(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
イクバンドユクチセ沢
{ita-ruyka}-{yat-chis}??
{板・橋}・{擦り切れる・丸い岩山}
{板・橋}・{擦り切れる・丸い岩山}
(?? = 旧地図等に記載あり、独自説、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
厚幌ダム(2018 年竣工)と厚真ダム(1970 年竣工)の間、厚真ダムから 1.8 km ほど下流側で北から厚真川(厚幌ダムのダム湖)に合流する支流です。『北海道実測切図』(1895 頃) にはそれらしい川が描かれているものの、残念ながら川名が記入されていません。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) にもそれらしい川は見当たらないのですが、「シヨウロマ」(=ショロマ川か?)の支流として「マタヤツチセ」と「ヘンケヤツチセ」という川が描かれていました。
戊午日誌 (1859-1863) 「安都摩日誌」には次のように記されていました。
扨此川すじの事を聞に、此辺高山にして川口より七八丁も過て
マタヤツチセ
是冬分鷲、熊等を取に来りし時の小屋なりと、よつて号るよし也。マタは冬の義、ヤツチセは木皮にて作りし名 也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.478 より引用)
「シヨウロマ」には「マタヤツチセ」という支流があり、これは mata-yat-chise で「冬・木の皮・小屋」ではないかとのこと。ヤツチセ? ユクチセ?
ただ現在の川名は「イクバンドユクチセ沢」で、「ヤツチセ」ではなく「ユクチセ」です。『北海道地名誌』(1975) には次のように記されていました。イクチセ沢 厚真川上流の右小沢。イクパンドユㇰチセ沢の前略形。アイヌ語「ユㇰチセ」は鹿の家の意で,鹿の多い土地ということ。
(NHK 北海道本部・編『北海道地名誌』北海教育評論社 p.540 より引用)※ 原文ママ
「ヤツチセ」と「ユㇰチセ」のどちらも自然な解であるように思えます。留意しておきたいのが(厚真川の支流である)頗美宇川の支流に「ヤチセ沢川」が存在するという点です。『北海道実測切図』では「ヤッチセ」と「ユクチセ」(現在の「ペンケユクチセ川」)としていて、両者は別名であるとしています。ただ「ヤチセ沢川」と「イクバンドユクチセ沢」の河口付近は、どちらも比較的開けている(平地が多い)という点で(かなり)似ているように思われます。
そこに谷地はあったか
「ヤチセ沢川」は yachi-chis で「湿地(にある)丸い岩山」ではないかと考えました。「イクバンドユクチセ沢」も河口付近は似た感じではあるのですが、谷地があったかどうかは正直わかりません。yachi(谷地)では無かったとすると、yarで「擦り切れる」あるいは「破れる」だったかもしれません。yar だとすれば、後ろに続くのは chise(家)ではなく chis(丸い岩山)と見るべきでしょう。
「ヤチセ沢川」においても yachi ではなく yar が正解だったかもしれません。
謎の「イクバンド」
「ヤツチセ」が yat-chis で「擦り切れる・丸い岩山」だとすると、あとは「イクバンド」をどう考えるかなのですが、おそらく、かなり派手に間違いが含まれていると思われます。戊午日誌「安都摩日誌」には次のように記されていました。
扨またカニシユウより東岸まゝ上るや、少し下り
イタルイカ
東岸小川、此処に昔しより誰か架しとも無、板を以て橋を架有りしによつて号とかや。イタは板也、ルイカはリウカの転じ、橋の事也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.479 より引用)
これは、位置的には「厚真川の東岸」で「メルクンナイ」の手前なので、「イクバンドユクチセ沢」から見ると厚真川の向こう側ということになります。おそらく「ヤツチセ」あるいは「ユクチセ」という川名があり、それに対岸の地名をうっかりマージしてしまったとかじゃないでしょうか。「イタルイカ」は ita-ruyka で「板・橋」と見ていいかと思います。あえて ita を冠しているのは、ruyka だけだと「丸木橋」を意味するからかもしれません。
ペンケユクチセ沢
penke-yat-chis???
川上側・擦り切れる・丸い岩山
川上側・擦り切れる・丸い岩山
(??? = 旧地図等に記載あるが位置に疑問あり、独自説、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
「厚真ダム」(1970 年竣工)のすぐ北で厚真川(ダム湖)に合流する支流です。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「シヨウロマ」(=ショロマ川か?)の支流として「マタヤツチセ」が描かれていて、さらにその支流として「ヘンケヤツチセ」が描かれているように見えます。これも本来の名称は「──ユクチセ」ではなく「──ヤツチセ」だったと見たいところです(そう断言できるだけの情報があったかと言われると、少々弱いというのが正直なところでもありますが)。
『東西蝦夷山川地理取調図』とは位置が異なりますが、本来の川名が「ヘンケヤツチセ」だったとすれば penke-yat-chis で「川上側・擦り切れる・丸い岩山」だったのでしょう。
現在の「ペンケユクチセ沢」の近くには「イクバンドユクチセ沢」や「ヤチセ沢川」のような地形が見いだせませんが、少し東側に平地に近い場所があったので(現在は水没)、その近くの山を指していた可能性があるかもしれません。
‹ 前の記事
www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International



0 件のコメント:
コメントを投稿