2026年9月23日水曜日

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「日本奥地紀行」を読む (194) 函館(函館市)~蓴菜沼(亀田郡七飯町) (1878/8/17(土))

 

イザベラ・バードの『日本奥地紀行』(原題 "Unbeaten Tracks in Japan")には、初版(完全版)と、いくつかのエピソードが削られた普及版が存在します。今日は引き続き普及版の「第三十五信」(初版では「第四十信」)を見ていきます。
この記事内の見出しは高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』(中央公論事業出版)の「初版からの省略版(普及版)の削除部分を示す対照表」の内容を元にしたものです。この対照表は、高梨謙吉訳『日本奥地紀行』(平凡社)および楠家重敏・橋本かほる・宮崎路子訳『バード 日本紀行』(雄松堂出版)の内容を元に作成されたものです。

「先頭馬」(続)

イザベラはリチャード・ユースデン領事が手配した「駄馬」について、「美しい馬」だが「怠け者」と記していました。

伊藤は荷物とともに後についてくるようにして、私は一人だけの騎馬旅行を楽しんだ。自分で好きな速度で進めるわけであったが、ゆっくりした並足と、前に言った重い足の早駆けとの間しか選べなかった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.348 より引用)
あ、伊藤が合流している……? いつの間に……?

 私は鹿の皮を積んだ馬の列に会ったり、酒や商品を積んだ馬の列に追いついたりしたが、どちらの場合も、交際好きな私の馬のために苦労した。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.349 より引用)
馬が「交際好き」というのも微笑ましい話ですが、原文では my sociably inclined animal となっていました。確かに「交際好き」っぽいですね(笑)。

「二つの村」とは

イザベラは「一人だけの騎馬旅行」の間も、ちゃっかりと「社会見学」を行っていたようで……

二つの村で私が見て面白いと思ったものは、小さな商店にあった黄燐マッチ、木綿の雨傘、編上げ靴、刷毛、柱時計、石板、鉛筆、枠に入った版画、石油ケロシンランプ、赤色や緑色の毛布であった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.349 より引用)
「二つの村」というのはどこだろう……と思ったのですが、どうやら函館と七重村(現在の七飯町)の間のように思われるので、(亀田村)桔梗と大中山村でしょうか……?

そして突然伊藤が出てきたのが謎だったのですが、これはどうやら時系列の問題だったっぽいです。イザベラは、8/17(土) のゴール地点となった「蓴菜沼」について記した後、8/17(土) の行程について語りだした……ということだったように思われます。もしかしたら伊藤は徒歩での移動だったために、結果としてイザベラの一人旅(のよう)になった……ということかも?

七重村、あるいはその近辺のどこかの村でイザベラが見かけて「面白い」と思ったものについてですが……

毛布だけは、まぎれもなく英国製品の再生毛織であったが、他は全部が外国製品の模造で、多少はうまくつくられていた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.349 より引用)
あははは(笑)。当時の日本には「知的財産」という考え方が存在しなかったのかもしれませんね。

なお「石油ケロシンランプ」については注記があり、「木造家屋で灯油を使用するのは、大火の新しい原因となっている」と記しています。「1879 年のクリスマスの前日に大火があり 1 万 1 千人が焼け出された」ともありますが、函館市の Web ページ「函館の大火史(説明)」によると 1879/12/6 に大火があったとのこと。

12/6 は「クリスマスの前日」では無いですが、日本で太陽暦が導入されたのは 1873 年なので太陰暦と太陽暦のズレという話でも無さそうです。原文には just before Christmas 1879 とあるだけなので、「クリスマスの直前」としたほうが良かったかもしれませんね。

「七重」と「七飯」

イザベラは、どうやら現在の国道 5 号に相当するルートを北上したように思われますが……

 山道を一五マイル登って行くと、七飯という整然とした洋風の村がりっぱな農作物に囲まれている。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.349 より引用)
重箱の隅をほじくり返すと(やめなさい)、1879 年に「重村」と「田村」が合併した際に「村」が誕生しています。イザベラが当地を旅したのは合併の一年前なので、ここは「七」ではなく「七」とするのが正解です。

我ながら粗探しだよなぁ……と思いつつ時岡敬子さんの訳を確認してみたところ……

一五マイル[二四キロ]山道を上ると、すばらしい農作物のまんなかにこぎれいな洋風の村、七重があります。
(イザベラ・バード/時岡敬子訳『イザベラ・バードの日本紀行 下』講談社 p.51 より引用)
うわっ、ちゃんと「七」になってる! すげえ! これは御本人がしっかり調べたうえで訳出されているのか、それとも編集者が優秀なのかはわからないですが、プロの仕事ですね……!

なおイザベラは for fifteen miles としていますが、函館駅から七町役場までは「函館新道」を通ったとしても 16.2 km しか無いみたいです。イザベラにしては珍しいうっかりミスか、あるいはそもそも地図が間違っていたのか……?

ここは政庁が新風土馴化その他の農事試験をしているところの一つである。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.349 より引用)
「新風土馴化」というのも面白い表現ですが、時岡敬子さんは「環境順応」と訳していました。原文では making acclimatisation でしょうか。

楽しい「騎馬旅行」

イザベラは七重(現在の七飯)の村を通り過ぎ、藤城から峠下のあたりにやってきたようです。

ここを過ぎると、だいぶ山中となり、険しい丘の頂上からは、紺色の海に島のように浮かぶ函館岬のすばらしい眺めが望まれる。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.349 より引用)
「函館岬」は「函館山」のことだと思われますが、原文には Hakodaté Head とあるのがそれでしょうか。

さらに高い丘の頂上から北を望むと、密林に囲まれた三つの美しい湖の上に、火山の裸で赤い山頂が聳えている。これらは赤色に染められた断崖であり、裸岩の露出である。緑一面の本土にいたとき私が見たいと憧れていたものである。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.349 より引用)
これは駒ヶ岳のことですね。現在の国道 5 号は「大沼トンネル」で「小沼」の南に出て、小沼の西を通って「蓴菜沼」に出ていますが、イザベラが旅した時には「大沼トンネル」は未開通で、幹線道路は「大沼トンネル」の手前から北(北北西)に向かっていました。「曲坂」四等三角点の北の峠からは蓴菜沼・小沼・大沼と駒ヶ岳が良く見えた筈です。

香りの漂う草木がしっとり露に濡れている沈黙の中を湖水の辺まで下りて行くのは、心地よいものであった。そこにあるのは、あの単調でしかも騒々しい灰色の村ではなくて、美しい環境に囲まれた一軒だけの変わった造りの家である。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.350 より引用)
イザベラは伊藤を置いてけぼりにして一人で馬上の旅を楽しんでいたので、いつも以上に上機嫌だったと想像されるのですが、イザベラが目にした景色もそれに応えていたかのように美しいものだったようですね。

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