【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 8 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。
そう言えば、よく見るとどこにも「国道 7 号」の文字がありませんね。
2025年7月31日木曜日
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2025年7月30日水曜日
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2025年7月29日火曜日
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2025年7月28日月曜日
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2025年7月27日日曜日
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2025年7月26日土曜日
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またしばし過て
ルベシベ
左りの方小川。此小川のすじより山こしするやムコベツえ出るによつて号る也。
2025年7月25日金曜日
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Hushiko pet フシコ ペッ 古川 「ポロペツ」ノ舊流ニシテ往昔ハ大川ナリシガ中古流レヲ變ジ今ハ小川トナリタリ蝦夷紀行ニ云フ山下ニ水溜リテ池ノ如ク流レテ海ニ入ル「ポロペツ」ノ舊流ナリトやはり「日高幌別川」の旧流と見て良さそうな感じですね。husko-pet で「旧・川」と見て良さそうです。
ray-pet らィペッ もと‘死んだ川’ の義。古川で水が流れるとも見えず停滞しているもの。
2025年7月24日木曜日
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2025年7月23日水曜日
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2025年7月22日火曜日
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2025年7月21日月曜日
この記事内の見出しは高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』(中央公論事業出版)の「初版からの省略版(普及版)の削除部分を示す対照表」の内容を元にしたものです。この対照表は、高梨謙吉訳『日本奥地紀行』(平凡社)および楠家重敏・橋本かほる・宮崎路子訳『バード 日本紀行』(雄松堂出版)の内容を元に作成されたものです。
日光を出てから数多くの峠を越えて来たが、その最後の峠は浪岡 にあった。鶴ガ 坂というところであった。
ある旅行者が、北海道 へ向かう汽船は夜出発すると言った。私は喜び勇んで、四人の男を雇った。彼らは人力車を引きずったり、押したり、手で持ち上げたりして、ようやく私を青森へ運んでくれた。
青森は灰色の家屋、灰色の屋根、屋根の上に灰色の石を置いた町である。灰色の砂浜に建てられ、灰色の湾が囲んでいる。青森県の都ではあるが、みじめな外観の町である。
青森は北海道 に対し牛や米の大きな移出貿易を行なっている。さらに北海道の漁業で働くため北日本から毎年のように莫大な人数の移動する出口である。
この漆器は青森塗 と呼ばれるが、実際にそこで作られるのではない。
青森は深くて防波の充分によい港があるが、桟橋など貿易上の設備がない。
ただ三十分の間に三菱 会社の事務所で切符を買っただけである。
それから「洋食」という文字がうす汚いテーブルかけに書いてある料理店で魚肉を一口急いで食べて、灰色の波止場に駆けて行った。
そこで私は日本人の三等船客が混雑している大きな平底船 に乗せられた。
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2025年7月20日日曜日
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「ウン・ペ」は何々のもの(川) ととれるが意味不明。
扨是より其沢まヽ両岸さして高山もなき処を上り行、それよりして雑木立の山を一ツこへて
ホンウンベ
川すじへ出たり。此ウンベは会所元より拾五丁西にして相応の川也。ウンベの其枝川也。名義は本名ヲタフンベと云しを、今詰めてウンヘと云也。
其儀土人の云伝えに、大古合戦の有りし時、磯にて鯨を作り、其陰にかくれ居て合戦をなしたりと。依て砂鯨と云義のよし也。ヲタは砂也、フンベは鯨也。
2025年7月19日土曜日
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一、従二キリイカシナイ一 ソヲヒラ 三丁廿七間この「キリイカシナイ」は現在の「キリシタナイ川」のことだと考えられます。となると「ウトルサンナイ」は「キリシタナイ川」から 940 m ほど離れているということになりそうですね。
一、従二ソヲヒラ一 ウトルサンナイ 五丁十間
一、従二ウトルサンナイ一 シヤマニ会所ニ 五丁
越而すぐニ
ウトルサンナイ
砂浜をしばし行。此上ニ寺有るなり
帰嚮山等樹院原沢寺
東都東叡山末寺。天台宗。
シヤマニ 會所(通行や、會所、藏々、備米くら、馬や、勤番所、大工小屋、雇小屋、鍛冶や、觀音堂、いなり、船玉社、また遠見番所、臺場あり) 地名エンルンなるを、シヤマニベツに住する土人を遣ふ處故に如レ此改りし也。
Eurum エンルㇺ 岬 樣似場所ノ原名ニシテ場所ヲ此處ニ置キ様似場所ト改稱セリト云フ「エンルㇺ」を「岬」としていますが、『地名アイヌ語小辞典』(1956) を見ると……
en-rum, -i えンルㇺ 岬。[つき出ている・頭]
2025年7月18日金曜日
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2025年7月17日木曜日
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2025年7月16日水曜日
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2025年7月15日火曜日
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2025年7月14日月曜日
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2025年7月13日日曜日
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其処屈曲たる川まヽ十七八丁も過て
ヘテウコビ
二股に成る也。是二股なれども、少し東のかたが大きくなりて在る故に、其を本川とし、西のかたを支流に取、よつて一字を下げて志るし置に
シユムシヤマニ
左りの方大川。其名義は西のシヤマニと云儀なるなり。
扨此二股の処より右のかた山に添て上る川を
メナシシヤマニ
と云、其名義東のシヤマニと云義。然し是シヤマニの本川なるべし。
2025年7月12日土曜日
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現在田代のタンネツ゚(通称タンネト)の神社の南方に接続した地域の中に、ニナナウシュナイ(薪の多くある沢)といった沢がある。
このニナ(薪)をもじって二七村が生まれ、のちに田代と改められた。
2025年7月11日金曜日
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是よりまた川の左右ともに平野多く、屈曲たる処をこなた彼方えと越て上るに
サルマフ
右のかた相応の川也。本名はシヤリヲマフなるよし。其義は蘆荻有るといへる義なり。惣て此川すじの両岸谷地なり。
2025年7月10日木曜日
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2025年7月9日水曜日
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2025年7月8日火曜日
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2025年7月7日月曜日
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2025年7月6日日曜日
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Okotanushi オコタヌシ 村落永田地名解は川を遡った順で地名が並ぶことが多いのですが、「オコタヌシ」は「様似川筋」の項の最後にオマケのような形で記されていました。o-kotan-us-i で「河口・村落・ある・もの(川)」と見て良いかと思われます。
2025年7月5日土曜日
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| 東蝦夷地名考 (1808) | シヤマニ | シヤマは横、ニは木 シャマニといへる女夷ありし |
|---|---|---|
| 東行漫筆 (1809) | シャマニ | シヤマニと云女ノ子開きたる所 |
| 大日本沿海 輿地全図 (1821) | シヤマニ | - |
| 蝦夷地名考幷 里程記 (1824) | シヤマニ | 故事不相分 |
| 初航蝦夷日誌 (1850) | ヱシヤマニ | - |
| 竹四郎廻浦日記 (1856) | シヤマ(ニ)ベツ | - |
| 午手控 (1858) | シヤマニ | 獺の故事 |
| 蝦夷地名 奈留邊志 (1859) | シヤマニ | ヱシヤマニ(獺) |
| 東西蝦夷山川地理 取調図 (1859) | エシヤマニ | - |
| 戊午日誌 (1859-1863) | エシヤマニ | シヤン(高山)マニ(有る所) 女の游ぎたる |
| 東蝦夷日誌 (1863-1867) | シヤマニ | 高山有るところ 女が此所より彼方に游ぎし |
| 蝦夷地道名国名郡名 之儀申上候書付 (1869) | 様似郡 | シヤンマニ。高山在る、獺 |
| アイヌ語地名の 命名法 (1887) | Shamani | ? |
| 永田地名解 (1891) | エサマン ペッ | 獺川 |
| アイヌ地名考 (1925) | SAMANI | San-mau-ni「腐った木、または 波で海岸に洗い上げられた木の地」 Shan-an-i「岩棚の地」 |
| 北海道駅名の起源 (1954) | エサマン・ペッ | 獺・川 |
| 様似町史 (1962) | トムサンペツ | 山脇を下る川 |
| 北海道の川の名 (1971) | E-samam-pet | 頭(水源)・横になっている・川 |
| 北海道駅名の起源 (1973) | エサマン・ペッ | かわうそのいる川 |
| 北海道地名誌 (1975) | エサマン | かわうそ |
| アイヌ語地名解 (1982) | エサマン・ペッ | かわうそが多かったので |
| 北海道の地名 (1994) | saman-i | 横になっている・もの(川) |
一シヤマニ
シヤマは横と譯す。ニは木也。名義不詳。一曰、シャマニといへる女夷ありしより地名と成たりと。
夷言獺 をさしてエシヤマニと称す。今其を詰てシヤマニと言けるが、蝦夷東部シヤマニの地、むかし其川口え大なる獺流れ寄りしによつて、其言を以て地名とする由伝ふ。
又一説には、シヤンマニなるよし。シヤンとは高山、名山抔を云、マニとはヲマニと云し事にて、高山の有る所と訳す。
又は女の游ぎたるとも訳すと云事有。
Esamam-pet の音はエ・サマム・ペッ「E-samam-pet 頭(水源)・横になっている・川」と聞えるし、またその方が自然の河川名形である。実際この川の上流は東の方に曲っていて、そんな姿である。
音だけでいえば,サマニ「saman-i 横になっている・もの(川)」と聞こえる。この川の川尻が海に向かって横に流れている姿を呼んだのかとも考えた。
様似川はそこそこ長い川ですが、水源が日高山脈に接している訳ではないので、峠道として重要だったかと言われるとややびみょうな感じもするのです。
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2025年7月4日金曜日
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2025年7月3日木曜日
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2025年7月1日火曜日
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