサヌシベツ川」の記事の表を参照ください)。

熊鷹のいる沢?

1868(明治初)年から 1882(明治 15)年までは、この川の流域に「染近呼村」(1876(明治 9)年からは「染近しみちか村」)が存在したとのこと。『角川日本地名大辞典』(1987) には次のように記されていました。

地名は,アイヌ語のシチカプナイ(熊鷹のいる沢の意)にも由来し,これを和人がシミヅカップと訛ったものと思われる。明治 15 年平鵜村の一部となる。
(『角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)』角川書店 p.675 より引用)
知里さんの『動物編』(1976) によると、si-chikap は「オジロワシ」とのこと。もっとも「クマタカ」を chikap と呼ぶケースもあったとしているので、{si-chikap}-nay を「{熊鷹}・沢」と解釈しても間違いとは言えないかもしれません。

「近呼川」との関係

ただ「実測切図」に描かれた川名は「シミチカヨㇷ゚」であり、これが「シチカㇷ゚」に化けたというのは……ちょっと都合が良すぎませんか? と思ったりもします。

また様似町のお隣のえりも町近浦に「近呼川」が存在することも気になります。困ったことに「近呼川」と「シミチカップ川」は、かなりそっくりな地形を流れているのですね。つまり「シミチカヨㇷ゚」は ???-{chi-kaye}-p である可能性が出てくるのです。

chi-kaye-p は「自ら・折る・もの(川)」と考えられ、あるいは {chi-kaye}-p で「{折れる}・もの(川)」と見ることもできそうです。

……と、ここまでは良かったのですが、「シミ」あるいは「シミチ」をどう解釈したものか、全くこの先に進めなくなってしまいました。一応 chimi で「左右にかき分ける」という語があるので chimi-chi-kaye-p で「左右にかき分ける・自ら・折る・もの(川)」と見ることは可能ではあるのですが、何か間違っているような感じがするんですよね……。

まさかの「西近呼川」?

あと、これは「まさか……」という感もあるのですが、sum(-un)-chi-kaye-p で「西(・にある)・自ら・折る・もの(川)」だったらどうしよう……と思えてきました。アイヌ語の地名で方位を冠するものは滅多に無いのですが、えりも町の「近呼川」との対照と考えるならば、凄くしっくり来るんですよね。

門別川(もんべつ──)

mo-pet
穏やかな・川
(旧地図に記載あり、既存説、類型あり)

2025年6月28日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (1248) 「冬島・ポンサヌシベツ川・ポロサヌシベツ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

冬島(ふゆしま)

puy-kas-suma??
穴・の上・岩
(?? = 旧地図に記載あり、独自説、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
国道 336 号の「日高耶馬渓」の北西にある地名で、同名の川も流れています。『北海道実測切図』(1895 頃) には漢字で「冬島」と描かれていて、これはかつて「冬島村」が存在していたことを示しています(1868(明治 1)年~ 1906(明治 39)年)。現在の冬島のあたりには「プヨシュマ」と描かれています。

永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Puyo shuma   プヨ シュマ   石門 和俗穴岩ト云フ冬島村ノ原名
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.281 より引用)
puy-o-suma で「穴・多くある・岩」と読めそうな感じですね。ただ『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「フユシユマ」と描かれているほか、東蝦夷日誌 (1863-1867) にも次のように記されていました。

ブユカシユマ〔冬島〕(岩岬)、此處に大なる石門有、往來の者是をくぐり行也。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編『新版 蝦夷日誌(上)』時事通信社 p.215, p.218 より引用)
これも「ブユシユマ」なのですが、次のような地名解が記されていました。

ブユとは穴の事、シユマは岩也、やくして穴岩といふ儀。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編『新版 蝦夷日誌(上)』時事通信社 p.218 より引用)
見事に問題の?「カ」がスルーされてしまっています。面白いことに『午手控』(1858) も『竹四郎廻浦日記』(1856) も『初航蝦夷日誌』(1850) も、いずれも「フユカシユマ」あるいは「ブユカシユマ」としています。

これだけであれば「松浦武四郎のうっかりミス」で片付けることも(一応は)可能なのですが、なんと秦檍麿の『東蝦夷地名考』(1808) にも……

一 ブイカシユ──
 ブイヲマレシユ──マなり。ブイは穴なり。ヲマレは入也。シユ──マは岩石の称。此処自然の石門あり。如圖。
(秦檍麿『東蝦夷地名考』草風館『アイヌ語地名資料集成』p.27 より引用)
「図の如し」とありますが、「ブイガシユ──マ地圖」には奥尻島の「鍋釣岩」とそっくりな岩が描かれています。

肝心の地名解ですが、地名が「ブイカシュマ」であるにもかかわらず puy-omare-suma で「穴・入れる・岩」となっています。このあたりの『東蝦夷地名考』には omare が頻発する印象があるのは謎ですね(インフォーマントの癖?)。

どうやら元々は「ブヨシュマ」ではなく「ブイシュマ」だったと思われるのですが、puy-kas-suma で「穴・の上・岩」あたりでしょうか。

ポンサヌシベツ川

pon-san-us-pet?
小さな・棚のような平山・ついている・川
(? = 旧地図に記載あり、既存説に疑問あり、類型あり)

2025年6月27日金曜日

月山と鳥海山と西津軽 (1) 「謎の RALLIART」

ホテルメトロポリタン山形の立体駐車場(通称「メトロ駐車場」)から Day 2 のスタートです。何の変哲もない風景のように思えますが、現在はここにメトロポリタン山形の別館(貸会議室?)があるので、もうこの風景を眺めることはできません。
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ガソリンは……ぼちぼち減ってますが、タンクが大きいので、これでも 30 リットル近くは残ってるかも。300 km くらいは走れるんじゃないでしょうか。

2025年6月26日木曜日

Bojan のホテル探訪~「ホテルメトロポリタン山形」編(朝食編)

山形で新しい朝を迎えました。朝食は 2 階のレストラン「最上亭」で提供されるので、エレベーターで 2 階に向かいます。無線アクセスポイントがむき出しで置かれているのは時代を感じさせますね……。なお Wi-Fi は「部屋ごとにパスワードを設定」とのことなので、これとは別のアクセスポイントがあるのかも。
あと、何の説明もなく新聞が置かれているのですが、これは「ご自由にお取りください」なんでしょうか……?

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ということで、2 階にやってきました。

2025年6月25日水曜日

Bojan のホテル探訪~「ホテルメトロポリタン山形」編(お部屋編の続き)

山形メトロポリタンホテルの「デラックスシングル」の話題を続けます。赤いカーテンの手前に置かれたデスクには、電源が二つと RJ-45 のソケット(有線 LAN)があります。
もちろん Wi-Fi も飛んでいるので、敢えて有線 LAN を使用する必要は無いのですが、複数の機器に SSID を登録する手間を考えると、https://amzn.to/4nj6poG のような無線ルーターのほうが便利な場合もあるんですよね。まぁ無線の帯域には限りはあるので、使わずに済むならそのほうが良いのですが……。

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Wi-Fi の SSID は部屋の案内に書かれていたり、あるいはカードキーのケースに書いてあったりすることが多いのですが、この部屋ではテレビのインフォメーション画面で確認とのこと。ひと手間増えますが安全性は比較的高そうですね(簡単にパスワードの変更ができそうなので)。

2025年6月24日火曜日

Bojan のホテル探訪~「ホテルメトロポリタン山形」編(お部屋編)

この日の部屋は「【禁煙】デラックスシングル/20平米」で、朝食付きで 9,600 円(税サ込)でした。まぁ 2017 年の話なので、あくまで「そんな時代もあったよね」ということで……。
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ビジネスホテルに良くある、カードキーを指すとマスタースイッチがオンになる仕組みです。カードが当たる場所の壁紙が剥げているのは御愛嬌ですね。

2025年6月23日月曜日

Bojan のホテル探訪~「ホテルメトロポリタン山形」編(エントランス編)

「栄屋本店」で「冷しラーメン」をいただいて、タクシーで山形駅に戻ってきました。
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8 月最後の日曜日の山形駅前は、かなり賑やかな感じです。

2025年6月22日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (1247) 「ルランベツ・オソスケウス川・コトニ」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
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ルランベツ

ru-e-ran-pet
路・そこで・降りる・川
(旧地図に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
様似幌満の西、「日高耶馬渓」と呼ばれるあたりの地名です。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には海沿いに「ルウランヘツ」と描かれていて、『北海道実測切図』(1895 頃) には川の名前として「ルエランペ」と描かれています。

『初航蝦夷日誌』(1850) には「ルランベツ 小川有」と記されています。川の名前と見て良さそうな感じですが、『竹四郎廻浦日記』(1856) には次のように記されていました。

上りて直に下り
     ルランヘツ
地名ルランヘツは上に沼有と云事也。如何やらん。
(松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読『竹四郎廻浦日記 下』北海道出版企画センター p.491 より引用)
上に沼……? とてもそのような地形には見えないのですが、松浦武四郎もやはり疑問を抱いたのか「如何やらん」としています。ただ『様似町史』によると「ホロマンベツに昔からふたつのトウ(沼)があったといわれている」とのこと(=ルランベツ川ではなく幌満川の話です)。

陸軍図を見た限りではそれらしい沼の存在は確認できませんが、「町史」には「付言」として「アイヌたちは、トウをハッタリ(淵)にも用いることがある」とあります。「二つのトウ」が実在するか否かはともかく、この「廻浦日記」の記録は「ホロマンベツ」と「ルランヘツ」を取り違えた可能性があるかもしれません。

「路がそこで降りる川」か

『午手控』(1858) には次のように記されていました。

ルランヘツ
 道より下る
(松浦武四郎・著 秋葉実・翻刻・編『松浦武四郎選集 六』北海道出版企画センター p.433 より引用)
かなり穏当な解になりましたね。永田地名解 (1891) にも次のように記されていました。

Rueran be   ルエラン ベ   阪 寛政年間諸子ノ日誌ニ念佛坂ト唱ヘ絶險ノ地ナリトアルハ是レナリ
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.282 より引用)
「寛政年間」は 1789 年から 1801 年までなので、この「諸子」というのは誰のことなのでしょう。秦檍麿の『東蝦夷地名考』(1808) よりも少し遡ったあたりになるのですが……。

永田地名解は例によってざっくりした書き方でしたが、『北海道地名誌』(1975) には次のように記されていました。

 ルランベツ アポイ岳の裾に発して海に注ぐ小川で,路の降っている川の意。
(NHK 北海道本部・編『北海道地名誌』北海教育評論社 p.580 より引用)
これは知里さんテイストのある解ですね。ここまでの記録を総合すると ru-e-ran-pet で「路・そこで・降りる・川」のように思われます。一般的にはru-e-ran-i で「路・そこで・降りる・ところ」となる場合が多いですが、-pet となっているのがユニークなところでしょうか。

地形を見る限りでは山越えをする道は無さそうですが、そうではなくて、冬島と幌満の間の「様似山道」が川(谷)に向かって降りる故に「路がそこで降りる川」と呼ばれた……と考えたいところです。

オソスケウス川

o-so-u-ka-us-i?
河口・滝・互い・の上・多くある・もの(川)
(? = 旧地図に記載あり、独自説、類型あり)

2025年6月21日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (1246) 「アポイ岳・ピンネシリ」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

アポイ岳

apa-o-i?
戸口・ある・ところ
(? = 旧地図に記載あり、独自説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
幌満川の西に聳える山で、頂上付近には「冬島」という名前の一等三角点(標高 810.1 m)があります。『北海道実測切図』(1895 頃) では無名の山として描かれていて、山の東南麓に「アポイ」というが描かれています。

アハウイ岳?

東蝦夷日誌 (1863-1867) には次のように記されていました。

アホイ(左川)、是アハウイ岳より來る故に號く。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編『新版 蝦夷日誌(上)』時事通信社 p.223 より引用)
これは「アポイ岳」の東麓を流れる幌満川西支流の「アポイ」についての記載ですが、川名は「アハウイ岳」に由来する、と書かれています。

火のあるところ?

更科さんの『アイヌ語地名解』(1982) には次のように記されていました。

アポイ岳
 様似町冬島の近くにあり高山植物で有名な山。アイヌ語のアペ・オイで火のあるところという意味。
(更科源蔵『更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解』みやま書房 p.87 より引用)
ape-o-i で「火・そこにある・ところ」ではないかとのこと。道庁の「アイヌ語地名リスト」にもこの解が記されていて、謂わば「公式見解」となっています。

もとは山の名ではなく、この山の一部から噴煙があがっていたところを呼んだものであるという。
(更科源蔵『更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解』みやま書房 p.87 より引用)
ほうほう。なるほど……と思わせる内容ですが、「もとは山の名ではない」のであれば東蝦夷日誌の「アハウイ岳より来る」と言う説を否定することになりますね。

 この山は昔、マチネシリ(女山)といって、鹿が天上からおろされる山であるといい、昔はこの山が産んでくれるほど鹿がいたという。
(更科源蔵『更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解』みやま書房 p.87 より引用)
そう言えば日高山中に「鹿が天下りする山」(言い方)があったという記憶があるのですが、アポイ岳がそうだったんでしたっけ。アポイ岳の旧称が「マチネシリ」というのは、アポイ岳の北に「ピン子シリ」があるので蓋然性が高そうに感じられます。

火を祀った祭壇のある山?

このあたりの話は「様似町史」に「アポイ岳の由来」として詳細が記載されていました。昔、何故か様似のあたりには鹿がいなかったため、土地のアイヌはカムイに鹿を授けてもらえるように「アポイ岳」の頂上に祭壇を設けて祈りを捧げたとのこと。

そこで頂上に祭檀を設けて、刀を飾り供物をあげ燃え草を集めて積み重ね、これに火をつけて一団の火の玉を作った。この火に照らされた祭場に、アイヌたちが、ズラリといならび、ひとえに鹿のお授けを祈った。その甲斐あってこの地方にだんだん鹿が繁殖して、今日の様似の名物となった。
(様似町史編さん委員会『様似町史』p.51 より引用)※ 原文ママ
この故事?により、祭壇のある山(=アポイ岳)は「アペオイヌプリ」と呼ばれるようになったとのこと。

 そこでこの山をアペオイヌプリ(火が多くある山)とよんだ。意訳すると「大火を焚いた山」である。アポイはアペオイの転語でアポイヌプリというのである。
(様似町史編さん委員会『様似町史』p.51 より引用)
ape-o-i-nupuri で「火・多くある・ところ・山」ではないか……とのことですが、-i-nupuri というのは蛇足のような……。本来は ape-o-i で「火・多くある・ところ」か、ape-o-nupuri で「火・多くある・山」となるべきに思えます。

現時点では「不明」?

山田秀三さんの『北海道の地名』(1994) には次のように記されていました。

語義は忘れられた。いろいろな言葉を当てられるが自信はない。アペ・オ・イ(ape-o-i 火・ある・処)の略かといわれる。
(山田秀三『北海道の地名』草風館 p.340 より引用)
山田さんらしいと言えばそれまでですが、随分と弱気な書きっぷりに見えます。道庁の「アイヌ語地名リスト」もこの記述を引用しているのですが、よく見ると「確定レベル」が「C」になっていました。この「確定レベル:C」は以下のように定義されています。

C:多くの推論が存在するものや古く原型が忘れられたものなど、現時点では「不明」と言わざるをえないと思われるもの。
(北海道庁『アイヌ語地名リスト』より引用)
ここまで見てきた ape-o-i 説も、実は「不明」と言わざるを得ない……という評価だったようです。

「アポイ」は川の名か?

ということで、「定説」のように思われた「火のあるところ」説も実は鉄板でもなんでも無い……ということになるのですが、この「アポイ岳」について *いつも通り* のアプローチで見てみたらどうなったか……というお話です。

東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「アホイ」という *川* があり、「アポイ岳」に相当する山そのものは見当たりません(明確に「山」として描かれていません)。

注意すべきは「ホロマヘツ」(=幌満川)の源流部に「アチヤリノホリ」という山が描かれていて、また「エシヤマニ」(=様似川)の源流部に「アオイノホリ」という山が描かれています。これらの山と「アポイ岳」の関係は現時点では不明です。

北海道実測切図』では、前述の通り「アポイ岳」に相当する山名の記入は無く、東南麓に「アポイ」という川(=幌満川の支流)が存在することになっています。

「実測切図」の記録からは「アポイ」という川があり、そこから「アポイ岳」という山名に *転じた* ように読み取れます。『様似町史』にも「この山をアポイヌプリと改称する以前は、マチネシリと呼んだ」とあります。

戸口のあるところ?

要は「アポイ」は山の名前ではなく、東南麓の川か、あるいはその流域を指していたのではないか……と考えたくなります。ということで「アポイ」と記録された川のあたりの地形を眺めてみると……

なんと、ありがたいことに 2025 年 5 月時点のストリートビューが投稿されていました。これは……!


「またか」と言われそうですが、「アポイ」も apa-o-i で「戸口・ある・ところ」だったのでは無いでしょうか。下は毎度おなじみのチセ(家)の見取り図ですが、apa はチセに入るために設けられたクランク状の区画です。
幌満川を遡ると、支流「アポイ」のあたりで東から山が張り出していて、上流側を伺うことができません。外からチセの中を直接伺えないのと同じなので、このことを指して「戸口のあるところ」と呼んだのでは……という仮説です。

ややこしいことに、チセの真ん中には apeoy(炉)があるのですが、この apeoyape-o-i(火・ある・ところ)が転じたものとされます。つまり「アポイ」の先には「アペオイ」があっても不思議はないのですね。

「なんだ、結局『アポイ』は ape-o-i じゃないか」と言われたら……いやまぁ、それはそうなんですが……(汗)。

ピンネシリ

pinne-sir
男である・山
(旧地図に記載あり、既存説、類型あり)

2025年6月20日金曜日

夏こそラーメン (9) 「冷しラーメン」

山形駅前にやってきました。正面に見えるのが「ホテルメトロポリタン山形」ですが……
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これは北東側から山形駅を眺めたものです。ホテルの位置で一目瞭然ですが、明らかに右往左往していることがわかります。

2025年6月19日木曜日

夏こそラーメン (8) 「蔵王への近道」

山形蔵王 IC を出て、馬見ヶ崎まみがさき川を渡ったところで国道 286 号と合流です。
「蔵王への近道 西蔵王高原ライン」という案内があるのですが、よく見ると下に「普通車」と書いてあるように見えます。どうやら「西蔵王有料道路」の普通車料金を掲示していたらしいのですが……


「西蔵王高原ライン」こと「西蔵王有料道路」は 2016 年 4 月から無料開放されたため、「有料」と「300 円」の文字を消した結果、意味不明な「普通車」の文字だけが残った……というオチのようです。

ただ、2015 年のストリートビューを見るとちょっと妙なことになっていました(後ろにも珍妙なウサギの看板がありますが)。


「有料」の文字は残されたまま「300 円」の文字だけが消されています。これは 2014 年 4 月に消費税率が 5 % から 8 % に引き上げられたことにより、通行料金が 300 円から 310 円に変更されたことに伴うものかもしれません。

この時点で何故か「普通車」の文字だけが残った状態になったようですが、もともと 2016 年 8 月に無料開放する予定だったからか、敢えて「310 円」に修正しなかったのかもしれません(最終的には 2015 年 4 月 29 日から無料で走行可能になっていたとのこと)。

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ヒジョーにマンゾク

国道 286 号で山形駅方面に向かいます。良くある国道沿いの風景のようですが、よく見ると……何故か左右にコスモ石油があります。これはトーマス・ダニエルソンも非常に満足なのでは……?(古すぎる

2025年6月18日水曜日

夏こそラーメン (7) 「山形蔵王 PA」

山形自動車道で山形市内に向かっています。長さ 330 m の「宝沢ほうざわトンネル」を……
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……抜けた先は左カーブの高架橋です。対向車線との高さの差がびみょうにあるのも「山岳路線」の趣がありますね。

2025年6月17日火曜日

夏こそラーメン (6) 「緊急避難所」

山形自動車道の「笹谷トンネル」を西に向かい山形県に入りました。トンネルの中にも「関沢 IC」の案内が出ています。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 8 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

関沢 IC は笹谷トンネル出口のすぐ先にあるハーフ IC です。笹谷トンネルはもともと国道 286 号の改良として建設されたという経緯もあり、国道 286 号から笹谷トンネルに出入りするための IC という位置づけのようです。

2025年6月16日月曜日

夏こそラーメン (5) 「笹谷トンネル」

「山形自動車道」で山形に向かいます。「動物注意」の標識はおサルさんのイラストですね。
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山崎製パンが運営する「古関ふるせき PA」が近づいてきましたが……

2025年6月15日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (1245) 「オピラルカオマップ川・キリプネイ川・弁毛山」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
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オピラルカオマップ川

o-pitar-ka-oma-p?
河口・小石原・の上・そこに入る・もの(川)
(? = 旧地図に記載あり、独自説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
様似郡様似町を流れる「幌満川」の東支流で、「パンケ川」より上流側で幌満川に合流しています。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ヲヒラリヲマフ」とあり、『北海道実測切図』(1895 頃) には「オピラルカオマㇷ゚」と描かれています。

『午手控』(1858) には「ヲヒラリマフ」という記録と「ヲヒラリマフ」という記録があり、東蝦夷日誌 (1863-1867) には「ヲヒラリコマフ」と記されています。

河口・崖・高い・そこに入る・もの?

永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

O-pira ri omap   オピラ リ オマㇷ゚   高崖ノ處
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.285 より引用)
o-pira-ri-oma-p で「河口・崖・高い・そこに入る・もの(川)」では無いかとのこと。疑問点があるとすれば ri-pira ではなく pira-ri となっているところでしょうか。

永田地名解はどうやら「オピラリマㇷ゚」派だったようですが、現在の川名は「オピラルマップ川」で、どちらかと言えば「──コマフ」説に近いものになっています。

河口・崖・路・の上・そこに入る・もの?

北海道地名誌』(1975) には次のように記されていました。

 オピラルカオマップ川 幌満川上流の左支流。川口が崖路の上にある川の意。
(NHK 北海道本部・編『北海道地名誌』北海教育評論社 p.580 より引用)
これは o-pira-ru-ka-oma-p で「河口・崖・路・の上・そこに入る・もの(川)」ではないか……ということですね。妥当な解のように思えますが、よく考えると「崖・路・の上」というのが何なのか、今ひとつ見えてきません。

河口・崖・もう一方の部分・そこに入る・もの?

何か見落としがあるんじゃないか……と思って少し考えてみたのですが、o-pira-arke-oma-p で「河口・崖・もう一方の部分・そこに入る・もの(川)」と読めるかもしれません。

オピラルカオマップ川の河口の正面(真西)は比較的等高線が稠密になっている(=急斜面)のですが、河口の数百メートル東側も急な斜面があります。これを pira-arke で「もう一方の崖」と呼んだのでは……という可能性です。

河口・小石原・の上・そこに入る・もの?

ただ、もっと単純に o-pitar-ka-oma-p で「河口・小石原・の上・そこに入る・もの(川)」だったんじゃないかと考えています。「タ」と「ラ」を聞き違えるというのはありえない話では無いと思われるので……。

キリプネイ川

kerepnoye-i??
トリカブト・ところ
(?? = 旧地図に記載あり、独自説、類型未確認)

2025年6月14日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (1244) 「フチミ川・若櫛内・佐牛内」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

フチミ川

hutne-i??
狭くなる・ところ
(?? = 旧地図に記載あり、独自説、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
幌満ダム」のダム湖である「幌満湖」の東北端あたりに合流する東支流です。『北海道実測切図』(1895 頃) には「フッチミ」と描かれているようにも見えますが……いや、よく見ると北隣に「フッチミマウカクㇱュナイ」という川も描かれていますね。

「実測切図」には南から「フッチミ」「フッチミマウカクㇱュナイ」「ペサウンナイ」という東支流が描かれていて、北に向かうほど長い川として描かれているのですが、実際には「フッチミ」の位置に長い「フチミ川」が存在し、「ペサウンナイ」に相当する川は実在しません。「フッチミマウカクㇱュナイ」と「ペサウンナイ」は「フッチミ」の支流だった可能性もあるかもしれません。

「フッチミ」? 「フッチニ」?

『午手控』(1858) には「フチミ川」と思しき記録が記載されていました。前後関係を含めて抜粋しようかと思ったのですが、「オナルシベ川」と「オピラルカオマップ川」の間の地名をピックアップして表にまとめてみました。

午手控(p. 86)東西蝦夷山川地理
取調図 (1859)
北海道実測切図国土数値情報
ヲニナルシ
(左小川)
チニナルシオンナルシペッオナルシベ川
--チヤラセナイ-
フウレヒラ
(左)
フウレヒラ--
--フッチミフチミ川
フブケシャリ
(左小川)
---
ケーレヒ子
(右小川)
ケーレヒ子--
-フヽケ?シヤリ--
--フッチミマウカクㇱュナイ-
--ペサウンナイ-
トウクチチャ
(左小川)
トウクツチヤヽパンケトチキサㇷ゚パンケ川
ヲヒラリヲマフ
(右小川)
ヲヒラリヲマフオピラルカオマㇷ゚オピラルカオマップ川

なお表からは割愛しましたが、午手控には次のような記録もありました。

 アブイ(アポイ)小川
 ヲニナルシベ小川
 フッチニ小川
 高山うしろ右ヒホロ左ラッコ等え行よし也
(松浦武四郎・著 秋葉実・翻刻・編『松浦武四郎選集 六』北海道出版企画センター p.125 より引用)
この「フッチニ」は「フッチミ」の可能性が高そうですが、オピラルカオマップ川に相当する記録が無いため、厳密には不明です。

「フフシミ」?

また次のような記録もあったのですが……

 ホロマヘツ小川のよし
 フフシミ中川
 シヨナイ大川
 コルシ大川
 ワツカシヤクナイ中川
 ノバ中川
 ハンケニチ大川
 ヘルケニチ大川
 フウレヒラ
 ヲヒラリコマフ中川
(松浦武四郎・著 秋葉実・翻刻・編『松浦武四郎選集 六』北海道出版企画センター p.131 より引用)
この「フフシミ」が「フチミ川」のことであれば、「フチミ川」と「オピラルカオマップ川」の間にこれだけの川があったことになります。

ただよく見ると「ハンケニチ」「ヘンケニチ」「ノバ」「シヨナイ」「コルシ」「フウレヒラ」などは「オナルシベ川」よりも下流部の川名として記録されたものと類似しているため(詳細は『北海道実測切図』で確認できます)、この記録については「川名の順序が正確ではない(可能性が高い)」と判断できます。

しかしながら、これは「フフシミ」が現在の「フチミ川」のことであることを否定するものではありません。またいくつかの記録では「ケーレヒ子」という川が記録されているのですが、位置的には「フチミ川」のことである可能性があります。

「フッチニ」と「ケーレヒ子」

改めて「フチミ川」に限って表にしてみると、こんな感じになるでしょうか。

午手控 (1858)ケーレヒ子松浦武四郎選集 六 p. 86
午手控 (1858)フッチニ松浦武四郎選集 六 p. 125
午手控 (1858)フフシミ松浦武四郎選集 六 p. 130
東西蝦夷山川地理取調図 (1859)ケーレヒ子-
東蝦夷日誌 (1863-1867)ケーレヒネ新版 蝦夷日誌(上)p. 224
北海道実測切図 (1895 頃)フッチミ-
陸軍図 (1925 頃)フチミ澤-
国土数値情報フチミ川-

「フッチミ」の意味がどうにも掴めないので「ケーレヒ子」から攻めてみようかと思ったのですが、「ケーレヒ子」だとしても意味が良くわかりません。これ、もしかしたら「フーレピラ」の誤字である可能性もあるかもしれませんね。

「ケーレヒ子」、あるいはそれに類する記録があるのは『午手控』『東西蝦夷山川地理取調図』そして『東蝦夷日誌』ですが、いずれも「フウレヒラ」相当の記録と併記されています。これは「フウレヒラ」と「ケーレヒ子」が同一であると考えると矛盾する話ですが、誤字によって似て非なる地名が増殖したケースも過去にあったような気もするので……。

2025/06/15 追記:「ケーレヒ子」は幌満川上流部の東支流「キリプネイ川」のことだった可能性が高そうです。

また「フブケシャリ」あるいは「フヽチシヤリ」という川名が近くに存在するとの記録も気になります。「フチミ川」とは左右が逆なのですが、これは「ケーレヒ子」という謎の右河川の影響もあるかもしれません。

ということで、疑わしい記録は「フッチニ」「フフシミ」「フッチミ」「フブケシャリ」「フヽチシヤリ」あたりに収斂したでしょうか。

コーヒーブレイク

残念ながらこれらの記録には地名解が無いのですが、流石にちょっと疲れてきたので(ぉぃ)ここでちょっとコーヒーブレイクでも挟みましょうか。『北海道地名誌』(1975) にはこんな風に記されていました。

 フチミ沢 幌満ダム東岸に入る支流沢。旧称フプチミマオカクシュナイはアイヌ語「フㇷ゚(椴),チミ(押しわける),マオカ(横丁),クシュ(流れる),ナイ(沢)」で椴林を押し分けて流れる横丁の川の意という説があるが疑問。
(NHK 北海道本部・編『北海道地名誌』北海教育評論社 p.580 より引用)
これは……流石に更科さんも「疑問」としたようですね。「旧称フプチミマオカクシュナイ」とありますが、これは『北海道実測切図』に描かれていた「幻の川」の名前です。

「ダヴィドフの語彙集」から

となると本丸はやはり「フッチミ」なのですが、hup-chimi で「トドマツ・左右にかき分ける」と見るしか無いのでしょうか。いくらなんでもそんな珍妙な地名は無いだろう……と思ってしばらくあがいてみたのですが、なんとドブロトヴォールスキィの『アイヌ語・ロシア語辞典』(2022) に次のような記述が見つかりました。

Futsyni. Dav. 狭く.Mos. futsini(フチニ)あるいはfuttsune(フツツ子),狭い,窮屈な.
(寺田吉孝・安田節彦・訳『M.M.ドブロトヴォールスキィのアイヌ語・ロシア語辞典』共同文化社 p.781 より引用)
Dav. は「海軍大尉故ガヴリーラ・ダヴィドフが現地で集めた、サハリン半島南端に住む民族の言語の語彙集(Словарь нарѣчий народовъ, обитающихъ на южной оконечности полуострова Сахалина, собранный на мѣстѣ покойным Лейтенантомъ Γаврилою Давыдовымъ)」、通称「ダヴィドフの語彙集」とのこと。

「藻汐草」にも

Mos. はあの『藻汐草』(1804) で、『アイヌ語古語辞典』(2013) にも次のように記されていました。

  • フつツ子
 ①狭い ②狭い(フッネ)
(平山裕人『アイヌ語古語辞典』明石書店 p.324 より引用)

「狭くなるところ」では!

改めて『地名アイヌ語小辞典』(1956) を確認してみたところ……

hutne ふッネ 《完》 狭くアル(ナル)。(対→sep)
知里真志保『地名アイヌ語小辞典』北海道出版企画センター p.33 より引用)
あーっ……。改めて自らのポンコツぶりを再確認する羽目になりました。何もわざわざ「ダヴィドフの語彙集」に頼る必要はこれっぽっちも無かったわけで……(汗)。要は「フッチミ」ではなく hutne-i で「狭くなる・ところ」だったのでは……という話です。

「フチミ川」が「幌満川」に合流する地点は二股のようになっているのですが、圧倒的に幌満川側のほうが谷が広くなっています。「フチミ川」は「狭いほうの川」というスタンスの名前だったのではないかと考えられそうです。

若櫛内(読み不明)

wakka-ku-us-nay?
水・飲む・いつもする・川
(? = 旧地図に記載あり、独自説、類型あり)

2025年6月13日金曜日

夏こそラーメン (4) 「山形自動車道」

村田 JCT. で東北自動車道から流出して山形自動車道に入りました。いい加減タイトルをなんとかしないと……と思っているのですが……(汗)。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 8 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

村田 JCT. はカーブを緩やかにできる「準直結 Y 型」のジャンクションです。トランペット型の IC だと 270 度近く曲がり続ける場合もあるのですが、準直結 Y 型は深いカーブを必要としないのが嬉しいですね。

2025年6月12日木曜日

夏こそラーメン (3) 「東北自動車道」

仙台南 IC で東北自動車道に合流します。山の上に何やら妙なものが見えますが、これは団地(名取市側)の給水塔のようです。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 8 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

東北自動車道は 100 km/h、あるいはそれ以上で巡航できる区間もありますが、このあたりは 80 km/h 制限のようです。確かにカーブが多いので、この制限も已む無しですね。

2025年6月11日水曜日

夏こそラーメン (2) 「仙台南部道路」

仙台若林 JCT. から「仙台南部道路」に入りました。ここからは西に向かって走るので、逆光が凄まじいことに……。
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この先 車線減少 左によれ

今泉 IC を過ぎたところで、いきなり「車線減少」という残念なお知らせが。

2025年6月10日火曜日

夏こそラーメン (1) 「仙台東部道路」

何じゃこのトリップ名は……という話ですが、まぁそのうち明らかになります(ぉ)。仙台港フェリー埠頭からは、ささっと仙台東部道路の「仙台港北 IC」に向かいます。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 8 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

「JRA」のロゴ入り馬匹輸送車が仙台港にやってきたのですが、車輌の後部には……

2025年6月9日月曜日

太平洋フェリー「いしかり」特等室 乗船記(下船編)

2 号エレベーターで車輌甲板(4 デッキ)に戻ってきました。この先は車輌が行き交っているので、飛び出しを戒めるために足元には「とまれ」とペイントされています。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 8 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

「4 甲板」の文字の右側は可動式のスロープになっていますが、現時点では閉じられています。

2025年6月8日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (1243) 「オナルシベ川・パンケ川・ミキイナイ沢」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
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オナルシベ川

o-ninar-us-pet?
河口・川沿いの台地・ついている・川
(? = 旧地図で未確認、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
様似町東部を流れる「幌満川」の中流部にある「幌満ダム」のダム湖(幌満湖)に北西から合流する支流です。妙な名前だなぁ……と思ったのですが、『北海道実測切図』(1895 頃) には「オンナルシペッ」と描かれていて、また陸軍図には「雄鳴蘂オナルシベ」という地名が描かれていました。

「オンナルシペッ」は onne-ru-pes-pet で「老いた(長大な)・路・それに沿って下る・川」か……と思ったのですが、この川は「二冬山」三等三角点(標高 779.8 m)にまっすぐ向かっていて、峠道としての価値はそれほど高くなさそうにも見えます。

しかも「オナルシベ川」の西支流に「ルートラㇱュオンナルシペッ」という川があり、これが ru-turasi-onne-ru-pes-pet とすれば「路・それに沿って上る・{老いた・路・それに沿って下る・川}」となり、少々珍妙な感じになります(あり得ない形では無いのですが)。

「ニナル」だった

何か間違っているような気がしたので『東蝦夷日誌』(1863-1867) を見てみたのですが、そこには……

(向て)ヲニナルシ(左川)此處に鹿とる小屋あり。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編『新版 蝦夷日誌(上)』時事通信社 p.224 より引用)
あー、そういうことですか。o-ninar-us で「河口・川沿いの台地・ついている」と読めます。本来は o-ninar-us-pet で「河口・川沿いの台地・ついている・川」で、「オナルㇱペッ」が「オナルㇱペッ」と誤記されて、やがて「ン」も落ちて「雄鳴蘂オナルシベ」になった……というオチだと思われます。

『角川日本地名大辞典』(1987) にも次のように記されていました。

当地は昭和 16 年までは,オナルシベ(雄鳴蘂)と呼ばれ,アイヌ語で高原にある川の意。
(『角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)』角川書店 p.236 より引用)
やはり o-ninar-us-pet で間違い無さそうな感じですね。

改めて『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) を眺めてみたところ、(位置が少しおかしいものの)「ニナルシ」という川が描かれていました。カタカナだと「チ」と「ヲ」も良く誤記されますからね……。

パンケ川

panke-tukusis-yap?
川下側の・アメマス・陸に寄る
(? = 旧地図に記載あり、既存説、類型未確認)

2025年6月7日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (1242) 「幌満」

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幌満(ほろまん)

poro-oman-pet?
大きな・山の方へ行く・川
(? = 旧地図に記載あり、既存説に疑問あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
様似町東部、アポイ岳の東側を流れる川の名前で、河口部の地名です。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ホロマヘツ」という川が描かれています。

北海道実測切図』(1895 頃) には漢字で「幌滿」と描かれていますが、これはかつて「幌満村」が存在していたことを示しています(1868(明治元)年~1906(明治 39)年)。そして気になるのが、川の名前として「ホロマヘツ」ではなく「ポロㇱュマベッ」と描かれていることで……。これはちょっと嫌な予感がします。

「大きな・入れさせる・川」?

秦檍麿の『東蝦夷地名考』(1808) には次のように記されていました。

一 ホロマンベツ
 ホロヲマレベツなり。ホロは大、ヲマレは入なり。大入河と訳す。
(秦檍麿『東蝦夷地名考』草風館『アイヌ語地名資料集成』p.27 より引用)
poro-omare-pet で「大きな・入れさせる・川」となるのでしょうか。田村すず子さんの『アイヌ語沙流方言辞典』(1996) には oma-re で「……に位置する・させる」を意味する「他動使役」とあります。ただ、これだと poro-omare-pet は「ポロに置く川」になりそうで、文法的におかしいような気もします。

「岩窟・そこにある・川」?

上原熊次郎の『蝦夷地名考幷里程記』(1824) には次のように記されていました。

ポロマンベツ            休所番家有「川舟渡し」
  夷語ポルマベツなり。則、窟の在る川と譯す。扨、ポルとは窟の事。マとはヲマの略語にて、ある又は入ると申意。ベツとは川の事にて、此川の奥に窟の在故、地名になすといふ。
(上原熊次郎『蝦夷地名考幷里程記』草風館『アイヌ語地名資料集成』p.57 より引用)
poru-oma-pet で「岩窟・そこにある・川」となるでしょうか。違和感のない解ではあるのですが、本当に岩窟があったのか要確認でしょうか。

「水・多い・そこにある・川」??

『午手控』(1858) には次のように記されていました。

ホロマンヘツ
 極水勢よきによって号
(松浦武四郎・著 秋葉実・翻刻・編『松浦武四郎選集 六』北海道出版企画センター p.433 より引用)
これは「マン」をどう解したものでしょうか。wakka-poro-oma-pet であれば「水・多い・そこにある・川」となりそうで、あるいは poro-wakka-oma-pet という可能性もあるかもしれません。wakka が自明のことであるとして略された……と見れば良いのでしょうか。

「間・にある・川」???

また、東蝦夷日誌 (1863-1867) には次のように記されていました。

ポロマンベツ〔幌滿川〕本名ポロヲマベツにして、岩洞有川の儀、水源は洞中より流れ出るが故になづけし。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編『新版 蝦夷日誌(上)』時事通信社 p.223 より引用)
「本名ポロヲマベツ」とありますが、「岩洞」とあるので、これは poru-oma-pet で「岩窟・そこにある・川」と見るべきでしょうか。ただ別の解も記していて……

又此川口ふたつの高山の間に有故とも云り。またエミカトの説に、水勢急なるが故とも云。いずれが是ならん。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編『新版 蝦夷日誌(上)』時事通信社 p.223 より引用)
「二つの高山の間にある」というのは uturu-oma-pet あたりでしょうか。これだと「ポロヲマベツ」との違いが大きいので、あるいは別の表現があったのか……。「水勢が急」というのは地元のアイヌの説だったっぽい感じですね。

「大きな・岩・川」???

そして永田地名解 (1891) には……

Poro shuma pet   ポロ シュマ ペッ   大石川 後世「ポロマンベツ」ト云フハ非ナリ今幌滿別村ト稱ス
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.282 より引用)
嫌な予感がしていたのですが、やはりそうでしたか。これまでの記録を全否定して poro-suma-pet で「大きな・岩・川」という解をひねり出してきました。

確かに陸軍図には河口に大きな岩が描かれているので意味は通るのですが、何を根拠に suma を「発掘」してきたのかという点で疑問が残ります(「ポロマンベツ」の解釈が不明なので、それらしい解を「でっち上げた」可能性すら考えたくなります)。

諸説ありますが

更科源蔵さんの『アイヌ語地名解』(1982) には次のように記されていました。

ポロシュマ・ペッが正しければ大石川でよいが、ポロシュマがポロマンに変化するということはあり得ない。
(更科源蔵『更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解』みやま書房 p.87 より引用)
おっ、ズバっときましたね。

昔からポロマンと呼んでいたとすればポル・オマン・ペッで、洞窟に行く川と解することができる。日本流では洞窟から流れ出る川の意。
(更科源蔵『更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解』みやま書房 p.87 より引用)
poru-oman-pet で「岩窟・そこに行く・川」ではないかとのこと。上原熊次郎の解と同じですね。

山田秀三さんの旧著『北海道の川の名』(1971) には、次のように記されていました。

 松浦氏の Poru-oma-pet(洞・ある、に入る・川)が自然な感じである。なお、呼ばれてきた語形からいうならば、Poru-oman-pet(洞に・行く・川)だったかも知れない。
(山田秀三『北海道の川の名』モレウ・ライブラリー p.150 より引用)
永田方正が「違う、そうじゃない」として既存の解を全否定する「新説」を唱えたものの、結局それは受け入れられず……というお約束どおりの展開になってきました。道庁の「アイヌ語地名リスト」でも次のように評価されていました。

秦檍麿『東蝦夷地名考』(1808)poro-oman-pet大きい・行く・川
上原熊次郎『蝦夷地名考幷里程記』(1824)poru-oma-pet洞窟・ある・川
永田方正『北海道蝦夷語地名解』(1891)poro-suma-pet大きい・石・川

「○」は「条件に合致していると判定」で「-」は「情報不足等のため判断できない」とあります。やはり永田地名解は「それちょっとどうよ」という評価のようですね。

「大きな・山の方へ行く・川」?

ということなので、永田地名解の説は一旦見なかったことにして(ぉぃ)残りの二つの解を検討したいのですが、果たして洞穴はあったのでしょうか。洞穴が目立つところにあったというのであれば poru-oma-pet で「岩窟・そこにある・川」説が俄然有力になると思われるのですが、そうでないとすれば秦檍麿の poro-oman-pet 説に魅力を感じます。

oma ではなく oman なのがポイントで、『地名アイヌ語小辞典』(1956) を見てみると……

oman [複 paye] オまン《完》①行く。(対→ ek)②山の方へ行く。(対→ san)
知里真志保『地名アイヌ語小辞典』北海道出版企画センター p.75 より引用)
とあるので、poro-oman-pet は「大きな・山の方へ行く・川」と読めるかと思われます。実際に、このあたりの川の中では「幌満川」の流域の広さと奥深さは圧倒的なので、そのことを形容したもののように思われるのです。

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2025年6月6日金曜日

太平洋フェリー「いしかり」特等室 乗船記(謎のトナカイ編)

「いしかり」は仙台港フェリー埠頭に到着しました。最後に微速で岸壁にピッタリつけるという「大仕事」が残されていますが……
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 8 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

ボーディングブリッジが見えてきました。右舷接岸ということは名古屋港とは逆向きですね。

2025年6月5日木曜日

太平洋フェリー「いしかり」特等室 乗船記(仙台港入港編)

仙台港の防波堤が見えてきました。「いしかり」の仙台着は 16:40 なので、到着まであと 35 分ほどです。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 8 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

下船に備えて搭乗券を用意します。金額も出ちゃってますが、今にして思えばいちまんえん以上安いような気が……(汗)

2025年6月4日水曜日

太平洋フェリー「いしかり」特等室 乗船記(昼食編)

6 デッキにあるレストラン「サントリーニ」にやってきました。ランチタイムのレストラン営業時間は 12:00~13:30 です。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 8 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

レストランでの昼食は「大人 1,000 円」とのこと。ちなみに 2025 年 6 月現在は朝食と昼食が「大人 1,200 円」で、夕食は「大人 2,300 円」となっています。

2025年6月3日火曜日

太平洋フェリー「いしかり」特等室 乗船記(船内うろうろ編 ③)

(いつの間にか)お昼時ですが、もう少しだけ船内をウロウロします。「ショップコーナー」の向かいには「展望大浴場」があり、営業時間は「入港 30 分前まで」とあります。もしかして:24 時間営業なんでしょうか……?
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 8 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

「展望大浴場」の奥には「マッサージ機コーナー」があります。この一角は温泉ホテルみたいですね……。

2025年6月2日月曜日

太平洋フェリー「いしかり」特等室 乗船記(船内うろうろ編 ②)

「いしかり」の船内で新しい朝を迎えた……筈なのですが、何故か記録が一切ありません(汗)。完全に寝倒していた可能性が……。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 8 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

ということで、何故か昼からのスタートです。船だと寝ている間もしっかり距離を稼いでくれているので、本当にありがたいんですよね。

2025年6月1日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (1241) 「留崎・サヌシナイ川・チカプナイ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

留崎(るさき)

rusa-ki??
すだれ・茅
(?? = 旧地図に記載あり、既存説に疑問あり、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
幌泉郡えりも町と様似郡様似町の間を流れる「ニカンベツ川」の西、様似町側の地名です。ジェイ・アール北海道バスの日勝線にも「留崎」バス停があり、近くを「ルサキ川」が流れています。

北海道実測切図』(1895 頃) には「ルサキ」という川が描かれていました。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) にも海岸部の地名として「ルサキ」と描かれています。

『初航蝦夷日誌』(1850) には「ルサキ 砂浜」とあり、『竹四郎廻浦日記』(1856) にも「ルサキ 此辺崖の下砂利浜」とあります。『午手控』(1858) にも「ルサキ」とあるものの意味は「不知」とあり、『東蝦夷日誌』(1863-1867) には「ルサキ(岩岬)」とあります。

「魚笱」とは

永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Rusa ki   ルサ キ   魚笱 土人云「ルサキ」ハ魚笱ノ義ナリト一説ニ「ルサ」ハ草盆ナリ草盆ヲ作ル茅アルヲ以テ名ク
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.283 より引用)
コウ」は「やな」で、「竹を円筒状に編んで作った漁具」を意味するとのこと(出典)。

手元の資料を確認した限りでは、rusa に漁具という意味は見いだせなかったのですが、『アイヌ語方言辞典』(1964) によると樺太では「ござ」を意味し、また知里さんの『植物編』(1976) によると「すだれ」を意味するとのこと(幌別など)。どちらも竹で編んだ漁具では無いものの、ある程度の共通性?は見出せそうな感じですね。

「すだれ・茅」?

北海道地名誌』(1975) には次のように記されていました。

 ルサキ川 この町の東端近くで海に注ぐ小川。「ルサ」は煮魚や肉などをあげる萱で編んだ盆。「キ」は萱のこと。
(NHK 北海道本部・編『北海道地名誌』北海教育評論社 p.580 より引用)
知床の「ルサ」は ru-e-san-i で「路・そこで・浜の方に出る・ところ」だとされているので、似た地名である可能性も考えてみました。やや反則気味ですが「ニカンベツ川」沿いの道が浜に出るところと見ることもできる……かもしれませんが、どの記録も「ルサ」であって「ルサニ」では無いため、やはりこの考え方は無理がありそうにも思えます。

となるとやはり rusa-ki で「すだれ・茅」と見るべき……なのでしょうが、松浦武四郎が「ルサキベツ」や「ルサキナイ」ではなく「ルサキ」と記録している点がどうしても気になります。ru-e-san-i に類する地名だった可能性を捨てきれないんですよね……。

サヌシナイ川

san-us-nay?
山から浜へ出る・いつもする・川
(? = 旧地図に記載あり、独自説、類型あり)