2026年8月22日土曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1425) 「乳牛内・ニタカイ沢川・島呂布沢川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

乳牛内(ちうしない)

chis-us-nay??
中凹み・ついている・川
(?? = 旧地図等に記載あり、独自説、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
「ニタカイ沢川」の川向かい、鵡川の西の山の頂上付近に「乳牛内」という名前の三等三角点が存在します(標高 472.3 m)。

「乳牛内」を「ちうしない」と読ませるのは傑作ですが、いかにもアイヌ語に由来しそうな名前です。『北海道実測切図』(1895 頃) を見てみると、案の定「チシュシナイ」という川が描かれていました。「乳牛内」三角点の南麓を流れる川のようですが、地理院地図や国土数値情報には見当たりません。


戊午日誌 (1859-1863) 「武加和日誌」にも記録が無さそうに思えます(見落としていたらすいません)。

「チシュシナイ」は chis-us-nay だと思われるのですが、chis には複数の解釈があります。例によって『地名アイヌ語小辞典』(1956) を引用しますと……

chis, -i ちㇱ ①立岩。②【ナヨロ】岩石の坊主山;丸い岩山。③中凹み。
知里真志保『地名アイヌ語小辞典』北海道出版企画センター p.20 より引用)
「立岩」かもしれないし「中凹み」かもしれない……と言った感じです。改めて地形図を見てみると、「乳牛内」三角点の南東にも山が聳えていて、両者の間が ok-chis(うなじの中凹み)のようになっています。ということで、chis-us-nay は「中凹み・ついている・川」だった可能性があるかもしれないなぁ……と思わせます。

もっとも物は言いようで、三角点の南東にある山が「丸い岩山」で、その横を流れているから chis-us-nay だった可能性もあります。無理に特定の意味に固定しないほうが良いのかもしれませんね。

ニタカイ沢川

ninar-kay??
台地・折れる
(?? = 旧地図等に記載あり、独自説、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
鵡川の東支流で、むかわ町穂別安住の北東、ペンケシケレベ沢川の北を流れています。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ニタツイ」と描かれていますが、『戊午日誌』(1859-1863) には「ニタカイ」とあるので、誤記の可能性がありそうです。『北海道実測切図』(1895 頃) には「ニタカイ」と描かれています。


戊午日誌「武加和日誌」には次のように記されていました。

また少し上りて
     ニタカイ
右の方小川。此名義はむかしは樹木がよかりしが、近頃大風にて皆倒れしによつて此名有りしと。此処より上は舟上りがたしと。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.594 より引用)※ 原文ママ
うーむ……。ni が「木」なのは理解できますが、その後が……えーと。ni-ta-kay であれば「木・そこに・折れる」あたりでしょうか。

ただ、他の可能性も考えてみたくなります。「ニタ」で真っ先に思い浮かぶのが nitat で、これは「湿地」や「やち」を意味します。

鵡川の流域には何故か「カイ」のつく地名が多い印象があります。ここまで見た中では「カイカウニ沢川」と「カイクマ川」が思い出されるのですが、「ニタカイ沢川」もそれと同系である可能性も考えたくなります。

より具体的には、「大風で木が折れた」というアクシデントではなく、地形的な特徴を形容した地名だった可能性を考えてみたいです。松浦武四郎が記録した「ニタカイ」の位置が現在の「ニタカイ沢川」と同一であれば……という留保が必要になりますが、「ニタカイ沢川」は川沿いの台地を切り裂いているようにも見えるのですね。

となると nitat-kay ではなく ninar-kay で「台地・折れる」だったのではないか……と考えたくなります。「ニナカイ」が「ニカイ」に転訛したんじゃないかなぁ……という想像です。

島呂布沢川(しまろっぷさわがわ)

suma-rupne-nay?
岩・大きい・川
(? = 旧地図等に記載あるが位置に疑問あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
鵡川の西支流で、「乳牛内」三角点の北を流れています。『北海道実測切図』(1895 頃) には「シュマルㇷ゚子ナイ」と描かれています。


戊午日誌 (1859-1863) 「武加和日誌」には次のように記されていました。

またしばし上に
     シユマルフ子ナイ
右の方相応の川。此川両岸峨々として川中大岩簇々と立並び有故に号る也。シユマは岩の事、ルフ子はごろごろ有る儀なり。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.594 より引用)
どうやら suma-rupne-nay と見て良さそうですね。『地名アイヌ語小辞典』(1956) は rupne を「大きくアル(ナル)」としていますが、『アイヌ語沙流方言辞典』(1996) には「大粒である」とも書かれていました。「岩・大きい・川」と見て良さそうな感じです。

位置に重大な疑義が

地名解は割とすんなりと片付いた感があるのですが、問題は『戊午日誌』の記載内容です。現在の「島呂布沢川」は鵡川の「西支流」であるにもかかわらず、戊午日誌は「右の方」と記しています(「西支流」ならば「左りの方」となる筈)。

戊午日誌の「シユマルフ子ナイ」は「チク」と「ニタカイ」の間の「右の方相応の川」としています。「チク」と「ニタカイ」は「右の方小川」なので、「シユマルフ子ナイ」は「チク」や「ニタカイ」よりも大きな川だったということになります。

これは「チク」と「ニタカイ」のどちらか、あるいは双方が現在の位置とは異なる可能性が高いことを意味するので、両者の地名解にも重大な影響を及ぼすのですが……。

ただ、よく見るとこのあたりの記録は「聞き書き」らしいので、勘違いや誤りが含まれていた、と見ることも可能かもしれません(少なくとも「チクニナイ」と「ニタカイ」は『北海道実測切図』でも現在の位置に描かれているので)。

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