(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
幌毛(ほろげ)
poro-kenas
大きな・木原
大きな・木原
(旧地図に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
「シカルベ山」の北西、「三石川」と「ヌサウシ川」の間に「幌毛」四等三角点(標高 372.8 m)が存在します。『北海道実測切図』(1895 頃) には漢字で「幌毛」と描かれていて、これは当時「幌毛村」が存在していたことを示しています(『角川日本地名大辞典』(1987) によると 1868(明治初)年から 1906(明治 39)年まで)。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ホロケナシ」と描かれていました。また戊午日誌 (1859-1863) 「美登之誌」には次のように記されていました。
ホロケナシ
左りの方大原、其上に樹木有る処也。大なる樹木原と云義なり。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.526 より引用)
「ホロケナシ」と「幌毛」の間のミッシングリングは、永田地名解 (1891) が埋めてくれそうです。Poro kenashi ポロ ケナシ 大林 幌毛村poro-kenas で「大きな・木原」と見て良さそうですね。この「幌毛」という地名は(三石)富沢に改められてしまい失われた……と思っていたのですが、三角点の名前としてひっそりと生き延びていたようです。
シカルベ山
sikari-pe?
丸い・もの(山)
丸い・もの(山)
(? = 旧地図に記載あり、既存説に疑問あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
新ひだか町三石蓬栄(かつて日高本線・蓬栄駅が存在したあたり)から北に広がる盆地の北東端にあたる山です。山の南側を「シカルベ川」が流れているとのこと。また「シカルベ山」の頂上付近には「鹿留部」四等三角点(標高 318.0 m)が存在します。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「シカルヘナイ」という川が描かれています。
「丸くなる」説
戊午日誌 (1859-1863) 「美登之誌」には次のように記されていました。また樹木原の下少し上りて
シカルベナイ
右の方小川。其名義は丸くなると云儀也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.526 より引用)
sikari は地名では「まわる」や「迂回する」と言ったニュアンスで語られますが、「丸い」や「丸くなる」という用法もあるとのこと。sikari-pe で「丸い・もの(山)」ではないかと考えていたのですが……「眼病に用いる苔のような草」説
ところが、『北海道実測切図』(1895 頃) には「シッキカルペヌプリ」という山と「シッキカルペナイ」という川が描かれていました。「シカルベ」ではなく「シッキカルペ」が正しいとすると話は変わってきます。siki-kar-pe-nupuri であれば「オニガヤ・刈る・ところ・山」と読めそうなので。ただ陸軍図では「シカルベ山」で、そのまま現在まで「シカルベ山」です。これは……嫌な予感がします。永田地名解 (1891) を眺めてみると……
Shik karpe nai シッキ カルペ ナイ 眼草川 眼病ニ用フル苔ノ如キ草多シうーむ、これは……。「目」を意味する sik という語がありますが、これを「眼病に用いる苔のような草」と解釈した……ということですね。前述の通り siki は「鬼茅」なので、「苔のような草」とはちょっと違うように思われます。
「丸いもの(山)」説
「また永田地名解がやりおったで」案件かと思ったのですが、永田地名解は連声(リエゾン)を徹底的に無視するという悪癖があるので、sik-kar-pe-nay を普通に読めば「シカルペナイ」になりそうな……。ということで、永田地名解の「眼病に用いる草の多い川」という説も一概に否定はできないものの、その後この説は誰も追随しなかったように思えるので、やはり「別説」に過ぎないと見るべきでしょうか。となると松浦武四郎の「丸くなる」という解に近い「丸い・もの(山)」説を取りたいところです。
ウツマ川
ukaup?
岩石が重畳しているところ
岩石が重畳しているところ
(? = 旧地図に記載あり、既存説に疑問あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
「三石川」の東支流で、「シカルベ山」の北を流れています。『北海道実測切図』(1895 頃) には「ウッマウ」と描かれています。この川ですが、『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ウツコフ」と描かれているようです。戊午日誌 (1859-1863) 「美登之誌」には次のように記されていました。
是よりして一人に馬をもどさせ、一同歩行 にて行に、また七八丁にて
ウツコウ
右の方滝川也。此辺え来り候哉両岸とも奇岩怪石多し。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.526-527 より引用)
この「ウツコウ」について、永田地名解 (1891) は次のように記していました。Ukop,=Ukaup ウコㇷ゚「永田地名解は連声(リエゾン)を徹底的に無視する」と書いたそばからこれです(すいません)。ただこの地名について、午手控 (1858) には次のように記されていました。岩塊 「ウカウプ」ノ急言ナリ
ウツマウ
此川尻泥かぶり居るより号しとかや
(松浦武四郎・著 秋葉実・翻刻・編『松浦武四郎選集 六』北海道出版企画センター p.436 より引用)
これは永田地名解の ukaup に通じるものがあるかもしれません。『地名アイヌ語小辞典』(1956) によると、ukaup は次のように分解できるのではないかとのこと。ukaup, -i ウかウㇷ゚ 岩石が重畳している所。[<u(互)ka(の上)o(に群在する)-p(もの)]
(知里真志保『地名アイヌ語小辞典』北海道出版企画センター p.135 より引用)
ukaup 説が永田地名解だけであれば「数ある説のひとつ」ですが、松浦武四郎の似たような説を記録していたとなると話は変わってきます(いい加減ですいません)。ukaup で「岩石が重畳しているところ」と見るべきでしょうか。試案をいくつか
ただ松浦武四郎が「ウツコウ」「ウツコフ」「ウツマウ」「ウツマフ」と、軒並み「ウツ──」と記録している点がどうしても気になります。例によって禁じ手ですが、この地形から考えてみると utur-oma-p で「間・そこにある・もの(川)」だった可能性を考えたくなります。「ウトゥロマㇷ゚」の「ロ」が落ちる必要がありますが、そこさえクリアできればかなりいい線を行くんじゃないかと……?
あと、以前は ut-oma-p で「肋・そこに入る・もの(川)」ではないかと考えていたのですが、この考え方も完全に否定できないと思っています。
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