2026年10月4日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1444) 「紋別沢・頗美宇川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

紋別沢(もんべつ──?)

mo-pet
静かな・川
(旧地図等に記載あり、既存説、類型多数)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
厚真町字宇隆と字東和の間の分水嶺の頂上付近に「紋別沢」という名前の三等三角点が存在します(標高 158.1 m)。

三角点の読みについては「点の記」を参照すれば良いのですが、この三角点は「成果不良点」のため「点の記」を確認することができません。そのため、読み方は大きく間違ってないと思いますが「?」をつけています。

『北海道実測切図』(1895 頃) には、現在の「東和川」の位置に「モーペッ」と描かれていました。小川ローザでしょうか(違います)。


戊午日誌 (1859-1863) 「安都摩日誌」には次のように記されていました。

扨チケツヘより凡十丁も来りけるやいよいよ道わるくなり、過て
     フシコモウベツ
川巾五六間、あさし。此処昔しの川跡なりと。其川の口も末もなし。其名義古き遅流川のよし。また十丁も同じ木立原を行て
     アシリモウベツ
小川弐間計りの巾にて遅流。是モウヘツの新き川也と。其上に小さき水溜り有よし也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.467-468 より引用)
似て非なる「フシコモウベツ」と「アシリモウベツ」があったとのこと。両者の間は「十丁」とあるので、1 km ほど離れていた……ということになります。

『北海道実測切図』には「ウクル」と「モーペッ」の間に「ヒウノップ」という川を描いていて、しかもこの川は河口が無いように描かれているので、この川が松浦武四郎が記録した「フシコモウベツ」だった可能性があるかもしれません。

「モウベツ」の意味については「其名義古き遅流川のよし」とある通りで、mo-pet で「静かな・川」と見ていいかと思います。

頗美宇川(はびうかわ)

pa-pi-us??
頭(出崎)・引っ張る・いつもする
(?? = 旧地図等に記載あり、独自説、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
厚真町字富里で北から厚真川に合流する支流です。「頗」の字が難読ですが、音読みは「ハ」で、「すこぶる」や「かたよる」を意味するとのこと。

『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「カヒウフト」という地名(だと思われる)が描かれています。「ホロナイ」(=日高幌内川)よりも上流側に描かれているのが気になりますが、このあたりの「東西蝦夷──」は割と間違いが多そうなので、これもその一つ……でしょうか(深追いしないほうがいいかも)。


『北海道実測切図』(1895 頃) には現在とほぼ同じ位置に「カピウ川」と描かれていました。


「バビウ」は「カヒウ」

戊午日誌 (1859-1863) 「安都摩日誌」には次のように記されていました。

また並び少し上に
      バ ビ ウ
本名カヒウなるなりと聞り。其名義往昔此処にて鷗巣を組卵を(生(な))せしと。此鷗は神の御使ものゝよし申ぬ。カヒウは鷗鳧の夷言也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.472 より引用)
「カヒウは鷗鳧の夷言也」とありますが、kapiw は「カモメ」を意味します。カモメは海鳥というイメージがありますが、河川や湖沼でも姿が見られるらしいので、海沿いにいると限ったわけでは無いようです。

「ふくろう」は「ケリ」ではない

戊午日誌の頭註には次のように記されていました。

かもめ=カピウ
ふくろう=カムイチカツプ
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.472 より引用)
なんで「ふくろう」が出てきたのだろう……と思ったのですが、本文をよく見ると「鷗鳧」とありました。「鳧」は「鳧舞(けりまい)」でおなじみの字で(他で滅多に見ないとも言う)、Wikipedia の「ケリ」の項には「チドリ目チドリ科タゲリ属に分類される鳥類の1種」とあります。

また「鳧(カモ)については「カモ」をご覧ください」ともありますが、「ふくろう」は関係無さそうな……。あ、「ふくろう」は「梟」なので、もしかして:誤読?

「カピウ」は「カピウ」

永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Kapiu,   カピウ   鷗(カモメ) 海嘯ニ先ツテ鷗集リテ噪キシコトアリ故ニ土人尊ビテ神︀鳥トナス
(永田方正『北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.214 より引用)
『北海道実測切図』に「カピウ川」とある時点で薄々予感がしていましたが、やはり永田地名解は「カピウ」としたようですね。松浦武四郎は「バビウ」と記録し、現在の川名が「頗美宇(はびう)」なので、これは例によって永田地名解が「違う、そうじゃない」と「修正」したにもかかわらず、結局元の形に地名(川名)が戻されてしまった……というパターンに見えます。

もっとも、今回のケースでは松浦武四郎も「本名カヒウなるなり」と記しているので、そういう伝承が存在したのは確かに思えますが、同時に「でも川名は『バ(ハ?)ビウ』だよね」という共通認識も存在していたと言えそうです。

更科源蔵さんの『アイヌ語地名解』(1982) には次のように記されていました。

カピユで、昔ここまで鷗(カピウ)が来たから名付けたというが、日高の平取川にもカピウという所があり、やはり鷗が巣をつくったので、津浪のあるところがわかって避難したともいう伝説がある。
(更科源蔵『更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解』みやま書房 p.74 より引用)
「カ」が「ハ」に転訛するというのは十分あり得る話ですが、ここまで他の地名を見た感じでは「カモメ」説も疑う余地がありそうに思えます。

「パ」は「出崎」?

とりあえず地形図を眺めてみたのですが、「頗美宇川」河口のすぐ北の、「富里神社」のある小さな山が気になります(「富里」四等三角点の存在する山です)。このあたりの川の周囲は平地が広がっていますが、頗美宇川河口のすぐ側にあるこの山だけは例外のように見えます。

松浦武四郎が記録した「バビウ」は pa-pi-us で「頭(出崎)・引っ張る・いつもする」だったとは考えられないでしょうか。pa はともかく pi と us についてはやや無理があるようにも思えるのですが、『地名アイヌ語小辞典』(1956) に少し気になる項目がありました。

piwke-i ぴゥケイ【テシオ】出っぱった所。
(知里真志保『地名アイヌ語小辞典』北海道出版企画センター p.97 より引用)
これは piwke が「出っぱった」を意味するようにも見えるのですが、piwke が piw-ke だったとしたら、piw で「出っ張る」を意味したとしても不思議はありません(手元の辞書類では確認できないのですが……)。

残念ながら piw という語(用例?)の存在が確認できないので、現時点では pa-pi-us と考えるしか無いのですが、「バビウ」あるいは「パピウ」の由来がいつしか失われてしまい、「駄洒落」で「カモメ」の話を持ち出してきたんじゃないか……と考えています。

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