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2026年10月15日木曜日

北東北の謎スポット巡り (4) 「『キリ看』の繁栄と衰退」

県道 113 号「五戸六戸線」で十和田湖方面に向かっていた筈なのですが、いつの間にか県道 113 号は北北西に向きを変えてしまいました。県道 113 号は、どうやらかつての国道 4 号(の一部区間)を引き継いだように見えます。
左側の花がとてもいい感じですが、画像検索によると「ノアサガオ」ではないかとのこと。ただ国立科学博物館の「琉球の植物データベース」によると「ノアサガオ」は(国内では)「紀伊半島・伊豆諸島・四国・九州・小笠原諸島」に分布するらしいので、青森に自生していることは無さそうですが、見た目はかなりそっくりですよね。

【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 8~9 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

五戸はには鉄道は通っていない(廃止されてしまった)ものの、国道 4 号が南北に縦断しています。かつてはもっと市街地に近いところを通っていたように見受けられますが、現在は市街地の西側を通っています。

2026年10月14日水曜日

北東北の謎スポット巡り (3) 「青森シャモロック」

五戸町石仏にやってきました。この「石仏」は「いしほとけ」と読むとのこと。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 8~9 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

六戸町に向かう県道 113 号「五戸六戸線」が分岐しています。青看板には「おいらせ町」ともありますが、これは県道 113 号から分岐する県道 119 号「五戸下田停車場線」の案内のようですね。

2026年10月13日火曜日

北東北の謎スポット巡り (2) 「亀の甲羅のような」

三戸郡五戸町にやってきました。足したら八戸ですね(足すな)。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 8~9 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

よく見たら水色の巨大なボトルのようなものが写っていたのですが、これは……


一体何なんでしょう。精米所とつながっているようにも見えますが……

いつの日か いつの日か

県道 15 号「橋向五戸線」はここから集落に入るからか、40 km/h 制限となりました。カーブもあるようですし、妥当な設定でしょうか。

2026年10月12日月曜日

「日本奥地紀行」を読む (195) 函館(函館市)~蓴菜沼(亀田郡七飯町) (1878/8/17(土))

イザベラ・バードの『日本奥地紀行』(原題 "Unbeaten Tracks in Japan")には、初版(完全版)と、いくつかのエピソードが削られた普及版が存在します。今日は引き続き普及版の「第三十五信」(初版では「第四十信」)を見ていきます。
この記事内の見出しは高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』(中央公論事業出版)の「初版からの省略版(普及版)の削除部分を示す対照表」の内容を元にしたものです。この対照表は、高梨謙吉訳『日本奥地紀行』(平凡社)および楠家重敏・橋本かほる・宮崎路子訳『バード 日本紀行』(雄松堂出版)の内容を元に作成されたものです。

日本人の親切

イザベラは、七重から蓴菜沼に向かう峠道を北に向かっていました(現在の国道 5 号は「大沼トンネル」で小沼の西に出ますが、当時は「大沼トンネル」は未開通だったため)。

 道中の大半は、ひどく嫌な道路であった。道路の両側は深く波形に凸凹で、真ん中は土を盛り上げたもので、さらに小馬で何百という籠に土を入れて持って来て高さを増してある。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.350 より引用)
「ひどく嫌な道路」というのは、原文では "most displeasing road" とある部分でしょうか。どうやらあまり状態の良くない道路だったようですね。イザベラはいずれこの道を通ることになるであろう馬車や荷馬車の心配をしながらも……

現状では、橋がたくさん壊れているから、この道路を通れるのは駄馬だけである。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.350 より引用)
馬は足が長いので、荷車がなければ多少の川なら越えられる……ということですね。

私は奥地へ酒を運んで行く馬の列を追い越した。北海道の人々はやたらと酒を飲み、貧しいアイヌ人も無茶苦茶に飲む。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.350 より引用)
「やたらと酒を飲む」「無茶苦茶に飲む」というのは……ちょっと気になりますね。

イザベラは、ここでちょっとしたミスをしてしまいます。馬から下りた際に馬の「鞍」が上下逆転してしまい、イザベラは鞍をもとに戻すことができなかったため、已む無く馬を引いて歩く羽目になってしまいます。

しばらくの間馬をひいて行くと、鹿皮を積んだ駄馬の列を連れて来る二人の日本人に会った。彼らは鞍を元通りに上げてくれたばかりでなく、私がまた馬に乗るとき鐙をおさえてくれ、そして私が立ち去るとき丁寧におじぎをした。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.350 より引用)
「鐙(あぶみ)」は乗馬の際に足を乗せる馬具とのこと。今風にいえばステップ兼フットレストと言ったところでしょうか。イザベラは通りすがりの二人組にピンチを救われたことになるのですが、当然のことながら、その心証はすこぶる良いものだったようです。

このように礼儀正しく心のやさしい人々に対し、誰でもきっと好感をもつにちがいない。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.350 より引用)
俗な表現で言えば「たすけあい」の精神ですが、気候や住環境が「ゆるくない」(楽ではない)場所では、より「たすけあい」の精神が具現化されることが多いような印象があります。お礼を述べたら「なんもなんも~」と笑って返してくれそうな感じ……?

森《噴火湾》にて

普及版の「第三十五信」は複数のロケーションで書かれたものの集合体となっています。ここからは「森《噴火湾》にて 月曜日」とあるので、1878/8/19(月) に森(森町)で記された内容……ということになりますね。日曜日はお休みだったということでしょうか。

 蓴菜沼(ジンサイノマ)でも、夕方暗くなると天国ではなくなる。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.351 より引用)
原文では「蓴菜沼(じゅんさいぬま)」は "Ginsainoma" とありました。それはそうと「天国ではなくなる」とは穏やかでは無いのですが……

あまり蚊が多いので、蚊に追い立てられるように早くベッドについた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.351 より引用)
……あ。これは確かに悪夢ですね。「地獄」という表現でもいいかもしれません。

この旅行で伊藤はたいそう上機嫌であった。私と同じように彼もまた北海道の自由な空気が好きなのである。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.351 より引用)
あ~。これは共感しか無いですね。ひたすら広くて開放感に溢れていて、しかも本州以南と比べると冷涼で空気もカラっとしているというのは、それだけでご機嫌になれるというものです。イザベラは「彼はまたずっと礼儀正しく愛想よくなっている」とも記していますが、伊藤にとっては「久しぶりの北海道」だったと考えられるので、然もありなん……ですね。

ただ伊藤がご機嫌だった理由は「久しぶりの北海道」だけでは無かったようで……

そして政庁の証文をたいそう誇りにして、それを手に持ちながら大いばりで旅館や駅亭に入って行く。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.351 より引用)
伊藤……。あんたって人は……。

イザベラは函館から蓴菜沼に向かう際に、伊藤も後に残して一人だけ「抜け駆け」して自分で宿の手配をしたことを(おそらく)ドヤ顔で語っていましたが、一方で……

私は彼が手筈を整えてくれたときが一番うまくゆくのである。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.351 より引用)
ツンデレですか……?(汗)

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2026年10月11日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (1447) 「日高幌内川・シュルク沢川・マッカウス沢川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

日高幌内川(ひだかほろないがわ)

poro-nay
大きな・川
(旧地図等に記載あり、既存説、類型多数)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
厚真町字幌内、厚幌ダムの 3 km ほど手前(海側)で南東から厚真川に合流する支流です。同じような名前の川があったような気がしたのですが、浦河町を流れるのは「日高幌別(・)川」でした。なお厚真町は日高ではなく胆振ですが、これは見なかったことに……。

『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「カヒウフト」(=頗美宇川の河口)よりも手前(海側)に「ホロナイ」という川が描かれていました。このあたりの「東西蝦夷──」は間違いが多そうな感じですね。


『北海道実測切図』(1895 頃) にはほぼ現在と同じ位置に「ホロナイ」と描かれていました。


戊午日誌 (1859-1863) 「安都摩日誌」には次のように記されていました。

扨またしばし川まゝ上り、此辺両岸ともに山岸也。
     ホロナイ
右の方小川。此辺に来るや川岸崩平多し。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.476 より引用)
「ホロナイ」が poro-nay で「大きな・川」なのは自明だからか、特に説明はありません。「小川」とありますが、「相応の川」でなければ「小川」という扱いなので、それほど不審では無いと判断します。

『北海道地名誌』(1975) には次のように記されていました。

 幌内沢 (ほろないざわ) 厚真川に出る直前チルク川に合する左支流の沢。アイヌ語で大事な川の意。鮭鱒が多く入ったからか。
(NHK 北海道本部・編『北海道地名誌』北海教育評論社 p.541 より引用)
poro を「魚が入る」故に「大切な川」とするのは更科さんの流儀ですね。比較的小さな poro や大きな pon を解釈する上での仮説の一つではありますが、広範に支持されているかと言われると疑問が残るでしょうか。

シュルク沢川

surku
トリカブトの根
(旧地図等に記載あり、既存説、類型あり)

2026年10月10日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (1446) 「ポップナイ沢・メナノ沢川・オコッコ沢川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

ポップナイ沢

pop-nay?
水の湧き上がる音・川
(? = 旧地図等に記載あり、既存説に疑問あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地理院地図によると、頗美宇(はびう)川の最上流部に「北海道ロイヤルゴルフ場」がある……ように描かれていますが、Google マップにはそれらしいスポットが無く、入口も閉鎖されているように見えます。

航空写真で見ても、ゴルフコースにしては荒れた感じがあるので、既に営業を終了して久しいのでしょうか(ググると 2011 年に破産申し立てとの情報が見つかりました)。

「ポップナイ沢」は、頗美宇川の東支流で、かつてのゴルフコースの北を流れています。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) にはそれらしい川名が見当たらず、『北海道実測切図』(1895 頃) にはそれらしい川が描かれているものの、川名の記入はありません。

ところが、意外なことに戊午日誌 (1859-1863) 「安都摩日誌」には次のように記されていました。

 また並びて
      ポツプナイ
 同じく右の方小川。此処水が地中より涌出よし也、依て号るとかや。ホツフは涌立と云儀のよし也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.473 より引用)
『地名アイヌ語小辞典』(1956) には pop は「擬声音,ポッポッと沸騰する音」や「水の湧き上る音」とあり、『アイヌ語沙流方言辞典』(1996) には pop は自動詞で「煮立つ」を意味するとあります。松浦武四郎も「ホツフは涌立と云儀のよし」と書いているので、認識に相違はなさそうです。

pop-nay で「煮立つ・川」ということになるでしょうか。温泉のようにも思えますが、地形図には温泉マークは見当たりません。ただ pop を「水の湧き上る音」と考えれば pop-nay は「水の湧き上がる音・川」となり、必ずしも温泉である必然性は無くなるのかもしれません。

もしかしたら元は po-pinnay で「小さな・谷川」あたりで、それが転訛して「ポップナイ」となり、それらしいストーリーが後付で用意された……という可能性もあるかもしれません。

ただ『北海道地名誌』(1975) には次のように記されているので……

 ホップナイ沢 頗美宇川上流左小沢。普通石油沢といっている。
(NHK 北海道本部・編『北海道地名誌』北海教育評論社 p.541 より引用)
何かがあった……としても不思議はない名前ではありますね。ただ「石油会社が所有する土地」を流れていたというオチの可能性もゼロではないので……。

メナノ沢川

mena?
上流の細い枝川
(? = 旧地図等に記載あり、既存説に疑問あり、類型あり)

2026年10月9日金曜日

北海道のアイヌ語地名 (1445) 「ヤチセ沢川・パンケ沢川・ペンケ沢川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

ヤチセ沢川

yachi(-un)-chis??
湿地(・にある)・丸い岩山
(?? = 旧地図等に記載あり、独自説、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
厚真町字富里(かつてのトニカ)から道道 1065 号「夕張厚真線」を 3.2 km ほど北に向かったところで北西から頗美宇(はびう)川に合流する支流です。

『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ヤツチセ」と「ヘンケヤツチセ」という川が描かれていました。


『北海道実測切図』(1895 頃) には「ヤッチセ」という川が描かれていました。


戊午日誌 (1859-1863) 「安都摩日誌」には次のように記されていました。

 また少し上に
      ヤツンチセ
 左りの方小川。是昔し土人等始て木の皮屋を立し処なりとかや。また並びて
      ヘンケヤツンチセ
 同じく左りの岸なり。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.473 より引用)
この「ヤツン」は、萱野さんの辞書にある「ヤㇻ」なのかもしれません。

ヤㇻ【yar】
 木の皮:狩小屋を建てる時,屋根とか囲いに使えるぐらいの広さや長さのあるものをいう.
(萱野茂『萱野茂のアイヌ語辞典』三省堂 p.450 より引用)
この yar は chise の前にあるので、「r は,ch の前でも,それに引かれて t になる」(知里真志保『アイヌ語入門』(1956) p.172)で yat に変化したと考えられます。yat-chise で「木の皮・小屋」と見て良さそうですが、いくつか引っかかる点もあります。

まず、松浦武四郎は「ヤツンチセ」と「ヘンケヤツンチセ」があると記録しています。これはどちらも川の名前だと考えられますが、地図を見た限りでは「ヤチセ沢川」と同規模の川は見当たりません。

記録された川名?は「ヤツンチセ」と「ヘンケヤツンチセ」なので、「ヤツンチセ」のほうが規模の大きな川だったと推測できますが、それにしても「ヤツンチセ」と「ヘンケヤツンチセ」の規模が違いすぎるのが気になるところです。

「ヤッチセ」ではなく「ヤツンチセ」

もう一つの疑問が、松浦武四郎は(『東西蝦夷山川地理取調図』を除けば)軒並み「ヤツンチセ」と記録している点です。「木の皮の小屋」という解釈は「ヤッチセ」であれば成り立つものの、「ヤツンチセ」を「木の皮の小屋」と考えるのは難しそうにも思えます。

「木の皮の小屋」以外の解釈が成り立たないか……と少し考えてみたのですが、yachi(-un)-chis で「湿地(・にある)・丸い岩山」とは考えられないでしょうか。yachi は和語の「谷地」からの移入語彙である可能性もありそうですが、『地名アイヌ語小辞典』(1956) 以外でも『アイヌ語沙流方言辞典』(1996) と『萱野茂のアイヌ語辞典』(2010) に存在を確認できます。

地形図を見てみると、「ヤチセ沢川」の河口付近には水田が広がっているので、かつては「ヤチ」だった可能性がありそうです。そして「ヤチセ沢川」の東には似た大きさの山が二つ並んでいるんですよね。

もっともこの場合、今度はなぜ「ハンケヤツンチセ」ではなく「ヤツンチセ」なのかという疑問が出てくるのですが、「ヤツンチセ」がいつしか山の名前ではなく川の名前に転じてしまった……とかでしょうか。

パンケ沢川

panke-us-or-ot-tu??
川下側・湾・の中・にある・岬(尾根)
(?? = 旧地図等に記載あり、独自説、類型未確認)

2026年10月8日木曜日

北東北の謎スポット巡り (1) 「八戸市内」

いつものことですが、突然新シリーズがスタートです。「八戸臨海鉄道」の踏切の先の交叉点を右折して青森県道 19 号「八戸百石線」に入ります。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 8~9 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

県道 19 号を北に向かいます。この県道は八戸の海側のメインストリートと言う位置づけなのか、片側 2 車線のよく整備された道です。

2026年10月7日水曜日

川崎近海汽船「シルバークィーン」特等室 乗船記(下船編)

「下部車両甲板」こと「3 甲板」に戻ってきました。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 8~9 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

「シルバークイーン」は 7:30 に八戸着の予定ですが、だいたい定刻っぽい感じでしょうか。外気温は 21 ℃と出ていますが、本州に戻ってきてしまったので、この先どうなりますやら……。

2026年10月6日火曜日

川崎近海汽船「シルバークィーン」特等室 乗船記(シンドラー編)

船室内にはデスクがあり、INFORMATION などが置かれています。「シルバークィーン」のロゴも実にいい感じなのですが……
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 8~9 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

デスクの前の壁には「明朝入港時に、お部屋の鍵の回収のため係員がお伺いする場合がございます」と貼られていました。

2026年10月5日月曜日

川崎近海汽船「シルバークィーン」特等室 乗船記(翌朝編)

「シルバークィーン」の部屋の話題をもう少しだけ続けます。この寝間着のデザインが好きすぎるので今回はトップで再登場です。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 8~9 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

ツインベッドの間にはビジネスホテルでおなじみのコンソールスイッチが置かれています。これはアラームもついている筈ですが……

2026年10月4日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (1444) 「紋別沢・頗美宇川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

紋別沢(もんべつ──?)

mo-pet
静かな・川
(旧地図等に記載あり、既存説、類型多数)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
厚真町字宇隆と字東和の間の分水嶺の頂上付近に「紋別沢」という名前の三等三角点が存在します(標高 158.1 m)。

三角点の読みについては「点の記」を参照すれば良いのですが、この三角点は「成果不良点」のため「点の記」を確認することができません。そのため、読み方は大きく間違ってないと思いますが「?」をつけています。

『北海道実測切図』(1895 頃) には、現在の「東和川」の位置に「モーペッ」と描かれていました。小川ローザでしょうか(違います)。


戊午日誌 (1859-1863) 「安都摩日誌」には次のように記されていました。

扨チケツヘより凡十丁も来りけるやいよいよ道わるくなり、過て
     フシコモウベツ
川巾五六間、あさし。此処昔しの川跡なりと。其川の口も末もなし。其名義古き遅流川のよし。また十丁も同じ木立原を行て
     アシリモウベツ
小川弐間計りの巾にて遅流。是モウヘツの新き川也と。其上に小さき水溜り有よし也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.467-468 より引用)
似て非なる「フシコモウベツ」と「アシリモウベツ」があったとのこと。両者の間は「十丁」とあるので、1 km ほど離れていた……ということになります。

『北海道実測切図』には「ウクル」と「モーペッ」の間に「ヒウノップ」という川を描いていて、しかもこの川は河口が無いように描かれているので、この川が松浦武四郎が記録した「フシコモウベツ」だった可能性があるかもしれません。

「モウベツ」の意味については「其名義古き遅流川のよし」とある通りで、mo-pet で「静かな・川」と見ていいかと思います。

頗美宇川(はびうかわ)

pa-pi-us??
頭(出崎)・引っ張る・いつもする
(?? = 旧地図等に記載あり、独自説、類型未確認)

2026年10月3日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (1443) 「オバウス沢川・姨失山・ケイナイ沢川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

オバウス沢川

o-pa-us-nay?
河口・川下・つけている・川
(? = 旧地図等に記載あり、独自説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
厚真町字宇隆の東で「ウクル川」に合流する支流です。川の北には「姨失」四等三角点があり(標高 157.7 m)、川の南東には「姨失山」一等三角点がありますが(標高 252.0 m)、現在はどちらも「成果不良点」のため「点の記」を確認することができません。

『北海道実測切図』(1895 頃) には「オパウシナイ」という名前の川が描かれていました。


戊午日誌 (1859-1863) 「安都摩日誌」には次のように記されていました。

 また少し上り
      ヲハユシナイ
 左りの方小川。本名はヲハウシチエホツナイと云よし。是魚を取り腸を切、此処の小屋に干置し処、煤にて黒く成りしと云儀なるとかや。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.467 より引用)
『地名アイヌ語小辞典』(1956) には「消炭」を意味する pas という語が立項されていますが、この「消炭」というのは「燃えかす」なのだそうです。魚なのか、それとも魚の腸なのかは不明ですが、小屋(の中)に干していたところ煤で黒くなった……というのは pas からの連想なのでしょうね。いかにも「取ってつけた感」のする地名解です。

素直に解釈すると o-pa-us-nay で「河口・川下・つけている・川」となりますが、「オバウス沢川」の下流部は比較的開けた地形で、川は谷の北西端(ウクル川の川下側)を通っています。このことを指して「河口が川下にある川」と呼んだのではないでしょうか。

姨失山(うばうし──)

o-pa-us-nay?
河口・川下・つけている・川
(? = 旧地図等に記載あり、独自説、類型あり)

2026年10月2日金曜日

北海道のアイヌ語地名 (1442) 「知決辺川・近悦府川・西仁達幌川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

知決辺川(ちけっぺがわ)

{chi-kep}-pe??
{かじられる}・もの
(?? = 旧地図等に記載あるが位置に疑問あり、独自説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
厚真川の北支流で、厚真の市街地(役場のあるあたり)の西を流れています。国土数値情報では何故か「近悦府川」の支流という扱いになっていますが、逆だとする資料もあるので、国土数値情報は間違いなのではと推測しています。

『北海道実測切図』(1895 頃) でも「厚真川」に合流するように描かれていました。


もっとも戊午日誌 (1859-1863) 「安都摩日誌」でも妙なことになっていて、「アツマ」の西岸小川に「チカユフ」があると記録していて、その先に「ニタホロ」があり、更にその先に「チケツヘ」があるとしています。ややこしい……というか、現在の川名と比較検討すると「めちゃくちゃ」に思えるというのが正直なところです。

とりあえず「チケツヘ」のあたりを引用すると……

またシイナイを越て行こと十二三丁、惣て此辺平山にて其処を
     チケツヘ
と云小川有。其名義は山にて榀を剥処と云よし。チは沢山の事也。ケツは榀の事、剝はへと((はぐところ))云よし也。此の沢昔しより榀皮よく有る故号とかや。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.465 より引用)
「榀」は「シナノキ」のことで、樹皮から取れる繊維は「オヒョウ(ニレ)」の代用品とも言えるものです(ただ手触りの良さなどはオヒョウのほうが上)。「シナノキ」は nipes と呼ばれるのが一般的ですが、厳密にはこれは「シナノキの樹皮」を意味する語で、「シナノキ」そのものは nipes-ni と呼ばれるようです。

知里さんの『植物編』(1976) には nipes のほかに kuperkep や kukerkep などの語も採録されていますが、どちらかと言えば道東(メナシクル)の語彙だったように見受けられます。千歳や穂別では nipes が使われていたようにもあるので、「ケツは榀の事」というのは疑問です。ke で「削る」「掻く」を意味するので、chi-ke で「我ら・削る」と考えた可能性がありそうですが……。

「チケッペ」を素直に解釈すると {chi-kep}-pe で「{かじられる}・もの」となりそうな気がします。松浦武四郎の記録と『北海道実測切図』の間の乖離が酷いことになっていて、現在の「知決辺川」が松浦武四郎の記録した「チケツヘ」であるかどうかも疑わしく思えます。

「かじられるもの」という解釈からは、現在の「知決辺川」ではなく下流側の崖を指しているようにも思えます。松浦武四郎も「惣て此辺平山にて」と記していますが、この「平山」は一般的な「平らな山」ではなく pira(崖)を指していた可能性があるので、本来の「チケツヘ」は厚真川沿いの崖を指していたのではないか……と考えたくなります。

近悦府川(ちかえっぷがわ)

{chi-kaye}-p??
{破れる}・もの(川)
(?? = 旧地図等に記載あるが位置に疑問あり、独自説、類型あり)

2026年10月1日木曜日

川崎近海汽船「シルバークィーン」特等室 乗船記(お部屋編の続き)

特等室「104 号室」にはツインベッド、テーブルとチェア(2 脚)のセット、そして扇風機(ぉぃ)の他にデスクもあります。
このアングルだと、部屋の片隅にちょこんと置かれているようにも見えます……というか、実際にそのとおりですね。デスクの上にノート PC を広げるスペースは無さそうにも思えますが、テーブルがあるのでそっちを使えばいいという説も。

【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 8~9 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

デスクには INFORMATION(船内案内)と電磁サーバー(湯沸かし器)などが置かれています。よく見るとデスクの右側(窓側)のテレビの下に茶櫃があったので、おそらく茶碗とティーバッグが入っていたのだと思います(見落とし)。