(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。
面射岳(おむしゃだけ)
umusa-nupuri??
久闊を叙する・山
久闊を叙する・山
(?? = 旧地図に記載あり、独自説、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
「メナシュンベツ川」を遡った先に「楽古岳」という山があるのですが、山頂付近に「『北海道実測切図』(1895 頃) には、やはりと言うべきか、現在の「楽古岳」の位置に「オムシヤヌㇷ゚リ」と描かれていました。陸軍図ではこの山が「樂古岳」となりますが、現在の「双子山(オムシャヌプリ)」のあたりは無名峰のままです。
確認できた中では、現在の位置に「オムシャヌプリ」と明記されたのは 1956 年測量の 5 万分 1 地形図「楽古岳」が一番古いようです。
「オムシャ」と言えば、真っ先に思い浮かぶのが江戸時代にアイヌを「撫育」するために行われた行事です。
松前藩とアイヌの間の交易でも初期には交歓の意味での儀礼であったが、後に交易や漁労の終了時のアイヌに対する慰労行事となり、更に蝦夷地統治の手段として転化していくことになる。儀式の執行者は当初は場所請負制の下で請負を行った商人であったが後には松前藩もしくは江戸幕府の役人が行った。
(Wikipedia 日本語版「オムシャ」より引用)
この「オムシャ」という語については、和語由来説とアイヌ語由来説があり……オムシャの語源としては、日本語の「おびしゃ(御奉射)」「おぶしゃ(御撫謝)」の転訛説とアイヌ語の御無沙汰の挨拶として互いの頭を撫でる儀式「ウムシャ」に由来する語とする説がある。
(Wikipedia 日本語版「オムシャ」より引用)
東蝦夷日誌 (1863-1867) には次のような註がつけられていました。ヲムシヤ=蝦夷語ウムシヤの轉訛で、蝦夷が久しぶりで會った際、たがいに身體を撫であって久濶を叙する禮式をいう。場所を知行された知行主と、知行場所に住む蝦夷の酋長との關係は、このヲムシヤという儀禮を通じて結ばれた。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編『新版 蝦夷日誌(上)』時事通信社 p.48 より引用)
註には続きがまだまだあるのですが、興味を持たれた方は「国立国会図書館デジタルコレクション」の送信サービスで読むことができます。いい時代になったものですが、古本屋さんに取っては死活問題という話も……(汗)。また、東蝦夷日誌には「ヲムシヤ考」という論考があり、著者の石場高門は「予が考には
鎌田正信さんの『道東地方のアイヌ語地名』(1995) によると、更科源蔵「アイヌ伝説集」に「ラッコ岳の雷神」にまつわる伝説が紹介されているとのこと。当該書には以下の文章が記されていました。
古い地図にラッコ岳をオヌシャヌプリと書いたのであるが、オヌシャヌプリ(そこに祭壇のある山)は沢の入り口にある小さい山で、山に入るときに必ずこの山に木幣をあげ挨拶して入らなければ、行きたいところには行けないところであった。
(更科源蔵『更科源蔵アイヌ関係著作集〈1〉アイヌ伝説集』みやま書房 p.179 より引用)
「オまとめ?
そろそろまとめに入らないと行けないのですが、手元の地図では軒並み「オ『北海道実測切図』では「オムシヤヌㇷ゚リ」は「ピロロヌㇷ゚リ」と「ポロシリ」の間の山として描かれています(理由は不明ですが、何故かこの三山が連山のように描かれています)。
案外、「オムシャヌプリ」は、「ポロシリ」と「ピロロヌㇷ゚リ」が「暮れの元気なご挨拶」を交わしている……と言った風に見られていたのかもしれないなぁ……などと思い始めています。umusa-nupuri で「久闊を叙する・山」だったのではないかと……。
幌尻(ぽろしり)
poro-siri
大きな・山
大きな・山
(旧地図に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
「面射岳」三角点のある「楽古岳」の北西に「十勝岳」という山がありますが(美瑛町・上富良野町・新得町に跨る火山とは別)、この山の頂上付近に「幌尻」という名前の三等三角点があります(標高 1456.5 m)。『北海道実測切図』(1895 頃) には「ポロシリ」と描かれていました。poro-siri で「大きな・山」あたりだと考えられます(あるいは「親である・山」か)。
沙流郡平取町と新冠郡新冠町の間、戸蔦別岳の南には「日本百名山」の一つである「幌尻岳」(標高 2,052 m)があり、帯広市と河西郡中札内村の間、エサオマントッタベツ岳の東には「十勝幌尻岳」(標高 1,846 m)があります。「日高には幌尻が二つある」と言われることが多いのですが、随分と離れたところに「三つ目の幌尻」があった……ということになるでしょうか。
流石に「幌尻」が多すぎると思ったのか、陸軍図では名前が「十勝岳」に改められていましたが、これはこれで「十勝岳温泉」のある「十勝岳」とバッティングしていて、なんとも不遇な山……という印象を受けます。
オムシャヌプリ
umusa-nupuri??
久闊を叙する・山
久闊を叙する・山
(?? = 旧地図に記載あり、独自説、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
「幌尻」三角点のある「十勝岳」(火山では無いほう)と、野塚トンネルの東に聳える「野塚岳」の間にある「双子山」は、何故か(オムシャヌプリ)という別称が表示されています。「オムシャヌプリ」と言えば現在の「楽古岳」の旧名ですが、1956(昭和 31)年測量の 5 万分 1 地形図「楽古岳」で「双子山」の別名に転身?してしまいました。「双子山」は標高 1,379 m の西峰と標高 1,363 m の東峰が 0.6 km ほどの距離で隣接しているので、そのことに由来するネーミングでしょうか。umusa-nupuri で「久闊を叙する・山」と考えて良いかな、と思われます。
現在の「楽古岳」の旧名としての「オムシャヌプリ」は、「ポロシリ」と「ピロロヌㇷ゚リ」が久闊を叙する山で、現在の「双子山」の別名としての「オムシャヌプリ」は山同士が「久闊を叙する山」を写実的に捉えたもの……と言えるのかもしれません。
まぁ、山の名前がコロっと移転するのは正直勘弁してほしいのも事実ですが……(汗)。
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