(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
オンウシ沢川
o-so-us-nay
河口・滝・ついている・もの
河口・滝・ついている・もの
(旧地図に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
ツウイ沢の東、ホロピナイ沢の南で新冠川に合流する南支流(東支流)です。えっ、もしかして……と思った方もいらっしゃるかもしれませんが、『北海道実測切図』(1895 頃) には「オ戊午日誌 (1859-1863) 「毘保久誌」には次のように記されていました。
またしばしにて
ヲソウシナイ
右の方小川。崕樹峨々たる岩壁に垂れて、其趣至極妙なりと。川すじ滝有るよりして号るよし也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.180 より引用)
松浦武四郎はこの川を実際には見ておらず、インフォーマントからの聞き書きの筈ですが、大絶賛なのが微笑ましいですね。ところが永田地名解 (1891) には次のように記されていました。
O sho ush nai オ ショ ウㇱュ ナイ 扁磐多キ川 「シヨ」ハえっ、何を言ってるのこの人……と思ってしまいそうですが、実はこれも「正解」だと思われます。『地名アイヌ語小辞典』(1956) には次のように記されているのですが……敷物 ノ義因テ扁磐ノ義ニ用フ
so そ(そー) ①水中のかくれ岩。②滝。③ ゆか(床)。④めん(面); 表面一帯。
(知里真志保『地名アイヌ語小辞典』北海道出版企画センター p.125 より引用)
松浦武四郎は良くある②の意味で解を記したのに対し、永田方正は①だとして、その上で so の本来の意味は③だとした……ということですね。突き詰めると、そもそも滝とは何か……という哲学的な問いに昇華しそうな気もします。崖を落ちる水を指すのか、それとも水が落ちる岩を指すのか。後者であれば①と②は本質的に同じものを指している可能性も出てきます。
とりあえず「オンウシ沢川」は o-so-us-nay で「河口・滝・ついている・もの」と見て良いかと思われます。so の定義についてこれ以上長々と語るのも無粋ですので……。
ホロピナイ沢
poro-pinnay?
大きな・細く深い谷川
大きな・細く深い谷川
(? = 旧地図に記載あり、独自説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
「オンウシ沢川」の北で新冠川に合流する東支流です。以前(2016/7/16 の記事)でも取り上げたことがありますが、直近では「幌井内」の回でも再検討しています。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ハシナウシナイ」という川が描かれていましたが、何故か 『北海道実測切図』(1895 頃) では「ポロピナイ」に名前が変わっていて、そのまま現在に至る……ということのようです。
「ポロピナイ」は poro-pinnay で「大きな・細く深い谷川」だったのではないかと考えています。詳細は「幌井内」の回をご覧ください。
オケルンペ沢
o-kenru-un-pe?
河口・家・ある・もの(川)
河口・家・ある・もの(川)
(? = 旧地図に記載あり、既存説に疑問あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
「岩清水ダム」の先で新冠川に合流する西支流です。「オケルンペ沢」自体は二手に分かれていますが、右側(北側)が「オケルンペ沢」とのこと。国土数値情報は「オケルンペ沢」の南に「オケルンベツ沢」が存在するとしていますが、果たして「オケルンベツ沢」が実在するのかどうかは……?『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ヲケルンヘ」とあり、『北海道実測切図』(1895 頃) には「オケルンペ」と描かれています。
戊午日誌 (1859-1863) 「毘保久誌」には次のように記されていました。
またしばし過て
ヲケンルンベ
左りの方小川也。其名義不解也。小川滝に成て落るよし也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.181 より引用)
「其名義不解也」とありますが、頭註には「ヲク 峠の」「ウエン 悪い」「ル 道」「ウン ある」「ペ 所」とあります。ok は本来は「うなじ」を意味し、ok-chis(根室市ところが、永田地名解 (1891) には次のように記されていました。
Oken runpe オケン ルンペ 好路ノ處 土人ノ説ニ從フoken が何を指すのかは謎ですが、知里さんの『アイヌ語入門』(1956) には次のように記されていました。
ヒダカ国ニイカップ郡に「オケンルンペ」という地名があり,永田方正さんはこれを
Oken runpe 「オケン ルンペ」
というように書き,「好路の処」と解している。これはおそらく,
o-kenru-un-pe 「そこに・家・ある・所」
という意味の地名だったのではなかろうか。
(知里真志保『アイヌ語入門 復刻─とくに地名研究者のために』北海道出版企画センター p.9 より引用)
o-kenru-un-pe で「そこに・家・ある・ところ」とのことですが、あるいは「河口・家・ある・もの(川)」かもしれません。kenru という語はあまり聞かないものですが、『釧路地方のアイヌ語語彙集』には「Kenru 家[J.B.]。」とあります。「J.B.」は「ジョン・バチェラー『アイヌ・英・和辞典』」を意味しますが、手元にあるジョン・バチェラー『蝦和英三對辭書』(1889) には該当する語が見当たりません(参照した版が違うのかも)。
『萱野茂のアイヌ語辞典』(2010) にも kenru の項目があり、次のように記されていました。
ケンル【kenru】
家:普通の場合,家のことをチセと言うがお祈りの時だけケンルと言う。
(萱野茂『萱野茂のアイヌ語辞典』三省堂 p.230 より引用)
ふむふむ。kenru は祭祀の際に使う表現だった、ということでしょうか。また、『藻汐草』(1804) には「ケレル」で「家」を意味するとありました。『藻汐草』には「チセ」も「家」を意味するとあるので、昔から共存?していたようにも見えます。
ただ『アイヌ語方言辞典』(1964) には kenru あるいは kereru の記載が無く、また『アイヌ語沙流方言辞典』(1996) や『アイヌ語千歳方言辞典』(1995) にも見当たらないようです。やや特殊な用途の語だったが故に忘れ去られてしまった……ということかもしれませんね。
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