かなりレトロなデザインの 105 系標識と、下には何故か傾いている「⇒国道25号」の補助標識?が。これは……わくわくドキドキですよね(何が)。
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2025年4月30日水曜日
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2025年4月29日火曜日
この記事内の見出しは高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』(中央公論事業出版)の「初版からの省略版(普及版)の削除部分を示す対照表」の内容を元にしたものです。この対照表は、高梨謙吉訳『日本奥地紀行』(平凡社)および楠家重敏・橋本かほる・宮崎路子訳『バード 日本紀行』(雄松堂出版)の内容を元に作成されたものです。
昨日はよい天気であった。
伊藤がついて来るのを初めて断って、私は一人で人力車に乗り、たいそう楽しい遠出をして、山で行き止まりの道を進んだ。
車夫は親切で楽しそうな良い人間で、外国人が一度も来たことのないような町へ、外国人のようなすばらしい見世物を乗せてゆく機会が得られたことをたいそう喜んでいる、と伊藤が言っていた。
私は、日本の中を旅行するのは絶対に安全だということをだいぶ前からよく理解していたから、粕壁 で私が危険を感じて恐ろしかったことも、今ではばからしく思われてくる。
In the absolute security of Japanese travelling, which I have fully realised for a long time,
壁土の家で、あたかも手で木の枠に泥をなすりつけた感じである。
壁は少し内側に傾斜し、藁葺きも粗末で、軒は深く、いろんな材木でおおわれていた。煙の穴のある家もあったが、大部分は煉瓦窯のようにあたり一面に煙を出していた。窓はなく、壁と垂木は黒光りしていた。
鶏や馬は家の内部の片側に住み、人は別の側に住んでいる。
家には着物をつけていない子どもたちが群がっていた。私が夕方にふたたび通ったときには、腰まで裸の男女が、家の外に腰を下ろしていた。
しかし彼らの家は今まで見たことがないほどひどいものであり、泥まみれになったエデンの園の素朴な生活といった感じで、毎週一回でも入浴しているだろうかと疑いたくなる。
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2025年4月28日月曜日
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2025年4月27日日曜日
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歌露(うたろ)
えりも町海岸漁村。オタ・ルで砂浜の道という意味。
歌露 うたろ
東洋から少し北に行った処の海岸。オタ・オロ(ota-or 砂浜の・処) ぐらいから来た名であろうか。あるいはオタ・ル(砂浜の・道) か。
| 初航蝦夷日誌 | 戊午日誌「南岬志」 | 東西蝦夷山川地理取調図 (1859) | 北海道実測切図 |
|---|---|---|---|
| チヤラセナイ | ホロチヤラセナイ | チヤラセナイ | チヤラセナイ |
| - | ホンチヤカキシ | - | ホンサカキウシ |
| - | ホロチヤカキシ | - | サカキウシ |
| - | - | - | カムイオマナイ |
| ヲニタラヽフ | ヲニタヽラフ | ヲントタル | オン子タタロプ |
| ヱンシヤニ | エイシユマ | エイシユマ | エエンシュマ |
| - | ヒン子ワタラ | - | - |
| - | マチワタラ | - | - |
| リフンヱントモ | リフンエントモ | - | エンルㇺ |
| ヲリマツフ | チカフノコエ | チカフノツ | - |
| - | ヤンケヘツ | ヤンケフチ | ヤンゲペツ |
またしばしにて
ヲニタヽラフ
本名ヲンラフシナイと云し由也。土人等薬に用ゆる草が多く有りしによつて号しと云へり。
歌 露
ontrep
反魂草
七ツ葉
神経痛等に
葉わ,それを燒いて,灰を濕疹にすりつけた(眞岡)。莖葉も黒燒にして犬の油で練り白癬に塗った。根わ,煎じて咽喉の痛みに含嗽した(白濱)。根わ,また,鍋の水が半分になるほど濃く煎じて,性病,子宮病,神經痛,關節炎等の患部を洗った(眞岡)。
莖葉を敷いてその上にオォウバユリの鱗莖の搗き粕を寢かせておく。この寢かせておいたものを「おント゚レㇷ゚」on-turep(風化した・ウバユリ)とゆう(名寄)。
オサラッペ川の川上に向かって右側の支流に、イオンカウシベツ(それを・風にさらし・つけているところの・川)、つまり、「ウバユリの根を搗き砕いてでん粉をとり、その繊維を乾かし、かためた場所の川」がある。発酵し、少し乾燥したでん粉を円盤状に丸める。指で中央とその周りに穴をあけてひもでつるし、屋内て乾燥させ、保存食とする。
(參考)風邪の際の熱さましに,或いわ腹痛に,この根を單獨で,或いわ蕗の葉・イブキボォフゥの根・クズの根などと混ぜて煎じて飮んだ(幌別)。腹痛にわまた生の根を噛んで水で飮んだ(B)。根を噛んで關節の痛みにつけた(B)。この根を乾しておき,それを粉末にして湯でこねて布に塗り,打身の患部に貼った(白浦)。
種子を噛み碎いて布で漉し,その汁を目藥にした(B 鵡川)。耳痛にわ根を燒いて温い水氣のあるものを布に包んで濕布した(幌別)。或いわ種子を粉末にしたものを煙草にまぜてその煙を耳の穴に吹き込んだ(B 有珠)。
| 初航蝦夷日誌 (1850) | ヲニタラヽフ | - |
|---|---|---|
| 午手控 (1858) | ヲニタヽラフ | 本名ヲンラフシナイ |
| 東西蝦夷山川地理取調図 (1859) | ヲントタル | - |
| 戊午日誌 (1859-1863) | ヲニタヽラフ | 本名ヲンラフシナイ |
| 東蝦夷日誌 (1863-1867) | ヲニタヽラフ | 本名ヲシラフシ |
| 北海道実測切図 (1895 頃) | オン子タタロプ | - |
| 陸軍図 (1925 頃) | 歌露 | - |
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2025年4月26日土曜日
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| 初航蝦夷日誌 | 戊午日誌「南岬志」 | 東西蝦夷山川地理取調図 (1859) | 北海道実測切図 |
|---|---|---|---|
| チヤラセナイ | ホロチヤラセナイ | チヤラセナイ | チヤラセナイ |
| - | ホンチヤカキシ | - | ホンサカキウシ |
| - | ホロチヤカキシ | - | サカキウシ |
| - | - | - | カムイオマナイ |
| ヲニタラヽフ | ヲニタヽラフ | ヲントタル | オン子タタロプ |
| ヱンシヤニ | エイシユマ | エイシユマ | エエンシュマ |
| - | ヒン子ワタラ | - | - |
| - | マチワタラ | - | - |
| リフンヱントモ | リフンエントモ | - | エンルㇺ |
| ヲリマツフ | チカフノコエ | チカフノツ | - |
| - | ヤンケヘツ | ヤンケフチ | ヤンゲペツ |
| - | ヲチヨロツケ | ヲチヨロケ | オショロシケ |
| シヽヤモサキ | シヽヤモサキ | - | - |
| - | ホンヌル | ホンヌル | - |
| アブラコマ | アブラコマ | シリホク | シリポク |
また少し行て
リフンエントモ
一ツの岬也。此岬北のかたエントモカと対し其間一湾をなしたり。
Enrum etup エンルㇺ エト゚プ 岬 即チ江鞆岬ナリ
『永田』にエントモ~地名は 1 例もない。『山川』にもエトモが 1 例(室蘭市エトモ半島)、エントモエトコが道北にあるだけである。サハリンの大泊郡千歳村にはエントモヲロ(『樺』では「wen-tum-oro 悪い・の中の・所」と訳す)がある。南千島や東北地方には見えない。
Een shuma エエン シュマ 鏡石 「エエイシェマ」トモ云フ「エエン」ヲ「エエイ」ト云フ「ウエン」ヲ「ウエイ」ト云フニ同ジ「エエンシュマ」については記載があるものの、「エンドモ」の記載はありません。また『東西蝦夷山川地理取調図』に「リフンエントモ」に相当する地名が描かれていないのも、前記の表にある通りです。これは鋭い指摘ですね……!
Chikap nok-o-i チカㇷ゚ ノコイ 鳥卵アル處 鷲ノ卵アル處
Yange pet ヤンゲ ペッ揚 川 諸物ヲ海ヨリ川ヘ運ビ陸揚スル處
島根県鹿島町に恵曇(エトモ)という地名があるが、これをエトモイ(岬の湾)と解いたバチェラーに対し、金田一京助が『北奥地考』で徹底的に批判する。むしろ、エンルムで解釈すべきだし、それとても、これをアイヌ語地名と認めるためには、いくつもの手続きが必要だと言う。
出雲の語原はアイヌ語のエトモイ(etu-moi)で岬の湾の意味であると解かれ、此も多くの支持者を有して今日に至ってゐる。
アイヌのモイは静かなこと、また静かな所、即ち波が立たず舟を泊するによい陸地に囲まれた小さい入海のことであるが、宍道湖の様なものは、アイヌ語では寧ろ必ずトー(湖沼、潟)と呼ぶべきものであって、決してあれはモイではない。のみならず、エト・モイといふ結合は、アイヌ語としてどうも余り聞かない熟語である。我々にはどうも本当のアイヌ地名解としてピッタリ来ないのである。
併乍、強ひてアイヌ語でイヅモの語原を説かうとなれば、一語で岬を意味する古語にエンルム(enrum)がある。北海道には、日常に用ゐない語となってしまってゐるが、叙事詩の中には岬の意味にはっきり出て来て、古老はその意味を理解してゐる。
さて此のエドモは、もとエンドモといひ、元禄郷帳などにもさう出てゐる所で、永田方正翁の北海道蝦夷地名解に、はっきりとこの語は「岬」の意味の enrum の訛りであることを論証し、幌泉の方は poro enrum「大岬」の意味であることを考定してゐる。
尚、出雲の北部の突出地帯も恵曇 郡と呼ばれるが、そこの何れの地点かのエンヅムから出た名ではないだらうかといふ想像も出て来る。丁度北海道のエンルムが、襟裳 岬になったり、絵鞆 になったり、幌泉 の泉 になったりしたやうに、ルがドになり、エがイになったり、〔m〕がモになったりする転訛は、無理のない程度の変化であるといへよう。
『伊能』にはエントモヲロ(ホロイヅミ場所)、エントモコマナイ川(ハママシケ場所か)、エントモカ岬(ソウヤ場所)などが見える。エトモは『伊能』、18世紀の『拾』『志』、17世紀の『主』『津』に連綿と見える。
また、サハリンの地名として、『北』にエントモカオマップ、エントモイドが見える。『永田』には伝わらなかったが、古い時代には定の数のエントモ~地名があったと言えよう。
また少し過
エントモカ
一ツの岬也。此サキはホロイツミと対峙する也。エトモとは鼻の事にて、さし出たる処也。
并て
エントモカ
またエンルムカとも云り。
三、四丁行て
フシコナイ
此処
エントモイト
同じの崎こへて
エントモカヲマナイ
従二ホロトマリ一弐り。
58チヌカレントム (千賀)北知床半島。官11。「チ・ヌカル・エントㇺ」ci-nukar -entom 【われら・物見をする・つき出ている海岸の断崖】。
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2025年4月25日金曜日
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2025年4月24日木曜日
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2025年4月23日水曜日
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2025年4月22日火曜日
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2025年4月21日月曜日
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2025年4月20日日曜日
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| 東蝦夷地名考 (1808) | ヱリモ崎 | 古名ヱンルモイドと云 |
|---|---|---|
| 東行漫筆 (1809) | エリモの崎 | 鼠之事を云 |
| 大日本沿海輿地全図 (1821) | ヱリモ岬 | - |
| 蝦夷地名考幷里程記 (1824) | ヱリモ | 鼠といふ事 |
| 初航蝦夷日誌 (1850) | ヱリモ岬 | 遠くより見る時は鼠の如し |
| 竹四郎廻浦日記 (1856) | エリモ岬 | - |
| 辰手控 (1856) | エリモはオン子エンルンと云処也 | |
| 午手控 (1858) | エリモ | むかし此処の岩皆鼠の如く見えし |
| 東西蝦夷山川地理 取調図 (1859) | エリモサキ | 沖合に「ヲン子エンルン」の記載あり |
| 戊午日誌 (1859-1863) | エリモサキ | 鼠の形ち成る故 |
| 東蝦夷日誌 (1863-1867) | エリモ岬 | 遠くより眺む時、鼠の伏たる如き故 |
| 蝦夷地道名国名郡名之儀 申上候書付 (1869) | エリモ岬をヲンネエンルンと言て | |
| 改正北海道全図 (1887) | 襟裳岬 | - |
| アイヌ語地名の命名法 (1887) | エリモザキ(岬) | Enrum nottu「ネズミ岬」 |
| 永田地名解 (1891) | オンネ エンルㇺ | 襟裳岬ノ元名 |
| 北海道実測切図 (1895 頃) | 襟裳岬 | - |
| アイヌ語地名単語集 (1954) | エン「尖っている」、ルム「頭」 これが訛ってエドモともエリモともなる | |
| 地名アイヌ語小辞典 (1956) | en-rum | 岬[つき出ている・頭] |
| 北海道地名誌 (1975) | 襟裳岬 | 「エンルㇺ」で岬の意 |
| 北海道の地名 (1994) | 襟裳岬 | enrum 岬 |
北海道には、アイヌのユーカラに謡われた物語や伝承の舞台をはじめ、アイヌ語により命名された独特の地形から成る土地など、文化財として保護すべき名勝地が数多く存在します。これらの言語に彩られた、良好な自然の風致景観を持つ優秀な景勝地をアイヌ語で「美しい・形」を意味する「ピリカノカ」と総称し、国指定の名勝として保護されています。は? なんと……そういうオチでしたか。pirka は「良い」とか「美しい」という意味で noka は「形」とか「像」とか「姿」を意味しますが、これらの語を組み合わせて「創出」された「概念」だったんですね(つまり地名ではない)。
2025年4月19日土曜日
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又弐丁半強ニ而「岩岬有」とあるのですが、「海浜」三角点のあたりにはそれらしい岬は見当たりません。となると『北海道実測切図』に記録された川の位置が間違っているのか……と思ったのですが、本文に添えられた「蝦夷地行程記」によると「ヲコヱマウス」から「シユマウス」までは「十二丁」、そして「シユマウス」から「トワンベツ」(苫別か)までは「六丁」とあります。18 町はざっくり 2 km 弱なので、「実測切図」の「オコイマウシ」の位置とは矛盾しない……と言えそうです。
ヲコヘマウシ
岩岬有。岡の方樹木多し。
またしばし行、過て
ヲコヱマウシ
本名はヲコヱウシの転じたるなり。其名義はヲコヱとは小便の事なるよし。此崖より小便の如流るヽによつて号しとかや。
Okoima ushi オコイマ ウシ 噀沙蟲アル處 海中ニ蟲アリ沙ヲ噀ク溺ノ如シあー、なるほど。「噀」という字は「ソン」と読むのですが(JIS 第4水準)、意味は「水などを噴き出す」という意味だとのこと。「噀沙蟲」の正体は不明ですが、知里さんの『動物編』(1976) に次のような記述がありました。
§ 487.キ 772 なりひらがい,業平貝 コタンオコイマ,シュルクコル
2025年4月18日金曜日
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2025年4月17日木曜日
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2025年4月16日水曜日
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2025年4月15日火曜日
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2025年4月14日月曜日
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2025年4月13日日曜日
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過て
キシケ
砂浜なり。其名義不解也。此処にて浜形巳向 に成る也。
Kishikep キシケㇷ゚ 荷物ヲ負フ處 荷物ヲ馬背又ハ人肩ニ負フヲ「キシケ」ト云フ和俗此處ヲ百人濱ト云フ永田方正は「キシケ」を「荷物を背負う」という意味だとしましたが、『アイヌ語沙流方言辞典』(1996) では kiske は ki-sike だとし、「ヨシ/カヤを背負う」という意味だとしています。
2025年4月12日土曜日
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少し行「地名アフツは本名アンツの訛言なるよし」とありますが、これは一体……?
ア ブ チ
此処より百人浜を眺望するによろし。昼休所一棟(十七坪半)。此辺水無が故に皆シトマベツより持運ぶ。地名アフツは本名アンツの訛言なるよし。古く此辺の山々ヲヒヤウ多くして皆アツシを織に皮を剥に来りし故号るとかや。
またしばし過て
ア フ チ
同じく砂に小石まざり。小川有。此川山道の昼休所アフチヘツより来る川也。
Aptu アㇷ゚ト゚ 鉤ヲ作ル處 「アイヌ」云「アプト」ハ「アプタ」ト同意ナリト今暫ク之レニ從フふむふむ。ap-ta で「釣り針・作る」ではないか……という説ですね。この解は道南の「虻田」を始めとして、ちょくちょく見かける印象がありますが、個人的には疑問の残る解です(何故そこで釣り針を作る必要があるのか……という必然性が読み取れないので)。
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2025年4月11日金曜日
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2025年4月9日水曜日
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2025年4月8日火曜日
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2025年4月7日月曜日
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2025年4月6日日曜日
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是より岳の腹を南え廻、左りにエリモ崎等を望、行事少しにてこれは豊似湖から歌別に抜けた際の記録と思われるので、素直に解釈すると以下のようになるでしょうか。
ハンケシトマヘツ
シトマヘツ
ヘンケシトマヘツ
三ケ所共谷川。地名シトマヘツは雪風厳敷して歩行にくきこと云斗なき由。
| ハンケシトマヘツ | 牧場の川 |
| シトマヘツ | ガロウ川 |
| ヘンケシトマヘツ | シトマン川 |
並びて
シトマヘツ
小川也。其処の浜小石也。名義は恐ろしきと云儀の由。惣て恐しきと云事をシトマレと云よりして名づけし哉。
シトマヘツ 恐ろしき処計多きによって号。蝮蛇多きとも云也
Shitoma un pet シトマ ウン ペッ 恐川 怖ルベキ物多シ故ニ名クト「アイヌ」云フ概ねこれまでの解を踏襲していますが、-un が追加されているのが目新しいでしょうか。ただ sitoma は名詞ではなく他動詞なので、-un で受けるのは文法的におかしいような気も……。
シトマン川 庶野市街で海に出る川でアイヌ語「シトマ・ウン・ペッ」で恐川としている解釈もあるが,由来について定かでない。
2025年4月5日土曜日
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ト セ フ
此岩浪打際に有。此神はエリモの神様と兄弟にして、至て恐しき神なるが故に此処え置といへり。トセフは広きと云儀也。また幅と云にも当る也。此処少し廻りて
フヨカシユマ
大岩峨々と突出したり。其下に大なる穴有、此穴潜り行によろし。フヨとは穴の事、シユマとは大岩の事也。穴岩の儀なり。
小石濱(九丁五十間)、トウセツプ(大岩岬、穴有) 是にエリモ〔襟裳〕の兄弟の神在すよし言傳ふ。又イトセフは廣き幅と云義也。又此石をフヨシユマとも云り。
Tu chep ト゚ー チェプtu-chep で「ふたつ・魚」だと言うのですが……。二魚 鱈、オヒヨウ魚ノ二魚ヲ漁スルニヨリ此名アリ
(通称) トセップ 庶野北方小漁村。アイヌ語「トシセ・プ」(凸出しているもの) で大岩岬がある。
2025年4月4日金曜日
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2025年4月3日木曜日
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2024 年 4 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。
2025年4月2日水曜日
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2025年4月1日火曜日
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