【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 8 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。
Google マップで確かめたところ、100 m ほど先の交叉点を左折とのこと。この交叉点は、北に向かう場合はやや見通しが良くないので、ちょっと手前に標識を設置したのかもしれませんが……。
2025年9月30日火曜日
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2025年9月29日月曜日
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2025年9月28日日曜日
こへて
ヘテウコヒ
此処二股に成る也。此処よりして東の方は、西よりして少し小さきが故に、一字を下げて志るし置に
メナシベツ
是東の川と云儀也。魚類鱒と鯇との二種有とかや。
しばし是を上り行て
クーベチ
右のかた小川。
またしばし上りて
シユフンナイ
右の方小川。是桃花魚多く入るよりして号しとかや。本川左りの方に至る。是よりして上の方無名の小川左右に多しと。
2025年9月27日土曜日
凡七八丁も過て
サツナイ
左りの方小川。其川口干上りて口無が故に号るとかや。本名サツテクナイの義也。此川川口無故に魚類何もなしと。
2025年9月26日金曜日
また少し上りて
ルベシベ
右の方小川。其名義は此処よりウラカワの川端え山越道あるが故に号る也。
2025年9月25日木曜日
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2025年9月24日水曜日
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2025年9月23日火曜日
この記事内の見出しは高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』(中央公論事業出版)の「初版からの省略版(普及版)の削除部分を示す対照表」の内容を元にしたものです。この対照表は、高梨謙吉訳『日本奥地紀行』(平凡社)および楠家重敏・橋本かほる・宮崎路子訳『バード 日本紀行』(雄松堂出版)の内容を元に作成されたものです。
蝦夷は、日本本土とは津軽海峡に、またサハリンとは宗谷海峡に隔てられ、東経一三九度三〇分から一四六度、北緯四一度二〇分から四五度二〇分へと不規則な三角形に広がっており、最北点は英国ランズエンド岬よりかなり南にある。
面積は三万五七三九平方マイル[約九万二九〇〇平方キロ]で、アイルランドよりかなり大きいのに、推定人口は一二万三〇〇〇しかない。
この島は山脈の集まりで、平地はよく草が生え、水に恵まれている。
土地の多くを人の踏み込めない密林や沼が覆っている。
最大のものは石狩川で、鮭で有名である。
海岸に安全な港は少なく、台風の進路には当たらないものの、ひどい強風が吹き、途切れのない波がある。
耕地は主に海の近くにあるが、例外的に札幌の付近には広大な平野がある。
内陸は森林に覆われており、価値ある木材の供給源はありあまるほどで、木材として有用な樹木は三六種を数える。
土壌はふつう豊かで、暖かな夏はたいていの穀物や根菜の生長に好ましい。
噴火湾[内浦湾]では門別におけるものほど立派に育っている作物をわたしはどこでも見なかった。
開墾された土地は腐葉土で肥えており、アメリカにおけるような作物を生産するのに適していて、二〇年間施肥がいらず、イギリスのように定期的で充分な降雨があるので、灌漑は必要ない。
蝦夷の主な鉱物資源は炭田にあるが、政府は外国資本の導入を警戒しており、通商停止が解除されるまでは、この資源が大規模に使用されることはありそうになく、また鉱山開発に充てられた資金の大半は、途中の官僚が「搾取」してしまうためむだに費やされている。
地質調査の有能な主任であるライマン氏は蝦夷炭田の石炭埋蔵量を一五〇〇億トンと見積もっている。
言い換えれば、蝦夷は英国の現在の年間生産量を今後一〇〇〇年間(!)生産し続けるかもしれないということなのである。
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2025年9月22日月曜日
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2025年9月21日日曜日
2025年9月20日土曜日
| 大日本沿海輿地全図 (1821) | イカヌシ? |
|---|---|
| 初航蝦夷日誌 (1850) | ヱカニウシ |
| 竹四郎廻浦日記 (1856) | ヱカヌウシ |
| 午手控 (1858) | イカニウシ |
| 東西蝦夷山川地理取調図 (1859) | エカニウシ |
| 戊午日誌 (1859-1863) | イカ |
| 東蝦夷日誌 (1863-1867) | エカニウシ |
| 永田地名解 (1891) | イカリ ウㇱ |
| 北海道実測切図 (1895 頃) | イカリウシ |
| 北海道地形図 (1896) | イカリウシ |
| 国土数値情報 | エカニウス川 |
イカニウシ 昔此処鹿うーん。もしかしたらそんな出来事が実際にあったのかもしれませんが、「イカニウシ」をどう解釈するとそうなるのか、ちょっと理解に苦しみます。「射る」を意味する tukan という語はありますが……。猟 りに附、一人の老夷女、致しおりし鹿往返に目を附け番有し所、猟蝦夷人共射放したる矢誤り老女に当り即死に附、イカニウシと名付し由
Ikari ushi イカリ ウㇱ「荒天時に遠回りをした」という話のようですが、この手の話もちょくちょく目にしますね。最近だと様似の「キリシタナイ川」あたりでしょうか。山越 直譯迂リ路スル處元浦川出水ノトキ川ヲ渉ル能ハズ山越シテ往來セシニヨリ名ク
2025年9月19日金曜日
Une top ウネ トㇷ゚ 笹原 直譯一樣ノ笹うーむ……。top は「竹」ですが「ウネ」が正体不明です。もしかして「
また少し上りて同じ方に
ヲニトウ
小川也。其名義はヲニトツフにして、此辺大笹多くあるよりして号しもの也。
§ 383. ネマガリダケ
Sasa paniculata Makino et Shibata var. paniculata Nakai
(1) opnetop(óp-ne-top)「おㇷ゚ネトㇷ゚」[<op(矢柄)ne(になる)top(竹)]莖《A 沙流・鵡川・有珠》
注 1.──op わ今普通に槍と譯されているけれどももとわ槍に限らず柄の意である。語原わ o-p[ついている・もの]で,kité-op わ「銛先のついているもの」の義で銛の柄のことであり,marék-op わ「鮭銛のついているもの」の義でいわゆるマレップの柄のことである。本條の場合 op わ ay-o-p「矢のついているもの」の op で矢柄(矢がら)をゆう。
2025年9月18日木曜日
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2025年9月17日水曜日
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2025年9月16日火曜日
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2025年9月15日月曜日
この記事内の見出しは高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』(中央公論事業出版)の「初版からの省略版(普及版)の削除部分を示す対照表」の内容を元にしたものです。この対照表は、高梨謙吉訳『日本奥地紀行』(平凡社)および楠家重敏・橋本かほる・宮崎路子訳『バード 日本紀行』(雄松堂出版)の内容を元に作成されたものです。
日が上ってからも強風はまた出てきた。十四時間で六〇マイル進んだ後に、船は函館港の岬に到達した。
風が吹き、雨は土砂降りで、アーガイルシア(スコットランド西部の州)の悪天候の日に似ていた。
風と雷雨、そして「北海の荒れすさぶ音」が、北の島に上陸しようとする私を猛烈に歓迎してくれたわけである。
ジブラルタルのような岩だらけの岬、冷血のように見える灰色の町、険しい山腹に散在する松の木、実に多くの灰色の小舟、碇泊中のいくつかの汽船や外国船、たくさんの平底船が荒れる海上を軽く走る姿などが、雨や波しぶきの合間からちらりと見ることのできたすべてであった。
それで私は五十人の日本人と一緒に、甲板のある平底船 の頭部に固まって乗った。嵐のような風であったので、上陸するまで半マイル進むのに一時間半もかかった。
それから私は風の吹いている波止場で雨の中を待っていた。そしてようやく、遅くまで寝ていた税関の役人が起こされた。
私は領事館で歓待されることになっていたのだが、それを知らなかったので、ここの教会伝道館に来た。
しかし私は、あらゆる困難を克服したという勝利感を当然味わってもよい気がする。私が東京を出発するときには考えたことのないほどの多くのことをなしとげたのだから。
北の海の轟く音はなんと音楽的に聞こえることか!吹きすさぶ風が唸り吼える音はなんと私の心を励ましてくれることだろう!烈しく雨が吹きつけてくるのさえ、わが家にいるような気がする。震えるような寒さが私を奮い立たせる。
ドアに鍵をかけられる部屋にいることがどんなに嬉しいことか、担架式ベッドではなく、ほんもののベッドに横になり、良い便りをのせた二十三通の手紙が来ているのを発見し、英国人の家の屋根の下の暖かく静かなところでそれらを読むことができるのは、どんなに嬉しいものか、とてもあなたには想像できないでしょう!
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2025年9月14日日曜日
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。
またしばし過て
ホンアサマセ
ホロアサマセ
二川ともに左りの方小川也。此辺山の間に入るとかや。其名義は川口は至て狭くして、其奥広ろきよりして号るとかや。奥に岩山有るよし也。
asam, -a アさㇺ 底;(湾・入江・沼・洞窟などの)奥。[<a-sam か?; a(坐る)sam(側);──壺など坐っている側が底になるので,そこから来たか]
2025年9月13日土曜日
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またしばし過て
コヱホクヲシヨシナイ
左りの方小川。其少し上に高山有。此川上滝有るが故に号る也。此沢五六丁入りてホンナイ一ツ有。扨 また源ムクマヘツと云。左りの滝有る沢と云る儀也。
扨此ライヘツは魚類鮭・いとう・桃花魚・鯇・雑喉等有るよし也。またしばし上りて
ハナタカムイニセシナイ
ヘナタカムイニセシナイ
等二川とも右の方の小川也。
川口凡三四丁隔たりけるが、其辺一面の樹木立原にして、其処に鴞 の巣多く有るよりして号し也。其名義はハナタ、ヘナタは上下の義也。カムイニセシとは鴞をして土人カムイチカフと云て、神の鳥と伝ふ。ニセシとは巣の事、是セトシの詰りしか。
「カムイ川」と「──カムイニセシナイ」は無関係かもしれませんが、現在の「カムイ川」の北隣を「ルシウンナイ川」が流れていて、「ライベツ川」の上流側に「ルスナイ川」が現存することを考慮すると、なんらかの相関がありそうにも思えます。たまたま似た名前の川が複数存在していたために、川名を取り違えたという可能性もあるかもしれません。
2025年9月12日金曜日
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また少し上りて
レセイガハ
左りの方小川。此名義は此川にては決して浜の事を話しいたさゞる処なる故に号るとかや。
しばし過て
ラウクシメナ
右のかた小川。ラウクシとは沼谷地の草の根多く明が切てふかき処を云。メナは屈曲甚しき処を号るとかや。
mena メな ① 上流の細い枝川。② 【シズナイ】たまり水。
メナは、道南に散在している小川の名。意味はもう分らなくなっている。永田氏は、支川、細川、溜水のように、各種の訳をつけていて、処々に、「土人云う支川の意」、「メナはアネ(註 細い)と同義なりとアブタ・アイヌ云う」等の説明書きをしている。
知里博士は、mem-nai(湧泉の池・川)の略された形ではないかと、よく話しておられた。とにかく今まで見た範囲では、どれも小流である。
2025年9月11日木曜日
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2025年9月10日水曜日
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2025年9月9日火曜日
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2025年9月8日月曜日
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2025年9月7日日曜日
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| 水系 | 東西蝦夷山川地理 取調図 (1859) | 北海道実測切図 (1895 頃) | 陸軍図 (1925 頃) | 国土数値情報 |
|---|---|---|---|---|
| ベッチャリ川支流 | トキヲマナイ | - | ツケナイ澤 | ツケナイ川 |
| ナイ川支流 | トキヲマナイ | トーオマナイ | - | ナイ左川 |
またしばし山間に上り行て
トキヲマヘツ
左り方小川。其名義不解也。
また並びて
トキヲマナイ
此処左りの方小川。其名義は陶器有る沢と云儀。其訳は昔し金丁ども此処に多く住ひし時に、爰にて焼ものを多くなしたり。其破れ欠が多く此沢に有るが故に号るとかや。
Tuk oma nai ト゚ク オマ ナイ 凸處ニアル澤tuk-oma-nay で「小山・そこに入る・川」と読めます。tuk の所属形は tuki とのことなので、tuki-oma-nay で「その小山・そこに入る・川」だったかもしれません。間の -oma が略されて tuki-nay となり、それが「ツケナイ川」になった……と見ることも可能でしょう。
2025年9月6日土曜日
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七八丁も上るや
シ トチ
左りの方小川也。其名義は餅を喰しと云事也。訳は此川の奥に金銀山が有りて、昔しは余程繁昌なしたる由なるが、其節には此処に餅を搗 て熹 りし爺有りしと。依て号るとかや。
Shittoki シットキ 岬 直譯臂sittok は「
Pittuk ush nai ピット゚ㇰ ウㇱュ ナイ防風草 アル澤
2025年9月5日金曜日
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上りて
ア子サラ
西岸、其名義は細長く尖りし蘆荻と云儀なり。本名ア子イシヤリの儀也。
2025年9月4日木曜日
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2025年9月3日水曜日
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2025年9月2日火曜日
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2025年9月1日月曜日
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