2017年10月15日日曜日

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アイヌ語地名の傾向と対策 (477) 「清部・江良・原口」

 


やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

清部(きよべ)

ki-un-pe
草・ある・もの


松前町茂草から海沿いに北上すると、棚石川を越えて小浜、そして清部の集落にたどり着きます。早速ですが上原熊次郎の「蝦夷地名考并里程記」を見てみましょう。

清 部
  夷語キイウンベなり。則、茅芳等の有る・(所)と譯す。扨、キイとは茅の事。ウンとは有る。ペとは所と申意にて、此所野合又は沢内にも茅芳なとのある故、地名になす哉。未詳。
(上原熊次郎「蝦夷地名考并里程記」草風館『アイヌ語地名資料集成』p.90 より引用)※ 原文ママ

おっ、今回も「知らんけど。」で締めるという大技が出ましたね! 上原説は ki-un-pe で「草・ある・もの」と解釈して良さそうな感じでしょうか。

永田地名解には、ほんの少しだけ違う解が記されていました。

Ki-o-pe  キ オ ペ  菅茅ノ類多キ處 淸部村ノ原名
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.150 より引用)

上原説と永田説の違いは un(ある)と o(多くある)だけなのですが、これについては山田秀三さんからツッコミが入っていました。

ki は稈茎の草の総称。ただし,それに動詞の o(多くある)はふつう付けないし,また o の後に -pe は付けない。永田氏ほどの人の解としては理解できないのであったが,
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.438 より引用)

おおっ、確かに。ki-o という用法の実在・非実在はともかく、「o の後に -pe は付けない」というのはもっともな指摘です。山田さんの考えでは、永田説は文法上の errata があるとして、上原説が妥当ではないかとのことでした。概ね同感です。

江良(えら)

iramante(-us-i)
狩猟する(・いつもする・ところ)


松前町北部に位置する集落の名前です。今回もまずは「蝦夷地名考并里程記」から。

江良町               泊所 茂草村江二里
  夷語エラマチと(なれ)は魂魄といふ事。亦エランマシユなれば美敷と申事なれとも、両様故事未詳。扨又、此沖合行程八里程隔て大嶋といふありて、他(多)分、此所より渡海すといふ。
(上原熊次郎「蝦夷地名考并里程記」草風館『アイヌ語地名資料集成』p.90 より引用)※ 原文ママ

ふむふむ。確かに ramat で「魂」という語彙があるようです。また eramasu であれば「~を気に入る」という意味になるようですね。ただ「両様故事未詳」とあるので、「どっちにしてもよーわからん」というのが正直なところだったようです。

一方で、永田地名解には次のような解が記されていました。

Eramande ushi  エラマンデ ウシ  漁人ノ小屋アル處 江良町(エラマチ)村ノ原名、元祿十三年松前島郷帳ニハ町名トテハ一個所モナシ而シテ「エラマチ」村トアリ「エラマチ」ハ「エラマンテ」ノ訛ナリ
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.150 より引用)

ふむふむ。面白いことに、もともとは「江良」ではなくて「江良町」だったようです。「江良町」までが地名だったことになるので、結果として「江良町村」という村名になったのだとか。町村派でしょうか(たぶん違う)。

「エラマンテ」って何だろう……と思ったのですが、山田秀三さんの「北海道の地名」によると

エラマンテ(イラマンテ)は狩をする,漁をするの意。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.438 より引用)

とあります。あっ、確かに田村すず子さんの辞書にも iramante で「狩猟する(山でも海でも)」と記されています。iramante-us-i の後ろを略したならば「狩猟する(・いつもする・ところ)」と解釈できそうですね。

原口(はらぐち)

para-kot
広い・谷間


かつて木古内と松前の間を「国鉄松前線」が結んでいました。最終的には松前線の終点は松前駅に落ち着きましたが、松前町北部で採掘されるマンガン鉱石を輸送するために、松前から更に先に延伸する構想がありました。

ただ、戦局が予断を許さない状況になると、松前線の建設よりも函館本線の輸送力増強を優先することとなり、松前線(当時は福山線)は木古内から渡島吉岡(福島町)まで開通したところで終戦を迎えてしまいます。

松前線の工事は戦後再開され、1953 年に松前まで延伸を果たします。松前から原口のあたりまでの工事も行われたようですが、敗戦後は軍需物資(マンガン鉱石)の輸送を名目に予算配分を得ることも容易では無かったのか、結局完成することなく放棄されてしまいました(未成線)。

……そろそろ本題に戻りましょう。原口は松前町のほぼ北端に位置する集落で、前述の通り国鉄松前線の終点として考えられていたところでした。

上原熊次郎の「蝦夷地名考并里程記」には次のように記されていました。

原 口
  夷語バラコツなり。則、廣き渓間と譯す。扨、バラとは廣き又ㇵ打開けたる所をいふ。コツは・(水なき)渓間亦は窪むと申事にて、此沢邊廣き渓間なれば此名ありといふ。
(上原熊次郎「蝦夷地名考并里程記」草風館『アイヌ語地名資料集成』p.89 より引用)

なるほど、para-kot で「広い・谷間」と考えたのですね。確かに原口川の河口部のあたりだけ海岸段丘が凹んでいるので「広い・谷間」と表現するに相応しい地形に思えます。そして para-kot を「原口」にしてしまうセンスもなかなか素敵です。

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