2025年12月1日月曜日

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メモリアルシップ八甲田丸 (9) 「船長室」

 

青函連絡船を語る上では外せない「洞爺丸事故」についての展示もありました。詳細は敢えて繰り返しませんが、日本最大級の海難事故です。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 8 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

洞爺丸海難者慰霊碑

「洞爺丸海難者慰霊碑」が紹介された河北新報の記事がスクラップされています。
「洞爺丸海難者慰霊碑」でググると函館・七重浜にある「台風海難者慰霊碑(洞爺丸慰霊碑)」の記事がヒットするのですが、河北新報の記事は「青森市」にある「洞爺丸海難者慰霊碑」のものです。記事は 2012/10/21 付けのものですが、青森市の三内霊園に「洞爺丸海難者慰霊碑」が建立されたのは 1988(昭和 63)年とのこと。

函館にある「台風海難者慰霊碑」が建立されたのは「事故の翌年」(1955 年)とのことなので、函館の慰霊碑に遅れること 33 年で建立されたということになりますね。温度差があるようにも思えますが、事故の現場は函館側なので、ある意味当然なのかもしれません。

「洞爺丸一般配置図」と題された図面の上には……
在りし日の「洞爺丸」の写真が。これは出港時のものでしょうか。
「立入禁止」のステッカーが張られた「便所」がありました。この佇まいは現役時代(国鉄時代)のものでしょうか……?

船長室

メモリアルシップ八甲田丸、3F「遊歩甲板」を船尾部から見て歩いて、ついに船首部までやってきました。次の展示は「ブリッジ」(操舵室)です。
ここが「船長室」のようです。何故か「TSUGARUMARU」のステッカーが貼られていますが……(津軽丸から移設?した?)
ガラスの向こうには物思いに耽る人物が。
強烈な明暗差でオートフォーカスも甘くなっちゃいましたが……。

「竹」

船長室にはソファ兼ベッドとテーブルも用意されていたようです。
ロッカーの前には冬用の外套が掛けられていました。ここぞとばかりに「竹」と題された「飾り毛布」も置かれています。船長は麻雀好きだっt

サロン会議室

「船長室」の隣には「サロン会議室」という謎の部屋が。
入口の上にはいかにも国鉄風の「会議室」のプレートが。
部屋にはソファとテーブルが並んでいて、隣の「船長室」と行き来ができる構造だったみたいです。なるほど「会議室」と言うよりは船長の「応接室」に相当するものだったのでしょうか。博多人形?のようなものが飾られているのは謎ですね。

乗船名簿は

現役時代の切符らしきものが飾られていました。「乗船名簿はここでお書きください」というプレートの文字はいかにも「昭和!」という感じですが、とても見やすいものですね。既製品のフォントには無い良さがあります。

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