2017年4月15日土曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (432) 「国縫・ワルイ川・ベタヌ川」

 


やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

国縫(くんぬい)

kunne-i?
黒い・もの
kunne-nay?
黒い・川


長万部町南部の地名で、同名の駅もあります。かつて国鉄瀬棚線が国縫駅から分岐していました。ということでお馴染みの「北海道駅名の起源」から。

  国 縫(くんぬい)
所在地 (胆振国) 山越郡長万部町
開 駅 明治 36 年 11 月 3 日(北海道鉄道)
起 源 アイヌ語の「クンネ・ナイ」(黒い川)に「国縫」の字を当てたものである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.11 より引用)

はい。kunne-nay で「黒い・川」じゃないかという説ですね。妥当な解釈だと思っていたのですが、古い記録には異説もあるようです。例えば秦檍麻呂の「東蝦夷地名考」には次のようにあります。

一 クンヌイ
 酋長シユワニ曰、クン子なりと。クン子は黒きなり。海濱砂銕ありて黒きより地名となれり。
 一にクルヌイと云。クルは衆と譯す。ヌイは則、縫の字。夷家の集れる、縫か如きをいふ。
(秦檍麻呂「東蝦夷地名考」草風館『アイヌ語地名資料集成』p.15 より引用)

秦檍麻呂は kunne-i で「黒い・もの」ではないかと考えたようです。もう一つの kur-nui はアイヌ語と和語の合成地名ではないか、という説ですね。

また、上原熊次郎の「蝦夷地名考并里程記」には、次のように記されていました。

クン子  小休所・船渡し
 夷語クンヌイなり。則、黒き野火と云ふ事。故事未詳。
(上原熊次郎「蝦夷地名考并里程記」草風館『アイヌ語地名資料集成』p.47 より引用)

上原説では kunne-nuy で「黒い・野火」ではないか、とあります。nuy は和語っぽい印象も受けますが、少なくとも田村すず子さんの「アイヌ語沙流方言辞典」を始め各種のアイヌ語辞書に記載のある語彙ですので、割と普通に使われていたと考えて良さそうですね。

「東蝦夷日誌」には「茂訓縫川」の意味として次のように記されていました。

モは小さき、クンヌイは暗き義、水濁るが故號く。又此方より行も、彼方より来るも、此邊にて暗く成故ともいへり。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(上)」時事通信社 p.23 より引用)

「クンヌイは暗き義」とありますが……更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」にバトンタッチしましょう。

実は暗い川というよりも黒い川と訳すのが正しい。川底が砂鉄があって黒いからである。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.18 より引用)

ほほーう、なるほど、それで kunne-nay なのであれば納得がいくのですが……山田秀三さんの「北海道の地名」もチェックしておきましょうか。

鉱物のある土地なので黒い水でも流れているかと思ったが奇麗な水だし,黒い石でもあるかと思ったが,見たところそうでもなかった。案外わからない地名である。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.415 より引用)

あれっ。なんだか良くわからなくなってきました。でもまぁ、kunne が「黒い」なのはほぼ確定と考えて良さそうですね。何が黒かったのか、それは川(nay )なのか、あるいは特定の場所(i)だったのかは断定が難しいですが、音からは kunne-i で「黒い・もの」と考えるのが一番自然っぽい感じがします。

ワルイ川

和名?


何となくシャ乱Qっぽい感じがしますが、実は二文字しか合ってないんですよねぇ……(何の話だ)。

さて。ワルイ川は国縫駅と中ノ沢駅のを流れる川の名前です(全域が長万部町に含まれます)。もともとは「ワルイ」という地名もあったようですが、流石に地名としては良くなかったのか、今は「花岡」という名前に変わっているようです(何故に「花岡」……?)。

では、まずは永田地名解を見てみましょう。

Warui  ワルイ  惡(ワルイ)
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.170 より引用)

旧字の「惡」に「ワルイ」というルビが迫力満点ですね。まだ続きがありまして……

和人ノ名ケタルモノナリ土人云フ此川ハ魚上ラズ又材木ヲ流ス能ハズ無用ノ川ナレバ和人惡(ワルイ)ト名クト蝦夷紀行、ポロワリウ川ポンワリウ川ニ作ル
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.170 より引用)

魚もいない、材木も流せない、役立たずの川なので「ワルイ川」とボロカスな言い様ですね。もっとも「ポロワリウ川」「ポンワリウ川」という記録もあるよ、と補足しているあたりはかなり良心的な感じもします。確かに「竹四郎廻浦日記」巻の三十には「ワリウ」という記録がありますね。

一方で「東蝦夷日誌」などには「ワルイ」と記されています。全体的には「ワリウ」は少数派で「ワルイ」のほうが多数派のような印象を受けます。秦檍麻呂の「東蝦夷地名考」には次のように記されていました。

一 ワルイ
 ワの語未考。ルイは砥の称なり。是より西北一里餘の山中に砥を産すれハ名付たるならん歟。
(秦檍麻呂「東蝦夷地名考」草風館『アイヌ語地名資料集成』p.15 より引用)

「歟」は「や」と読むみたいです。閑話休題(それはさておき)、秦檍麻呂こと村上島之允が蝦夷地を訪れたのは 18 世紀末から 19 世紀初頭にかけてのことですから、当時既に「ワルイ」という地名(川名)が認識されていたことになります。面白いのは「ワルイ」をアイヌ語で読み解こうとしていたことですが、確かに「ワ」をどう解釈したものか、難しいです。

秦檍麻呂の「砥石」説は確かに興味深いものではありますが、やはり元々は wen-pet (悪い・川)あたりの川名で、それが和訳されて「ワルイ川」になったんじゃないかなぁ……と思っています。更に古い記録があれば良いんですけどね。

ベタヌ川

pet-aw
川・枝


中ノ沢駅と長万部駅の間を「紋別川」という川が流れています。中ノ沢駅自体が元々「紋別」という駅名だったそうですが、他にも「紋別」という地名があったためか、大正 3 年に「中ノ沢駅」に改称されています。

ベタヌ川は、紋別川を山奥まで遡ったところで合流している支流の名前です。どことなくペタヌ川と名前が似ている……というかソックリですが、意味もソックリ……というか、同じなのだと思います。pet-aw で「川・枝」、即ち「支流」という意味なのでしょうね。

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