2013年11月16日土曜日

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北海道のアイヌ語地名 (159) 「大磯・栄浜・種富町」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものである)

大磯(おおいそ)

o-pi-ya-tanne-nay?
川尻・小石・岸・長い・川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
本泊の西隣で、利尻空港の滑走路に近いところです。こちらも残念ながら和名っぽいのですが……。更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」を見てみましょうか。

 東利尻町の北西、利尻町沓形との境に近い部落の名で、もとはヲピヤタンナイと呼んでいたところ。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.209 より引用)
既にお気づきかと思いますが、「東利尻町」は「利尻富士町」の旧名ですね。そういえば利尻空港の隣に「オビヤタンナイ沢川」という川がありました。これはいかにもアイヌ語っぽいのですが、ちょっと意味が良くわかりませんね。

地名の語源は明らかでないが、流れが小石浜を深く掘下げている沢という意味かとも思う。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.209 より引用)
うーん……なるほど。更科さんは o-pi-ya-tanne-nay と解釈したわけですね(最初「ピヤ」が何のことだかわからなかったのですが、pi-ya だったようです)。これだと「川尻・小石・岸・長い・川」となりますね。確かにオビヤタンナイ沢川の河口のあたりには浜があります。このあたりのことですから、おそらく砂浜ではなくて小石浜なのだと思います。ただ、tanne と言えるかは……ちょっと疑問も残ります。

地形図で等高線などを見てみると、オビヤタンナイ沢川の河口のあたりは、大昔は入り江だったとも想像できます。また、そこに注ぎ込む川は 10 m 近くを一気に滑り落ちる構造だったとも推測できます。もしそうなのであれば、o-pira-ta-an-nay で「川尻・崖・そこに・ある・川」とも解釈できそうな気がします。

栄浜(さかえはま)

ni-chiw??
木・波
(?? = 典拠あるが疑問点あり、類型未確認)
利尻町沓形から反時計回りに地名を見てきましたが、とうとう利尻町に戻ってきてしまいました。利尻町最北端、西の海に面した漁港のある集落です。引き続き更科さんの「──地名解」から。

利尻町の最も北、東利尻町の境にある部落名で、最近繁栄する浜の象徴として改名された。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.209 より引用)
ふむふむ。もちろん続きがありますので、それを見てみましょうか。

もとは日中と書いて、ニッチュウと呼んでいたが、これは古い五万分の地図にポソニショとポロニショと二つあり、松浦地図ではポンニショの方をシコシケユシュ、ポロショ(ママ)の方はニシュとなっている。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.209 より引用)
んー、ni-chiw であれば解釈は明瞭なのですが、「ニショ」だと良くわからなくなりますね。

ニショはニチュだとの説もある
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.209 より引用)
あ、それだったら納得です。ni-chiw だと「木・波」といった感じですが、この場合の ni は「流木」と考えるべきなのでしょうね。

流木が漂着するところという意味だというが、事実は分からない。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.209 より引用)
そうですね。その通りだと思います。

ニシュウと書いている地図もあるが、これが正しければニスで臼のこと、臼形の岩の名かとも思う。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.209-210 より引用)
なるほど。nisu は「臼」だそうですから、確かにそのような解釈もできてしまいますね。さらなる研究が必要になりそうです。

種富町(たねとみちょう)

tanne-to-un-nay
長い・沼・ある・川
(典拠あり、類型あり)
沓形の北隣にある集落の名前です。一見アイヌ語由来っぽくない感じもしますが、種明かしをすればとっても簡単なので、早速見ていきましょうか。

 新湊と沓形の間というよりも、沓形の町続きといった方がよい。もとはタンネトウンナイという地名に、種屯内と当て字していた。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.210 より引用)
はい。tanne-to-un-nay が巡り巡って「種富」になった、ということのようです。逐語的に解釈すると「長い・沼・ある・川」ですね。

地図では分からないが、地元の報告によると、ここの西の方に泥炭地があって、水がたまっているところがあるというから、何百年か前にあった沼が、湿地にまで乾燥してきて、現在では、そのあとが残っているのであろうと思われる。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.210 より引用)
ふむふむ。確かに種富町のあたりは標高が海抜 10 m を下回る窪地っぽい地形です。水が貯まりやすい地形だった可能性もありそうですね。

というわけで

「礼文シリーズ」に引き続きご愛顧いただきました(?)「利尻シリーズ」もこれにて終了です。次回からは道北に戻ります。引き続きどうぞご贔屓に!

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