2026年9月25日金曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1439) 「周文・軽舞」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

周文(しゅうぶん)

supun
ウグイ
(旧地図等に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
厚真町字上厚真(かつて北海道鉄道金山線の「上厚真(かみあづま)駅」のあったところです)には厚真川を横断する道道 287 号「厚真浜厚真停車場線」の「上厚真(かみあつま)大橋」があり、厚真川の東には町立上厚真小学校があります。

小学校の裏山に「周文」という名前の三等三角点が存在するのですが(標高 21.0 m)、フェリーターミナルのある苫小牧東港「周文埠頭」のほうが有名かもしれませんね。

上厚真小学校から周文埠頭までは 6 km ほど離れています(もっと離れている印象があったのですが、意外と近い?)。『北海道実測切図』(1895 頃) にはちょうど中間地点あたり(「厚真川台」四等三角点のあるあたり)に「ペンケシュプン」と「パンケシュプン」という川が描かれていました。


戊午日誌 (1859-1863) 「安都摩日誌」には次のように記されていました。

また同じく蘆荻岸を上ること凡十七八丁も上りて
     シユブン
小川也。巾二三間、遅流にしてふかし。此上もまた谷地に成水わろしと。依て桃花魚より外には何も不レ入る故に此名有るなり。シユフンは桃花魚の事也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.458 より引用)
「凡十七八丁」は約 2 km 弱なので、松浦武四郎が記録した「シュブン」が「パンケシュブン」だったか「ペンケシュブン」だったかは……ちょっとなんとも言えません(どちらも誤差の範囲に見える)。

ただ「シュブン」が supun で「ウグイ」だったと言うのは、とりあえず肯定的に見ていいのではないかと思われます。

軽舞(かるまい)

oika-ru-oma-i??
越える・道・そこにある・ところ
(?? = 旧地図等に記載あり、独自説、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
道道 287 号の「上厚真(かみあつま)大橋」のすぐ南で、東から「軽舞川」が厚真川に合流しています。軽舞川沿いを道道 924 号「富野軽舞線」で東北東に進むと「軽舞神社」や「軽舞郵便局」があり、このあたりが厚真町字軽舞のようです。

『北海道実測切図』(1895 頃) では少々妙なことになっていて、「ノヤサロペッ」(野安部川?)の支流として「ハソマイ」という川が描かれていて、位置的にはこの「ハソマイ」が「軽舞川」に *近い* ようにも思われますが……。


「軽舞」と「老軽舞」

ところが、更科源蔵さんの『アイヌ語地名解』(1982) には次のように記されていました。

 老軽舞(おいかるまい)
 厚真町の地名。オイカルは葛のこと、オマイはそれのある所という意味で、今軽舞と改正。
(更科源蔵『更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解』みやま書房 p.74 より引用)
どうやら元々は「老軽舞」だったとのこと。ただ『北海道実測切図』には、現在の「軽舞川」周辺にそれらしい地名・川名が見当たりません。

さらに不思議なことに、戊午日誌 (1859-1863) 「安都摩日誌」には次のように記されていました。

然し是はさし置、川順を志るし置に、トンニカの向岸なるナユケホチの上なる処には
     ヲイカラナイ
小山の下に有。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.470-471 より引用)
これがどうやら「老軽舞」らしいのですが、『北海道実測切図』には現在の厚真町字吉野のあたりに「オイカルマイ」と描かれていました。現在の「軽舞川」河口から「オイカルマイ」までは、ざっくり 15~6 km ほど離れていたことになります。

陸軍図では更に奇妙なことになっていました。かつての「オイカルマイ」のあたりは「西老輕舞」とあり、対岸(南側)には「東老輕舞」とあるのですが、現在の「軽舞川」流域にも「輕舞」と描かれています。


『角川日本地名大辞典』(1987) の「軽舞」の項には、次のように記されていました。

もとは厚真村の一部,ウクル・カルマイ・軽舞・カルマヰ・カルマイ原野・当麻内・野安部(のやすべ)・ノヤスベ・周文(しゆぶん)・ノヤシベなど。
(『角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)』角川書店 p.422 より引用)
面白いことに、かつての「オイカルマイ」(現在の厚真町字吉野)のあたりは含まれていません。更科さんは「老軽舞」が「軽舞」に改められたとしましたが、『角川日本地名大辞典』を見る限りでは疑問が残ります。

ただ続きがあり……

地名は,アイヌ語のオイカルオマイに由来するといい,「クズの蔓のある所」の上略形とされる(続厚真の旧地名を尋ねて)
(『角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)』角川書店 p.422 より引用)
うーん、これはどう見ても「老軽舞」のことですよね。かつての「老軽舞」は現在の厚真町字吉野ですが、「吉野」の項には……

地名は,地内にある桜を吉野桜と称していたことにちなみ命名したという(厚真町の字名由来)。かつて老軽舞と称された地域で,老軽舞はアイヌ語のオイカロマイに由来するといい,「クズのある所」の意(厚真村のアイヌ語地名解/厚真村史)
(『角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)』角川書店 p.1596-1597 より引用)
やはり「オイカルマイ」が「老軽舞」と表記されるようになり、やがて「吉野」に転じた……というのは間違いなさそうです。「軽舞」は「老軽舞」からのスピンオフ(?)である可能性が仄めかされているものの、残念ながら決定的な記録にはたどり着けていません。

「イラクサ」か「葛」か

とりあえず「軽舞」が「老軽舞」に由来するとしての話ですが、戊午日誌「安都摩日誌」には次のように記されていました。

ヲイカラとは蕁麻の事也。此草西部にてはアイと云也。是多く有るよりして号しものなり。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.471 より引用)
「ヲイカラとは蕁麻の事」とあり、別名を「アイ」と言う……としています。ay あるいは hay は確かに「イラクサ」のことですが、更科さんは「オイカルは葛のこと」と記しています。知里さんの『植物編』(1976) にも oykar は「クズ」を意味するとあります。

oykar ではなく oika-ru ?

ただ……かつての「老軽舞」の地形を見ると、oykar ではなく oika-ru で「越える・路」だったのではと思えて仕方がありません。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
かつての「トンニカ」あるいは「トニカ」(現在の厚真町字富里)から厚真の中心街に出る際に、この山を越えてかつての「近悦府」(現在の厚真町字桜丘)に抜けていた可能性がありそうにも思えます(見た感じ距離は殆ど変わらないものの、厚真川沿いの崖下を通らずに済むので)。oika-ru-oma-i で「越える・道・そこにある・ところ」だったのではないでしょうか。

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