2026年8月30日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1429) 「朱丸布・ラケシウマナイ沢川・ニニウ」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

朱丸布(しゅまるぷ)

penke-suma-rupne-nay?
川上側・岩・大きい・川
(? = 旧地図等に記載あり、独自説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
鵡川の南東、「滝の沢川」とその支流を遡った先の町村境になっている山の頂上付近に「朱丸布」という名前の四等三角点が存在します(標高 476.5 m)。

これまで「シュマルプネナイ」という川は何度か出てきて、しかも松浦武四郎が記録(聞き書き)した川の位置と『北海道実測切図』(1895 頃) に描かれた川の位置が全然違っていたりして頭を抱えていたので「またか」という気持ちですが……。

北海道実測切図』には、現在の「滝の沢川」に相当しそうな位置に「ペンケシュマルㇷ゚子ナイ」と描かれていました。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) にも「ヘンケシユ?マルフ子」と描かれていますね。


これまでの「シュマルㇷ゚子ナイ」での流儀と同様に penke-suma-rupne-nay で「川上側・岩・大きい・川」と見て良いのかなと思わせます。

ラケシウマナイ沢川

o-kes-oma-p?
河口・末端・そこにある・もの(川)
(? = 旧地図等に記載あり、独自説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
JR 石勝線の「清風山信号場」の下を流れる川で、道東自動車道の「穂別トンネル」の東側出口のすぐ側を流れています。

北海道実測切図』(1895 頃) には……あ。これ、きっと「ケㇱュオマㇷ゚」ですよね……(汗)。


「清風山信号場」のあるあたりはやや高台になっているようにも見えるので、o-kes-oma-p で「河口・末端・そこにある・もの(川)」と考えて良いのではないでしょうか。

ニニウ

niti-us??
あの串・ある
(?? = 旧地図等に記載あり、独自説、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
「ラケシウマナイ沢川」の北東を「パンケニニウ川」と「ペンケニニウ川」が流れていて、河口周辺の一帯が「占冠村ニニウ」です。JR 石勝線には「第二ニニウトンネル」もあるみたいです。

道東自動車道の「占冠トンネル」の北には「新入峠」という三等三角点が存在しますが(標高 696.7 m)、これは「ににうとうげ」と読むとのこと。また「仁々宇」や「仁丹生」、「丹生」と言った表記も使われていたようです。

戊午日誌 (1859-1863) 「武加和日誌」には次のように記されていました。

また少し上りて
     ニ ヽ ウ
左りの方小川。此川筋桃花魚うぐいを焼て干置しと云事のよし也。またしばし過て両岸峨々たる絶壁有、山惣て峻し。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.596 より引用)
この後に「モトツ」の項が続いているため、松浦武四郎はインフォーマントから混乱した情報を聞き取ったのだろう……と思っていたのですが、どうやら「モトツ」の位置を間違えていた、あるいは「モトツ」が複数存在していた可能性がありそうに思えてきました。

別の言い方をすれば、この記録はそこそこ信が置けそうだ……ということになるのですが、「ニニウ」をどう解釈すれば「ウグイを焼いて干した」となるのかは若干謎です。

「樹木の多いところ」?

永田地名解 (1891) には「ニニウ」は記載されていなかったでしょうか(見落としていたらすいません)。『北海道地名誌』(1975) には次のように記されていたのですが……。

 パンケニニウ川 ニニウの下流で右から鵡川に入る小川。川下にあるニニウ川の意。アイヌ語でニニウの意味不明。
(NHK 北海道本部・編『北海道地名誌』北海教育評論社 p.347 より引用)
一方で、更科さんの『アイヌ語地名解』(1982) には次のように記されていました。

 ニニウ
 ニニウ川が鵡川に入るあたりの土地をそうよぶ、もとはニニウ川から出た地名でニニウは樹木の多いところという。
(更科源蔵『更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解』みやま書房 p.124 より引用)
これは ni-ni-us で「木・木・多くある」ということでしょうか。『角川日本地名大辞典』(1987) は出典こそ明記していないものの、この解を正しいと見ているようです。

「あの『串』のあるところ」?

ただ、地形図を眺めていてちょっと気になる点を見つけました。他ならぬ「仁々宇」四等三角点なのですが(標高 340.6 m)、大昔の河川争奪の跡なのか、随分と珍妙な形をした(高さ 5~60 m ほどの)山があるのです。この特徴的な地形をランドマーク(地名)として活用しない筈が無い……というのは流石に言い過ぎかもしれませんが。

規模こそ違えど、どことなく三石の「蓬萊山」のような趣のある地形です。そして松浦武四郎は「魚を焼いた」という話を記録しています。となると nit で「」だった可能性は出てこないかな、と。

「魚焼串」を意味する imanit という語があります。これは i-ma-nit で「もの・焼く・串」と分解できるとのこと。nit の所属形は niti なので、ニニウのあたりを niti-us で「あの串・ある」と呼んだ可能性は無かったかなぁ、と。「ニチウ」がいつしか訛って「ニニウ」になった……とか……?

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