2026年8月15日土曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1422) 「尋内・幌去川・オソスケナイ川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

尋内(たんねない)

tanne-nay
長い・川
(旧地図等に記載あり、既存説、類型多数)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
むかわ町穂別平丘は巨大な扇状地のような地形なのですが(故に「平丘」でしょうか)、扇状地の東側に山があり、その頂上付近に「尋内」という名前の三等三角点が存在します(標高 315.7 m)。

三角点なので、まずは「点の記」で読み方を確認して……と思ったのですが、なんと「尋内」で「たんねない」と読むとのこと(!)。どこからどう考えても tanne-nay で「長い・川」ですよねこれ……(汗)。

北海道実測切図』(1895 頃) には、山の東側に「シータン子ナイ」と「モタン子ナイ」が描かれていました(現在の道道 131 号「平取穂別線」のあたり)。「シータン子ナイ」は現在の「幌去川」の支流(名称不明)に相当しそうに思えます。


なお「シータン子ナイ」と「モタン子ナイ」は「パンケオㇱョキナイ」に合流後、道道 610 号「占冠穂別線」の「富内橋」の近くで鵡川に合流することになるのですが、これらの川名が軒並み失われているのは不思議な感じもしますね。

幌去川(ほろさりがわ)

poro-sar?
大きな・葭原
(? = 旧地図等で未確認、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
鵡川の南支流で、平取町幌毛志の近くの道道 131 号「平取穂別線」沿いを流れています。『北海道実測切図』(1895 頃) では「パンケオㇱョキナイ」と描かれていました。


『北海道実測切図』を眺めてもどこにも「幌去」に相当する川名が見当たらない……と思ったのですが、よく見たら川を遡って分水嶺を越えた先がかつての幌去村でした。

峠を越えた先の地名を川名に借用するのはアイヌ語地名でもちょくちょく見られます。たとえば現在の幌加内母子里のあたり(雨竜川流域)に「テセウルペㇱュペ」という川がありましたが、この「テセウ」は「天塩」のことだと考えられます。

また「テセウルペㇱュペ」から(現在の「名母トンネル」に相当するルートで)山を越えた先には「ペンケウリリルペシュペ」という川がありましたが、この「ウリリ」は「雨竜」のことだと思われます。

「パンケオㇱョキナイ」も、これらの川と同じ考え方で「峠の先の地名」から借用した「幌去川」に変わった……ということのようですが、これは図らずも「川名に実用性を求めるのはアイヌに限った話ではない」ということを示しているようにも思われます。

アイヌ語地名にも「峠道」や「鞍部」を指すものがいくつもあるのですが、当時そういった呼び方がされなかったのは、鵡川から沙流川中流域に出る際のメインルートとして現在の「ルベシベ沢川」が優勢だったから……かもしれません。

「アイヌの峠道」の特徴としては、
  • とにかく短距離
  • 勾配は考慮しない(但し危険な崖などは回避する)
という原則があるように思えます。原則として「車馬の利用は考慮しない」ために、明治以降に廃れたルートも少なくありません。

現在の道道 131 号「平取穂別線」のルートは、かつて国鉄富内線も通っていたルートで、比較的勾配が緩やかである反面、鵡川から沙流川中流域に出る場合は(富内を経由するために)やや遠回りとなります。そのためアイヌがこのルートを選択することは余り無かったのかもしれませんね。

「幌去」はかつての「幌去村」のことで、意味するところは poro-sar で「大きな・葭原」と考えていいかと思われます。

オソスケナイ川

o-soske-i?
河口・崩れている・もの(川)
(? = 旧地図等に記載あり、既存説に疑問あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
鵡川の支流で、むかわ町穂別安住ほべつあずみのあたりを流れています。『北海道実測切図』(1895 頃) には「ペンケオㇱョキナイ」と描かれていました。どうやら現在の「パンケオㇱョキナイ」(現在の「幌去川」)とセットとして認識されていたようです。


戊午日誌 (1859-1863) 「武加和日誌」には次のように記されていました。

またしばし過て
     ヲソツケイ
右の方相応の川也。其名義は奥に滝多きよりして号しとかや。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.593 より引用)
これは厳密には(『北海道実測切図』の)「パンケオㇱョキナイ」のことです。o-so-hotke-i であれば「河口・滝・寝る・もの(川)」と読めそうでしょうか。自分の理解では「奥に」とは読めないのですが……。

永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

O sotke-i     オ ソッケイ     川尻崩レタル處
Penke-o sotke-i  ペンケオ ソッケイ  上ノ川尻崩レタル處
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.213 より引用)
永田方正も松浦武四郎と同じく、現在の「幌去川」に相当する川を「オソッケイ」として、現在の「オソスケナイ川」は「ペンケオソッケイ」としています。o-soske-i で「河口・崩れている・もの(川)」と言ったところでしょうか。妥当な解のように思えます。

ちょっと気になっているのが、倶知安に「ソウスケ川」があり、これは sotki で「寝床」だったのではないかと考えられる点です。

もっとも「オソスケナイ川」は o- を冠していると見られるので、o-sotki-i であれば「河口・寝床・ところ(川)」となってしまい文法的に破綻しそうなので、とりあえずはスルーの方向でしょうか……。

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