背景が曇り空ということもあり、いい感じにトーンカーブを弄るのも難しかったので、オブジェクトを選択してトーンカーブを弄るという「ウソくさい補正」の出番となりました。
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深川留萌自動車道の起点となる「深川 JCT」まで、あと 12 km とのこと。ナンバリングが枝番ですが、道央道を建設した当時は計画に無かった……ということなんでしょうね。
2026年3月30日月曜日
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2026年3月29日日曜日
Moso ush pe モソ ウㇱュ ペこれは……。ちょっと俄には信じたくないような解ですね。『アイヌ語沙流方言辞典』(1996) によると mosospe で「ウジ虫」を意味するようですが、永田方正はこれを moso に略してしまった、ということでしょうか。蚋 多キ處 鹿死シテ蚋多シ故ニ名ク
しばし過て
モウシヨシベツ
右の方小川。高山より滝に成て落るが故に此名有と。モウとは小さし、シヨシとはシヤウウシの詰りにして、滝有る川と云儀也。
2026年3月28日土曜日
またしばし過て
トウナエ
左りの方平山の間小沢。其名義川口に小沼有、よつて此名有るよし也。
2026年3月27日金曜日
しばし上りて
シユブン
左りの方小川。此川には桃花魚 多きよりして号しものなり。
2026年3月26日木曜日
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2026年3月25日水曜日
2026年3月24日火曜日
2026年3月23日月曜日
2026年3月22日日曜日
2026年3月21日土曜日
2026年3月20日金曜日
2026年3月19日木曜日
2026年3月18日水曜日
2026年3月17日火曜日
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2026年3月16日月曜日
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2026年3月15日日曜日
またしばし過て
シユブシヤ
右のかた小川。本名はシユウフシヤと云よし。
昔し饑飢の時に土人共山に入、此処にて茖葱を取りて煮て喰、其にて生命を全ふせしよりして号たりとかや。
シユブシヤ
フクシヤを煮て喰しと云事也
2026年3月14日土曜日
また向岸に
ニタツベツ
右の方小川也。此沢樺木多く有るよりして号ると申也。
2026年3月13日金曜日
また少し上り
セタナイ
右の方小川有、上は平山。本名セタヲワイナイのよし。昔し土人の犬此処に来り穴を掘、其処にて子を持ちしによつて号しとかや。
2026年3月12日木曜日
2026年3月11日水曜日
2026年3月10日火曜日
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2026年3月9日月曜日
2026年3月8日日曜日
Nupki pet ヌプキペッ 濁川 貫氣村『地名アイヌ語小辞典』(1956) にも nupki は「にごり水」とあります。「貫気別」は nupki-pet で「にごり水・川」と見て良さそうですね。
2026年3月7日土曜日
またしばし過て
ニヨイ
右の方相応の川也。ニヨイとは此辺の惣名にして村名に成居たり。則下のヘナコリ、シケレへと当所川の南北に有ども、惣名はニヨイ村と云也。
名義は、此上の山に何か雑木が多く有るが、遠目に見ては彫刻にてもなせし物の様に見ゆるが故に号しと。
惣て夷人は縫 繍のみならず、劂 刻等の類ひ皆ヌヒと云、また文字等を書ことまでもヌヒと称する也。其れの如しと云より起りしと。今訛りてヌイをニヨイとと転じたる也。
Nioi,=Ni-oーi, ニオイ 樹木多キ處 ○荷負村この解に対して、山田秀三さんは『北海道の地名』(1994) にて次のように指摘していました。
永田地名解は「ニ・オ・イ。樹木多き処」と書いたが,知里博士は,立木の多いのはニ・ウㇱ(樹木・群生する)で,ニ・オは「地面から離れた木,木片がごちゃごちゃある」と解すべきだとされていた。
2026年3月6日金曜日
Ota shū オタ シュー 土鍋 土鍋ヲ作リシ處ナリト云鍋料理の美味しい季節になって久しいですが(実は年中いつでも美味しい)、永田方正さんは「紫雲古津」も「鍋谷」とするなど、無類の鍋好きだった可能性が取り沙汰されています[誰によって?][要出典]。
またしばし過て
ハンケヲタシユイ
右の方小川也。此川鱒・鯇入るよし也。其名義は砂計有る川と云儀のよし也。
読みにくい地名なので日高の萱野茂氏に相談したら,オタスイなら沙流川筋の額平川にもある。ぼろぼろな砂岩にシュイ(スイ。穴)があってその名がついたと語られた。
2026年3月5日木曜日
2026年3月4日水曜日
2026年3月3日火曜日
2026年3月2日月曜日
2026年3月1日日曜日
puy, -e ぷィ ①穴。=suy. ②【シャリ】頭;岬。③こぶ山。
2026年2月28日土曜日
Nuka pira ヌカ ピラ 形跡アル崖山田秀三さんの『北海道の地名』(1994) には更に詳細が記されていました。
合流点東岸上手に崖があって,その上の部分に半円形の形像が見える。文化神オキクルミの妹が天に上る時に忘れていった箕 だという。それでムイ・ノカ(箕・の形像)と呼ばれているとの事。
ヌツケヘツの部
此巻はサル川すじの支流ヌツケヘツ川すじを誌るすが故に、ヌツケヘツ誌ともすべけれども、其川口はサルフトえ落るが故、別に表題を別たずしてサル日誌となし置。
ヌツケベツフト
またヌカビラフトとも云り。前巻に志るすヘテウコヒの事なり。
扨また二股より左りの方川巾凡弐十七八間有り。是も十五六丁を上り見分致し帰りたりけるが、此方を
ウカヒラ
と云本名ヌカヒラの由也。其名義は昔し爺二人婆一人レヽヱカニと云て、まがり刎て歩行しと云が故に如レ此号しと云へり。其訳未だしらず。
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2026年2月27日金曜日
また其向
ハラタイ
西岸小川也。其名義は山の中え入るや広きよゐ川 と云事なりと。
Para tai パラ タイ 野林 平野ニ樹木アル處松浦地圖「ハラタナイ」ニ誤ルpara-tay であれば「広い・林」と見て良さそうですね。「ハラタナイ」とあるのは少々謎ですが、para-tay-nay で「広い・林・川」ということでしょうか。文法的には違和感がありますが、tay と nay の間に存在した何らかの動詞が失われてしまった……と言ったところでしょうか。
2026年2月26日木曜日
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2026年2月25日水曜日
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2026年2月24日火曜日
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2026年2月23日月曜日
この記事内の見出しは高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』(中央公論事業出版)の「初版からの省略版(普及版)の削除部分を示す対照表」の内容を元にしたものです。この対照表は、高梨謙吉訳『日本奥地紀行』(平凡社)および楠家重敏・橋本かほる・宮崎路子訳『バード 日本紀行』(雄松堂出版)の内容を元に作成されたものです。
しかし今のような夏には頻繁に西洋の軍艦の出入りや健康志向の外国人──彼らは活火山であるコモノタケ[駒ヶ岳]の麓に横たわる幾つかの美しい湖や名ばかりの道都である遥か内陸の札幌までも冒険に出かける──の訪問があり活気づいています。
他には、山に登るか、開拓使庁の実験農場の一つであるナナイ[七飯]を見に行くか、シギ撃ちに行くだけが、気晴らしなのです。
ここに伝道拠点のある四つの教会組織は教会の会堂を建てています。そのうち、カトリック教会は最も大きく、最も飾りたてられたギリシャ正教[ロシア正教]教会の壁は絵画で覆われています。
ここまでは、ロシア正教は改宗に関しては大成功をおさめていますが、ニコライ神父がたった一人で、4、5 人の現地の助手を任命してやってきたのです。
最近数人の「シスター」が到着してカトリックの伝道に加わりましたが、多分伝道にはずみがつくでしょう。
今私が滞在している家のデニング氏とサムライ階級出身の際立ってかしこい現地の福音伝道者である小川氏が担当しています。
しかし、蝦夷は仏教徒の地で、その一つの場所である大野では非常に反発が強い。
私たちは荷駄用の子馬に乗って、探検旅行に行きました。「蝦夷登り」と呼ばれるのに適当な歩調で行ける路がずうっと続いています。
土地の主部と頭に当たる部分を繋ぐ土地の首にあたる部分を過ぎると、輝かしい太陽の光を浴びながら、砂地を行く、楽しい乗馬旅行でした。
砂地の荒川村から、風光の美しい村落、非常に美しい森林に囲まれた田舎を通って大きな村である大野へと乗馬道は導かれます。
そこには政府から配給されたたくさんの外国の木々や花々が生い茂っています。
大野の近くには、カシワの一種の丈夫な葉をえさにしている山繭の丈夫な絹の生産の操業をしている官営の工場があります。
Near Ono there is a Government factory, where they are utilising the strong silk of the mountain silk-worm, which feeds on the tough leaves of a species of oak.
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2026年2月22日日曜日
またしばし過る哉
ホンカンカン
東岸に小川有。其名義は鹿の腸也。昔し此処に鹿の腸を神が童子共え呉給ひしかば、我も我もともらひしとかや。よつて号る也。しばし過て
カンカン
東岸平地に相応の川也。其名義前に云ごとし。
Kankan カンカン 曲折 類膓ヲ「カンカン」ト云此處曲折甚シ故ニ名ク随分とシンプルになりましたね。この kankan については『地名アイヌ語小辞典』(1956) にも立項されていました。
kan-kan, -i かンカン 原義‘小腸’。川など小腸のように屈曲して流れている部分をいう。