2026年8月29日土曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1428) 「オコタン橋・モトツ・チユンオマナイ沢川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

オコタン橋

o-u-ko-tamke-p??
河口・互い・に・あわせる・もの
(?? = 旧地図等に記載あり、独自説、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
国道 274 号の「モトツトンネル」の手前で「パンケモトツ沢川」を横断する橋の名前です。橋の 2 km ほど西には「王古丹」という名前の三等三角点も存在します(標高 532.3 m)。この「王古丹」三角点は「点の記」によると「ふうこたん」と読ませる……ように見えるのですが、もしかしたら「ヲ」を「フ」と誤読した……?

北海道実測切図』(1895 頃) には「パンケハッタラウシ」(=バッタラウシ沢川)の北隣に「オウコタㇺケㇷ゚」と描かれていました。


これは……。てっきり o-kotan あたりかと思っていたのですが、どうやら違うような気がしてきました。kep は「ひたい」や「ふち」を意味する名詞で、また「かじる」を意味する不完動詞でもあるのですが、「オウコタㇺ」との繋がりが良く見えてきません。

なんとなく(自分にとっては)未知の動詞が絡んでいるのではないか……という感覚があったので辞書類を当たってみたのですが、『アイヌ語沙流方言辞典』(1996) によると kotamke で「……に……をおまけにつける」を意味するとのこと。

更に『萱野茂のアイヌ語辞典』(2010) によると、なんと「ウコタㇺケ」で「あわせて」を意味するとのこと(!)。

▷ウ=互いに コ=に対して タㇺケ=あわせる
テエタ エチ・エソウㇰテ イチェン タント エチ・エソウㇰテ ㇷ゚ ウコタㇺケ 1万円 ネナー=以前あなたに貸した金,今日貸したものとあわせて1万円だよ.
萱野茂『萱野茂のアイヌ語辞典』三省堂 p.105 より引用)
インフレの到来とともに金利上昇の機運があるので、金利の扱いが気になるところです(どうでもいいのでは)。

「実測切図」に描かれた「オウコタㇺケㇷ゚」を素直に解釈すると、o-u-ko-tamke-p で「河口・互い・に・あわせる・もの」となるでしょうか。「興部」などに代表される o-u-kot(河口・互いに・くっついている)系の地名(川名)がありますが、それの亜流かもしれません。

この「オウコタㇺケㇷ゚」は国道 274 号の巨大な S 字カーブの西側を流れているように思われるのですが、実際には「実測切図」とは異なり「バッタラウシ沢川」の河口近くで合流しているようにも見えます。そのことを形容したネーミングの可能性もありそうです。

モトツ

motot?
背骨
(? = 旧地図等に記載あり、既存説に疑問あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
国道 274 号に「モトツトンネル」というトンネルがあります。このトンネルの南西側には「オコタン橋」があり「パンケモトツ沢川」を横断しています。またトンネルの北東側の覆道は「ペンケモトツ沢川」の源流付近に存在します。

明治以降に「モトツ」という地名が存在したかどうかは確認できていませんが、川名として現存し、またトンネルの名前にもなっているので、便宜的に「モトツ」で立項しています。

北海道実測切図』(1895 頃) には現在の「パンケモトツ沢川」の位置に「パンケモトツ」と描かれていました。「ペンケモトツ沢川」についても同様に「ペンケモトツ」と描かれています。


戊午日誌 (1859-1863) 「武加和日誌」には次のように記されていました。

此ニセイケを一つこへて
     モ ト ツ
右の方、此処にて昔し鹿の背骨を拾ひしと云儀のよし也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.596 より引用)
貴重な記録ですが問題もあります。この川?は「ヲロルフナイ」(=オロロップ沢川)と「クーカルウシナイ」(=クーカルス沢川)よりも後に記録されていて、これは実際の川の順序に準拠しています。ところがよく見ると「ニヽウ」の直後に記されていて、これは現在の地名(の位置)とは合致しません。

「背骨」という地名の是非

このあたりの戊午日誌「武加和日誌」の記録は聞き書きということもあり、後の『北海道実測切図』とはかなり多くの異同があります。ただ「実測切図」に描かれた位置が正しいとも限らないような気もするので、細かいことは気にしないほうが良いかもしれません。

戊午日誌の記録を見る限りでは「モトツ」が川なのか判然としませんが、『午手控』(1858) には「モトツ小川」とあるので、川だった……ということでしょうか。

松浦武四郎は「モトツ」は「昔鹿の背骨を拾ったから」と記していますが、実は「背骨」を意味する motot という語があります。以前は「地名に『背骨』は無いだろう」と思って切り捨てていたのですが、白糠の「戻辺川」のように motot と考えたくなる地名も存在するので、ここは素直に「背骨」と考えるべきだと思えてきました。

人体系(?)の地名として有名なものに ok-chis根室落石、紋別市落石町など)がありますが、これは「ぼんのくぼ」を意味し、地形では山の鞍部を指すとされます。「ぼんのくぼ」の先には後頭部があり、反対側には背骨がある筈ですが、「パンケモトツ沢川」と「ペンケモトツ沢川」の間にもお誂向き?の「ぼんのくぼ」があるように見えます。

「ぼんのくぼ」(=鞍部)に続く山のどちらを「背骨」に見立てたのかは不明ですが、「パンケモトツ沢川」の北の山がちょっと特徴的な形をしているので、これが「背骨」だった可能性もあるかもしれないなぁ……と感じています。

チユンオマナイ沢川

sa-kus-nutap-kes-oma-nay?
海側・横切る・川の湾曲内の土地・末端・そこにある・川
(? = 旧地図等に記載あり、独自説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
むかわ町穂別福山から道道 610 号「占冠穂別線」を北に向かうと、「小倉橋」で「チユンオマナイ沢川」を横断しています(現在は通行止なので占冠側から向かう必要があるかもしれません)。

北海道実測切図』(1895 頃) には「サユシヌタㇷ゚クㇱェオマナイ」という川が描かれていました。「チユンオマナイ」とは随分と異なる印象ですが、「サユシ」が「チユン」に化けて「ヌタプクㇱェ」が消え去った……あたりでしょうか。


「サユシ」というのも意味不明ですが、san-us であれば「坂・ついている」と解釈できるでしょうか。ただ「サシ」が「サシ」の誤字である可能性も考えたいところです。「サクシ」であれば札幌の「サクシュコトニ川」と似た感じの川名ということになります。

ただその場合、sa-kus-nutap-kus-oma-nay ということになるのですが、これはどう考えても変です。そもそも kus-oma があり得ないような気がするので、sa-kus-nutap-kes-oma-nay で「海側・横切る・川の湾曲内の土地・末端・そこにある・川」と考えるべきでしょうか。

sa-kus-nutap-kus-oma-nay を敢えてカタカナ表記すれば「サクㇱヌタㇷ゚クショマナイ」あたりになるでしょうか。nutap-kus を省けば「サクショマナイ」あたりになろうかと思われますが、これが「チユンオマナイ沢川」になるというのは……難易度高いですよね。

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