2025年10月31日金曜日

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北海道のアイヌ語地名 (1301) 「有勢内川・ロクマップ川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

有勢内川(うせない──)

esan-nay
岬・川
(? = 旧地図に記載あり、独自説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

「ロクマップ川」の謎

有良川静内川の間を流れる川です。比較的短い川ですが、「昼休所」があったからか、古くから名の知られた場所だったようです。せっかくなので表にまとめてみましょうか。

東蝦夷地名考 (1808)ウセナイ未考
東行漫筆 (1809)ウセナイ人馬継立所
大日本沿海輿地全図 (1821)ウセナイ-
蝦夷地名考幷里程記 (1824)ウセナイ只の沢
初航蝦夷日誌 (1850)ウセナイ夷人小屋有
竹四郎廻浦日記 (1856)ウセナイ人馬継立所
辰手控 (1856)ウセナイ-
午手控 (1858)ウセナイ此所出さきに有る沢故
東西蝦夷山川地理取調図 (1859)ウセナイ-
戊午日誌 (1859-1863)ウセナイ-
東蝦夷日誌 (1863-1867)ウセナイあらわる義。此處岬なる故になづけし
永田地名解 (1891)ウセイ ナイ湯川
北海道実測切図 (1895 頃)ウセイナイ-
1/50000 地形図 (1896) ウセイナイ-
1/50000 地形図 (1919) ウセナイ(地名として)
1/50000 地形図 (1945) --
1/50000 地形図 (1958) --
1/25000 地形図 (1976) ロクマップ川-
1/50000 地形図 (1977) --
国土数値情報有勢内川-
地理院地図ロクマップ川(!)-
地理院地図(地名情報)ロクマップ川-

困惑を隠せないのですが、地理院地図ではこの川は何故か「ロクマップ川」という扱いになっています。地理院地図と国土数値情報で川名が異なるケースは少なからずあり、その多くは国土数値情報が頓珍漢なのですが、今回は『北海道実測切図』の「ウセイナイ」と国土数値情報の「有勢内川」の位置が一致するので、地理院地図の認識に問題がありそうに思えます。

国土地理院の「地図・空中写真閲覧サービス」で過去の図幅をチェックしてみたのですが、1976(昭和 51)年に測量された 1/25000 地形図でこの川は「ロクマップ川」ということにされてしまい、そのまま修正されずに現在に至るように見えます。

そして表にすることで明確になるのですが、「有勢内」を「ウセイナイ」としたのは永田方正っぽいですね。永田方正が「『ウセナイ』じゃない『ウセイナイ』だ!」としたものの、結局「そうは言ってもウセナイだったよね」ということでいつの間にか元通り……という、いつものパターンがここでも見られます。

「只の沢」説

地名解ですが、上原熊次郎の『蝦夷地名考幷里程記』には次のように記されていました。

ウセナイ               休所番家有 ミツイシ江三里程
  夷語ウセナイとは、「凡」の沢といふ事。扨、ウセとは、「凡」「又」は顕れると申事。ナイは沢又は小川の事にて、此川に何魚もなきゆへ此名ありといふ。未詳。
(上原熊次郎『蝦夷地名考幷里程記』草風館『アイヌ語地名資料集成』p.54-55 より引用)

「出岬」説

また『午手控』の「シヅナイ海岸地名の訳聞書き」には次のように記されていました。

一、ウセナイ 出沢。此所出さきに有る沢故号
松浦武四郎・著 秋葉実・翻刻・編『松浦武四郎選集 六』北海道出版企画センター p.207 より引用)
『東蝦夷日誌』には次のように記されていました。

ウセナイ(小澤、平地にて馬や、晝休所、番や、板藏)シツナイ〔靜内〕繼立を此處にてす。名義、あらわる義。此處岬なる故になづけしなり。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編『新版 蝦夷日誌(上)』時事通信社 p.176 より引用)

「湯川」説

永田地名解には次のように記されていましたが……

Usei nai   ウセイ ナイ   湯川「ウセナイ」ニテ田澤ナリト云フハ非ナリ
(永田方正『北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.251 より引用)
更科源蔵さんは、この解について『アイヌ語地名解』(1982) で次のように記していました。

ウセウまたはウセイはわかした湯のことで、わかし湯の川などという地名はうなずけない。
(更科源蔵『更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解』みやま書房 p.83 より引用)
バッサリと行きましたね。この指摘の是非はさておき、ほぼ全ての記録が「ウセイ」ではなく「ウセ」だったことは重要ですね。

「出岬」説ふたたび

山田秀三さんの『北海道の地名』(1994) には次のように記されていました。

野作えぞ東部日記(松浦氏と同時代) は「宇瀬は出と云夷語にて此処出岬なる故にしか云」と書いた。
(山田秀三『北海道の地名』草風館 p.351 より引用)
思いっきり孫引きですいません。「ウセは出るという意味」というのは『午手控』と一致しますね(!)。

esonesan

となると「出る」という意味の「ウセ」という単語が見つかれば一件落着?なのですが、手元の辞書類にはそれらしい単語が見当たりません。バチェラーの『蝦和英三對辭書』(1889) にもそれらしい記載はありませんし、『藻汐草』(1804) にも見当たらないように思えます。

『藻汐草』によると「ウーセ」で「湯、沸かし湯」とのこと。これは永田地名解の解釈そのものですね。

服部四郎の『アイヌ語方言辞典』(1964) を眺めていたところ、帯広美幌旭川などで eson omaneson asin という用例が記録されていました。「eson は《外へ》」とあるので、厳密には eson は「出る」という意味では無いのですが……。

ただ「外へ」を意味する eson という語があり、「ウセ」=「出る」=「岬」であれば……あ。esan で「」という語があるじゃないですか。「エサン」が「ウセ」に転訛した……と考えるのも少々勇気が必要ですが、古い記録を素直に解釈するとその可能性も出てくるのかな……と。

esanu-sap

ちょっと気になるのが日高町(新ひだか町ではなく、国鉄の「日高町駅」のあったところ)に「右左府うしゃっぷ」という地名があったことです。これは u-sap だったとも考えられるのですが、「ウセナイ」も同様に esan ではなく u-san だった……という可能性も認識しておきたいです。

ロクマップ川

ru-mak-oma-p
路・山手・そこにある・もの
(旧地図に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地理院地図では、国道 235 号の「有勢内橋」の下を「ロクマップ川」が流れていることになっています。ただこの川はかつての「ウセイナイ」(ウセナイ)で、「ロクマップ川」はその西隣の「日高中部環境センター」の傍を流れている……と考えられます(国土数値情報による)。

東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ルモコマフ」という川(だと思われる)が描かれています。

北海道実測切図』(1895 頃) には「ルーマクオマㇷ゚」という川(だと思われる)が描かれていました。なるほど、「ルモコマフ」を永田流に分解すると「ルーマクオマㇷ゚」となりそうな……。


『初航蝦夷日誌』(1850) には何故かそれらしい記録が見当たりませんが、『竹四郎廻浦日記』(1856) には「ルモコマフ」と記されていました。

『午手控』(1858) の「シヅナイ海岸地名の訳聞書き」には次のように記されていました。

一、ルモコマブ ルコバケヲマフ、道側に有。此所昔マウタシャフの氣を不受様通りなりしゆえ斯号
松浦武四郎・著 秋葉実・翻刻・編『松浦武四郎選集 六』北海道出版企画センター p.207 より引用)
これは……「真歌」の回もあわせて見ていただけると幸いです。「真歌」は「ハマナスの実を取る」と考えられていますが、「──聞書き」では maw を「風」と解釈していました。

「ルコバケヲマフ」の意味は良くわかりませんが、kopak あるいは kopakke で「~のほう」を意味するとのこと。ru-kopakke-oma-p で「道・のほう・そこにある・もの」となるのでしょうか……?

永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Rū mak omap,= Rū mak oma p   ルー マコマㇷ゚   路後ノ澤 小澤アリ「ルモコマプ」ト云フハ訛ナリ
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.251 より引用)
ru-mak-oma-p で「路・山手・そこにある・もの」でしょうか。ru-mak という用例はあまり聞かないなぁ……と思ったのですが、「苫小牧」が to-mak-oma-nay だという話もあるので、文法的には問題なさそうですね。

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