2018年6月5日火曜日

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春の東北小旅行 2015 (22)「スマホ時代のタブレットのあり方を考える」

 

現在は「敦賀鉄道資料館」となっている旧・敦賀港駅舎にやってきました。正面に見えるのは「口札出」こと「出札口」ですが、ありがたいことに「敦賀鉄道資料館」の入館は無料です。
敦賀と言えば「小牧のかまぼこ」「トンネル温泉」あたりが有名ですが(他にもあるだろ)、北陸本線の田村-糸魚川間は国鉄における交流電化の嚆矢となった区間でもありました。交流用の電気機関車は真っ赤なカラーリングが特徴的で、資料館にもナンバープレート?がいくつも展示されていました。
交流用の電気機関車は直流用のそれとは動力特性が異なったようで、動輪が 4 軸で比較的コンパクトな機関車が多く製造されました(ED70 など)。ただ、北陸本線は長大な列車が多く、また上り勾配が続く「北陸トンネル」が開通したこともあり、D 型(4 軸動輪)単機よりも余力のある F 型(6 軸動輪)を量産することにしたのだとか。
結局、EF70 型は北陸本線専用機として 81 両が製造され、一部は特急「日本海」用に改造され 1000 番台を名乗ることになります。EF70 は北陸本線黄金時代の申し子だったと言えるのかもしれません。

スマホ時代のタブレットのあり方を考える

展示の中で興味を惹いたものがこちらです。
列車閉塞(列車の衝突や追突を防ぐため、「一閉塞区間」には一つの列車しか入れてはならないというルールがある)のために使用された「タブレット」です。重要なのは輪っかの下部に収められている「通票」ですが、持ち運びは写真のように輪っかの部分を持って行われていました(輪っかは持ち運びのためにつけられていました)。
まぁ、ここまでは割と普通だと思うのですが、面白かったのが「通票閉塞機」の実物(だと思う)が展示されていたことです。「個人蔵」というのも驚きですが(汗)。

通票閉塞の傾向と対策

「通票閉塞」というやり方は、前述の通り、一閉塞区間(通常は駅と駅の間が「一閉塞区間」)に一つの列車しか入れてはならないというルールに基づいて行われます。そのため、駅を出発する機関士に「通票」を渡し、機関士は次の駅に到着したときに「通票」を駅員に返します。そこから先は別の通票を受け取る、という流れです。

ただ、このやり方は一つ重大な欠点があります。仮に、敦賀駅から疋田駅まで列車が走ったとすると、「通票」は疋田駅にあるので、疋田駅から敦賀駅まで列車が帰ってこない限りは次の列車を走らせることができません。「続行運転」ができない、ということになってしまいます。

そのため、「通票」は予めいくつか準備しておいて、でも必ず一つしか取り出せない、という仕組みの機械が作られました。この二対の赤い箱が「通票閉塞機」です。
先程の例だと、疋田駅で先行列車から受け取った「通票」を「通票閉塞機」に戻すことで、敦賀駅の「通票閉塞機」から二つ目の「通票」を取り出すことができる、という仕組みです。

二台の「通票閉塞機」が、どのように同期をとって動いたのか、実は私も良く知らないのですが、どうやら電線でつながっていたらしいですね。もちろん電話での会話だけで取り出しが許されるわけはなく、機械的にロックがかかる仕組みだったと記憶しています。
通票閉塞機は複雑な構造だったため、どうしても時折通票が詰まって取り出せなくなるなどのトラブルもあったようです。力任せに通票を取り出して機関士に渡した所、実は対向から臨時列車が来ていて正面衝突……というような大惨事もあったのだとか。
そんなプリミティブな仕掛けの通票閉塞も、一部のローカル線で使い続けられ、たとえば JR 只見線の一部区間では 2012 年まで使用されていたのだそうです。

2 階にどうぞ!

さて、「旧敦賀港駅舎」は二階建ての洋館風の建物で、「敦賀鉄道資料館」にも二階があります。
誘われるままに階上へと向かったのですが……
大変残念なことに、ここも二階の展示は「写真撮影禁止」とのこと。かるーく展示の内容をご紹介したかったのですが、残念です。

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