2026年10月2日金曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1442) 「知決辺川・近悦府川・西仁達幌川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

知決辺川(ちけっぺがわ)

{chi-kep}-pe??
{かじられる}・もの
(?? = 旧地図等に記載あるが位置に疑問あり、独自説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
厚真川の北支流で、厚真の市街地(役場のあるあたり)の西を流れています。国土数値情報では何故か「近悦府川」の支流という扱いになっていますが、逆だとする資料もあるので、国土数値情報は間違いなのではと推測しています。

『北海道実測切図』(1895 頃) でも「厚真川」に合流するように描かれていました。


もっとも戊午日誌 (1859-1863) 「安都摩日誌」でも妙なことになっていて、「アツマ」の西岸小川に「チカユフ」があると記録していて、その先に「ニタホロ」があり、更にその先に「チケツヘ」があるとしています。ややこしい……というか、現在の川名と比較検討すると「めちゃくちゃ」に思えるというのが正直なところです。

とりあえず「チケツヘ」のあたりを引用すると……

またシイナイを越て行こと十二三丁、惣て此辺平山にて其処を
     チケツヘ
と云小川有。其名義は山にて榀を剥処と云よし。チは沢山の事也。ケツは榀の事、剝はへと((はぐところ))云よし也。此の沢昔しより榀皮よく有る故号とかや。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.465 より引用)
「榀」は「シナノキ」のことで、樹皮から取れる繊維は「オヒョウ(ニレ)」の代用品とも言えるものです(ただ手触りの良さなどはオヒョウのほうが上)。「シナノキ」は nipes と呼ばれるのが一般的ですが、厳密にはこれは「シナノキの樹皮」を意味する語で、「シナノキ」そのものは nipes-ni と呼ばれるようです。

知里さんの『植物編』(1976) には nipes のほかに kuperkep や kukerkep などの語も採録されていますが、どちらかと言えば道東(メナシクル)の語彙だったように見受けられます。千歳や穂別では nipes が使われていたようにもあるので、「ケツは榀の事」というのは疑問です。ke で「削る」「掻く」を意味するので、chi-ke で「我ら・削る」と考えた可能性がありそうですが……。

「チケッペ」を素直に解釈すると {chi-kep}-pe で「{かじられる}・もの」となりそうな気がします。松浦武四郎の記録と『北海道実測切図』の間の乖離が酷いことになっていて、現在の「知決辺川」が松浦武四郎の記録した「チケツヘ」であるかどうかも疑わしく思えます。

「かじられるもの」という解釈からは、現在の「知決辺川」ではなく下流側の崖を指しているようにも思えます。松浦武四郎も「惣て此辺平山にて」と記していますが、この「平山」は一般的な「平らな山」ではなく pira(崖)を指していた可能性があるので、本来の「チケツヘ」は厚真川沿いの崖を指していたのではないか……と考えたくなります。

近悦府川(ちかえっぷがわ)

{chi-kaye}-p??
{破れる}・もの(川)
(?? = 旧地図等に記載あるが位置に疑問あり、独自説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
「知決辺川」を 1.5 km ほど遡ったところで東から合流する支流です。厚真川から見た場合は「支流の支流」ということになりますね。

『北海道実測切図』(1895 頃) には「ツカヨップ」と描かれていて、湿原の中を流れているように描かれています。


戊午日誌 (1859-1863) 「安都摩日誌」には次のように記されていました。

扨此処(ノヤシベ)の向岸に当り、是は川口は不レ見しが
     チカユフ
西岸小川也。此西岸は皆平地にて、樹((雑))木立原也。名義本名はイカユフと云よし。昔し神の矢筒を此処え納め置しと云り。イカユフは矢筒の事也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.463 より引用)
一応こういった記録があるものの、この川は「ノヤシベの向岸」にあるとしています。「ノヤシベ」は「野安部川」のことですが、当時は現在の「軽舞川」下流部も「ノヤシベ」でした。この「チカユフ」は現在の「ラフナイ川」の位置に近そうで、どう考えても「近悦府川」のことでは無さそうなんですよね。

「イカユフは矢筒の事也」とありますが、ikayop で「矢筒」を意味するとのこと。ただ地名としては明らかに珍妙なので、「駄洒落」の可能性がありそうに思えます。

「チカユフ」あるいは「ツカヨップ」を素直に解釈するなら chi-kaye-p あたりの可能性は考えられないでしょうか。{chi-kaye}-p で「{破れる}・もの(川)」となるのですが、砂や泥などで塞がれた流路を自ら突き破る川だったのでは……との想像です。

湿地帯を流れる川の名前としてはあっても不思議はないものだと思うのですが、現在の「ラフナイ川」の名前だったとしても違和感がないのがちょっと気になるところです。

西仁達幌川(にしにたっぽろがわ)

nitat-oro?
湿地・のところ
(? = 旧地図等に記載あり、独自説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
厚真町字幌里の道道 10 号「千歳鵡川線」の近くで西から「知決辺川」に合流する支流です。「東仁達幌川」も存在するらしいのですが、国土数値情報では所在を確認できませんでした(「近悦府川」の北に無名の川がありますが……)。

『北海道実測切図』(1895 頃) にはそれらしい川が描かれているものの川名の記載はありません。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ニタホロ」と描かれていますが、もしかしたら現在の「知決辺川」が「ニタホロ」だった可能性がありそうな気もしてきました。


戊午日誌 (1859-1863) 「安都摩日誌」には次のように記されていました。

其処に小川
     ニタホロ
西岸に有。是山え行野宿する者、必ず勝手よきが故に、此処にていつも宿する故、木を多くより集め置より号しと。本名はニナヲロのよし。ニナは薪と云事、ヲロは多しと云儀也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.465 より引用)
確かに nina は「焚木」(薪)を意味するのですが、「ヲロは多し」というのは一般的な解釈から逸脱しているような気もします。

「ニタホロ」が「ニナヲロ」だったのであれば ninar-oro で「台地・のところ」と考えたくなりますが、実際には nitat-oro で「湿地・のところ」だったのでは無いでしょうか。この場合、「ニタトロ」が「ニタホロ」に転訛したことになりますが……。

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