2010年5月14日金曜日

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第7回「国会でチャランケ」

 


さて、この博物館の生みの親でもある萱野茂さんについて……。

萱野 茂(かやの しげる、1926年6月15日 - 2006年5月6日)は、日本のアイヌ文化研究者であり、彼自身もアイヌ民族である。アイヌ文化、およびアイヌ語の保存・継承のために活動を続けた。二風谷アイヌ資料館(シシリムカ二風谷アイヌ資料館)を創設し、館長を務めた。
(Wikipedia 日本語版「萱野茂」より引用)

という方なのですが、何よりも萱野さんの名前が知れるきっかけになったのは

政治活動面ではアイヌ初の日本の国会議員(1994年から1998年まで参議院議員)。在任中には、「日本にも大和民族以外の民族がいることを知って欲しい」という理由で、委員会において史上初のアイヌ語による質問を行ったことでも知られる。
(Wikipedia 日本語版「萱野茂」より引用)

という出来事があったからでしょう。



略歴から足跡を辿る

その略歴から、さらにいくつかをピックアップしてみましょう。

略歴
  • 1926年 - 北海道沙流郡平取町二風谷(にぶたに)に生まれる。当時すでにアイヌ語を自在に操れる話者は少なくなっていたが、アイヌ語を完全に母語とする祖母に育てられたため、アイヌ語と日本語、2つの言語を母語として身につけた。青年期はアイヌであることから逃避するために出稼ぎに出て、炭焼きや測量士などで生計を立てる。
  • 1953年 - 研究者や収集家による民具の流出に心を痛め、アイヌの民具、民話を自ら収集記録し始める。50年かけて集めた1121点はのちに重要有形民俗文化財の指定を受ける。
(Wikipedia 日本語版「萱野茂」より引用)

なるほど……萱野さんの蒐集癖は 27 歳の頃から始まったようですね。実は、「二風谷アイヌ資料館」「平取町立二風谷アイヌ文化博物館」以外にも、「二風谷アイヌ資料館」の「別館」なる棟があってですね……。これがまたいろんな意味で凄いのです。後ほど写真をご覧に入れます。

  • 1972年 - 収集した民具などを公開するため二風谷アイヌ資料館を設立。
(Wikipedia 日本語版「萱野茂」より引用)

そんなに古い建物には見えなかったのですが、結構長い歴史があるんですね……。

  • 1975年 - 平取町町議会議員に当選。以後5期務める。
(Wikipedia 日本語版「萱野茂」より引用)

ここから、政治家・萱野茂の歴史が始まります。

  • 1992年 - 第16回参議院議員通常選挙に日本社会党から比例代表の名簿第11位で立候補(この時は次点で落選)。
(Wikipedia 日本語版「萱野茂」より引用)

当時は横路孝弘が北海道知事を務めていたのも(多少は)影響があったのかも知れません。結果は残念なものでしたが。

  • 1993年 - 二風谷ダム着工のため行われた用地強制収用裁決の取り消しを求めて札幌地裁に提訴。
  • 1994年8月 - 繰り上げ当選でアイヌ初の国会議員となる。
(Wikipedia 日本語版「萱野茂」より引用)

しかしながら、ラッキーなことに繰り上げ当選を果たします。ついに「アイヌ初の国会議員」が誕生します。

  • 1996年9月-日本社会党の社会民主党と民主党への分裂に伴い民主党に所属。
  • 1997年3月 - 二風谷ダムが完成していたため強制収用裁決取り消し請求は棄却された。しかし「国はアイヌ文化に対し最大限の配慮をしなければいけないのに、それを怠った」とダム建設を違法とし、アイヌ民族を先住民族と認める判決を勝ち取った。
  • 1997年5月 - アイヌ文化振興法成立。
(Wikipedia 日本語版「萱野茂」より引用)

民主党に所属したのは、やはり横路孝弘の影響でしょうか。二風谷ダムの用地強制収用取り消し請求は「もう完成しちゃったし」とのことで棄却されるも、「でも、このダムはあっちゃダメだよね」とされ、こうして二風谷ダムは日本で唯一の「違法なダム」となったのでした。

また、「アイヌ民族が(北海道の)先住民族である」という判例を勝ち取ったり、アイヌ文化振興法の成立に尽力するなど、各方面でめざましい結果を勝ち取ったのも、この時期のことです。

  • 1998年7月 - 任期満了に伴い政界を引退。息子の萱野志朗が同年参院選に社民党から出馬するも落選している。
(Wikipedia 日本語版「萱野茂」より引用)

これ、ぱっと見は「世襲」のようにも見える……というか、世襲に他ならないと言えばそうなのですが、社会党で当選した父親(萱野茂)は民主党に合流したのに、その息子が社民党から出馬というのもどことなく変な話に思えます。もしかしたら、社民党を切り捨てて民主党に移ったことに、多少の申し訳なさを感じていたのかも知れませんね。

政界引退時に残した言葉
アイヌ文化振興法を成立させ、国会議員としての目的を果たした萱野は一期限りで引退。その際「人(狩猟民族)は足元が暗くなる前に故郷へ帰るものだ」 という言葉を残している。
(Wikipedia 日本語版「萱野茂」より引用)

これもなかなかの名言ですね。感心至極です。

「チャランケ」とは?

チャランケ」とは、「討論する」という意味のアイヌ語なのだそうです。


これはアイヌ語を母語としない人にも意味が通じたとされますが、「北海道方言」とまでは言えないようですね。

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