2026年8月11日火曜日

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「日本奥地紀行」を読む (191) 函館(函館市) (1878/8/16(金))

 

イザベラ・バードの『日本奥地紀行』(原題 "Unbeaten Tracks in Japan")には、初版(完全版)と、いくつかのエピソードが削られた普及版が存在します。今日は引き続き普及版の「第三十四信」(初版では「第三十九信」)を見ていきます。
この記事内の見出しは高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』(中央公論事業出版)の「初版からの省略版(普及版)の削除部分を示す対照表」の内容を元にしたものです。この対照表は、高梨謙吉訳『日本奥地紀行』(平凡社)および楠家重敏・橋本かほる・宮崎路子訳『バード 日本紀行』(雄松堂出版)の内容を元に作成されたものです。

盆祭り

ユースデン(イギリス領事)夫妻と刑務所の見学に出かけたイザベラは、その日の夜に「the Bon festival」に繰り出しました。

 これは日本の大きなお祭りの一つ「提灯の祝祭」で、これは中国から 8 世紀に導入されたものですが、もともとの目的はまかった霊に仏教の煉獄[地獄]からの解放を手に入れさせることだったのです。
(高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』中央公論事業出版 p.144 より引用)
思わず「へぇ~」と口走りたくなる内容ですね。今の時期が「お盆」だということは大抵の人が知っているかと思いますが、「お盆の目的」については認識していない人が多いのではないでしょうか。

既に「お盆」が単なる「夏祭り」に変容しつつあることはイザベラも認識していたようで、次のように記していました。

お墓に食べ物を供えることは、まだやっています。しかし、祭りの主な形は、国民の祭日で、酒が豊富に振舞われ、何千という提灯が灯され、一般に大祭に似ています。
(高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』中央公論事業出版 p.144 より引用)

祝日の大群衆

イザベラとユースデン夫妻(だと思われる)は夜の 9 時頃に「盆祭り」に繰り出したとのこと。遅い時間にもかかわらず、通りには夜店が立ち並びとても明るく照らされていたとのこと。

きらびやかな着物を着て、風変わりに髪を結った子どもたちは、すべての小店に立ち止まり買い物をします。
(高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』中央公論事業出版 p.145 より引用)
「きらびやかな着物」というのは浴衣のことでしょうか。「風変わりに髪を結った」というのは若干謎ですが、いわゆる「日本髪」のことでしょうか……?

太鼓の音、鐘、ドラ、弦楽器が騒々しい不協和音を鳴らしています。
(高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』中央公論事業出版 p.145 より引用)
イザベラは日本の「音楽」に対して殊のほか批判的で、日光の「金谷家」でもご主人のことを「神社での不協和音(雅楽)演奏の指揮者である」と記していました。まぁ西洋音楽に慣れ親しんだイザベラにとってはそのように感じられた(そのようにしか感じられなかった)というのは理解できなくもないのですが……。

「盆祭り」は祖先の御霊に安息を与えるためのものなので、墓地とそこに続く参道?が舞台となっているのですが、そこに無数の提灯が吊るされているのを目にしたイザベラは「すべてが美しく、すばらしい」と記しています。

神道の鏡のある小さな仏教寺院には、きらびやかに纏った僧が、数え切れないほどの提灯の柔らかい光の真ん中に照らされた祭壇の前に膝をおっています。
(高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』中央公論事業出版 p.145 より引用)
「神道の鏡のある仏教寺院」とは……? 原文でも In a small Buddhist temple with a Shintô mirror とありますが、これは何のことでしょう?

 墓地の入り口には、15 本の木製の柱があり、それぞれに一体の神様の名前が刻まれています。それぞれの標柱に車[マニ車]が付いています。
(高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』中央公論事業出版 p.145 より引用)
マニ車」は「摩尼車」とも表記され、本来はチベット仏教の仏具です。それが何故函館に……という疑問が湧いてきます。Wikipedia には「マニ車」とは性質を異にする「輪蔵」についての言及もあるのですが……

その車を 1 回廻すとその神様にお祈りをしたのと同じ効果があります。
(高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』中央公論事業出版 p.145 より引用)
この説明を見る限り、これは明らかに「マニ車」ですよね。残念なことに、イザベラはこれ以上「マニ車」に深入りすること無く、その後は「盆祭り」についての詳細を記していました。「盆祭り」は、イザベラの目には概ね「美しい光景」として写ったようです。

日本奥地紀行「普及版」の第三十四信では、イザベラが「小シーベルト」の旅行が「失敗に終わる」と予言したあと、「日本の医者」「函館病院」「刑務所」「刑務所の快適さ」「菊の栽培」そして「盆祭り」「祝日の大群衆」がまるまるカットされています。ただ締めの一節だけは「普及版」でもちゃんと残されていました。

 明日私は長い間計画してきた旅行に出発したいと思う。私は経験をつんだ旅行家の自信をもって、一人で計画してきた。私はこの旅行を非常に楽しみにしている。原住民を訪れることは、きっと新奇で興味ある経験に満ちたものとなるであろうから。これから長い間、さようなら。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.344 より引用)
大変長らくお待たせしました。ようやく(ついに)、イザベラの「蝦夷紀行」がスタートする……ということですね!

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