2026年9月19日土曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1437) 「ポロクラ川・ポンタラ川・鬼武士」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

ポロクラ川

poro-kuma??
大きな・横山
(?? = 旧地図等で未確認、独自説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
むかわ町二宮(かつての仁立内)の北、入鹿別川ニタチナイ川の間を流れる川です。『北海道実測切図』(1895 頃) には一応川として描かれていますが、川名の記入がありません。


困ったことに、陸軍図でも川名が確認できませんでした(これは良くある話ですが)。なお川沿いには「幌倉」という三角点がありますが、こちらは「ほろくら」と読ませるとのこと。

裏付けとなる情報は無いものの、アイヌ語に由来する可能性がありそうな感じがします。赤平にも「幌倉川」という川があり、永田地名解 (1891) は poro-kura で「仕掛け弓を置く大川」としていますが、山田秀三さんはこれを ku-rar で「弓を・置く」としたのか……と想定していました(環境に優しいコピペ)。

むかわ町の「幌倉」あるいは「ポロクラ川」も ku(仕掛け弓)に関連する地名・川名である可能性がありますが、占冠村の「クラウンナイ川」と同様に別の可能性も考えたくなります。

「ポロクラ川」の上流部はいくつにも枝分かれしていて、まるで熊手のようにも見えるのですが、枝分かれした支流は「美別台」四等三角点(標高 99.1 m)が存在する山にぶつかっています。この山が(例によって)細長い「横山」のように見えるのですね。

面白いことに「ポロクラ川」は「美別台」三角点のある「横山」を突き破っているようにも見えます(旧・穂別町の「カイクマ川」ほど極端では無いですが……)。「ポロクラ」は poro-kuma で「大きな・横山」だったのでは無いでしょうか(-us-i あたりが略されたのかな、と)。

ポンタラ川

pon-kuma??
小さな・横山
(?? = 旧地図等で未確認、独自説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
「ポロクラ川」の支流で、「ポロクラ川」と「ニタチナイ川」の間を流れています。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) や『北海道実測切図』(1895 頃) には残念ながらそれらしい川が見当たりません。

「ポロクラ川」を遡ると、川の北側に「美別台」四等三角点が存在する「細長い山」(横山)があるのですが、川の南側にもやや規模の小さい「細長い山」が存在します。もともと poro-kuma(-us-i?)pon-kuma(-us-i?) だったのが、転訛や転記ミスが繰り返された結果、「ポン」が「ポン」に化けたのではないでしょうか。

「ポンタラ」は pon-kuma で「小さな・横山」だったのではないかな……と考えています。

鬼武士(おにぷし)

o-nup-us-i?
河口・野原・ついている・もの(川)
(? = 旧地図等に記載あり、独自説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
「激おこ川」として知られる「入鹿別川」を遡った先の山の頂上付近に「鬼武士」という名前の三等三角点(標高 293.3 m)が存在します。厚真町とむかわ町の境界線上に存在することになっているのですが、「基準点成果等閲覧サービス」では「厚真町」側だけでヒットするようです。

北海道実測切図』(1895 頃) には、現在の「入鹿別川」の最上流部が「オニプシ」となっていました。


「オニプシ」を素直に解釈すると o-nip-us-i あたりでしょうか。nip という語は『地名アイヌ語小辞典』(1956) にも立項されているのですが……

nip, -i にㇷ゚ 柄
知里真志保『地名アイヌ語小辞典』北海道出版企画センター p.66 より引用)
ルビが無いので「?」となりますが、この「柄」は「つか」のことで、『アイヌ語千歳方言辞典』(1995) によると「刀などの柄。取っ手。」とあります。『地名アイヌ語小辞典』に記載があるということは、それらしい地名が存在する可能性が高いということになりますが、正直なところ、具体的なイメージが良く掴めないです。

「入鹿別川」(かつての「オニプシ」)の北には kuma と呼ぶべき「細長い山」(横山)が広がっています。これを刀に見立てたのか……とも思ったのですが、刀ではなく「柄」なのが謎なんですよね。

nip ではなく ni-pu で「林・倉」と見ることも可能ではあります。o-{ni-pu}-us-i で「河口・{林の倉}・ついている・もの(川)」となるでしょうか。

ただ、そう都合よく倉があったか……という疑問も出てきます。もっとシンプルに o-nup-us-i で「河口・野原・ついている・もの(川)」だったんじゃないでしょうか。地形図を見てみると、この川の河口あたりで複数の支流がまとめて合流していて、谷の幅が一気に広くなっています。このことを形容したネーミングだったんじゃないかと……。

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