2026年7月3日金曜日

北海道のアイヌ語地名 (1403) 「健城・シモカナイ橋」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

健城(けなしろ)

kenas-oro
林の中の谷地・のところ
(旧地図等に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
むかわ町豊城の、かつて国鉄富内線の豊城駅があったあたり、道道 983 号「米原田浦線」の北に小さな山があり、その山頂付近に「健城」という名前の三等三角点が存在します(標高 49.8 m)。現役の地名ではないものの、三角点の名前としては現役ということになりますね。

陸軍図には、豊城駅の位置に「かみむかは」と記されていて、駅の西側に「毛奈城」とあります。


不思議なことに、北海道実測切図 (1895 頃) にはそれらしい地名や川名は見当たりませんが、『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ケナシヨロ」と描かれていました。


戊午日誌 (1859-1863) 「武加和日誌」には次のように記されていました。

また同じくしばし屈曲を上りて
     ケナシヨロ
西岸也。此処少しの平地有。其処に小川有。名義は此処樹木陰森たる沢山の間の平地にして、谷地有る処と云り。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.499 より引用)
どうやら kenas-oro と見て良さそうな感じですね。kenas は毎回判断に悩む語で、『地名アイヌ語小辞典』(1956) にも「川ばたの木原」「かんぼくの木原」「湿原;やち気のある野原」「ふつうの原野」「木原;木の生えた景色のよい所」「ユリやギョージャニンニクなどの生えている多少やち気のある林野」「川沿いの林野」と列挙されています。

松浦武四郎は「樹木陰森たる沢山の間の平地」「谷地有る処」としているので、kenas は「林の中の谷地やち」と言ったところでしょうか。kenas-oro であれば「林の中の谷地・のところ」と見て良いかと思われます。

余談ですが、前掲の陸軍図には駅名が「かみむかは」とあり、鵡川駅と線路が繋がっているのですが、
  • 1943 年 8 月 1 日 北海道鉄道金山線が国有化され国鉄富内線に、上鵡川駅は豊城駅に改称
  • 1943 年 11 月 1 日 鵡川-豊城間の連絡線が開業、沼ノ端-豊城間の旧線が休止(事実上の廃止)
なので、陸軍図は駅名を直すのを失念していた……ということになりそうです。

シモカナイ橋

ka-nay?
わな・川
(? = 旧地図等に記載あり、既存説に疑問あり、類型あり)

2026年7月2日木曜日

北の大地で燃費走行 (80) 「道道 398 号の謎」

道道 1069 号「ウエンナイ幌内保線」と接続する交叉点にやってきました。
この道道、Google マップでは道道 398 号「北見枝幸停車場線」のマークが描かれているのですが、Wikipedia の当該ページを見ると……良く分からないことになってますね。総延長 0.5 km というのは「西條枝幸店」(北見枝幸駅跡)から道道 1069 号(国道 238 号の旧道)までの距離ですが、「重複区間」欄には道道 1069 号と重複……とあります。どっちかが間違っているのですが、さて真相は……?

【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 8~9 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

ここはもちろん直進して雄武に向かうのですが、あれ、またしても青看板が。

2026年7月1日水曜日

北の大地で燃費走行 (79) 「稚内開 建設部」

枝幸問牧からウスタイベ岬方面に向かいます。ここにも「動物注意」の標識が……。どうぶつの森?
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右側に、明らかに興浜北線の跡と思しき土手が見えます。

2026年6月30日火曜日

北の大地で燃費走行 (78) 「Lat. 45°N. International Memorial Plaza」

左手に「大泊」バス停が見えてきました。このあたりのバス停はどこもそうですが、このバス停も立派な待合室つきです。
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前方(海の向こう)に見えているのは「ウスタイベ岬」とその後背の山(「枝幸」二等三角点がある)でしょうか。こうやって見るとかなり特徴のある形をしているので、「枝幸」という地名はこの岬(と山)に由来してるのかな……と思わせますね。

2026年6月29日月曜日

北の大地で燃費走行 (77) 「シカの形の『しか注意』」

国道 238 号でたぶん唯一のトンネルである「北オホーツクトンネル」を抜けて枝幸町に入りました。
それはそうと「来たオホーツク」と誤変換されたのですが、もしかして:空気が読める IME ?

【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 8~9 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

トンネルを抜けてすぐのところに橋があるのですが……

2026年6月28日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (1402) 「イモッペ川・長禰府」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

イモッペ川

e-muk-pe??
頭(水源)・ふさがっている・もの(川)
(?? = 旧地図等に記載あり、独自説、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
日高自動車道に沿って流れて、国道 235 号の「鵡川大橋」の南で鵡川に合流する支流です。『北海道実測切図』(1895 頃) には「イモッペ」という川が描かれていて、流域の湿地帯に「井目戸」と描かれています。


これは当時「井目戸村」が存在したことを示すものです。『角川日本地名大辞典』(1987) によると 1868(明治初)年から 1915(大正 4)年まで「井目戸村」が存在し、1915(大正 4)年から 1943(昭和 18)年までは鵡川村の「大字井目戸村」だったとのこと。どうやら「いもくべ」と読ませていたみたいです。

「ノミがいたので」?

戊午日誌 (1859-1863) 「武加和日誌」には次のように記されていました。

また十七八丁も上るや
     イモツベ村
同じく東岸小川の上に有也。此辺川の西岸には谷地有て、茅蘆原也。少し洪水の時は沼の如く成るよし。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.497-498 より引用)
続けて地名の由来が記されていました。

其名義は此沢にはヲタタイキと云て、飛刎て歩行る虫有。是を夷言イムクと云よしなるが、其が居りしによつて号しとかや。本名はイムクベツのよし也。其ヲタタイキとは砂蚤と云事也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.498 より引用)※ 原文ママ
「ヲタタイキ」という飛び跳ねて歩く虫は「イムク」とも呼ばれ、その虫がいるので……とのこと。

「ノミ」か「ミミズ」か、それとも「餌」か

ただ「イモㇰ」は『アイヌ語沙流方言辞典』(1996) にも記載があり……

imok イモㇰ【名】餌(飼うためのではなく魚やネズミなどを取るのに使う餌)。☆参考 飼っている動物に与える餌は ep エプ。
(田村すず子『アイヌ語沙流方言辞典』草風館 p.230 より引用)
ん? これは……? ということでもう少し調べてみたところ、知里さんの『動物編』(1976) に imok を見つけたのですが……

§ 212. ミミズ
( 1 ) imók《旭》ミミズ,タマクラミミズ
( 2 ) tóy-imok《美》ミミズ
  小さいミミズには伝説等がある(美幌)
(知里真志保『知里真志保著作集 別巻 I「分類アイヌ語辞典 動物編」』平凡社 p.116 より引用)※ 原文ママ
旭川では「ミミズ」を imok と呼ぶとのこと。なお「ミミズ」は 20 種類ものバリエーションが記されていて(20 種類の語彙カードが未整理のまま残されたとも言える)、道南の語彙としては以下のあたりでしょうか。

( 7 ) túnin《礼》ミミズ
( 8 ) kenás-tunin《鵡》タマクラミミズ(真中に帯のあるもの)
(知里真志保『知里真志保著作集 別巻 I「分類アイヌ語辞典 動物編」』平凡社 p.117 より引用)※ 原文ママ
アイヌ語方言辞典』(1964) には「えさ」の項にて、八雲・幌別・沙流・美幌宗谷'imók が使われるとあります。

『永田地名解』(1891) には次のように記されていました。

Imokpe   イモㇰペ   オトシエ?ヲ置ク處 井目戸ヰモクベ
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.210 より引用)※「エ」の次の「?」は判読不能
ちょっと妙なことになってきたので箇条書きにしてみると……
  • 「オタタイキ」(=砂蚤)の別名が「イムク」で、それが多いから(武加和日誌)
  • 「イモク」は魚やネズミを取るのに使う餌(アイヌ語沙流方言辞典)
  • imok は「ミミズ」だが、道南では tunin(動物編)
  • 'imok は道内各地で「えさ」(アイヌ語方言辞典)
  • imokpe は「餌を置くところ」(北海道蝦夷語地名解)
さて、ウソをついているのは誰でしょうか?

一見したところでは、明らかに「武加和日誌」がズレたことを言っているように思えます。imok は「えさ」という認識が一般的だとされる中、松浦武四郎だけは「飛び跳ねて歩く虫」(=おそらく「ノミ」)だとしています。ただ「ノミ」を「餌」として使うというのは、色々と非現実的なのでは……?

本当に「ミミズ」あるいは「餌」だったのか

山田秀三さんの『北海道の地名』(1994) には次のように記されていました。

宮戸 みやと(イモㇰペ)
 汐見のすぐ北の字名。前はイモㇰペ(井目戸)と呼んでいた。永田地名解は「イモㇰペ。陥の餌を置く処)と書いた。イモㇰペ(imokpe)は,餌,みみずの意。
(山田秀三『北海道の地名』草風館 p.370 より引用)
敢えて細かいツッコミを入れると、「餌」や「ミミズ」を意味するのは imok のようです。imok-pe で「餌・もの」という表現があり得るのかどうかは……?(「餌」であれば imok だけで十分ですよね?)

imok-pet で「餌・川」だったという可能性も……どうなんでしょう。なんとなくですが、松浦武四郎以来ミスリードされているような気もするんですよね。「ノミが多いので『エサ』という地名なんです」という時点で支離滅裂に思えるので、そもそも「餌」でも「ミミズ」でも「ノミ」でも無かったのではないか……と考えたくなります。

確かに「イモクペ」だと他に解釈のしようが無いようにも思えますが、「エムクペ」だとしたら……? e-muk-pe で「頭(水源)・ふさがっている・もの(川)」と読めなくもないかも……?

イモッペ川を水源まで遡った先には「いすゞ北海道試験場」があるのですが、イモッペ川は試験場の手前で山に邪魔をされているようにも見えます。川を遡るといつしか分水嶺にぶつかるのは当たり前ですが、イモッペ川の場合は分水嶺と言うよりも山そのものにぶつかっているように見えなくもないような。

まぁ類例に記憶がない時点で厳しいのも事実ですが、「鵡川」そのものが mukap あるいは muka-pet だったのではと言われているので、「鵡川」の存在を念頭に置いた上で「ふさがる川」という亜種?を生み出したという可能性も考えたくなるんですよね。

長禰府(おさねっぷ)

e-san-ne-p??
水源・棚・のような・もの
(?? = 旧地図等に記載あり、独自説、類型未確認)

2026年6月27日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (1401) 「珍川・ライバチン川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

珍川(ちんがわ)

chimi-i?
かき分ける・もの(川)
(? = 旧地図等に記載あり、独自説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
鵡川の河口から 1.2 km ほど遡ったところで南東から合流する支流です(地理院地図では「珍川」ですが国土数値情報では「チン川」)。『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「チン」と描かれています。


https://kenzkenz.jp/oh3/?s=FR5fqnhにも「チン」と描かれていました。一貫して「チン」と認識されていたようですね。

戊午日誌 (1859-1863) 「武加和日誌」には次のように記されていました。

其名義は往昔此処の惣乙名某なる者、松前え領主の拝謁に行、矮狗チン(原注)を一疋もらひ帰りしが、何とせしや此処に失たりと。実にあまり不思儀に思ひ、処名とせしとかや。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.495 より引用)
アイヌが松前に詣でて子犬を貰って帰ったがここで逃げられてしまった……ということだそうですが……、続きもあります。

また一説には、矮狗の画とも云へり、依て号と。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.495 より引用)
失くしたのは「子犬」ではなく「子犬の絵」という説もあるとのこと。まぁ、いずれにしても作り話っぽい感じが……。

一方、永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Chin   チン   熊皮ヲ乾ス處 石狩上川ニ同名ノ地アリ
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.210 より引用)
確かに『地名アイヌ語小辞典』(1956) にも次のようにあるのですが……

chin ちン 《不完》(皮を)張る; 張り枠に張る。i-ri wa i-~ 皮を剥いで張り枠に張った。
知里真志保『地名アイヌ語小辞典』北海道出版企画センター p.18 より引用)
よく見ると chin は不完動詞なので、chin-i で「皮を張る・ところ」とかにする必要があるのかもしれません。

「皮を張る」というのは、獣の皮を枠に張って(突っ張って)乾かすという作業のことだと思うのですが、果たしてその作業は「珍川」で行う必要があったのでしょうか。「獣の皮を乾かす」という作業を「珍川」でしか行われないのであればそれが地名となるのも理解できるのですが……(特定の作業を行う場所が地名化する例が少なからずあることは認識しています)。

ということで、chin ではなく chimi という可能性は無いかな……と思い始めています。『地名アイヌ語小辞典』には「左右にかき分ける」とありますが、これまで見てきた感じでは、指を広げて粘土を掻きむしったような地形に良く見られるような印象があります。

別の言い方をすれば
  • 若干の高低差
  • 複数の支流
あたりが「条件」になりそうでしょうか。現在の地形図を見る限りでは条件を満たしていないようにも思えますが、陸軍図ではちょっとだけそれっぽい雰囲気もあるような……?


ということで、元は chimi-i で「かき分ける・もの(川)」だったんじゃないかなぁ……と考えてみました。chimi-ichimi となり、更に原義が失われて chim に略されてしまったのかなぁ……という想像です。

ライバチン川

ray-pa-{chin}?
死んだ・口・{珍川}
(? = 旧地図等に記載あり、既存説、類型未確認)

2026年6月26日金曜日

北海道のアイヌ語地名 (1400) 「平賀・コンカン川・オコタン川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

平賀(びらが)

pira-ka?
崖・上
(? = 旧地図等に記載あるが位置に疑問あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
エショロカン沢川」の流域一帯の地名です。『北海道実測切図』(1895 頃) には漢字で「平賀」とあり、少し北のほうにカタカナで「ピラカ」と描かれています。


戊午日誌 (1859-1863) 「左留日誌」には次のように記されていました。

扨また川まゝ上り行や、此辺は西岸とも同じく崩欠岸、ホウ・槲柏原なるに、しばし過て川端より凡十四丁、東の方引上ひきのぼり
     ヒラカ村
此処平山にして同じく槲柏原にして、下草苅かや・白(芽)等多し。其名義は此村の下に大なる平崩有る故に号るとかや。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.642-643 より引用)※ 原文ママ
(芽)は(茅)の誤植のような気もするのですが、確証はありません。注目すべきところは「東の方」とあることで、確かに 『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) にも沙流川の *東側* に「ヒラカ」と描かれています。


現在、日高自動車道が通っているあたりは、沙流川より 2~30 m ほど高い河岸段丘になっています。永田地名解 (1891) には次のように記されていたのですが……

Pira ka   ピラ カ   崖上 平賀村
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.228 より引用)
「東西蝦夷──」に描かれた「ヒラカ」が本来の位置だったとすると、確かに河岸段丘の上なので、pira-ka で「崖・上」と呼んだのも納得ですね。

コンカン川

{kom-ni}-kar?
{樫の木}・切る
(? = 旧地図等に記載あり、既存説に疑問あり、類型あり)

2026年6月25日木曜日

北の大地で燃費走行 (76) 「旧道になってしまった区間」

国道 238 号を東に進み枝幸に向かいます。めちゃくちゃいい天気に見えますが……
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 8~9 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

浜頓別橋」で「頓別川」を渡ります。大正時代の『陸軍図』を見ると、駅の東側に発展した「濱頓別」集落とは別に、海沿いに「舊濱頓別」(=旧浜頓別)という集落が描かれています。

2026年6月24日水曜日

北の大地で燃費走行 (75) 「白鳥の湖?」

枝幸浜頓別町に入りました。カントリーサインはクッチャロ湖の白鳥……でしょうか(敢えて裏付けを取らないスタイル)。
雲に日ざしが遮られた状況だったので、元の写真は随分と暗いものでした。もちろん HDR トーンやシャドウの引き上げなどを(いつも通り)がっつり行った上で、諸々の副作用で暗くなりがちな看板を選択的に補正しています(通称「ウソくさい補正」)。

これまでは(自戒も込めて)毎回ラベルづけを行っていましたが、流石にキリがなくなってきたのでラベル付けは止めにしようと思います……。なるべく違和感が少なくなるように注意しますので。

【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 8~9 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

106 系標識には「網走」「枝幸」そして「浜頓別市街」への距離が表示されています。106 系標識と「夢海道オホーツク」の看板を選んでトーンカーブを上げていて、左側の「P」の標識はそのままにしています。「夢海道オホーツク」の看板はちょっと明るくしすぎたかも……?

2026年6月23日火曜日

北の大地で燃費走行 (74) 「またどうぞ 猿払村へ」

国道 238 号で猿払村南部の浅茅野に向かいます。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 8~9 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

「鹿 飛び出し 注意!」という看板が立っていましたが、これは現存しないようです。


文字が不明瞭ですが、もしかしたら建設会社が立てた看板だったのかもしれません。後ろのプレハブは写真にも写っていないので、プレハブは一足先に撤去されていたっぽい感じですね。

新なんとか橋

緩い左カーブの先には「新濁川橋」がありました。

2026年6月22日月曜日

北の大地で燃費走行 (73) 「通称エサヌカ線 入口」

国道 238 号の「猿払パーキングシェルター」を抜けて南に向かいます。厳密には南南東かもしれませんが、まぁ誤差の範囲ですよね(誤差とは)。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 8~9 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

あれっ。国道脇に風力発電用のタービンがあったんですね。この 2 基のタービンは 2014 年の時点から存在していたみたいですが、現在は更にわらわらと増殖しちゃっているみたいです。

2026年6月21日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (1399) 「エショロカン沢川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

エショロカン沢川

esorokanni??
ミツバウツギ
(?? = 旧地図等に記載あり、既存説に疑問あり、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
沙流郡日高町(旧・門別町)の富川に「さるがわせせらぎ公園」という公園があり、公園の中を通って沙流川に合流する支流です。『北海道実測切図』(1895 頃) には「エショロカニ」という名前の川が描かれています。


東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ヱソ?カニ」という名前の川が描かれていました。

「鉄掃木のあるところ」?

戊午日誌 (1859-1863) 「左留日誌」には次のように記されていました。

また少し上り
     ヱソロカン
左りの方小川。此川鱒・鯇・桃花魚等入るによろし。其名義は*掃木有る処と云へりと。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中』北海道出版企画センター p.648 より引用)
鉄掃木てつはき」は「メドハギ」(目処萩)の漢名とのこと。

「杜仲」?

一方で、永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Eshorokani   エショロカニ   杜仲マユミ 方言ヱリマキ又イヌマキ○此地方ニハ稀有ナレトモ天鹽川ニ最モ多シ
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.228 より引用)
「エショロカニ」は「杜仲」ではないかとのこと。ただ「杜仲」は中国原産で、日本に移入したのは 1918 年(1899 年という説もあり)らしいので、この「杜仲」の正体は何だったのでしょう……?

「杜仲」は「マユミ」?

知里さんの『植物編』(1976) には「マユミ」の項があり……

§ 156. マユミ Euonymus Hamiltonianus Wall.
    エゾマユミ Euonymus hians Koehne
(知里真志保『知里真志保著作集 別巻 I「分類アイヌ語辞典 植物編」』平凡社 p.95 より引用)
とのこと。Euonymus Hamiltonianus でググると「マユミ」がヒットしたのですが……

マユミ(檀[7]・真弓[7]、学名: Euonymus sieboldianus var. sieboldianus)とは、ニシキギ科ニシキギ属の落葉低木ないし落葉小高木。日本や中国など北東アジアの野山に自生する。
(Wikipedia 日本語版「マユミ」より引用)
だそうで。このシーボルトはあの「シーボルト事件」のシーボルトか、それとも息子で蝦夷探検をした小シーボルトなのか、それとも全く無関係なのか……?

「方言ヱリマキ」とありますが、『北海道方言辞典』(1983) によるとこれも「マユミ(ニシキギ科)」とのこと。どうやら永田方正が「杜仲」と記したのがミスリードだった感じでしょうか。

……と思ったのですが、『植物編』の「マユミ」の項には kasup-ni(杓子・木)や kesup-ni、あるいは kepus-ni とあるもの「エショロカニ」と似た表現が記されていません。

「エショロカニ」の正体

どうやら永田方正に一杯食わされたっぽいので、改めて『戊午日誌』の解を掘り下げてみましょうか。松浦武四郎は「鉄掃木てつはきのあるところ」としましたが、『植物編』には「メドハギ」の項もあり……

§ 184. メドハギ Lespedeza cuneata G. Don
poysinkep (póy-sin-kep) 「ぽイシンケㇷ゚」[<pon-sinkep(小さい・萩)] 莖 《A 千歳》
(知里真志保『知里真志保著作集 別巻 I「分類アイヌ語辞典 植物編」』平凡社 p.108 より引用)
え……? これまた「ヱソロカン」とは似ても似つかぬような……。

ということで、今度は『植物編』で「エショロカニ」に近い植物がないか探してみたところ……

§ 152. ミツバウツギ Staphylea Bumalda Sieb. et Zucc.
( 1 ) esorokanni (e-só-ro-kan-ni) 「エそロカンニ」[e(それで)soro(かんな)kar(つくる)ni(木)] 莖 《穗別》《A 沙流・千歳》
(知里真志保『知里真志保著作集 別巻 I「分類アイヌ語辞典 植物編」』平凡社 p.94 より引用)
なんと……! esorokanni で「ミツバウツギ」を意味するとのこと。ようやく正解が見えてきた感じでしょうか。

違う、そうじゃない?

ところが、山田秀三さんの『北海道の地名』(1994) には、他ならぬ平賀さだもさんからの情報として、次のように記されていました。

アイヌ語の正確な, 土地の古老平賀さだも媼は「エソロカン・ニで,エソロカニではない。和人の言葉では花クスベリ(注:花グスベリ?) で,一尺前後の小さな木。馬の傷を洗うのに使ったが,毒の木である」と語られた。
(山田秀三『北海道の地名』草風館 p.361 より引用)
また根底からひっくり返すような爆弾発言?が。ただ沙流方言の超一流のインフォーマントだった方のコメントは無下にはできません。山田さんも「鉄掃木てつはき」「まゆみ」「花グスベリ」「ミツバウツギ」説を列挙した上で

とにかくその木の生えていた沢だったからの名。
(山田秀三『北海道の地名』草風館 p.361 より引用)
と締めていました(汗)。サクっと最大公約数で片付けてしまうあたり、流石としか……。

「尻・肉」??

ただ、ここまで紛糾したから……という訳でもないのですが、果たして本当に「木が生えていた」からなのか、そこから疑いたくなってきました。というのも、「エショロカン沢川」の東に「津峯神社」のある尾根が伸びていて、それがとても特徴的ユニークに見えるのですね。

まず「エショロ」は etu-oro で「鼻(岬)・のところ」ではないかと考えてみました。この場合、etu-oro までは良いのですがあとに続く ka(あるいは kan)が良くわからないことになってしまいます。

「エショロカン」あるいは「エショロカニ」に近い言い回しでこの地形に相応しいものは無いか……と考えてみたのですが、osor-kam で「尻・肉」を意味するとのこと。「アイヌは川を人体として考えていた」というのは知里さんの有名な仮説ですが、一般に水源が「頭」で河口を「尻」と見ていたようです。

現在の「エショロカン沢川」の河口は「さるがわせせらぎ公園」のあたりですが、日高道・日高富川 IC の北にかつて存在していた筈の湿原に突入するあたりが「尻」だったとすれば、「津峯神社」のあるあたりの尾根を「尻の肉」と見ることも可能だったのではないかな……と。

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2026年6月20日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (1398) 「止別岳・ニセクシュマナイ沢川・ウエンザル川・パンケユウドラシナイ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

止別岳(しべつだけ)

ya-wa-an-pet?
陸のほう・に・ある・川
(? = 旧地図等に記載あり、独自説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
パンケヌーシ川」上流部の支流である五ノ沢と八ノ沢の間、芽室町との境界から 2.5 km ほどのあたりに聳える山です。地理院地図の地名情報によると「しべつだけ」と読ませているようですが……。

俗称ピットルオマナイ

頂上付近には「止別」という三等三角点もありますが、こちらは「ヤムベツ」とルビが振られています。点の記によると、所在は「北海道日髙国沙流幌去村字チロロ」の「俗稱ピットルオマナイ」とのこと。

「ピットルオマナイ」というのも謎で、素直に読むと pit-utur-oma-nay と思われるのですが、これだと「小石・間・そこにある・川」となってしまいます。

ただ、『地名アイヌ語小辞典』(1956) の p.95 には、永田地名解 (1891) からの引用として「トカチおよびムロラン,ウス,アブタのアイヌは大石をも pit と言うとある」としているため、十勝アイヌ風に解釈すれば「大石・間・そこにある・川」だった可能性も出てきます。

「陸のほうにある川」か?

本題の「止別岳」ですが、これは「点の記」にある「ヤムベツ」が本来の地名に近いと思われます。同名の川斜里郡小清水町を流れていて、yam-pet で「冷たい・川」と考えられることが多いものの、知里さんは「冷たいのは水であって川ではない」として、ya-wa-an-pet で「陸のほう・に・ある・川」ではないかとしていました。

戊午日誌 (1859-1863) 「左留日誌」には、「ハンケヌシ」「ベンケヌシ」の項に、次のように記されていました。

此度召連来りしシユツカトクも、此処まで上り是より山越なしてトカチなるサヲロ、*リカヘツえ山越して出たりと云へり。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.74 より引用)* 頭註には「ピリカベツではなくビバイロ(美生)川上」とあり
「ベンケヌシ」こと「ペンケヌーシ川」は「ペンケヌーシ岳」の西を流れているので十勝に出ることはできませんが、「ハンケヌシ」こと「パンケヌーシ川」を遡ると頭註の通り、美生川(の支流の奥の沢川)に出ることができます。

此道すじ間宮林造も越せしよし也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.74 より引用)※ 原文ママ
「間宮林造」とありますが、これは「間宮林」のことだと思われます。どうやら「パンケヌーシ川」は日高山脈を越えるルートとして認識されていたと推測されるので、ここからは想像ですが、十勝アイヌが「パンケヌーシ川」のことを「陸のほうにある川」と呼んだ可能性があるのではないかと。

つまり、「美生川」の別名が「海のほうにある川」で「パンケヌーシ川」の別名が「陸のほうにある川」だったんじゃないか……という想像です。もちろん「五ノ沢」が「陸のほうにある川」で「八ノ沢」が「海のほうにある川」だった可能性もありますが……。

ニセクシュマナイ沢川

nisey-kes-oma-nay?
断崖・末端・そこにある・川
(? = 旧地図等に記載あり、独自説、類型あり)

2026年6月19日金曜日

北海道のアイヌ語地名 (1397) 「パンケヌーシ川・ユクフシュツベ沢川・ユクルペユツベ沢川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

パンケヌーシ川

panke-nu-us-i
川下側の・豊漁・多くある・もの(川)
(旧地図等に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
千呂露川」から 4.5 km ほど東で、南から沙流川に合流する支流です。国道 274 号は「占瀬橋うらせばし」でパンケヌーシ川(国土数値情報では「パンケヌシ川」)を横断しています。

東西蝦夷山川地理取調図』(1859) には「ハンケヌシ」と描かれています。


北海道実測切図』(1895 頃) には「パンケヌーウシ」と描かれていました。


このあたりの松浦武四郎の記録は「聞き書き」(=実際に足を運んでいない)の筈なので漏れも多いのですが、「ハンケヌシ」と「ヘンケヌシ」(=ペンケヌーシ川)についてはしっかりと記録しています。きっとそれだけ大きな川だったということで、確かに長さや流域面積は千呂露川にも負けず劣らずと言った風に見えます。

戊午日誌 (1859-1863) 「左留日誌」には次のように記されていました。

またしばし過て
     ハンケヌシ
     ベンケヌシ
右の方小川。其名義は不解。またこの川筋小沢多きよしなれども、其名はしれず。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.74 より引用)
おや……意外なことに「その名義は解せず」とあります。

ただ永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Panke nū ushi   パンケ ヌー ウシ   下ノ漁獲多キ處
Penke nū ushi   ペンケ ヌー ウシ   上ノ漁獲多キ處
永田方正北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.233 より引用)
nu は「豊漁」を意味するので、panke-nu-us-i で「川下側の・豊漁・多くある・もの(川)」ということになりますね。この解は文法的にも違和感のないもので、現在では広く受け入れられているように思われます。

敢えて難癖をつけるならば、松浦武四郎のインフォーマント(シユツカトク、あるいは脇乙名シユクンナ?)が「意味は知らない」としたところでしょうか。実際にここまで見てきた感じでは、殆どの地名がなんだかんだと音が訛った形で伝わっているように思えるので、この川だけ「きれいに」伝わっているというのも、ちょっとだけ奇妙な感じがします。

ということで、もし「豊漁である川」では無かったのだとすると panke-ni-us-i で「川下側・木・多くある・もの(川)」あたりでしょうか。まぁ、あくまで「豊漁である川」であることを否定せざるを得なくなった場合は……という限定つきですが(現時点ではその可能性は非常に低いです)。

ユクフシュツベ沢川

yuk-ru-pes-pe??
シカ・路・それに沿って下る・もの(川)
(?? = 旧地図等で未確認、独自説、類型あり)

2026年6月18日木曜日

北の大地で燃費走行 (72) 「猿払パーキングシェルター!」

猿払村の国道 238 号で浜頓別枝幸方面に向かいます。「猿払パーキングシェルター」が 2 km 先にあるとのこと。トイレもあるみたいですが、まぁ良く考えると「シェルター」(=天候が回復するまで待機するための場所)なのでトイレは必須ですよね。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 8~9 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

分離帯あり

早速 500 m 先に中央分離帯とのことですが……

2026年6月17日水曜日

北の大地で燃費走行 (71) 「ライダーハウスの謎」

猿払村浜鬼志別にやってきました。ごみステーション(ですよね?)の後ろには「これより 4km」「ライダーハウス」の文字が。なんとシリーズ物だったとは……!
なお、この看板も最新(2023 年 5 月)のストリートビューでは既に撤去済みです。想定される理由については後ほど……

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浜鬼志別も知来別と同じく集落のド真ん中に川(鬼志別川)が流れています。「浜鬼志別橋」の手前には「浜鬼志別」のバス停もあります。

2026年6月16日火曜日

北の大地で燃費走行 (70) 「インディーズ系ガソスタ!」

国道 238 号で猿払知来別から浜鬼志別に向かいます。右手の海岸段丘は猿払村北部の象徴的な景観?ですが……
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 8~9 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

あれ? いつの間にか段丘が随分と低くなりましたね。

2026年6月15日月曜日

北の大地で燃費走行 (69) 「さるふつへようこそ」

猿払村に入りました。知来別は村内で最も北に位置する集落で、河口には漁港があるようです。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 8~9 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

「ようこそ猿払村へ」と書かれたオブジェが見えます。「交通安全」の文字の下には「海産の郷」そして「酪農の郷」と書かれていて、その間にはホタテと朝日(夕日かも)の写真があしらわれています。

2026年6月14日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (1396) 「イオカマップ川・セタウシュクセタシナイ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

イオカマップ川

etu-oro-oma-p??
鼻(岬)・その中・そこにある・もの(川)
(?? = 旧地図等に記載あるが位置に疑問あり、独自説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
国道 274 号の「千呂露橋」から沙流川を 1 km ほど遡ったところで北から合流する支流です。地理院地図には川として描かれていません(川名は国土数値情報による)。

北海道実測切図』(1895 頃) には「シヨタイ」と描かれています。「実測切図」では現在「ニオダイ沢川」とされる川が「イオロマㇷ゚」となっているので、川の位置を取り違えた可能性がありそうでしょうか。


北海道地形図』(1896) には「ニオダイ沢川」の位置に「ユオルマㇷ゚」と描かれていました。今更ですが表にまとめてみるとこんな感じでしょうか。

東西蝦夷山川地理取調図--
北海道実測切図イオロマㇷ゚シヨタイ
北海道地形図ユオルマㇷ゚シヨタイ
国土数値情報ニオダイ沢川イオカマップ川

例によって国土数値情報が間違っているようにも見えるのですが、戊午日誌 (1859-1863) との整合性を考えると国土数値情報のほうが正しそうに思えます。

北海道地名誌』(1975) には次のように記されていたのですが……

 イオカマップ沢 沙流川右支流を送り出している千栄地区の沢。
(NHK 北海道本部・編『北海道地名誌』北海教育評論社 p.552 より引用)
一見、情報量皆無に思えますが、少なくとも執筆当時に「イオカマップ沢」と呼ばれる川があった、という裏付けにはなりますね。

「崖」に関連する?

あとは例によって想像で進めるしか無さそうですね。仮に「イオロマㇷ゚」が本来の川名だったのだとすれば iwor-oma-p で「狩場・そこにある・川」とかでしょうか。

ただ、現在の「イオカマップ川」の位置が正しく伝わっているとすれば……ですが、イオカマップ川の河口の左右が崖になっていることに気づきました。これはわかりやすい地理的特徴なので、この特徴が川名に含まれていた……と考えたいところです。

e-woro で「頭・水につける」を意味するのですが、これは「イオカマップ川」の周辺の山を形容するに相応しい表現に思えます。なので e-woro-oma-p で「頭・水につける・そこにある・もの(川)」かと思ったのですが、動詞を -oma が承けるというのはイレギュラー……というか、あり得ないようにも思えます。

「かみ」「~の上」を意味する -ka を挟んで e-woro-ka-oma-p と考えれば良さそうかとも思ったのですが、これも woro-ka が承けるという時点であり得ないんですよね。動詞の woro ではなく名詞の wor(水)と考えるという手もあるんですが、それでもやはり違和感が残ります。

ということで、ちょっと強引ではあるのですが、etu-oro-oma-p で「鼻(岬)・その中・そこにある・もの(川)」あたりだったのでは……と考えてみました。「エトゥオロ」が「エトロ」に化け、最終的に「イオロ」に収まった……という想定なんですが……。

ただこの想定には便利(?)なところもあって、etu-oro(岬の中)が etok(頭の突出部・岬)に化けると etok-oma-p となり「イオカマップ」に(ちょっとだけ)近くなる……ような気も。まぁ「イオロマップ」の誤読・誤記である可能性も十分あるのですが。

セタウシュクセタシナイ川

{si-tu}-us(-nupuri)-kus-ta-us-nay?
{大きな峰}・ついている(・山)・の向こう・に・ある・川
(? = 旧地図等に記載あり、独自説、類型あり)

2026年6月13日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (1395) 「トニチ沢川・ポンベツ沢川・トメチニ沢・シネップナイ沢」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

トニチ沢川

tun-niti???
間・あの串
(??? = アイヌ語に由来するかどうか要精査)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
春別沢川」河口から「千呂露川」を 2.5 km ほど遡ったところで北東から合流する支流です。地理院地図には川として描かれているものの、川名の記入はありません(川名は国土数値情報による)。

これは『北海道実測切図』(1895 頃) でも同様で、川は描かれているものの川名の記入はありません。時期的に「実測切図」との関連が考えられる『北海測量舎図』でも同様です。そのため「アイヌ語由来であれば」という留保が必要になるのですが、もしそうなのであれば tu-niti で「二つの・あの串」だった可能性がある……かもしれません。

niti は「串」の所属形ですが、地名における nit はかつて「イマニッ」(i-ma-nit)と呼ばれた新ひだか町三石蓬栄の「蓬萊山」が有名でしょうか。

「トニチ沢川」には「蓬萊山」のような特徴的な岩山は見当たりませんが、強いて言えば川の左右の尾根が比較的尖った形をしているように思えます。まぁ隣の「ポンベツ沢川」の尾根も結構尖っているので、そこがかなり難点ではあるのですが……(汗)。

一旦は書き上げたものの、どうにも違和感が残るので再検討してみました。ヒントを求めて『地名アイヌ語小辞典』(1956) を眺めていたところ……

tun-nay, -e と゚ンナィ 《雅》谷川。[<utun-nay<utur(間)nay(川)?]
tununkot, -i ト゚ぬンコッ 谷間;狭間。[<utur(間)un(にある)kot(谷)]
知里真志保『地名アイヌ語小辞典』北海道出版企画センター p.134 より引用)
あー! そういうことですか。「トニチ」は tun-niti で「間・あの串」と見るべきでした。「トニチ沢川」と「ポンベツ沢川」の「間」の尾根がとんがった形をしているが故のネーミングだったのではないかと……(そもそもは川名ではなかった可能性が高そうですが)。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

ポンベツ沢川

pon-pet?
小さな・川
(? = 旧地図等に記載あり、独自説、類型あり)

2026年6月12日金曜日

北海道のアイヌ語地名 (1394) 「パンケユクトラシナイ川・ペンケユクトラシナイ川・春別沢川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

パンケユクトラシナイ川

panke-yuk-turasi-nay
川下側の・鹿・それに沿ってのぼる・川
(旧地図等に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
カシコトンナイ川」の 1 km ほど南(上流側)で「千呂露川」に合流する西支流です。『北海道実測切図』(1895 頃) には「パンケユㇰト゚ラシナイ」と描かれています。


ちょっと面白いのが「ユㇰト゚ラシ」とあるところで、永田方正だったら「ユㇰト゚ラㇱュ」と書きそうな気がするんですよね。案の定、永田地名解 (1891) には記載がありません。

更科源蔵さんの『アイヌ語地名解』(1982) には次のように記されていました。

 ユクトラシナイ川
 ペンケ(川上の)とパンケ(川下の)とあり、どちらも千呂露川に入る左支流。どちらも鹿の越えて行く沢の意。
(更科源蔵『更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解』みやま書房 p.80 より引用)
panke-yuk-turasi-nay で「川下側の・鹿・それに沿ってのぼる・川」と見て良さそうですね。

ペンケユクトラシナイ川

penke-yuk-turasi-nay
川上側の・鹿・それに沿ってのぼる・川
(旧地図等に記載あり、既存説、類型あり)

2026年6月11日木曜日

北の大地で燃費走行 (68) 「『東浦』、元の名前は『杖苫内』」

国道 238 号で猿払に向かいます。106 系標識には「浜頓別 50 km」とありますが、これは……まぁそんなものでしょうか。逆に浜頓別と枝幸の間が 30 km 無いというのが意外な感じも……?
ちょっと気になったので Google マップで確認したところ、浜頓別から枝幸までは(新道経由で)29.8 km とのこと。国道 238 号と浜頓別町役場の間が 700 m ほどらしいので、だいたい計算は合ってますね。

【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 8~9 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

「連続急カーブ 走行注意!」

国道 238 号は稚内市峰岡(かつての時萠)から「時前川支流川」沿いを南に進みます。ほぼ川沿いを辿る関係でどうしてもカーブが多くなってしまうのですが……

2026年6月10日水曜日

北の大地で燃費走行 (67) 「まるで茶畑のような」

国道 238 号で猿払に向かっていた……筈なのですが……
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 8~9 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

えっ、右側に海!?

2026年6月9日火曜日

北の大地で燃費走行 (66) 「(たぶん)国内最北の登坂車線」

宗谷岬の集落を抜けました。ここからは猿払に向かってひたすら南下するのみ……ですね。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 8~9 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

何の変哲もない右カーブですが、宗谷岬に向かう道とは何か違うような気がします。うまく具体的には表現できないのですが、曲がり方がちょっと緩いとか……でしょうか?

2026年6月8日月曜日

北の大地で燃費走行 (65) 「日本最北端の学校」

国道 238 号で宗谷岬に向かいます。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 8~9 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

おっ、今度こそ灯台らしきものが見えてきましたね。流石に今回は道路脇の矢羽根では無さそうです。

2026年6月7日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (1393) 「幌内沢川・雲知来内岳・カシコトンナイ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

幌内沢川(ほろないさわがわ)

poro-nay
大きな・川
(旧地図等に記載あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
千呂露川を南に 1.5 km ほど遡ったところで西から合流する支流です。『北海道実測切図』(1895 頃) には「ポロナイ」と描かれていました。


他にこれと言った資料が無いので結論に移るしか無いのですが(汗)、poro-nay で「大きな・川」だったのでしょうね。

nay は一般的に「谷川」や「沢」を指すとされますが、平野部を流れる大河でも「ナイ」で呼ばれることもあるため注意が必要です。今回の「幌内沢川」は思いっきり谷川なので、確かに典型的な「ナイ」なのですが。

雲知来内岳(うんちきないだけ)

{onto-ke}-nay??
{麓}・川
(?? = 旧地図等に記載あり、独自説、類型未確認)

2026年6月6日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (1392) 「ニオダイ沢川・千呂露川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

ニオダイ沢川

ni-o-tay?
樹木・多くある・林
(? = 旧地図等に記載あるが位置に疑問あり、既存説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
日高町千栄の「陸上自衛隊日高分屯地」の東を流れる川で、北から沙流川に合流しています(川名は国土数値情報による)。

『北海道実測切図』(1895 頃) では何故か「イオロマㇷ゚」と描かれている川です。このあたりの川を表にまとめてみましたが(環境に優しいコピペ)、これを見る限りでは『北海道実測切図』のうっかりミスのようにも思えます(真相は謎ですが)。

戊午日誌北海道実測切図国土数値情報
フンカウ(右)ユーケシオマナイ三号の沢川
ユウケシヨマナイ(右)(無名の河川)パンケユウケシュオマナイ川
ヲアイタカリ(左)オアイタカレップオワイタカ沢*1
ルヱチヱツキ(左)ルエチユプキ滝の沢川
-ルーケㇱュオマナイルウケシオマナイ川*2
--ペンケユウケシュオマナイ川
ユウヨヒラ(左)ルヨイピラ-
ニヨタイイオロマㇷ゚ニオダイ沢川
チロヽ(右)チロロ川千呂露川
-シヨタイイオカマップ川
*1 地理院地図では「オワイタカ沢」
*2 地理院地図では「ルーケシオマナイ川

戊午日誌 (1859-1863) 「左留日誌」には次のように記されていました。

またしばし過て
     ニヨタイ
此処河流山間に屈曲して行、岬のノタ也。此処松の木多し。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.73 より引用)
「ニヨタイ」を素直に解釈すると ni-o-tay で「樹木・多くある・林」となるでしょうか。林であれば樹木が多くても別に不思議は無いわけで、何故こんなネーミングにしたのかという疑問も出てきます。責任者出てこい!

また、これはどう見ても川の名前では無いのですが、「左留日誌」をよく見ると「ニヨタイ」だけ「左りの方小川」あるいは「右のかた小川」との言及がありません。これは素直に「川の名前ではなかった」と見るべきなのでしょう。

「河流山間に屈曲して行」とありますが、「ニヨタイ」が川の名前で無い以上、これは沙流川についての記述と見るべきでしょうか。……あ、そう言えばこのあたりは「聞き書き」で、松浦武四郎はインフォーマントから話を聞いただけ……でしたよね?

改めて地形図を見てみると、ルーケシオマナイ川や「岩石橋」の東で沙流川が北偏していて、南岸に「ノタ」こと nutap(川の湾曲内の土地)がある……と言えなくはないような気もします。

やはり「ニヨタイ」は ni-o-tay で「樹木・多くある・林」だったと見ていいのかな、と思えます。地名における ni-o- は「流木が多い」ことを意味する場合も多いので、ここも流木が打ち上げられることが多い場所だったのかもしれませんね。

千呂露川(ちろろがわ)

sir-oro?
山・の中
(? = 旧地図等に記載あり、既存説に疑問あり、類型あり)

2026年6月5日金曜日

北海道のアイヌ語地名 (1391) 「オワイタカ沢・ルーケシオマナイ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

オワイタカ沢

o-ay-ta-kari??
河口・カジキの上顎・そこで・まわる・ところ
(?? = 旧地図等に記載あり、独自説、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
パンケユウケシュオマナイ川」の 0.8 km ほど上流側で沙流川に合流する支流です。『北海道実測切図』(1895 頃) にも「オアイタカレップ」と描かれていました。

「矢が当たらなかった」説

「オアイタカレップ」とは随分と珍しい川名に思えますが、戊午日誌 (1859-1863) 「左留日誌」には次のように記されていました。

またしばし過て
     ヲアイタカリ
左りの方小川。其名義昔し鹿を追て行しに、追附得ざりしかば、弓を放事るはなちける処、其矢不当しと云儀のよし。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.73 より引用)
アイヌは狩猟に出かける前に「弓占い」を行うことがあったと言われます。特定の場所から的を撃ち抜くことができれば狩りの大成功が約束され、撃ち抜くことができなければそれなりに……ということだったらしく、道内のあちこちに「チトカニウシ」(chi-tukan-us-i)と呼ばれる場所が「弓占い」の舞台として残されています。

また、弓矢が届かなかった場所を aykap で「できない」「届かない」と呼んだ……とされます(「愛冠」が有名)。「ヲアイタカリ」あるいは「オアイタカレップ」は aykap と近いようにも思えますが、よく見ると「ヲアイカリ」なので、これを aykap が転訛したとするのはちょっと無理があるかもしれません。

「ヲアイタカリ」は aykap では無さそうですが、ay は「矢」を意味するので、インフォーマントの話はそこからの連想である可能性が高そうに思えます。「ヲアイタカリ」であれば o-ay-ta-kar-i あたりになるでしょうか。

弓矢は本当に放たれたのか

o-ay が「河口・矢」になるのは良いとして、続く ta-kar がちょっと謎です。takar であれば「夢を見る」ですが、これは流石に意味が良く分からないので一旦考慮から外しましょうか。

ta は「打つ」「断つ」「切る」あるいは「掘る」「汲む」と言った不完動詞としての用法と、「そこ」という指示代名詞としての用法と「そこに」「~に」「そこにある」と言った副詞・助詞としての用法が考えられます。

問題は kar で、「打つ」「作る」「取る」「刈る」「する」という不完動詞であると同時に、「回る」「巻く」をも意味し、また「他動詞についてその意味を強める」用法もあるとのこと。ここまで見た限りでは ta-kar は「作る・する(強意)」と解釈すべきでしょうか。つまり o-ay-ta-kar-i であれば「河口・矢・作る・する・ところ」となる……?

不思議なのが(まぁ薄々想像はしていましたが) takar も「(矢を)射る」あるいは「(矢を)放つ」と言ったニュアンスが無さそうなところです。やはり「矢が当たらなかった」というのは後づけの「設定」であり、o-ay-ta-kar-i は全く異なる風に解釈すべきということでしょう。

「カジキの上顎」説

ay平取町の「ハヨピラ」や「ウエンハエシナイ沢川」のように「カジキの上顎」と考えるとどうなるでしょうか。

もし kari を「まわる所」を意味する名詞句として捉えることができるのであれば、o-ay-ta-kari で「河口・カジキの上顎・そこにある・まわる所」となりそうな気もします。あるいは「河口・カジキの上顎・そこで・まわる・ところ」と解釈することもできる……?

地形図で「オワイタカ沢」を見ると、東隣の山から河口近くに向かって南西に鋭い峰が伸びているのですが、これを「先端が曲げられたカジキの上顎」に見立てたのかなぁ……という想像です。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
あ、「そこで・まわる・ところ」ではなく「そこで・まわる・もの(川)」のほうがより自然かもしれませんね(川名は川を識別するためのものなので)。ちょっと曲がり方が弱い気もしますが……。他に類型を見ませんし、何らかの見落としがあり本当はもっとすんなり解釈できる地名なのかもしれませんが、今のところはこんな感じかと……。

ルーケシオマナイ川

ru-kes-oma-nay
路・末端・そこにある・川
(? = 旧地図等に記載あり、独自説、類型あり)

2026年6月4日木曜日

北の大地で燃費走行 (64) 「訳ありな石碑」

稚内市富磯の国道 238 号を激走中のんびり走行中です。右側にコスモ石油のガソスタとセイコマが見えますが……
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 8~9 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

コスモ石油のガソスタは、2018 年 6 月までに「カーエネクス」に切り替わったようです。「カーエネクス」というブランドは知らなかったのですが、伊藤忠グループなんですね。


なお隣の「セイコーマート とみいそ店」は「日本最北のコンビニ」として知られ、現在も絶賛営業中とのこと。

2026年6月3日水曜日

北の大地で燃費走行 (63) 「VOR/DME」

国道 238 号で宗谷岬方面に向かいます。片側 2 車線の超スーパーハイパー快適な道路は相変わらずですが……
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 8~9 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

右側に妙なものが見えますが、これは稚内空港の何かの施設……のようです(アンテナのようですが詳細は不明)。

2026年6月2日火曜日

北の大地で燃費走行 (62) 「謎のレッドバロン」

稚内と言えば、やはりこの青看板ですよね。漢字の下にラテン文字とキリル文字が併記された青看板は、稚内と根室と……あとはどこにあるんでしたっけ(新潟とかにもあったかな?)。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 8~9 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

ここは国道 40 号と国道 232 号の重複区間なのですが、ちゃんと両方の「おにぎり」が設置されていて「重複区間」との補足もあります。フルコースですが、上の青看板は「国道 40 号」オンリーなのがちょっと残念ですね。

2026年6月1日月曜日

北の大地で燃費走行 (61) 「快晴の Day 5」

道内最終日の Day 5 は良い天気になりました。正面の山には「稚内公園」の「開基百年記念塔」がはっきりと見えています。
【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 8~9 月時点のものです。各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

「ANA クラウンプラザホテル稚内」(当時)は、駐車場がホテルの真ん前(地上)にあって完全無料というところも良いんですよね。

2026年5月31日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (1390) 「パンケユウケシュオマナイ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

パンケユウケシュオマナイ川

panke-iwor-kes-oma-nay??
川下側の・狩場・末端・そこにある・川
(?? = 旧地図等に記載あり、独自説、類型未確認)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
国道 274 号が右折(あるいは左折)する交叉点から 2.5 km ほど北東に進んだところに「発電所」という名前の四等三角点があるのですが(標高 290.1 m)、その南あたりで沙流川に注ぐ南支流です。川名は国土数値情報によるもので、地理院地図には川として描かれていません。

謎の「ユーケシオマナイ」

妙なことに(そしてこれは良くあることでもありますが)、『北海道実測切図』(1895 頃) では現在「パンケユウケシュオマナイ川」だとされる川には名前が記されておらず、西隣にある、現在は「三号の沢川」とされる川に相当する川が「ユーケシオマナイ」と描かれていました。


ただ、戊午日誌 (1859-1863) 「左留日誌」の内容と照らし合わせると……

戊午日誌北海道実測切図国土数値情報
ヲカシユク(ウ)ンベオカシュウンペ岡春部川
ウツフヌプリパオマナイ銀沢川
ハンケウサフパンケウシヤㇷ゚パンケウシャップ川
ヘンケウサフ--
フンカウユーケシオマナイ三号の沢川
-ペンケウシヤㇷ゚ペンケウシャップ川
ユウケシヨマナイ(無名の川)パンケユウケシュオマナイ川
ヲアイタカリオアイタカレップオワイタカ沢

こんな感じになり、『北海道実測切図』の「ユーケシオマナイ」の位置がむしろ疑わしく見えてきます。

「鹿が沢山いる沢」?

戊午日誌「左留日誌」には次のように記されていたのですが……

またしばし過て
     ユウケシヨマナイ
右のかた小川有。其名義は鹿が沢山に有る沢と云儀のよしなり。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.73 より引用)
これは……。yuk が「鹿」で、「ヨマナイ」は oma-nay あたりかなぁ……と考えたくなります。となると「ケシ」は kes で「末端」になりそうですが、「鹿の末端」というのは文法的にナンセンスなので、見直しが必要です。

では kes ではなく us だったらどうだろう……とも思ったのですが、usoma はどっちも動詞なので、この二つが続くというのもあり得ない組み合わせです。そして us ではなく kus だったとしても同じ問題にぶつかってしまいます。

kes は「末端」を意味する位置名詞ですが、それとは別に「まだら」をも意味するとのこと。ただ yuk-kes-oma-nay だとすれば「鹿・まだら・そこにある・川」ということになり、文法的な問題は減ったとは言え意味不明であることには違いはありません。

kes は「残り」?

萱野茂のアイヌ語辞典』(2010) によると、kes-anpa で「追いかける」あるいは「追い出す」を意味するとのこと。kes には「末端」や「尻」のように位置を示すだけではなく「残り」と捉えることもできるようで、kes-anpa は「残りを・持つ」と分解できるみたいです。

地名では rur は「海」や「海水」を意味するとされますが、沙流方言では rur は「(味噌汁などの)汁(の部分)」を意味するそうで、rur-kes で「汁の残り」となるみたいです。となると yuk-kes は「鹿の残り」と捉えることも(理屈の上では)可能ですが、わざわざ「どんくさい鹿のいる川」と呼ぶのも妙な感じがします。

ちょいと無理のある仮説

いくつかの可能性を考えてみたのですが、どれも一長一短です。仮に kes に「足跡」という意味があるのであれば yuk-kes-oma-nay は「鹿・足跡・そこにある・川」となり、シンプルで違和感のない解釈と言えます。

ただ手元の辞書類では kes に「足跡」という意味があったとは記されていないため、これは……いくらなんでも無理がある、でしょうね。

「『いつもあれを取るところ』にある川」?

となると「ユウケシ」の意味を再検討すべきなのかもしれません。yúkus-to で「ヒシの実をとる沼」を意味しますが、知里さんによるとこれは i-uk-us-to で、i-uk-us-to は「あれを・取る・いつもする・沼」と読み解けます。

「ユウケシ」ならば i-uk-us-i で「あれを・取る・いつもする・ところ」と読めそうな気がするので、「ユウケシヨマナイ」であれば {i-uk-us-i}-oma-nay で「{あれを・取る・いつもする・ところ}・そこにある・川」と読める……かもしれません。

「狩場の末端にある川」?

随分とくどい解釈になってしまいましたが、あるいはもっとシンプルに iwor-kes-oma-nay で「狩場・末端・そこにある・川」だった可能性もあるかもしれません。「イウォ」が「ユウ」に転訛したという想定ですが、松浦武四郎が記録した「鹿が沢山いる」という解釈とも一応整合性は取れている……とも言えます。

知里さんは iworiwa-or だったのではないかと考えていたようで、この iwa は「岩内川」などの iwa と通じるものがあるかもしれません(逆に iwaiwor に通じると見ることもできるのかも)。

yuk(鹿)という解釈を捨てるのはちょっと勇気が必要でしたが、よく考えてみると松浦武四郎も「鹿」とは記したものの yuk とは記してないんですよね。

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2026年5月30日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (1389) 「右左府・ホロカワウシャップ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

右左府(うさっぷ)

o-sapa?
河口・頭(岬)
(? = 旧地図等に記載あり、独自説、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
旧・門別町と合併する前の旧・日高町は、1943 年までは「右左府村」という名前でした。「右左府」という地名は姿を消しましたが、道道 847 号「三岩日高線」の「右左府橋」があるほか、「ホロカワウシャップ川」を遡った先の占冠村との境界付近に「右左府」という名前の二等三角点が存在しています(標高 932.2 m)。

地名としての「右左府」は過去のものになりつつありますが、川名としては中心街の西に「パンケウシャップ川」とその支流の「ホロカワウシャップ川」が、そして中心街の東に「ペンケウシャップ川」が健在です。

北海道実測切図』(1895 頃) にも「パンケウシヤㇷ゚」と「ペンケウシヤㇷ゚」が描かれていて、両者の間に漢字で「右左府」と描かれています。「右左府」という漢字表記は、『角川日本地名大辞典』(1987) によると「明治40年浦河支庁長西忠義が,左右に道が通じるという意味で決定したという」とありますが、『北海道実測切図』に既に「右左府」とあるので、それ以前から使用されていたことになりますね。


なお『改正北海道全図』(1887) には「宇佐津富」とあるほか、「宇社布」という表記もあったとのこと。この「右左府」は、後に国道 274 号「石勝樹海ロード」が開通することで道東と道央を結ぶ交通の要衝になるのですが、それを見越したようなネーミングだったというのは(偶然とは言え)面白いですね。

『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) にはそれらしい川が描かれていないのですが、戊午日誌 (1859-1863) 「左留日誌」には次のように記されていました。

またしばし過て
     ウ ツ フ
左りの方小川。椴の木多し。此処までイワチシより凡また雪路一日に来るとかや。其名義は本名フツホコマナイのよし也。椴多きと云儀。また少し上りて
     ハンケウサフ
     ヘンケウサフ
左りの方小川。其名義未だ解せず。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下』北海道出版企画センター p.72 より引用)
永田地名解 (1891) にはそれらしい記述が見当たりません。

山田秀三さんの旧著『北海道の川の名』(1971) には次のように記されていました。

 北海道行政区画便覧に、「両方に出入口のある所」と書いてある。誰かの判読であろうが、少々無理な解に見える。
(山田秀三『北海道の川の名』モレウ・ライブラリー p.146 より引用)
これは「ウシャップ」ではなく「右左府」の由来を記したようにも取れそうな……?

 萱野茂さんは、二つの川が、「互に並んで下っている」からこの名がついたのか、と意見を述べられた。ウ・サㇷ゚「U-sap 互に・下る(複数形、単数は san)」、と読まれたもの。
(山田秀三『北海道の川の名』モレウ・ライブラリー p.146 より引用)
u-sap で「互いに・山から浜へ出る」ではないか、ということですね。現在はこの解釈が広く受け入れられているようですが、他所で類例を見ないという点が引っかかっています。

ついでに言えば、地名は特定の場所、あるいは山や川を意味するポインターとして機能するもので、特にアイヌの地名は直球(ストレートなネーミング)が多いことで知られます(例えば poro-nay で「大きな・川」とか)。

もちろん「互いに並んで下っている」というのもアリだと思いますが、「あー、あの川ね」と万人が納得するネーミングなのだろうか、と疑問に思ったりもします。

では「ウシャップ」とは何なのか……ですが、やはり地形的な特徴を指していると考えたくなります。国道 237 号と国道 274 号が交叉する十字路の北に「日高神社」がありますが、その後背にちょこんとした山があるように見えます。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
あとは「ペンケウシャップ川」沿いにも似たような山があれば良いのですが、ある……と言えばあるような気も。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
「頭」や「岬」を意味する sapa という語があるので、o-sapa で「河口・頭(岬)」だったのではないか……と考えてみました。地名としては不完全な形なので、本来は o-sapa-us-i で「河口・頭(岬)・ついている・もの」あたりで、o-sap-us-i と転訛した後に -us-i が落ちたとすれば「ウシャップ」に近い形になるんじゃないかな……と。

ホロカワウシャップ川

horka-{o-sapa}?
U ターンする・{右左府}
(? = 旧地図等に記載あり、独自説、類型あり)