2026年10月25日日曜日

‹  前の投稿

北海道のアイヌ語地名 (1453) 「遠浅・フモンケ川・コロイ山」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

遠浅(とあさ)

to-asam-{to-po}
沼・奥・{小さな沼}
(旧地図等に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
安平町南西部の地名で、JR 室蘭本線に同名の駅もあります。ということでまずは『北海道駅名の起源』(1973) を見ておきましょうか。

  遠 浅(とあさ)
所在地 (胆振国)勇払郡早来町
開 駅 明治35年9月21日(北海道炭砿鉄道)(客)
起 源 アイヌ語の「ト・アサム」(沼の奧) または「ト・サム」(沼の端)の転かである。
(『北海道駅名の起源(昭和48年版)』日本国有鉄道北海道総局 p.74 より引用)
両論併記で締めるあたり、中々やりますね……! 陸軍図を見てみると、遠浅の駅前には既に市街地が形成されていますが、駅の南に「遠浅沼」があり、駅の東西も湿地に囲まれています。確かに「沼の奥」とも言えますし、「沼の端」でもありますね。

『北海道地名誌』(1975) は「駅名の起源」と同じく両論併記だったのですが、山田秀三さんの『北海道の地名』(1994) には次のように記されていました。

 北海道駅名の起源は「ト・アサム(沼の・奥)又はト・サム(沼・の端)の転訛であろう」と書いた。たぶんト・アサム(to-asam)だったのであろう。
(山田秀三『北海道の地名』草風館 p.377 より引用)
「ト・サム」ではなく「ト・アサム」だろうとした根拠は記されていませんが、「ト・サム」であれば「遠浅(とあさ)」の「あ」の出どころが不明になるからかもしれません。

『北海道実測切図』(1895 頃) には既に鉄道が描かれていて(!)、漢字で「遠浅」と描かれています。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「トアサトホ」と描かれていました。


戊午日誌 (1859-1863) 「新道日誌」には次のように記されていました。

  扨此川すじの事を聞に、しばし到り三四丁にて右のかた
       トアサトホ
  といへる小沼有。其名義沼なり川なりと云儀なり。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.441 より引用)
「トアサトホ」とありますが、最後の「ホ」がいわゆる旧仮名遣いなのか、それとも po なのかによって解釈が変わってきそうですね。ここまで一般的には「トー」表記が多かったので、旧仮名遣いではなく po だったと考えてみたいところですが……。

-po は「苗穂」などでおなじみ?の指小辞なので、to-asam-{to-po} であれば「沼・奥・{小さな沼}」と読めそうでしょうか。

フモンケ川

hum-{un-ke}-i??
音・{出している}・もの(川)
(?? = 旧地図等に記載あり、独自説、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
遠浅川の支流で、JR 室蘭本線・早来駅の 3 km ほど西、安平町早来富岡のあたりを流れています。川沿いには「普門家」で「ふもんけ」と読ませる三等三角点も存在します。

『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「フムンケイ」という川が描かれています……が、何故か安平川の支流として描かれているように見えます。


『北海道実測切図』(1895 頃) にはほぼ現在と同じ位置に「フモンケヘェ」という川が描かれています……(へぇ)。


戊午日誌 (1859-1863) 「新道日誌」には次のように記されていました。

       チヘシナイ
       フムンケイ
       ニイタホロ
  等何れも右の方に当るよし也。此辺皆平山。チトセよりアツマえこへる時皆是を通るとかや。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.442 より引用)
安平川筋の情報は「扨(さて)此川すじの事を聞に」とも記している通り「聞き書き」だったようで、ここでも「フムンケイ」が安平川(シアヒラ)の右支流ということになっています。『北海道実測切図』で描かれた「フモンケヘェ」の位置が正しいとすれば、松浦武四郎の記録にはミスがあったということになるでしょうか。

『角川日本地名大辞典』(1987) の「とみおか 富岡 <早来町>」の項には次のように記されていました。

もとはフモンケと呼び,アイヌ語のフムンケイで,「鳥のとびたつ音」との意(早来町のアイヌ語地名/早来町史)のちに富門華の字が当てられる。
(『角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)』角川書店 p.986 より引用)
hum は「音」を意味するのですが、問題は残りの「ンケイ」の部分で、特に「ケ」の解釈が難しいですね。-ke にはいくつかの用法?があるのですが、『地名アイヌ語小辞典』(1956) によると「①自動詞について他動詞をつくる」「②擬声または擬容の自動詞をつくる」「③或る種の語根について自動詞を表わす」とのこと。

③の用例として per-e(割る)と per-ke(割れている)がありますが、これと似たような感じでちょっと拡大解釈してみるならば、hum-un が「音が・する」で hum-{un-ke} が「音を・{出している}」とかでしょうか。

ということで hum-{un-ke}-i で「音・{出している}・もの(川)」とかかなぁ、と考えてみました。なぜ「音を出しているもの」と呼んだのか……というのも少々謎ですが、水音が良く響くような川だったんでしょうか……? なんか根本的に見落としていて、実は全然違う解釈ができそうな予感もするのですが……。

コロイ山

kor-o-i?
フキの葉・多くある・もの
(? = 旧地図等に記載あり、既存説に疑問あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
JR 室蘭本線・早来駅の南に聳える山で、頂上付近には「巨稜威山」という二等三角点(標高 163.4 m)も存在します。この「巨稜威山」は「ころいやま」と読ませるのだそうです。

『北海道実測切図』(1895 頃) には「コロイ山」と描かれています。


『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ユルシ」という川が描かれているのですが、位置的にはこれが「コロイ」と近そうにも思えます。


戊午日誌 (1859-1863) 「新道日誌」には次のように記されていました。

  またしばし過るや
       コ ル シ
  右のかた小川有。此辺より山少しヅヽ有るよし。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.442 より引用)
やはり「東西蝦夷──」の「ユ(・)ルシ」は「コ(・)ルシ」の誤記だった可能性が高そうですね。

『北海道地名誌』(1975) には次のように記されていました。

 コロイ山 163.7 ㍍ 市街の南にある山。一説では,アイヌ語「コㇽ・イ」でふきの多い山の意とあるが定かでない。
(NHK 北海道本部・編『北海道地名誌』北海教育評論社 p.537 より引用)
素直に解釈すれば kor-o-i で「フキの葉・多くある・もの」となりそうでしょうか。松浦武四郎が記録した「コルシ」であれば kor-us-i で「フキの葉・多くある・もの」となりそうです。もっとも松浦武四郎は「小川」と記録しているので、「もの」が山なのか川なのかは不明ですが……。

ただ kor-us-i の場合、「持つ・いつもする・もの」あるいは「支配する・いつもする・もの」という解釈も成り立ちます。kor の前にあった「自明なもの」が略されたという可能性もあるのですが、現時点では「自明なもの」に相当しそうなものが思い浮かばないというのが正直なところです。とりあえず為念ということで。

‹ 前の記事

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International

0 件のコメント:

新着記事