2026年9月11日金曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1433) 「クテクンナイ川・シム川・パンケシュル川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

クテクンナイ川

kutek-un-nay
仕掛け弓を仕掛ける木・ある・川
(旧地図等に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
道央道・占冠 IC の 0.6 km ほど北で鵡川に合流する支流ですが、地理院地図には川名の記入がありません(川名は国土数値情報による)。

北海道実測切図』(1895 頃) には「クテクウンナイ」と描かれています。


地名アイヌ語小辞典』(1956) には kuttek で「黒々としている;黒くなる」とあります。知里さんは、これは元々 kur-tek で「影・みたいである」だったのではと考えていたようです。

ただ kuttek であれば -un で承けるのは奇妙なので、kuttek ではなく kutek で「仕掛け弓を仕掛ける木」と考えるべきでしょうか。となると kutek-un-nay で「仕掛け弓を仕掛ける木・ある・川」となりそうですね。

更科源蔵さんの『アイヌ語地名解』(1982) にも次のように記されていました。

 クテクンナイ川
 占冠市街トマム川の左の小川、鹿垣のある沢の意。
(更科源蔵『更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解』みやま書房 p.124 より引用)
あー、やはりそうなりますよね。

占冠村の中心部(占冠村中央)から道道 136 号「夕張新得線」を西に進んだところに「クラウンナイ川」があり、これは「クテクンナイ」の誤記かもしれない……と考えたのですが、ほぼ同名の川が占冠村中央のすぐ北を流れていたとなると、「クラウンナイ」が「クテクンナイ」の誤記である可能性は下がるかもしれません。

シム川

si-{muka}?
主たる(本流の)・{鵡川}
(? = 旧地図等に記載あり、独自説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
JR 石勝線・占冠駅から 1.2 km ほど北、道東道・占冠 PA(千歳方面)の南で鵡川に合流する東支流です。

北海道実測切図』(1895 頃) ではちょっと奇妙なことになっていて、現在の「鵡川」のところに「トマム」とあり、「シム川」のところに「ムカワ」と描かれています。よく見ると現在の占冠駅のあたりにも「トマム」と描かれていて、このあたりでは「鵡川」が「トマム」と認識されていたようにも見えます。


山田秀三さんの『北海道の地名』(1994) には次のように記されていました。

トマム
 明治の地図には, 今の占冠村中央市街の処でソーウシペッとトマム川が分かれているように書いた。つまりトマムを鵡川源流の名としたのであったが,トマムは占冠市街から本流を7,8キロ上った辺の地名だったようである。
(山田秀三『北海道の地名』草風館 p.374 より引用)
なるほど。確かにありそうな話ですね。ただ、そうなると現在の「シム川」の位置に「ムカワ」とあるのが「鵡川」のことなのか、それとも「鵡川」とは全く無関係の川なのかが今ひとつわからなくなってきます。まぁ、常識的に考えれば無関係と言うことはあり得ないだろう……とは思うのですが。

肝心の「鵡川」の意味が諸説あるので断定が難しいのですが、「シム川」という川名は si-{muka} で「主たる(本流の)・{鵡川}」と見ていいのではないかと思います。

そもそも「占冠」という地名(村名)自体が si-{muka}-p ではないかとも考えられるので、{muka} の解釈が重要になるのですが、『萱野茂のアイヌ語辞典』(2010) には「シシㇼムカ」の項に si-sir-mu-ka で「本当に・あたり・つまる,塞がる・させる」とありました。

これはこれで sir の解釈が難しいのですが(陸とか大地とか山とか?)、mu-ka で「塞がる・させる」というのは違和感のない解釈です。

何故 mu-ka ではなく mu-ka-p なのかという疑問が出てきますが、本来の名前が mu-ka-p(塞がる・させる・もの(川))で、大きく著名な川であるが故に -p が省かれるようになった……ということかもしれません。

パンケシュル川

panke-si-hur?
川下側・大きな・丘
(? = 旧地図等に記載あり、独自説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
「シム川」の 300 m ほど北、道東道・占冠 PA(千歳方面)の西あたりで鵡川に合流する西支流です。『北海道実測切図』(1895 頃) には「パンケシュル」と描かれています。


「シウリザクラ」専門?

山田秀三さんの『北海道の地名』(1994) には次のように記されていました。

パンケ,ペンケはいうまでもなく下の,上のであるが,シュルに相当する言葉が見当たらない。
(山田秀三『北海道の地名』草風館 p.374 より引用)
確かに『地名アイヌ語小辞典』(1956) などには、それらしい語が見当たらないように思えます。

平賀さだも媼は「ほんとうはシウリという処だ。シウリの木が専門に生えていた山だ」と語られた。
(山田秀三『北海道の地名』草風館 p.374 より引用)
ふむふむ。siwri であれば「シウリ」あるいは「シウリザクラ」と辞書類にもあります。植物の存在が地名となるからには、それなりの理由(利用価値など)がある場合が多いのですが……

シウリ(siuri)は日本語でも「しゆうり」で,「みやまいぬざくら」ともいう。槍や銛の柄や弓などに使った。
(山田秀三『北海道の地名』草風館 p.374 より引用)
なるほど、さすがは山田さん。その辺りはしっかり押さえてきますね。Wikipedia の「シウリザクラ」の項にも「山地の川沿いや谷間などに生育する。北海道に多く、土地が肥え水分に恵まれた場所に多い」とあり、これも特に矛盾は無さそうに思えます。

「占冠村史」には

ということで、一点の曇りも無さそうな解にも思えますが、敢えてケチをつけるならば(やめなさい)当地に「シウリザクラ」が自生している(していた)か記載が無いところでしょうか。

『占冠村史』には「パンケシユル」は Panke shuruk で「下のトリカブトのある沢」だとあります。surku は地名にも頻出する語彙なので、むしろ「シウリザクラ」よりも蓋然性は高そうですが、surku の「ク」の音が伝わっていないという点で少々微妙な感じもします。

また、『占冠村史』には 1910(明治 43)年時点の植生について、「パンケシユルは平地にヤチダモ、アカダモ、ハンノキ、センノキ、クハ、カツラ、オヒヤウ等、丘地はイタヤ、シナノキ、トドマツ、エゾマツ、ヤチダモ等生じ両地共ササ、フキ、ナナツバ等生ず」と記しています。これを見る限り「シウリザクラ」が自生していたとは書かれていないのですが、ケチをつけた甲斐があったと言うものです。

「大きな丘」なのでは?

難癖をつけるには対案もあったほうが良いのですが、「シュル」は siwri でも surku でも無く、si-hur で「大きな・丘」だった可能性は無いでしょうか。

JR 石勝線の「東占冠信号場」の北で「ペンケシュル川」が「鵡川」に合流しているのですが、河口付近が四角い扇状地(?)になっているように見えるのですね。これを「大きな丘」と呼んだのではないかと。

となると「パンケシュル川」にも類似した地形が必要になってくるのですが、割とお誂向きな感じで「静岡」という場所があります。サイズ的にはどちらも似通った感じではないかと……。

ということで、「パンケシュル川」は panke-si-hur で「川下側・大きな・丘」ではないかと考えてみました。

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