2026年11月3日火曜日

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「日本奥地紀行」を読む (196) 蓴菜沼(亀田郡七飯町)~森町(茅部郡森町) (1878/8/17(土)~19(月))

 

イザベラ・バードの『日本奥地紀行』(原題 "Unbeaten Tracks in Japan")には、初版(完全版)と、いくつかのエピソードが削られた普及版が存在します。今日は引き続き普及版の「第三十五信」(初版では「第四十信」)を見ていきます。
この記事内の見出しは高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』(中央公論事業出版)の「初版からの省略版(普及版)の削除部分を示す対照表」の内容を元にしたものです。この対照表は、高梨謙吉訳『日本奥地紀行』(平凡社)および楠家重敏・橋本かほる・宮崎路子訳『バード 日本紀行』(雄松堂出版)の内容を元に作成されたものです。

森《噴火湾》にて(続き)

イザベラは、「月曜日」に「森《噴火湾》にて」と記しているので、1878/8/19(月) に森町にいたことになるのですが、その内容は「土曜日」の移動についてのものでした。

土曜日はどんよりとした天気で陰気な日であった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.351 より引用)
イザベラは「土曜日」について「どんよりとした天気で陰気な日であった」と記しています。土曜日ですから函館から蓴菜沼までの移動を指すと思われるのですが、

ここまで馬に乗って七マイル来たが、単調な森や沼沢地を通り、一方は火山、他方は低く森の茂った丘の、砂地の道路で、退屈であり疲れる旅であった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.351 より引用)
これは……? 7 マイルは約 11.3 km なので、藤城(七飯町)から蓴菜沼までの移動を指しているようにも思われますが、文脈からは蓴菜沼から森(森町)までの移動を指しているようにも思えます。ただそうすると曜日が合わないのですが……。

五匹の大きな蛇がとぐろを巻いているのを見たが、さらにいく匹か草の中にくねくねと逃げこんで行った。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.351 より引用)
ヘビとかマムシは今でも普通に見かけるらしいので、リアリティのある話ですね。

村は一つもなく、いくつかの実に見すぼらしい茶屋があるだけで、道路の反対側には長い家畜小屋があり、木の幹をカヌーのように抉って馬糧を入れた飼葉桶がある。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.351 より引用)
この文章を見る限り、やはり蓴菜沼から森に向かう道すがらを記したものでしょうか。『北海道実測切図』(1895 頃) はイザベラの奥地紀行の 17 年後あたりに発行されたものですが、これを見ると「宿野邊」の道路沿いには家屋らしきものが少し描かれているものの、七重のあたりと比べると圧倒的に数が少なく見えます。イザベラが「村は一つもなく」としたのもあながち間違いではなさそうですね。

イザベラは「ここでは誰も歩かず、男たちは早駆けで馬を走らす」と記していますが、村が無く、馬が安価に手配できるとなるとそうするのも当然ということでしょうか。

鞍の上にあぐらをかき、馬の頸の上で脚を組み、石炭入れを逆にした形の婦人帽に似た帽子を被っている。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.351 より引用)
そもそも「石炭入れ」がどんな形なのかがわからないのですが、ググったところでは、カレールーを入れる「グレービーボート」あるいは「ソースボート」と呼ばれるアレに似た形……と言えなくはない……かもしれないなぁ、と。

となるとヘルメットのようにも思えますが、おそらくそんな洒落た(?)ものは無かったでしょうから、果たしてどんな帽子だったのかは謎です。

イザベラによると、ダニが馬にたかることがあるそうで……

馬は痒みのため狂暴になり、とつぜん地面に身体を投げ倒したり、荷物や乗り手の上で転げまわることもある。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.351 より引用)
そして「だには乗り手に移ることがしばしばある」とも記しています。昔の人の寿命は今よりも概して短かったですが、ヤバい殺虫剤の濫用も理由の一つに挙げられるかもしれませんね。

森町

イザベラは森町について、次のような印象を記していました。

 森は、噴火湾の南端に近い大きな村だが、今にも倒れそうな家ばかりである。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.352 より引用)
平常運転ですね……。おそらく実際にその通りだったのだと思われますが、この歯に衣着せぬ書きっぷりは流石としか。

村は砂浜の荒涼としたところで、たくさんの女郎屋があり、いかがわしい人間が多い。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.352 より引用)
あー。森町には……これからイザベラも乗船することになるのですが……かつては室蘭との間に「森蘭(しんらん)航路」が存在していました。航路があるということは船待ちの客も存在するということで、いかがわしい商売も成り立つ余地があった、ということなのでしょう。

Wikipedia で軽く調べてみたのですが、「森蘭航路」は 1872 年に開設されて 1893 年に廃止されたものの、その後 1908 年に民間会社により復活し、1928 年に国鉄長輪線(現在の室蘭本線)が開通したことで利用者が減少し廃止されたとのこと。

宿屋にはりっぱでないのもいくつかあるが、私はこの宿屋が気に入っている。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.352 より引用)
おやっ、イザベラが宿屋を褒めるとは珍しい……? と思ったのですが、「ここからは火山がたいそうよく眺められる」という文章が続いていたので、それが理由だったのかもしれません。

森には全長三四五フィートの未完成の桟橋があるが、投錨地はない。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.352 より引用)
Wikipedia の記事には 1873 年に「森村波止場(森桟橋)」が完成したとあるので、イザベラの記述とは矛盾が生じていますが、この桟橋をイザベラは「未完成」と見ていた(あるいはそう耳にした)のかもしれません。

湾口を横断する蒸気連絡船はここから出るが、さらに湾を百マイル近く迂回してゆく非常に困難な馬道がある。奥地に通ずる道路もある。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.352 より引用)
イザベラが森町から室蘭までを船でショートカットしたというのは「奥地紀行」としてどうなの……と思わないでもないですが、イザベラは平取からの帰りに陸路を選択した筈なので、帰り道のお楽しみ……ということになるでしょうか。

イザベラは森町のことを「寂しい衰微したところである」としながら「昨夜、宿屋はたいへん騒がしかった」と続けていました。どうやら隣の部屋の旅人が芸者遊びをしていたとのこと。

流石に芸者遊びで締めるのは残念だったからか、最後に次のような文章を続けていました。

この比較的北緯度の地方では、夏はもう終わりに近づいている。私が到着したときには花盛りであったが、その実も熟し、山腹にはあちこちに黄色や深紅の紅葉が見えて、美しくて涼しい秋の前触れとなっている。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳『日本奥地紀行』平凡社 p.352 より引用)
8/19(月) に「夏は終わりに近づいている」と記していますが、今でも夏休みがそろそろ終わるという時期なので、確かにその通りなのでしょうね。

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