2023年5月14日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1037) 「姉別・恩根別」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

姉別(あねべつ)

ane-pet
細い・川
(記録あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
浜中町東部の地名で、同名の駅もあります。もともとは駅から 4 km ほど北を流れる川の名前ですが……まずは「北海道駅名の起源」を見てみましょう。

  姉 別(あねべつ)
所在地 (釧路国)厚岸郡浜中町
開 駅 大正8年11月25日 (客)
起 源 アイヌ語の「アネ・ペッ」(細い川) から出たもので、駅の北方 4 km ほどのところを、湿地の水を集めて東に流れ、風蓮川に合する小川の名である。昭和48年2月5日旅客駅となる。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.156 より引用)
あ……。「北方 4 km ほど」と書いてありましたね……(かぶった)。この川については、永田地名解 (1891) にも次のように記されていました。

      フーレペツ東支
Ane pet   アネ ペッ   細川
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.371 より引用)
明治時代の地形図にも「ア子ペツ」と描かれているのですが、「東西蝦夷山川地理取調図」(1859) には河口部(フウレンヘツに合流するところ)に「アン子ヘツフト」と描かれていました。「フト」は putu で「河口」を意味するので、「アン子ヘツフト」は「アン子ヘツの河口」ということになります。

ただ、不思議なことに「初航蝦夷日誌」(1850) や「竹四郎廻浦日記」(1856) などの松浦武四郎の記録には「アヌンヘツ」とあり、「午手控」(1858) には次のように記されていました。

アヌンヘツ
 むかし土人が行て鷲を取りしと云よし
(松浦武四郎・著 秋葉実・翻刻・編「松浦武四郎選集 六」北海道出版企画センター p.369 より引用)
どうやら an-un-pet で「鷲取小屋・ある・川」と解釈したようです。ところが永田方正が ane-pet で「細い・川」だ!と新解釈を打ち出して、それが広く受け容れられて現在に至る……んじゃないかと思ってました、実は。

ところが、これは山田秀三さんも指摘していたのですが、上原熊次郎の「蝦夷地名考幷里程記」に次のように記されていました。

扨、ア子ベツとは、則、細き川といふ事にて、此川幅至狭きゆへ此名ある由。
(上原熊次郎「蝦夷地名考并里程記」草風館『アイヌ語地名資料集成』p.66 より引用)
更に、伊能忠敬の「大日本沿海輿地図 (1821) 蝦夷地名表」にも「アン子ベツ」と記されていました。どうやら松浦武四郎の an-un-pet という記録は少数派だったらしく、ane-pet も永田方正のオリジナルでは無かったっぽいので、これは……やはり素直に ane-pet で「細い・川」と見るべきなのでしょうね。

恩根別(おんねべつ)

onne-kitchi??
大きな・舟型の食器
(?? = 記録はあるが疑問点あり、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
姉別駅の西、浜中駅の北東、国道 44 号の南東に位置する三等三角点の名前です(標高 49.6 m)。まぁ普通に考えれば onne-pet という川があったのだろう……と想像できるのですが、明治時代の地形図を見てみると「オン子キツチ」という川と「ポンキツチ」という川(いずれも姉別川の南支流)が流れていたようです。……キツチ???

「キッチ」は「舟」か「食器」か

実はこの「ポンキツチ」と「オン子キツチ」、ちゃっかり永田地名解 (1891) にも記載がありまして……(気づいてなかった)

Pon kitchi   ポン キッチ   舟ヲ作ル小川「キツチ」ハ舟ヲ作ル義
Onne kitchi   オンネ キッチ  舟ヲ作ル大川
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.372 より引用)
ほ……ほう。kitchi とは耳慣れない語ですが、知里さんの「──小辞典」の「索引と補遺」にも次のように記されていました。

kitchi 舟型の容器;ふね。[<日本語]
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.155 より引用)
知里さんが永田地名解に対して重度のツンデレ状態だったことは、後に山田秀三さんによって暴露されていますが(言い方!)、知里さんが集めた語彙の中には永田地名解以外では裏付けの取れない(と思われる)ものも存在するので注意が必要だったりします。

ただ、この kitchi については、なんとドブロトヴォールスキィの「アイヌ語・ロシア語辞典」(2022) に記載がありました。Kr. とあるのでステパン・クラシェニンニコフの「カムチャツカ地誌」に拠った内容のようですが……

Kitchi. Kr. 木製の食器.
(寺田吉孝・安田節彦・訳「M.M.ドブロトヴォールスキィのアイヌ語・ロシア語辞典」共同文化社 p.275 より引用)
永田地名解が「舟」と記しているのに対し、ドブロトヴォールスキィの辞書では「木製の食器」とあるのですが、「──小辞典」の「舟型の容器」という説明が両者を無理やりつなげてくれた……という感じでしょうか。実は「萱野茂のアイヌ語辞典」(2010) にも次のように記されていまして……

キッチ 【kitci】
(馬や豚の)餌入れ用具.
(萱野茂「萱野茂のアイヌ語辞典」三省堂 p.207 より引用)
むぅぅ。これは同じものを指しているのか、それとも全く別のものなのか……。ただ「皿」も「人間の餌入れ用具」と言えなくもない……ような気も……(汗)。

川の名前に「木製の皿」というのも変なので、永田方正は「舟を作る大川」という *気の利いた解釈* を出してきた……と言ったところでしょうか(kitchi は「舟」だとしても「作る」という意味は無い筈なので)。ただ「舟を作る」という言い回しは他にもある筈なので、あえて kitchi という表現を使う必然性は無いんじゃないかな……とも思われるのですね。

「キッチ」か、それとも「キッチェ」か

となると、やはり kitchi を素直に「食器」と解釈して、地形がどことなく食器を思わせる……ということか、あるいは kitche で「キチキチと鳴る」あたりの可能性がありそうに思えてきました(参考)。

「キチキチと鳴る」というのは金属音っぽい印象がありますが、久保寺逸彦アイヌ語・日本語辞典稿」(2020) によると「キチッと音がする」以外にも「くすくす笑う」や「ちゃらちゃらする音」も kit- で表現するケースがあるとのこと。となると一般的には charse-nay と呼ばれそうな「チャラチャラと流れる川」だった可能性も出てきますね。

また、ちょっと気になる情報としては、ジョン・バチェラーの辞書に kitcheppo が「ヤマベ」を意味するとある……とのこと。

(11)kikreppo(kik-rep-po キㇰレッポ)[kikrep(?)-po(指小辞)]《チトセ;ホベツ;アズマ;サル;ニワン》(B)kitcheppo ハこれか
(知里真志保「知里真志保著作集 別巻 I『分類アイヌ語辞典 動物編』」平凡社 p.54 より引用)
とりあえず kitcheppo の正体はさておき、めちゃくちゃ強引に考えると、魚の立てる水音も kitche と言えるのかも……? もしかしたら魚が「パチャパチャ」と水音を立てる川だった、という可能性もあるのかもしれません。

まぁ、色々と想像はできるのですが、現時点では onne-kitchi で「大きな・舟型の食器」と見るしか無さそうな感じでしょうか。個人的には onne-kitche で「大きな・水音」説を推してみたいところですが、あまりに想像に頼る部分が大きすぎて色々とキツそうなので……。

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