2010年6月13日日曜日

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春の道央・道北の旅 2010 (29) 「『平取大橋の落橋』は『身から出た錆』?」

 


小さな親切、大きなお世話(←

では、「沙流川歴史館」の展示に戻りましょう。


面白い……と言うのもちょっと変かもしれませんが、そうですね、「野生っていったい何なんだろう」とちょっと考えさせられるポスターかも知れません。

せっかくなので、文章の部分をトリミングしてご覧に入れます。


「少しずつ」の送り仮名が足りないのが少し(←)気になりますが……。「『誘拐』になるので」という言い回しは言い得て妙でしょうか。


「心配ならば、ヒナを近くの茂みの中に置いておくこともできます。」というのは秀逸な見解ですね。

「平取大橋の落橋」は「身から出た錆」?

あとは、「沙流川歴史館」という名前らしく、沙流川にまつわる歴史の 1 ページを切り取った写真の数々が展示されています。


平取大橋の落橋」とあります。昭和 30 年のことらしいですが、対岸に小さく見えるボンネットバスが歴史を感じさせます。このように、「シシㇼムカ」とも言われた沙流川は、時にはその川面を猛々しく変貌させることがあったようで、これが後々のダム建設に繋がっていった……と考えることができます。

ただ、この「沙流川の奔流」が往古から繰り返されてきたかと言うと、また話は別かも知れません。というのも、「集中豪雨による土石流」は、上流域の保水力が低下することによって齎(もたら)されることが多いと考えられます。明治以降、「北海道開拓」という名目で、多くの木々が伐採されたという推測も成り立つわけで、つまりはこの「平取大橋の落橋」も、実は「身から出た錆」と言えるのかも知れません。


ちなみに、落橋する前の平取大橋はこちらです。手前には「チセ」(アイヌの標準的な家屋)が見えますね。

かつては馬車鉄道だったそうです

国鉄富内線のルートからは外れてしまった平取ですが、「沙流軌道」という軽便鉄道が走っていたそうです。


昭和 26 年に全線廃止されたと言いますから、これは廃止直前の写真、ということになりますね。

ちと説明文を拡大してみましょうか。


やっぱりね(にやり)。なるほど、紙の原材料とするために森林を伐採していたんですね。それでは上流域の保水力も弱まり、豪雨時に水害が起こりやすくなる筈です。

学徒援農隊の皆さん

こちらはなにやら「明るい農村」的な集合写真ですが……


実態は然に非ず、「学徒援農隊」なる人たちの写真でした。


多くの農家の若者が軍に招集されてしまった関係で、不足した農業生産力を補うべく、九州からはるばる平取まで学生が農作業にやってきたのだそうです。「工場で働く女学生」という図式はよく耳にしたのですが、「農作業に従事する学徒」というのは初めて聞いたような気がします。

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