2018年4月28日土曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (528) 「ウトナイ湖・オタルマップ川・オホコツ川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

ウトナイ湖

ut-nay-to
肋(あばら)・川・沼


苫小牧市の北東に位置する湖の名前です。白鳥などが飛来することでも有名な風光明媚な場所ですが、何故か今まで取り上げるのを忘れていたようです。

現在の地形図には「ウトナイ湖」と記されていますが、1980 年代の土地利用図では「ウトナイト沼」となっていました。そう言えばそんな名前だった記憶がありますね。いつの間に「ウトナイ湖」に変わったんでしたっけ……?

「東西蝦夷山川地理取調図」には「ウツトウ」と記されていて、また戊午日誌「東西新道誌」には「ウツナイトウ」とあります。「西蝦夷日誌」には「宇都内沼」とありましたが、まぁ、要するに ut-nay ということなんでしょうね。ut-nay で「肋(あばら)・川」と解釈できます。

「あばら川」とは何ぞや……という話ですが、本流を背骨に見立てて、その本流に対してほぼ直角に流れ込んでくる川を「肋骨みたいな川」と考えた、ということのようです。より正しくは、Ψのような感じで「わざわざ直角に近い角度に向きを変えて合流してくる川」なのかもしれません。

山田秀三さんの「北海道の地名」には、次のように記されていました。

ウトナイト沼
 ウツナイフトから北に溯った処の沼。札幌から苫小牧への道では,汽車で行っても国道を行っても,この大沼が見えるのが何か楽しみである。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.379 より引用)

そういえばウトナイ湖の横の国道脇には道の駅がありますが、なかなか盛況のようですね。

 語意はウッ・ナイ・ト(ut-nai-to 肋骨・川・の沼)であるが,現在残っている記録では,この沼の繋がっているウッナイ川の名がないので長い間疑問の地名であった。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.379 より引用)

現在は湖の西に「勇払川」(かつての「勇振川」)が注いでいて、まさに ut-nay の名に相応しいのですが、これは河川改修の結果なので、ウトナイ湖の名の由来と考えるには適切ではありません。ただ、「北海道の地名」によると……

 苫小牧の扇谷昌康氏は,この沼から出て前掲の合流点に至るまでの6~700メートルの間の川がウッナイだったのではないかと書かれた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.379 より引用)

あっ、なるほど。前述の通り、現在の「勇払川(上流)」は河川改修の結果、ウトナイ湖の西方に注ぐようになっていますが、「旧勇払川」はウトナイ湖には注ぐこと無く、ウトナイ湖から流出してきた「勇払川(下流)」と合流していました。

現在は、ウトナイ湖から流出する「勇払川」が本流で、「旧勇払川」は支流という扱いですが、かつては本流と支流が逆だったのではないか、という説のようです。その支流が旧勇払川に対して直角に近い形で注いでいたので ut-nay と呼ばれ、ut-nay の上流にある沼が {ut-nay}-to(「{肋・川}・沼」)と呼ばれた……という仮説ですが、なるほど確かに説得力のある説です。

 北海道の古図は,美々川筋にひょうたん形の大きな沼を描き,後には,上下に分かれた二つの大沼をかくのが例であった。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.379 より引用)

ふーむ、そうなのですね。現在の「ウトナイ湖」は「ひょうたん型」とは言い難い形をしていますが……

 明治29年5万分図は,ここにキムンケトウ(ウッナイトー)と書いた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.379 より引用)

あっ、確かに昔の地形図には「キムンケトー(一名ウト゚ナイトー)」と記してありました。kim-{un-ke}-to だと「山のほう・{そこに入っている}・沼」と解釈できそうです(十勝の海岸にも「キモントウ沼」がありますね)。

扇谷先生はそれをキムケ・トー(山の沼)とし,旧図の二つの沼の上の方のものと解され,また旧記のヒシエントウをピシュン・トー(浜の方の・沼)として,弁天池を含めた下の大沼が存在したかと興深い意見を書かれた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.379 より引用)

あっ。「ひょうたん型の大きな沼」って、そんなに大きな沼を想定していたのですね。でも確かに勇払原野に巨大な沼があったと想定しても特に不思議ではないような気がします。kim-un-ke-to があるんだったら pis-un-ke-to があっても不思議は無いですし、むしろあるほうが(地名としては)望ましいように思われます。

オタルマップ川

ota-ru-oma-p?
砂浜・道・そこにある・もの
o-taor-oma-p?
そこで・川岸の高所・そこに入る・もの


「ニドムクラシックコース」と「北海道ブルックスCC」の間を西から東に流れて、ウトナイ湖の北西側に注ぐ支流の名前です。

「西蝦夷日誌」や戊午日誌「東西新道誌」には「ヲタロヲマフ(小川)」と記されています。また、「東西蝦夷山川地理取調図」には「ヲタロマフ」とありますね。

永田地名解には次のように記されていました。

Otaromap  オタロ マㇷ゚  沙路アル處
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.216 より引用)

ふむふむ。ota-ru-oma-p で「砂浜・道・そこにある・もの」と解釈したのですね。一見、何の曇りも無いような的確な解に思えますが、果たして本当に川沿いに砂地があったのか、ちょっと疑わしい感じがするのですね。

航空写真を見てみると、鬱蒼とした森を切り開いた横長の草原があり、確かにところどころに砂場があります(一般的には「バンカー」と呼ばれるものですね)。森の中を切り開いて芝が植えられている部分(一般的には「フェアウェイ」と呼ばれます)を「路」と解釈したのであれば永田地名解の解釈も理解できるのですが……。

地形的な特徴から考えると、オタルマップ川の上流部は台地に深く切り込むような形をしています(但しこれはオタルマップ川に限った話ではありませんが)。そこからの連想で o-taor-oma-p で「そこで・川岸の高所・そこに入る・もの」と解釈できないかなぁ……と思っているのですが、いかがなものでしょう。

オホコツ川

ooho-kot
深い・凹み


道道 10 号「千歳鵡川線」の近くで美々川と合流する支流の名前です。「東西蝦夷山川地理取調図」には記載を見つけることができませんでしたが、「竹四郎廻浦日記」には「ヲホコツ」という記録がありました。

 此所より陸路ルヲサニ、ルイカンウレニツ、ヲホコツ、キサラコツ、ヌフノシケ、マヽツ等と云平地樹木立原を越て
    チ ト セ
会所元へ至る也。
松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 下」北海道出版企画センター p.547 より引用)

また、戊午日誌「東西新道誌」には次のように記されていました。

過てまた
     ヲ ホ コ
此処低(深)き沢なれども水なし。依て号とかや。ヲホコは深き地形を云り。本名はヲホコツなるよし。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.433-434 より引用)

概ね想像通りの内容が既に記されていました。ooho-kot で「深い・凹み」と考えて良さそうですね。

一つだけ引っかかったのが「ヲホコは深き地形を云り」という文です。地形で「深い」を意味する語彙には oohorawne が存在するのですが、ooho は「(水かさが)深い」ことを意味するのに対して、rawne は「(谷が)深い」ということを意味します。つまり、「深き地形」を意味するのであれば、本来は rawne が用いられる筈なのですね。

ただ、良く考えてみると、今回は ooho-nay ではなく ooho-kot で、ooho が受けるものは「川」ではなく「凹み」なのでした。rawne-kot という地名があったかどうかは思い出せませんが、むしろ ooho-kot でないとおかしかった……のかもしれません。

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