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ちょいと引いたアングルから撮影すると……こんな場所です。上部の真ん中にゴーストが……?
右側にはこんなお茶目なものが。「船長・機関長と記念撮影!」と題されたスクリーンで、左が元機関長で右が元船長とのこと。お二方ともいい表情なのは流石ですね。
「森の湯」のタイル絵
あと、これは立派な「文化財」だと思われるのですが、なんと(廃業した)銭湯にあった「タイル絵」が展示されていました。この「タイル絵」は写真をもとに描かれたと推測されていて、なんとモデルの船名も(断定こそしていないものの)特定されていました。撮影時期も「1982 年か 1983 年」と推定されているのですが、これは 1982 年の法定点検以後に見られる変更点が確認できる……ということなんでしょうか?
この「森の湯」ですが、なんと東京都大田区矢口(東急多摩川線武蔵新田駅前)にあったとのこと。タイル絵のモチーフや譲渡に至るまでの経緯が審に記されているのですが、これを読むと「貴重な文化遺産が保護されて本当に良かった」と思ってしまいます。
交通博物館!
「メモリアルシップ八甲田丸」は、「羊蹄丸」にて展示されていたジオラマを引き取って展示するなど、各方面から譲渡を受けたものが目立つ印象もありますが、こちらの「青森さん橋駅と青函連絡船(1:350)」と題された模型は……「交通博物館寄贈」とあります。これって万世橋にあった「交通博物館」ですよね? 大宮のあたりに移転したと記憶していますが、移転に際して収蔵品のリストラも行われた……ということでしょうか(まぁ当然のことかもしれませんが……)。
おやすみ〝海峡の女王〟
当時のスナップ写真がラックに飾られていて、下のショーケースには「さよなら連絡船関連資料」と題して写真集などが展示されていました。一方でこちらのショーケースには、何やらクラシックなものが並んでいます。右手前の箱に入った丸いものが今になって気になってきましたが、これは何だったんでしょう。隣はデニケン……ではなくて「電鍵」が置かれているので、通信関連のものでしょうか。形状からは測位関連のものかな、とも思わせますが……。
上には 1988(昭和 63)年 3 月 14 日(青函連絡船最終運航日の翌日)の新聞各紙のスクラップが並んでいます。「北海タイムス」の「おやすみ〝海峡の女王〟」という見出しが特に印象的ですが、この「北海タイムス」自体が 10 年後に廃刊の憂き目に遭うとは流石に想像してなかったでしょうね……。
24 時間運航
こちらは船員さんが使用したと思しき道具類が展示されていました。JNR(=国鉄)のロゴ入りの手帳?のようなものも見えますね。こちらは 1986(昭和 61)年時点の「青函連絡船」の運航ダイヤです。24 時間運航の見事なパターンダイヤですが、接続先の旅客列車は(当然のことながら)夜中には僅かにしか設定がありません。
「寝台個室」の謎
あれ、船首部には「ブリッジ」(操舵室)がある筈なのに……と思ったのですが、「ブリッジ」は 3F「遊歩甲板」ではなく 4F「航海甲板」だったのですね。「船内案内板のいろいろ」と題して当時の案内板がまとめて展示されています。よく見ると「寝台個室 1 号室 A 室 B 室」と書かれた案内板もあるのですが、あれ、もしかして「寝台個室」ってそもそも数部屋しか設定がなかった……?
「寝台個室」にはベッドの他にソファーとテーブルのある「居間」も用意されていて、なかなか豪華だなぁ……と思っていたのですが、今のフェリーで言う「特等」や「スイート」に相当する上級グレードだった……のだとしたら、まぁ当然と言えば当然だったのかも……?
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