(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
知野美(ちのみ)
chi-nomi
我ら・祭る
我ら・祭る
(旧地図に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
日高郡新ひだか町の「オコツナイ川」と「アザミ川」の間の山の頂上付近に三等三角点「知野美」が存在します(標高 134.0 m)。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には海岸部の地名として「チノミ」と描かれています。『北海道実測切図』(1895 頃) にも「アサミ」(=アザミ川)の南に「チノミ」と描かれていました。
『竹四郎廻浦日記』(1856) には次のように記されていました。
並て「川巾弐間斗」とあるので、幅が 3~4 m ほどの川があったことになりますが、「ヲタクヘウシ」と「チノミ」のどちらが川の名前だったのかは断定できない……でしょうか。
ヲタクヘウシ
チノミ
川巾弐間斗、橋有て此処に昔夷家八軒有レ之候ひし由。今は一軒もなし。
永田地名解 (1891) には次のように記されていました。
Chi nomi チノミ 酹祭處「酹」は「ライ」と読み、意味は「酒を地に注いで神や死者を祭る」とのこと。chi-nomi は「我ら・祭る」で、「チノミシリ」と呼ばれた祭礼の場は道内各所に存在していました。
ということなので「チノミ」は川名では無いことが多いのですが、何事にも例外はあるので……。「チノミ」に「乳飲み子」の「乳呑」という字を当てるケースがありますが、「知野美」というのはオリジナリティがありますね。
ゼンボツナイ沢川
chep-ot-nay
魚・群在する・川
魚・群在する・川
(旧地図に記載あり、既存説、類型多数)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
捫別川の東支流で、アザミ川の北を流れています。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) にも「セホツナイ」と描かれていて「???」となったのですが、『北海道実測切図』(1895 頃) には「チェポッナイ」と描かれていました(!)。戊午日誌 (1859-1863) 「茂宇辺都誌」には次のように記されていました。
扨西岸まゝ蘆荻原をわけ行こと凡十七八丁にして、また向ふの方
セホツナイ
右の方相応の川也。本名はチエホヲツナイと云なるべし。其名義は雑喉多く居る故号るなり。此川いとう・鯇の二種多し。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.545 より引用)
どうやら当時から「チェポッナイ」が「セホツナイ」に転訛していたっぽい感じですね。「イトウ」と「アメマス」が多いとのことなので、chep-ot-nay で「魚・群在する・川」と見て間違いなさそうです。ポロナイ川(ホロナイ川)
poro-nay
大きな・川
大きな・川
(旧地図に記載あり、既存説、類型多数)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
ゼンボツナイ沢川の北、四等三角点「金比羅」の北を流れる川です。地理院地図では「ポロナイ川」で、国土数値情報では「ホロナイ川」となっています。この川を遡って峠を超えると「シュンベツ川」支流の「ホロナイ沢川」に出ます。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ホロナイ」と描かれていて、『北海道実測切図』(1895 頃) には「ポロナイ」と描かれていました。
戊午日誌 (1859-1863) 「茂宇辺都誌」には次のように記されていました。
ホロナイ
右の方相応の川也。其うしろはフスのホロナイに当る。是此川すじ第一の支流也。名義は大川と云儀。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.548 より引用)
「フスのホロナイ」は「布辻川水系のホロナイ」、つまり「ホロナイ沢川」のことです。poro-nay で「大きな・川」とのこと。「ホ──」と「ポ──」で表記が揺れている以外は迷いようのない川名と言えそうですね。www.bojan.net
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