2019年1月21日月曜日

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冬の爆発踏切と角島大橋 2017 (15)「西鉄北九州線」

 

国道 3 号を門司方面に進み、「砂津」交叉点にやってきました。謎に広い交叉点ですが、なんでこんなに広いんでしょう。

西鉄砂津バスセンター

本来は「砂津」交叉点を右折する必要があったのですが、右折する必要があったことに気が付かず、そのまま直進してしまいました。「チャチャタウン小倉」というショッピングモールの横をくるっと一周して、国道 3 号への復帰を試みます。「西鉄高速バス」の文字が見えますが、あの建物が先日放送された「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」でも出てきた「西鉄砂津バスセンター」です。
さすがはあの西鉄バスのターミナルです。結構な数のバスが並んでいますね。そして左側の「チャチャタウン小倉」はかつての「西鉄北九州線」の車庫跡でもあります。
先程右折しそこなった「砂津」交叉点が見えてきました。何やら工事中のようですが、これ、もしかしたら立体交差化工事でもするんでしょうかね……?

謎に広い理由

右折する代わりに二度ほど左折して、国道 3 号に戻ってきました。このあたりの国道 3 号も謎に広いですが……これには一応理由?があります。信号の先にバス停が見えると思いますが、バス停の先のあたりを例の「小倉裏線」が通っていました。また、そのすぐ先を「小倉鉄道」(後の国鉄添田線)が通っていました。
そして、国道 3 号の南側(写真だと右側)を「西鉄北九州線」が通っていました。このあたりの西鉄北九州線は「小倉裏線」と「小倉鉄道」を立体交差する必要があったため、併用軌道ではなく専用軌道で建設されたようです。

ちなみに、「小倉裏線」は 1903 年から 1916 年の僅か 13 年間しか存在しなかったのですが、西鉄北九州線の前身となる「九州電気軌道北九州本線」の開通が 1911 年ということで、その際に建設された立体交差がその後ずーっと残っていたことになりますね。
山陽新幹線との立体交差が見えてきました。西鉄北九州線は右側の橋桁の奥を通っていたようです。この写真では今ひとつ良くわかりませんが、空中写真で見ると、国道と中学校の敷地(緑色の柵のところです)の間に謎の空間が広がっていることがわかります。ここを「西鉄北九州線」が通っていたということですね。

4 車線の大断面トンネル

新幹線の下をくぐると、国道 3 号は JR 鹿児島本線の横の高台に出ます。引き続き片側 2 車線ですが、西鉄北九州線が併用軌道上に戻ってきたので、廃線跡を拡幅用地に使用する、ということはできなくなりました。平たく言えば、ちょいと狭くなりました。
「手向山公園」の下を抜ける「手向山トンネル」が見えてきました。4 車線の大断面トンネルというのは割と珍しいのではないかと。

トラックは地球に優しく走っています

小倉から門司に抜ける国道は 2 路線あります。山側が国道 3 号で海側が国道 199 号です(てっきりどっちも国道 3 号かと思ったのですが、別路線でした)。近いところでは 150 m くらいしか離れていないのですが、間を JR が通っているため、両者の行き来ができる場所は限られています。
赤信号に引っかかってしまったのでおとなしく待っていたのですが、……あ、また LED 信号が消えちゃってますね。「トラックは地球に優しく走っています。」とのことですが、若干車体が右にロールしているように見えます(フロントの沈み込みも気になりますね)。コーナリング速度も控えめにすると尚良いでしょう。
門司港まではあと 7 km のようです。あと 7 km で九州ともお別れということになりますね。

飲酒運転、ダメ、絶対

路上の電光掲示板が交通安全を啓蒙していました。ああ、これはまさしくその通りですね。
ちなみにもう一つの表示内容がこちらでした。
ああ、もちろん覚えていますとも。2006 年に福岡市内で起こった事故は大変悲惨なものでしたが、その後、飲酒運転の厳罰化が加速したことが唯一の救いだったでしょうか。

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