2018年6月9日土曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (540) 「エサオマントッタベツ川・カタルップ沢・ピペハロ沢・ヌップク川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

エサオマントッタベツ川

e-sa-oman-{totta-pet}
頭(水源)・浜・行く・{戸蔦別川}


戸蔦別川の支流で、エサオマントッタベツ岳から北北東に向かって流れています。戸蔦別川と同じく山名のほうが有名かもしれませんが、山名はおそらく川の名前に由来する……と思われます。

更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」には次のように記されていました。

エサオマントッタベツ岳
 新冠川の水源の山。エサオマンは頭(水源)が浜に行っている。トッタ・ペッは函になっている川のこと。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.82 より引用)

川名ではなく山名の説明である上に、これ、実は「新冠町」のカテゴリーにあります。山は帯広市と新冠町の境界線上にあるので間違いでは無いのですけどね。

ついでに言えば、説明も実に正しいように見受けられます。e-sa-oman-{totta-pet} は「頭(水源)・浜・行く・{戸蔦別川}」と読み解けます。「水源を遡ると浜(海)の方に向かう戸蔦別川」という意味になりますね。

つまり、「エサオマントッタベツ」という名前は川の特徴を表したものであり、山の名前になったのは、たまたま「エサオマントッタベツ川」の水源にあったから、ということなのだと思われます。

カタルップ沢

kapar-o-p??
平らな岩・多くある・もの(川)


新冠町と帯広市の間には日高の脊梁山脈が聳えていて、エサオマントッタベツ岳と戸蔦別岳の間には「神威岳」という名前の山があります。カタルップ沢は、神威岳の北東から戸蔦別川に向かって流れています。

「なんじゃこりゃああ™」という感じで頭を抱えていたのですが、鎌田正信さんの「道東地方のアイヌ語地名」には次のように記されていました。

カタルップ沢(地理院・営林署図)
 エサオマントツタペツの二股から 1 キロ上流を、南側から流入している。
 カパㇽ・ウン・ㇷ゚「kapar-un-p 平たい岩・ある・もの(川)」の意。営林署図のこの沢の左支流名は、「盤の沢」と書かれてある。これは施業案編成者が調査に入ったとき、現地に合った沢の名をつけたのであった。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.73 より引用)

ふむふむ、なるほど。kapar というのはちょっと想定外だったので、とてもヒントになります。kapar-o-p で「平らな岩・多くある・もの(川)」と考えられそうな気がします。

鎌田さんが読み解いたように kapar-un だとすると、kapar-un-pe となりますね(-p は母音の後ろにつき、子音の後ろであれば -pe となるので)。

ピペハロ沢

(ピパイロ川 pipa-iro-pet の誤記?)


戸蔦別川の北支流の名前です。このあたりの支流は「六ノ沢」「七ノ沢」「八ノ沢」
「十ノ沢」と言ったナンバーリバー(なんか違う)が続くのですが、そんな中燦然とペパロニソーセージのような名前(なんか違う)が輝いていますね。

「なんか違う」が続きましたが、この「ピペハロ沢」という名前も「なんか違う」の極致である可能性が高そうです。というのも、この川を遡った先に「ピパイロ岳」があって、それに由来する名前のように思えるからです。

「ピパイロ岳」自体は芽室町と帯広市の間の山の名前で、北側を「ピパイロ川」が流れています。「エサオマントッタベツ岳」と似たような感じで、「ピパイロ川」の源流にあったから「ピパイロ岳」という名前になり(ここまでは良い)、「ピパイロ岳」の南側を流れていているから「ピペハロ沢」という、ハラホロヒレハレなことになってしまった……と思われるのですが、いかがでしょうか。

ヌップク川

nup-pok-oma-nay
野・しも・そこに入る・川


帯広市南部、かつての大正村のあたりを流れる川の名前です。なぜ今頃出てきたのかと言えば……見落としていたからです。これは切腹ものですね(韻を踏んでみました)。

これまた「なんじゃこりゃああ™」という感じで頭を抱えていたのですが、陸軍図を見てみると「ウップク川」と書かれていました。ウッ……(ぉぃ)。

確かに「ヌップク川」は札内川から見て ut-nay(あばら・川)のようにも見えるのですが、それだと「プク」の意味が良くわからないことになります。

ところが、陸軍図よりも古い地形図を眺めていた所、「ヌプウンクオマプ」と記された川があることに気づきました。ああこれなら意味するところは明瞭ですね。nup-un-ku-oma-p であれば「野原・にある・仕掛け弓・そこにある・もの(川)」となりそうです。

今更ながら「東西蝦夷山川地理取調図」を見てみると、そこには思いっきり「ヌツホコマ」とありました。そして戊午日誌「東部報十勝誌」には次のように記されていました。

     ヌツホコマフナイ
右のかた平地の処数里の茅野の中に、一すじの小川有るよりして号しものなり。ヌツホは野原也。コマフとはヲマフにて中に在ると云儀也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.249 より引用)

あ……。「東西蝦夷山川地理取調図」と同様に東西が逆ですが、札内川すじは「聞き書き」だそうですからこの程度のミスが入り込む余地は大いにあります。

戊午日誌の「ヌツホコマフナイ」は、nup-pok-oma-nay(あるいは nup-pok-oma-p)と考えられそうですね。nup-pok-oma-nay だと「野・しも・そこに入る・川」と読めそうです。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

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